第10話 手の届かぬところで風が鳴る
廊下を進むにつれ、屋敷全体の空気が変わった。
外壁越しの足音が増え、芝を踏む音が詰まっていく。
「……数が増えました。包囲が本格化しています」
クラリスは応接間へ向かった。
扉を開くと、家族全員がすでに揃っていた。
ライナルトは窓の外を静かに見つめ、レイナとエレナは落ち着いた様子でそのそばに立っている。
覚悟を宿した表情だった。
クラリスは父へ駆け寄る。
「父上……! 状況が――」
「分かっている」
「外は完全に包囲されている。複数の小隊が外周に展開している」
カレンが扉横に立ち、外の振動を確かめる。
「侵入まで、まだわずかに猶予があります。しかし……包囲網は完成しています」
クラリスの呼吸が浅くなる。
「では……逃げ道は……?」
ライナルトは静かに首を振る。
「もう逃げられん。――だが、お前だけは別だ」
クラリスは父の瞳に困惑を映した。
レイナがクラリスの手を握る。
「クラリス。あなたは生きなければなりません」
エレナは肩に手を置き、優しく続けた。
「わたしたちは大丈夫。あなたには……未来があるのよ」
クラリスは首を振った。
「いやです……いやですわ……!置いてなどいけません……!」
その声を遮るように、正門の崩れる大きな音が屋敷全体を揺らした。
「正門突破! 中庭確保、前進!」
廊下に靴音が一気に広がった。
カレンは扉に耳を寄せ、少し早口で告げる。
「……侵入が始まりました。応接間まで来るのは時間の問題です」
クラリスの肩が震えた。
ライナルトはクラリスの手を握り、まっすぐに視線を合わせた。
「クラリス。ここで全員が捕まれば、この家は断たれる。お前だけは、生き延びるんだ」
「いや……いやですわ……!」
レイナが頬に手を添える。
「生きることは逃げることではありません。あなたには、すべてを見届ける役目があります」
エレナは微笑み、囁く。
「行きなさい。わたしたちは……この家の誇りを持って向き合います」
その声は、気高く、透きとおっていた。
廊下の奥から号令。
「応接間前、制圧に入る!」
クラリスが身を震わせた瞬間、ライナルトが低く命じた。
「カレン」
「はい」
「クラリスを連れていけ」
クラリスの瞳が揺れる。
「だめ……来ないで……!わたくしはここに残ります……!」
カレンは短く息を整え、クラリスの腰を抱え上げた。
「失礼いたします」
クラリスの身体が浮く。
「いやっ……いやですわ!降ろしなさい……!父上、母様、エレナ姉様……!!」
カレンは暴れるクラリスをしっかり抱え、裏手の廊下へ向かった。
兵の足音が角を曲がる。
カレンは片腕でクラリスを支え、もう片方の手でブレイカーⅡ型を構える。
進路を塞ぐ扉と棚を確認し、照準を合わせた。
ズドォン!!
散弾が木材を砕き、金具が弾け飛ぶ。
廊下に脱出口が生まれる。
「衝撃があります」
カレンは裏口のガラスへ体重を乗せ、
迷いなく蹴り込んだ。
ガシャァンッ!
破片が飛び散り、冷たい外気が二人を包む。
背後で兵士が叫ぶ声が響いた。
「二名、裏庭へ! 追え――!」
カレンは振り返らず走り続けた。
塀沿いの影を選び、夜明け前の闇に身を溶かす。
クラリスはカレンの肩にしがみつき、
声を震わせた。
「戻らなくては……!わたくし……あの方々なしでは……!」
「守護対象、最優先。――離脱します」
カレンの言葉は機械の様に揺るがなかった。
涙が、走るたびにカレンの外套へ落ちていく。
二人は、白い屋敷を背にして――
夜明け前の冷たい空気の中へ消えていった。
アストレア家が襲撃された2日後――首都アルブスの中央広場は、まだ朝日が昇り切らぬ時間にもかかわらず、黒い人波で埋まっていた。
広場の中央――
石畳の上に断頭台が設置されていた。
深紅の布がかけられ、鉄の器具が冷たく光る。
その周囲には、円を描くように配置された連邦正規軍の兵。
民衆のざわめきが、波のように断頭台へ向かって押し寄せていた。
「本当に……処刑するのか」
「反逆者だと……?」
「アストレア家が……?」
断片的な声が入り混じる中、掲げられた柱に、三名が縛られていた。
ライナルト・アストレア。
レイナ・アストレア。
エレナ・アストレア。
三人の顔には恐怖はなく、ただ静かに、最後の時を受け入れる覚悟を決めた表情。
クラリスは群衆の端に紛れ、深くフードをかぶったままその光景を見つめていた。
薄汚れたローブの裾が風に揺れ、その下で肩が細かく震えている。
泣きはらした瞳は赤く、それでも断頭台から目を逸らさない。
睨みつけるように、そこに立つ家族の姿を追い続けた。
その横に、カレンがクラリスを守るように寄り添う。
背にブレイカーⅡ型。
右手にW44。
左手は、クラリスの手の甲にそっと添えられている。
片時も離すつもりはなかった。
カレンの視線は断頭台と兵士の動きを常に追っている。
何かあれば即座に行動できるよう身体に力を溜めていた。
群衆のざわめきが一気に静まり、その中心を割るようにして男が現れた。
連邦軍の将校――
ティム・ローヴァン。
彼は断頭台の前へ進み、よく通る声で読み上げた。
「ライナルト・アストレア。ならびに、その妻レイナ、長女エレナ。貴族議会への反逆、および国家への背信行為により――本日ここに斬首とする」
凍りつく、広場の空気。
その静寂の中で、兵士たちが三名をゆっくりと前へ連れ出した。
ライナルトは自ら歩み、抵抗は一切見せなかった。
周囲の声にも表情を動かさず、断頭台の階段を一段ずつ踏みしめて登っていく。
レイナは短く息を整え、背筋を伸ばして後に続いた。
腕を強く掴む兵の力に乱されることなく、その足取りは最後まで崩れなかった。
エレナは振り返らなかった。
クラリスへ向けた祈りのような気配だけを風の中に残し、ゆっくりと鉄の台へ向かっていった。
断頭台の上に、三つの固定
兵士が金具を操作し、ライナルトの首元に冷たい鉄が降りてくる。
ガチリ、と硬い音が響いた。
続けてレイナ、エレナも同じようにうつむかされた姿勢で枷に固定された。
三人の視線は合わせられない角度に固定され、前方の石畳へわずかに影を落とす。
群衆の中にざわめきが広がっていく。
クラリスの唇が震えた。
息を吸うだけで胸が痛んだ。
のどに、なにかが詰まったようになり、声は出なかった。
ティムはゆっくりと手を上げる。
その合図に応じ、執行人が巨大な斧を持ち上げた。
鉄の刃が朝の光を受け、黒く、冷たく輝いた。
クラリスの指がカレンの手をきつく掴んだ。
カレンの手のひらに爪が食い込む。
カレンは横目でクラリスを見た。
その瞳に浮かぶ震えを受け止め、わずかに力を返す。
斧が――
振りあげられた。
(つづく)
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