第3話。報道協定

闇を切り裂くヘッドライト。

東京朝日放送のロゴが入った三菱ジープは、関越自動車道を猛スピードで北上していた。


ハンドルを握るのは、壬生さゆり。

助手席には、報道局きっての敏腕だが、その粗暴な振る舞いで局内でも恐れられているディレクター、樺島裕二(かばしま ゆうじ)。40代半ば、無精髭に紫煙をくゆらせ、手元の道路地図と睨めっこをしている。


そして後部座席で青い顔をして揺られているのが、入社一年目の新人AD、高田宏明(たかだ ひろあき)だった。


「み、壬生さん、もう少しスピード落とせませんか……!」


高田の悲鳴にも似た懇願は、ジープのエンジン音とかき鳴らされるラジオのノイズにかき消される。

さゆりの横顔は、能面のように冷徹だった。シーサイド感を漂わせていた昼間の姿はどこへやら、今は獲物を追う狩人の目をしている。バレーボールで鍛え抜かれた動体視力と反射神経が、夜の高速道路を縫うように駆け抜けていく。


「甘ったれるな高田!」

助手席の樺島が、吸い殻を灰皿に押し付けながら怒鳴った。

「他局に先を越されたら終わりだぞ。それに、生存者がいるかもしれねぇ。一刻を争うんだ」


「で、でも樺島さん!」

高田が身を乗り出し、震える声で言った。


「墜落場所については『報道協定』があるんです! 所轄の警察や航空局からの正式発表を待たずに、我々が勝手に現場を特定して報道するのはマズいんじゃないですか!? 混乱を招くとか、救助の妨げになるとか……」


高田は教科書通りの正論を口にした。

新人研修で習ったばかりのコンプライアンス。未確定情報の流布は厳禁。現場への無断立ち入りは制限される可能性がある。


「はん、協定だあ?」

樺島は鼻で笑い、二本目のタバコに火をつけた。

「おい高田、よく聞け。レーダーからジャンボが一機消えたんだぞ。500人だ。500人の命が、今どこにあるかもわからねぇんだ。協定だのルールだのと言って、指をくわえて発表を待つのが報道か?」


「それは……そうですが、でも!」


「高田くん」

それまで黙ってハンドルを握っていたさゆりが、低く、透き通った声で割って入った。


「……はい」


さゆりはバックミラー越しに、怯える新人を一瞥した。

「協定は、無秩序な報道を防ぐためのもの。でもね、今ラジオがなんて言ってる?」


さゆりが指差したカーラジオからは、錯綜する情報が垂れ流されていた。

『長野県側との情報』『いや、群馬県側だ』『御座山(おぐらやま)付近に煙』――情報は二転三転し、誰も真実を掴めていない。


「国も、警察も、混乱してるのよ。場所すら特定できていない。このままじゃ、救助隊だってどこへ向かえばいいかわからないわ」


さゆりはアクセルをさらに踏み込んだ。ジープが唸りを上げ、群馬方面への分岐を一気に駆け抜ける。


「私がもし……あの飛行機に乗っていたら。千早を残して、暗い山の中に落ちていたら。誰でもいい、早く見つけてくれと叫ぶわ。ルールなんてどうでもいいから、早く誰か来てくれって」


さゆりの脳裏に、喘息で苦しむ娘の顔がよぎる。

今日帰ると約束した。その約束を破ってまでここに来たのだ。

ただの特ダネ探しではない。これは、誰かの「親」や「子」を見つけるための戦いなのだ。


「協定破りが怖くて、人の命が救えるか!」


さゆりの一喝に、高田は言葉を失い、シートに深く沈み込んだ。

樺島はニヤリと口の端を歪め、地図をダッシュボードに広げた。


「聞いたか、小僧。女帝のお通りだ。腹くくれ。俺たちはこれから、地獄の入り口までドライブだ」


「……ひ、ひえぇ……」


「現在地、藤岡インター通過! 目的地方向、多野郡上野村(たのぐん・うえのむら)! 目撃情報を頼りに、山へ入るぞ!」


「了解!」


さゆりの手の中で、ハンドルが大きく切られる。

整備されたアスファルトは終わりを告げ、ジープはうねるような闇、御巣鷹の尾根へと続く未舗装の山道へと突入していった。

タイヤが砂利を噛む音だけが、車内に響き渡る。

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