第27話 終結の撃鉄
最下層は、静まり返っていた。
床も壁も、無機質な素材で固められ、装飾と呼べるものは何ひとつない。
天井は低く、空間は広い。
遮蔽物はほとんどなく、身を隠すという発想そのものが拒否されている構造だった。
逃げ場がない。
誰に説明されるまでもなく、身体が反応した。
中央には制御卓とモニター群。
壁際には、整然と並べられた武器ラック。
ティム・ローヴァンは、制御卓の前に立っていた。
振り返ることなく、足音だけで、誰が来たのかを理解している。
その背中には、もはや緊張も、焦りもなかった。
「ここから先は、俺と“彼女”だけだ」
背中越しの静かな声だった。
クラリスとヘルマンは、足を止める。
それが、この場所のルールだと理解した。
カレンが、一歩前に出る。
「お嬢様」
クラリスは、迷いなく頷いた。
「勝ってください――生きて、戻ってきなさい」
これは命令だった。
だが、それは戦えという命令ではない。
生きろという、命令。
「承知しました」
カレンは、静かに答え、視線をティムの背中に移す。
ティムが、ゆっくりと振り返った。
「来たな」
挑発ではなく、迎え入れる言葉。
銃声が響いた。
開始を告げる声はない。
互いに引き金を引くことを、最初から選んでいた。
ティムの突撃銃が火を吹く。
反動を極限まで抑えた連射が、一直線にカレンの進路を潰す。
床が抉れ、壁が砕け、跳弾が空気を裂く。
カレンは、ブレイカーⅡ型を構えたまま、一歩踏み込む。
ズドォォォン!!
低い天井が震え、衝撃が空間全体を揺らす。
散弾が制御卓を吹き飛ばし、金属片が雨のように降り注いだ。
ティムは即座に位置を変える。
遮蔽物は少ない。
だが、確実に身を隠しながら反撃の銃口を向ける、
無駄弾はない。
一発一発が、殺すために弾かれている。
カレンの脇腹を弾丸がかすめる。
熱と痛み。
それでも足は止まらない。
ブレイカーⅡ型の重量が、傷口にのしかかる。
反動を抑えるのではない。
反動ごと、前に進む。
ズドォォォン!!
空間そのものを制圧する射撃。
破壊音が、鼓膜を叩く。
ティムの銃弾が、カレンの体を裂いていく。
血が飛び、視界が一瞬赤く染まる。
互いに退くことはなかった。
これは正義の衝突ではない。
止められなかった者と、止めると決めた者の、選択のぶつかり合いだった。
弾倉が空になる。
ティムが距離を詰めた。
その体躯に似合わないスピードに、カレンのブレイカーⅡ型は、装填が間に合わない。
互いに、銃を捨てた。
距離が、ゼロになる。
拳が飛ぶ。
骨に響く衝撃。
ティムの軍人格闘術。
実戦で磨かれた殺しの動き。
踏み込み、回転、体重移動。
カレンの身体は、思考よりも先に次の位置を選び取っていた。
拳と拳が交錯する。
かわし、流し、わずかに触れるだけで軌道を逸らす。
力で押し合うことはない。
速度と角度、互いの磨き上げられた殺しの技術が交差する。
ティムの一撃を、半身でいなす。
反撃は最短距離。
だが深追いはしない。
次の瞬間には、もう互いの背後を取ろうとしている。
二人の足運びは、床の上に見えない線を描いていく。
直線と円弧が連なり、重なり、ほどけていく。
それは、まるで舞踏。
呼吸と呼吸を合わせる、奇妙な調和。
殺し合いそのものに振付けがされているかのように。
無駄のない動きが、華麗なラインを描きながら、空間を切り裂く。
一瞬でもタイミングを誤れば、死が待つ。
だからこそ、互いに踏み込む距離も、退く間も、完璧に噛み合っていた。
ティムは理解していた。
今のこの空間は、生き残るために、殺し続けた者だけが辿り着く領域だと。
カレンは、淡々と動き続ける。
感情を乗せず、力を誇示せず、ただ――仕留めるための最短の動線を選び続けていた。
技は拮抗している。
だが、体力では、カレンが劣っていた。
呼吸が、わずかに乱れる。
踏み込みの鋭さが、ほんの一拍遅れる。
拳を受け流しきれず、肩に衝撃が走る。
一歩、下がる。
ティムは、その隙を逃さない。
圧をかけ、距離を詰める。
押される。
さらに、押される。
背後の壁が、近い。
逃げ場は、もうない。
カレンが、息を吸い込もうとした、その時。
ティムの拳が、腹に入る。
「ぐっ!」
息が詰まり、視界が揺れる。
そのまま身体を掴まれ、壁に叩きつけられた。
衝撃で、意識が白く弾ける。
その瞬間――
カレンの指が、ホルスターの感触を捉えた。
W44。
反射的に引き抜き、撃つ。
パンッ!
弾丸が、ティムの腹部に突き刺さる。
さらに、残弾を撃ち込む。
パンッ、パンッ!
「ぐぁっ!」
ティムが膝をつく。
それでも、完全には動きを止めない。
立ち上がろうとする。
ここで勝っても、何かが変わることはない。
ティム自身が、そのことを理解していた。
戦うことでしか、示せない存在意義。
間違いだとは薄々気づいていた黒系貴族の正義。
だが、そんな正義でもすがるしかなかった。
だから、止まることはできない。
カレンは、床に落ちたブレイカーⅡ型を拾い上げ、重さを、確かめる。
撃ち合いでも、格闘術でも、決着はつかなかった。
それが、この戦いの結論。
ブレイカーⅡ型の重みが、掌に戻る。
冷えた金属が、確かな感触を伝えてきた。
カレンは散弾を取り出す。
一発。
次の一発。
薬莢が装填口に吸い込まれ、低く、乾いた音が返る。
カレンは、ティムの前に立ち、ブレイカーⅡ型の銃口を、こめかみに当てる。
フォアエンドを弾く音が、乾いた空間に響いた。
ガシャリ、と確かな手応え。
ティムは、目を閉じない。
逃げもしない。
命乞いもしない。
その誇りだけは、最後まで失わなかった。
カレンとティムの視線が交差する。
ズドォォォン!!
至近距離で放たれた散弾が、ティム・ローヴァンの頭部を完全に破壊した。
血と骨片が、壁に叩きつけられる。
身体は、音もなく前に倒れた。
そこにあるのは――
英雄でもなく――
悪でもなく――
信じる正義を誤った、ひとりの人間の終わり。
カレンは、しばらく銃を下ろさなかった。
撃った感触が、腕に残っている。
反動も、音も、確かだった。
それは――
自分の意思で引いた引き金だと、ゆっくりと理解していった。
やがて、銃口を下げる。
何も言わない。
勝利の実感も、解放感もない。
沈黙。
何も変わらない施設。
崩れ落ちた正義。
引き金は引かれた。
だが、救われた者はいない。
それでも――
初めて、自分の意思で選択した事実が、そこに残っていた。
クラリスとヘルマンが、駆け寄ってきた。
互いに無事を確認する言葉はない。
勝った、という実感もない。
代わりに――
床の奥から、低く鈍い振動が伝わってきた。
最初は、遠雷のようだった。
だが、次第にそれは連続した揺れへと変わる。
天井の継ぎ目から、細かな粉塵が舞い落ちる。
照明が一瞬だけ明滅し、警告音が遅れて鳴り始めた。
塔が、軋んでいる。
制御を失った設備が、あちこちで悲鳴を上げているのが分かる。
どこかの階層で、重い構造物が崩れ落ちた音が響いた。
「……来るぞ」
ヘルマンが低く言う。
次の瞬間、床が大きく傾いた。
身体が浮き、壁に叩きつけられそうになる。
塔の崩壊が始まった。
逃げ道が閉じる前に、地上に出なければならない。
考える余裕はない。
クラリスは振り返らずに、声だけで促した。
「急ぎますわよ!」
それだけ言って、駆け出した。
三人は、揺れ続ける塔の中を走る。
落下する破片を避け、崩れゆく通路を越えながら、上層へ向かう。
背後で、また一つ、壁面が崩れ落ちた。
引き金は引かれた。
ティム・ローヴァンの正義との戦いは終結した。
救われたものはない。
その結果、塔もまた、役目を終えようとしている。
三人は、上層へと駆け出した。
(つづく)
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