第36話 白の令嬢の選択
毎日のように流れていた貴族議会への真実確認の報道は、次第にその勢いを弱めていった。
見出しは小さくなり、放送時間も短くなる。
記者の語調も、糾弾から分析へと移っていった。
それは、否定されたからではない。
十分な材料が出揃い、世界が次の段階へ進んだからだった。
アルブレア連邦国内で、ひとつの事実が明確に報じられる。
元・貴族議会議長ライナルト・アストレアの二女。
反逆者として追撃を受け処刑されたはずの――クラリス・アストレア。
生存、確認。
それは短い記事だったが、重さは桁違いだった。
処刑の正当性が揺らぐ。
反逆罪の前提が崩れる。
黒系派閥が最も恐れていたのは、銃ではなく、この一行だった。
ほどなくして、動きは連邦の外へ広がった。
ルーヴェン皇国を皮切りに、近隣諸国から説明要求が突きつけられる。
調査団派遣の打診。
国際的な枠組みでの提起。
どの国も、戦争という言葉は使わない。
使うのは、人権と法だけだった。
戦わずに、包囲する。
世界は、その方法を選んだ。
ルーヴェン皇国行政庁の会議室で、エーヴァルトは静かに報告を聞いていた。
「……ここまで来たか」
短い言葉だったが、そこには確信があった。
「この時を待っていた」
クラリス、カレン、ヘルマン、カール。
全員がその場にいた。
「君たちの復讐心を煽らなかったのは、傍観するためではない」
エーヴァルトは視線を上げる。
「最も確実に、連邦を壊すためだ」
沈黙が落ちる。
「ここまで来たら、アルブレア連邦は持ちこたえられないだろう」
エーヴァルトは断言だした。
「おそらく、現政権は倒れる」
クラリス達を皇国に引きとどめた判断が、最も冷酷で合理的だった。
その事実が、静かに共有される。
エーヴァルトは、クラリスを正面から見据えた。
評価でも試す視線でもない。
ただ、選択の行き先を確かめるためのものだった。
「ひとつ、確認しておきたい」
静かな声で、そう切り出す。
「君が連邦へ戻れば、話は変わる。象徴としてではなく――立て直す側としてだ」
一拍。
「現政権が倒れたあと、混乱は避けられない。そのとき、アストレアの名を持つ君が戻れば、 国内外ともに“正統性”を得ることができる」
それは誘惑ではなく、現実的な提案だった。
「君には、その道もある。連邦を内部から再建する選択だ」
室内が静まる。
クラリスは、すぐには答えなかった。
視線を落とし、ほんの短い沈黙の中で、言葉を選んでいる。
やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「……確かに、その道もあるのでしょう」
しっかりとエーヴァルトの目を見て続ける。
「わたくしが戻れば、連邦は“正しさ”を装うことができます。アストレアの名は、そのために使われるべきかもしれません」
その言葉には、すでに理解しきった響きがあった。
「でも――」
クラリスは、そこで一度だけ息を整える。
「それは、また誰かの人生を踏み台にして立て直す、ということですわ」
背後に立つカレンの気配を、クラリスは意識していた。
振り返ることはない。
だが、確かに“そこにいる”ことがわかる。
「わたくしが戻れば、再び守られる存在になり、再び標的になり、再び誰かが、そのために傷ついていく」
それは仮定ではなく、経験に基づいた確信。
「わたくしは……もう、その選択をすることはできません」
クラリスは、はっきりと首を横に振った。
「ゆえに……わたくしは、連邦へは戻りません」
迷いはなかった。
そして、静かに続ける。
「連邦を立て直すことよりも、連邦に踏みにじられた人生を、これ以上増やさないことを選びます。まずは、DOLL計画により奪われたカレンの人生を、取り戻しますわ」
はっきりとした声だった。
視線は、背後に立つカレンへ向けられる。
自分の進路を定める宣言だった。
「少し、諸国を廻ってみますわ」
そう言って、クラリスはほんのわずかに表情を和らげた。
それは決意を示すための笑みではない。
すでに選び終えた者の、静かな余白だった。
「これからは――」
一拍、言葉を置く。
「わたくしが、カレンを守ります」
宣言ではあったが、力はこもっていない。
誰かに示すための言葉ではなく、自分自身に向けて確かめるような声音。
同じ場所に立つと決めた者が、自分の役割を選び取っただけのこと。
エーヴァルトの後方に控えていたカールが、無言のままケースを差し出した。
留め金が外されると、中には修理を終えたブレイカーⅡ型と、W44が収められている。
どちらも、アルブレア連邦の包囲から救出されたとき、その場に置き去りにしてきたものだった。
「返す」
それ以上の説明はなかった。
戦うためでも、使えという意味でもない。
忘れていたものを、元の持ち主へ戻す――ただそれだけの行為。
カレンは、静かにケースを受け取った。
構え直すこともなく、武器に視線を落としたまま、確かめるように手に取る。
懐かしさとも、安堵ともつかない感覚が、わずかに胸をよぎった。
だが、感情は表に出さない。
今の彼女にとって、それは「戻ってきた」という事実で、すでに十分だった。
エーヴァルトは、少しだけ間を置いてからクラリスに視線を向けた。
「……この先は、どうするつもりだ」
問いは簡潔だった。
だが、選択肢の重さを理解した者の声音だった。
クラリスは、すぐには答えなかった。
一度だけ窓の外へ目を向け、それから静かに口を開く。
「まずは、境界線都市メル・シェードへ立ち寄ろうと思いますわ」
「メル・シェード?」
「ええ。古い知り合いもおりますし……顔を見ておきたい人もいます」
エーヴァルトは、その意図をすぐに理解したように口角を上げて頷いた。
「それなら、境界まで送ろう。そこから先は、君たちの判断だ」
命令でも、取引でもなく、あくまで、申し出だった。
クラリスは一瞬だけ考え、すぐに頷いた。
「ありがとうございます。ご厚意、受け取らせていただきます」
廊下へ出たところで、ヘルマンがふと足を止めた。
「なあ」
振り返らずに、クラリスへ問いかける。
「ここに留まるって選択肢は、最初からなかったのか?」
皇国の庇護。
安全。
戦火から距離を置いた生活。
それは、確かに提示されていた道だった。
クラリスは歩みを止め、ヘルマンの方を見る。
「ありましたわ」
否定はしない。
「けれど……それは、誰かに守られる側に戻るということです」
声は穏やかだったが、迷いはなかった。
「それでは、わたくしが語った意味が、薄れてしまいます」
ヘルマンは小さく息を吐く。
「……なるほどな」
そして、少しだけ視線を逸らし、続けた。
「しかしさ、お嬢」
少し声のトーンを上げ、にやりと笑う。
「諸国を廻る、ねえ。ずいぶん大きな旅だ。昔のあんたなら、“屋敷から一歩出るのも大事業”だったろ?」
クラリスは即座に眉をひそめた。
「……失礼ですわね。わたくしだって、必要とあらば行動いたします」
「はいはい。今のは冗談だって」
「冗談にしては、少々品に欠けますわ」
「貴族様の基準は厳しいなぁ」
ヘルマンは大げさに肩をすくめる。
「でもまあ、いいと思うぜ。国境越えて世界を歩くってのも」
クラリスは一瞬だけ言葉に詰まり、視線を逸らした。
「……お世辞でしたら、受け取りませんが――」
「本音だよ。たまには信じろって」
そんな二人のやり取りを、少し後ろで聞いていたカレンが――
ほんのわずか、口元を緩めた。
「……フフッ」
声になったのは、それだけだった。
抑えきれず、零れてしまったような、小さな音。
次の瞬間。
「……え?」
クラリスが振り返る。
「今、笑いました?」
ヘルマンも目を丸くする。
「おいおい……聞き間違いじゃねえよな?」
カレンは、はっとしたように姿勢を正す。
「……失礼しました。お二人のやり取りが……少し、和やかだったので」
一拍の沈黙。
クラリスは信じられないものを見るように、カレンの顔を見つめる。
「……あなた、笑えるようになったのですね」
「えええええ?」
ヘルマンは大げさに声を上げた。
カレンは、二人の様子を前に、今度は声を立てずに微笑んだ。
ほんの一瞬。
だが、確かにそこにあった、人としての反応。
クラリスとヘルマンは顔を見合わせ、同時に小さく息を吐いた。
「……参ったな」
「……ええ。本当に」
その微笑みは、戦争の結果でも、勝利の証でもない。
ただ、人が人として、その場に立っている証。
――その後、準備は静かに整えられた。
準備のために三日が経過した。
行政庁正門前に境界線都市メル・シェードへ向かう車列が整えられる。
先頭と最後尾には皇国警護隊が配置され、エーヴァルトとカールが送迎に立った。
蒸気車を見上げながら、ヘルマンが軽く肩をすくめる。
「来る時とは大違いだな。まるで、VIP待遇じゃねえか」
その言い方には、いつもの軽口と、少しばかりの皮肉が混じっていた。
「わたくしたちではありませんわ」
クラリスは穏やかに、しかしはっきりと答える。
「エーヴァルト参謀総長の護衛のためですわ」
その言葉に、誰も否定しなかった。
皇国は、これ以上深く関与するつもりはない。
それでも、ここまでの道のりだけは、確実に守り抜く――その意思だけが示されていた。
ヘルマンの運転する蒸気車が、低い音を立ててゆっくりと走り出す。
それは、逃亡ではなかった。
戦いから降りた者たちが、次にどう生きるかを、自分の意志で選ぶための旅が始まった。
(つづく)
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