人類よ、怪獣に挑め

イモムシ

プロローグ

第一話 東京消滅

 夢を見た。ただひたすらに、がむしゃらに戦う夢だった。わたしに、何の迷いもない。正義のために戦うだけだ。


 それなのに、全ては滅んだ。荒廃した大地が、目の前に広がっていた。何故だろうか。最も、そんな疑問も、すぐに消えた。


 それでいい、正義の為の奴隷で、わたしは良い─




二〇二四年 七月十七日 午前六時 千代田氷川荘

 

 俺、一条竜にとってはいつもの朝だった。悪夢の爪痕たる脂汗を拭い、ラジオを付けてカーテンを開く。巨大なトーチカ達に、空の戦闘機。産まれて十七年、何も変わらぬ風景だ。


〈一九五四年以来、人類を脅かし続ける怪獣。七十年という節目の『祝い』でしょうか、国際軍事機構WAMDA(World Anti-Monster Defense Alliance)〈ワンダ〉によりますと、現在関東全域で怪獣由来と思しき地震が頻発しているとのことです〉


 白の隊服に身を纏い、バイザー付きのメットを被る。額縁の中の父さんと母さんは、こんな世界にミスマッチなほど優しい笑顔を浮かべている。だからなのだろう、毎日十年前を夢に見るのは…


「…待っていてね。笑顔が似合う世界にしてみせる」


午前六時五〇分 霞ヶ関一丁目 バード・ベース


 並び立つトーチカ達の麓で、銀の要塞は朝日に輝いていた。


〈メインエンジン、点検完了です〉

〈千代田より通達。多摩部隊、状況を報告せよ〉

〈引き続き警戒をお願いします〉


 緊張感の中、オペレーターたちは機器類と壁一面のモニターに向き合いながら激務に追われていた。


「竜君、朝からすまんな」

「司令こそ、お疲れ様です」


 佐神輝八、四五歳。バード・ベース総司令。隻眼の下には隈が顔を出し、司令席のデスクには缶コーヒーが散乱していた。


「またですか」

「命が懸かっているんだ。三徹じゃ休めんよ」


 強がりの傍らで、デスクで唯一綺麗な額縁から母娘は笑う。


「…我々と同じ思いをするのは、我々で最後にせねばな」

 司令は母娘に向かって俯く。そこにあるのは決して絶望だけではない。悲しみをバネに戦う強靭な覚悟だ。

 

「よっ」

 不意に、背後から抱き着かれた。驚き振り返った俺は、あっと突拍子もない声を上げてしまった。


「久し振り。僕だよ、薫だよ」


 坂田薫、十七歳。幼稚園以来の親友が、スーツ姿で俺に抱き着いていた。 


「薫!? 何で…!?」

 司令は苦笑いを浮かべて説明する。

「秘書のバイトさ。中々に有能でね。学業を終えたら正式採用しようと思ってるんだよ」


 薫は変わっていなかった。常軌を逸した人懐っこさに、裏表のうの文字すら知らなさそうな最高に爽やかな笑顔。茶色い大型犬でも相手にしている気になる。実際、そこだけは司令も苦々しく思っているのかもしれない。


「ここで話すのもなんだ。二人で朝食でもとり給え」


 午前七時 バード・ベース食堂


 緊張の毎日の中、俺達の唯一の娯楽は食事だ。ただの目玉焼きでも、今では最高に美味い。美味しさは活力へ、活力は会話へと昇華する。


「竜、大学はどうすんだ? もう十七だし」

「士官学校で大学の分も終わったからなぁ」

「飛び級ってか。良いなー、僕はノイローゼ寸前なのに」


 薫は受験に苦しんでいるらしい。赤本を読み漁り、休日はオープンキャンパスに潰される毎日。聞いてるだけで恐ろしく、そして、羨ましい日常だと思う。


「みんなはどう?」

「秋ちゃんと健はレーサー目指すらしいし、満は社長だって。凱は高校出たら結婚だってさ」


 懐かしい名前だ。小学校以来、誰にも会っていないが元気らしい。だが、安堵したはずの表情は強張っていたのか薫の顔は曇っている。


「…竜?」

「悪りぃ、考え事してた」


 いつの間にか、俺の心には不安が滲んでいた。


「怖いんだ。みんなの幸せが踏み躙られたら」


 かつての記憶が脳裏を過る。親を失い、苦しむ俺の手をみんなが引っ張り上げてくれた。誰もが、裏表のない優しい笑顔を浮かべている。俺がしくじれば、その笑顔は一瞬にして血と涙に飲まれる。もし、みんなに何かあれば…


 牛乳を飲み干し、ようやく落ち着きを取り戻した俺は顔を上げた。


「悪い。暗いよな」

 誤魔化すように皿を片付ける。気まずかった。卒業以来の再会だというのに。薫は俯いている。俺は次の言葉が怖かった。


「…竜」

 暫しの沈黙の末、口を開く。

 

「…獅子座銀花彗星って知ってる?」


 …全く想定しなかった言葉だった。

「…は?」

「知ってるか聞いてるんだ。どうなんだ?」

 ポカンとした俺を、薫は笑い飛ばした。まるで、小馬鹿にするように。


「一九七五年一月十日にドイツ人天文学者シュワルツによって観測された彗星さ。黒星星団から飛来したと言われていてね、銀の花みたいだからそう呼ばれているんだ。ちなみに…」


 俺の表情は、ますます困惑に曇るばかりだった。

「どう、分かった?」

「何一つ分からねぇ」

 直後、薫はしまったと顔を赤らめた。相変わらずだ。やけに宇宙が好きで、語り出すと止まらなくなる。


「ごめん。本題じゃなかった」

「じゃあ、本題って何だよ」

 怪訝に尋ねる俺に、薫は…


「今度、見に行こうよ。彗星、また来るんだって」


 薫は笑顔を浮かべる。嘲笑ではない、優しさの籠もった温かい微笑みを。 


「みんな会いたがってるよ。昔みたいに、僕んちでワイワイやって嫌な事忘れよ」

 薫が俺の手を取る。


「僕は竜じゃない。大丈夫だとか、心配すんなとかそんな頼もしいことは言えない。だけどね、友達として、寄り添うことはできると思う」 


 食堂の窓から朝日が差し込む。

「嫌な事があったら、ピザ食ってぱあっとやる。僕のやり方さ!!」

 なんて適当で無責任なんだ。そんな事をしたって、事態は変わらない。


 …なのに、何故だろうか。俺の心はほんの少し、だが確実に晴れていた。


「…ははっ。それ、現実逃避じゃん。赤点の時もそうやってさ!!」

「何だよ、どうせ死ぬなら踊らにゃ損損って言うじゃん!?」

「バカか。…でも、そうだな。言う通りだよな」


 俺は立ち上がる。漲る強い決意を、正義の空元気として顔に浮かべた。

 

〈緊急放送、緊急放送!! 緊急怪獣警報発令!!〉

 突然、基地中が殺気立つ。紅の回転灯の中、職員達は一斉に顔を上げた。


〈港区にて怪獣の出現を確認、全職員は持ち場へ急げ!! 非戦闘員は食堂に集合、迅速に避難せよ!!〉


「…竜」

 不安気な表情を浮かべる薫。俺は、サムズアップを送る。強がってみても、冷や汗が完全に止まることはない。それでも、薫には薫の、俺には俺の出来ることをやるだけだ。


「ソーセージだ」

「え?」

「ソーセージピザで頼む」


 呑気な台詞に笑う薫。


「捕らぬ狸の皮算用?」

「捕った狸さ」

 俺は笑い返し、走り出す。


「竜、後でピザのサイズ教えてね。約束だよ!!」

 背に声援を受け、先を急いだ…

  

 午前七時五分 港区 東京メタルツリー


 巨大な紅の鉄塔の頂上に勤めて二十年、あたし、鈴木エミはここからの街並みが大好きだった。


〈こちら怪獣監視局。報告を開始します〉

 背後がやけに騒がしい。いや、『やけ』ではないか。本当にやけなのは、これでも冷静なあたしなのか?


「エミさん、さっさと逃げますよ!!」

「話聞けっていつも言ってるでしょ!! あたしは足手まといだってば!!」


 煩い後輩たちに義足を見せ付け、半ば強引に追い出す。だが、それでも去りゆく背中には迷いと後悔があった。全く、少し考えたら分かるはずだ。眼下に広がる炎の海を、あたしを背負って逃げられるはずない。

 

 黒煙が立ち昇り、街に熱風と火の粉が吹き荒れる。燃え盛る真紅の業火は逃げ惑う人々を次々と飲み込み、ビル群は轟音と共に崩壊していく。

 

 そんな灼熱地獄を巨大な火山が街を我が物顔で闊歩していた。トーチカ達の激しい砲撃を物ともせず、熱線を放つその巨体にゴクリと息を飲む。


〈監視局、至急退避せよ!!〉

〈逃げられない私以外は全員避難済みです〉


 刹那、轟音が鳴り響く。熱線が命中し、鉄骨が崩壊を始めた。激しく揺れの中、オフィスが耳を劈く金属音と共に傾き始める。カップコーヒーが溢れ、コンピューターが倒れる。全ては窓へ突進し、ガラスの飛沫と共に落ちる。熱風を浴びながら、あたしは通信席に必死にしがみつく。


〈怪獣は五分前に芝浦地中より出現!! 現在監視局周辺を闊歩しています!!〉 


 次々とコードが千切れ、火花が激しく飛び散る。まるで、手向けの様だった。

〈かなり強力な怪獣と思われます!! 至急、出動命令を…!!〉


 次の瞬間、あたしは宙へと投げ出された…

 

 午前七時五分 バード・ベース司令室


 砂嵐。モニターが切り替わり、再び燃え盛る街が映し出される。


「遂に、来てしまったか」


 司令は呟く。同じ気持ちだった。いずれ来るとは分かっていたのに、いざとなると恐ろしい。俺達の顔に冷や汗が浮かぶ。だが、逃げ出す訳にはいかない。俺達が逃げ出して、一体誰が愛する人々を守るのか?


 捨て身の強がりに、司令は応える。


「関東全域の各基地へ通達。人々の避難誘導を開始せよ」

 強い決意と覚悟を浮かべ、号令した。

「ワンダ!! テイクオフ!!」




〈出撃準備!! これより本機は出撃する!! 各班は武装及びエンジンの最終点検を急げ!! 繰り返す…!!〉


 大声と足音が飛び交う中、司令室に大量の通信が押し寄せる。


〈報告、メインエンジン問題ありません!!〉

〈武装、異常なし!!〉

〈非戦闘員全員の下船を確認!!〉


 出撃準備が進む中、駆動音と共に床から操縦席が迫り上がる。


「若き天才の力、見せてくれ」

 司令の激励を背に受け、深呼吸。目を閉じれば、薫達の笑顔が浮かび上がる。凄まじいプレッシャーと緊張を押し殺し、俺は操縦桿を握った。 


「絶対に、守り切る」


「報告、全出撃シークエンスの完了を確認!!」

 その報告に、俺達は覚悟を決めた。


「ロックホーク、変形!!」


 司令の号令と同時に、要塞は駆動する。重厚な金属音と共に折り畳まれた翼が展開。盾と地球を象ったワンダのエンブレムが輝く。後部のシャッターが重々しく開き、巨大なジェットエンジンが顔を出す。銀の要塞は空中戦艦ロックホークへと変形していく。


「変形完了、離陸します!!」

 土煙と爆風が吹き荒れる。銀の巨体はゆっくりと離陸し、徐々に高度を上げていく。

「オールグリーン、準備万端です!!」

「ロックホーク、出撃!!」


 操縦桿を倒す。瞬間、エンジンの爆炎と共に銀の翼が風を切り裂く。巨体は加速し、戦場へと飛翔した。


 午前七時二十分 港区芝浦


 激しく燃え上がる街。抵抗を続けるトーチカ達を、赤い熱線が切り裂く。轟音と崩壊の中、重厚な咆哮が街を揺るがす。


 折れかけた鉄塔の麓、火山を背負いし竜は口から黒煙を燻らせながら進撃する。灼熱の体温にますます燃え上がる街をバッグに、黒の威容を見せ付けた。


「派手にやったな」

 現場に到着した時、司令は呟いた。業火に変わり果てた街は、脅威を自らの断末魔を持って叫んでいた。

 

「データ照合」


 俺達が恐怖する中、司令はどこまでも冷静だった。オペレーター達は我に返り、仕事に取り掛かる。


「データベースに特徴の一致する怪獣を確認、炎山怪獣ボルメラーです!!」


 モニターにウィンドウが浮かび上がる。


「強力な熱線を武器とする地底怪獣の一種です。記録によりますと同種が五四年、六六年にそれぞれ銀座・竜ヶ森に出現。特に前者は史上初の怪獣災害ということもあり、甚大な被害を観測しています」


 俺達の顔には、抑えきれぬ怯えが浮かんでいた。

「現在対象は北上中、予想進行ルート上に湾岸シェルターがあります!!」


 俺達は戦慄した。ここからでもシェルターの丸い屋根がはっきり見える。その足元には、逃げ遅れた多くの人々の姿があった。


 司令は、至極冷静に尋ねる。


「その後は?」

「両個体共に、矢口式十六番凍結弾の一斉掃射で討伐されています」

「残弾は?」

 手を動かすオペレーター達。 

「ビンゴです、厚木の基地にて残弾を確認!!」

 報告を聞いた司令は素早い。


「厚木に出撃要請」

 司令の眼差しが噴火する巨体を見据える。


「対象をボルメラーⅢと命名。作戦目標は対象の北上阻止。援軍が来るまで我々が時間を稼ぐぞ!!」

「了解!!」

 

 各部ハッチが重厚な金属音と共に展開。ミサイル砲が飛び出し、バルカンが輝く。ビーム砲は砲身にバチバチとエネルギーを迸らせ、ボルメラーを捉えた。


「撃ち方よし!! いつでもぶっ放せます!!」

 報告と共に俺は操縦桿を握り直す。


「攻撃開始!!」


 号令と共に、ロックホークは火を吹く。爆煙と共に無数のミサイルが宙へ拡散し、マズルフラッシュが迸り、黄金の閃光が天を切り裂く。

 

 次の瞬間、無数の爆発が巨体を飲み込み、弾丸の暴風雨が漆黒の鱗を穿つ。街中に響き渡る咆哮。閃光は火花と共に突き刺り、強烈な衝撃波が街中の窓達を割る。


「全弾命中!!」

「油断するな、勝負はここからだ!!」


 それは、決して悲鳴などではなかった。火山が激しく噴火し、漆黒の巨躯が赤く染まる。荒ぶる怪獣の喉奥に、憤怒の業火が渦巻く。

「来るぞ!!」


 次の瞬間、耳を劈く高音と共に真紅の奔流がプラズマと共に天を貫く。ロックホークを掠めた灼熱の一撃は背後のビル群を次々と薙ぎ払い、轟音と共に焼き焦げた廃墟へと変える。不協和音と共に激しく揺れる機体。悲鳴の中、操縦桿を握る手は緊迫に濡れた。


「竜君、被害状況は!?」

 重力の中、司令は背後から問う。

「機体下部に中程度の損傷!! 直撃すればひとたまりもありません!!」


 俺は操縦桿を動かし続ける。次々と襲い掛かる熱線の嵐を間一髪で躱し続け、攻撃を続ける。東京の空を飛び交う弾幕と熱線。


 だが、撃てども撃てども、巨岩の如き巨体は傷一つつかない。熱線が掠めるたびに司令室に衝撃が走り、警報と悲鳴が司令室を支配していく。


「駄目です、進行止まりません!!」


 凄まじい重力の中、俺は叫ぶ。脳裏によぎる敗北と死の二単語。最初は曖昧だったイメージは熱線が機体を掠める度に明確になっていく。


 そんな中でも俺が操縦桿を握り続けられたのは強い決意故だった。シェルターに避難したであろう薫達は何を思っているだろうか。怖がっているだろうか。俺を自慢しているだろうか。だが、いずれにせよ確かな事は一つ。あいつらは俺の帰りを待っている。


 絶対に、薫達と彗星を見てみせる!!


 司令は決意を後押しするように叫んだ。

「作戦変更だ!!」

 

 突然、弾幕がボルメラーの背後へと矛先を変えた。もはや反撃すらままならない。そう判断したボルメラーは愚直に撃ち続けた。プラズマ迸り、荒れる空。勝負は付いた。真っ向勝負『では』、勝利の女神はボルメラーに微笑んだのである。

 

 金属が軋むような異音。ボルメラーは異変に気付く。


 振り返った時、その目に映った紅は溶かし切るにはあまりに巨大すぎた。


 衝撃が街を揺るがし、土煙が舞い上がる。完全に崩壊したメタルツリーの大質量が、堅牢無比の甲殻をバキバキと砕き、悲鳴と共に進行を止めた。


「対象、行動不能です!!」


 俺の報告に司令は呟く。

「監視局、仇は討ったぞ」


 その時、待ち侘びた一報が入った。


〈こちら厚木、只今到着した!!〉


 ロックホークを追い抜き、戦闘機達はソニックブームと共に急降下。凍結弾が降り注ぎ、白の爆発が連鎖する。冷気が炎を飲み込み、火山は氷山へと変わっていく。怒りの咆哮もやがて悲鳴へ、真紅の巨体は元の黒へと回帰。


 鉄塔ごと凍てつき、ボルメラーは白く染まった。


「対象、沈黙です!!」


 歓喜の中、司令の険しい表情は安堵の笑みへと変化した。

「礼を言う。諸君らの勇気が、多くの命を守ったのだ」 


 素朴な感謝に感激する俺たちをよそに、司令は通信する。 

〈厚木に通達。我々は貴殿らの勇気に最大の賛辞を送る〉


 感謝を伝え、号令した。

「これより我々は帰還する。今日は、皆の勇気に乾杯だ」


 誰もが戦いの終わりを確信する中、氷像に目をやる者はいなかった。


 高音が響き渡る。刹那、凄まじい奔流が天を貫き、一機の戦闘機を飲み込んだ。 


「な、なんだ!?」


 鉄塔の残骸がドロドロと溶け、灼熱の溶鉄が瓦礫達を飲み込む。白黒の煙の中、俺達は立ち上がる巨体を見た。


「ま、まさか」

 それは、つい先程氷山と化したはずの火山。消えかけた炎は主の煮え滾る激情に当てられ蘇り、やがて臨界の蒼に染まる。


 氷を溶かし、ボルメラーは復活した。


「馬鹿な、解凍だと!?」

 唸り声と共に闊歩する巨体。地響きの中、熱気に当てられたアスファルトがボコボコと沸騰を始める。


〈凍結弾だ、残弾発射せよ!!〉


 冷や汗と共に放たれた号令を受け、絶対零度の暴風雨が再び降り注ぐ。だが、次々と弾けた冷気達も灼熱に焼き払われ、進撃は止まらない。戦慄の中、憤怒に燃える蒼の瞳が睨む。


 噴火の如き大咆哮が廃墟を激しく揺るがす。刹那、纏った炎はますます蒼みを増し、激しく燃え上がる。喉奥に渦巻く灼熱は蒼い閃光と化し、口から死の輝きが溢れた。


「よ、避けるんだ!!」


 次の瞬間、逃げ遅れた戦闘機達は蒸発した。そのまま幾つものビルを貪り、ボルメラーの巨体が後退する。掠めてさえいないのに、激しい衝撃が機体を襲った。悲鳴の中、よろめくロックホークを狙い、第二射、第三射が次々と襲い掛かる。逃げることしかできなかった。巨躯の亀裂から蒼いマグマが激しく噴き上がり、ボルメラーが纏う灼熱は激情と共にさらに勢いを増していく。


「エンジン出力低下!!」

「損傷率危険ラインを突破!!」

「武装やられました、戦闘不能です!!」


 飛び交う報告の中、俺の手は震え、息が荒くなる。怖い。そして、悔しい。死という物はこれほどまでに恐ろしく、これほどまでに無念なものなのか。死を前にして、俺は今さらそう思った。友達と別れたくない。父母に顔向け出来ない。ここで死ぬ訳にはいかない…


 重低音の咆哮、大きく開いた口から渦巻く炎が狙いを定める…

 

 次の瞬間、赤い閃光が視界を奪った。鼓膜を破らんとばかりの轟音。最初、俺達は自分の断末魔を聞いていると考えた。今まさに、火に焼かれ死んでいく最中だと信じて疑わなかった。


 異変に気付いたのは、俺達が口を開いていなかったからだった。俺達の体は原型を保ち、心臓は尚もバクバクと鼓動している。混乱の数秒、真実に目の当たりにする。


 天から降り注ぐ光の激流に呑まれていたのは、ボルメラーだった。マグマさえ跳ね返す強靭な肉体を焼かれ、悲鳴が大気を震わせる。光はますます勢いを増し、周囲を吹き飛ばしながら大地を穿つ。


 ボルメラーは煮え滾る大穴を残し、視界から消えた…


「何が、起こった」

 唖然とした司令に答えられる者はいない。先程の恐慌が嘘のように、街に沈黙が訪れていた。


 困惑の中、俺達は『歌』を聞いた。コーラスを思わせる未知のメロディーが東京中に響き渡る。


 赤き光の球体。それは、閃光と共に正体を現す。


 ようやく視界が晴れた時、俺達は『孔』を見た。こちらを見た顔には、巨大な孔のみがあった。隻腕・隻足の白き巨人が、空を漂っていた…


「なんだ、あいつは…?」

「データベースに該当ありません…!!」 


 未知との遭遇を前に、オペレーター達は戸惑いを隠せない。同じ気持ちだった。誰もが、同じだった。


「司令、奴は何者なんです?」


 無意味だと分かりながらも、俺は背後の司令に尋ねた。

「さあな」

 司令は困惑しながらも、言葉を紡ぐ。 


「少なくとも、怪獣だ」


 体中に孔を開け、巨人は無機質に歌い続けていた…

 

 大地に亀裂が走り、轟音と共に蒼い炎が噴き上がる。再び現れたボルメラーの姿に、俺達は絶句した。 


 全身ズタボロにされ、片目を失った瀕死の風体。だが、その隻眼には凄まじい憤怒が煮え滾っていた。


 巨体が再び蒼く染まる。次の瞬間、射手さえ凌駕する極太の熱線が高音と共に大気を焦がし、巨人を飲み込んだ。今までを超える凄まじい熱量に、遂に蒸発を始める瓦礫達。悲鳴と警報の中、司令はとっさに叫ぶ。


「距離を取れ、巻き込まれるぞ!!」

 操縦桿を力の限り押し倒し、蹌踉めきながらも飛び上がるロックホーク。 


 次の瞬間、蒼が全てを吹き飛ばす。爆風が港区シェルターを揺るがし、避難民達は悲鳴と共に蹲る。轟音と衝撃の中、乱れるモニター。映像が元に戻った時、街を飲み込み立ち昇る巨大な蒼の火柱が俺達の瞳に飛び込む。凄まじい灼熱が、全てを焦がし揺らめいていた。


 唸り声と共に、凶悪な貌が俺達を睨みつける。俺達は我に返り、操縦桿を握り直した。再びの対峙に、司令室の緊張の糸がピンと張り、全員の額に脂汗が滴る。


 …直後、戦場に立つ者達は例外なく、異様な気配に気付いた。


 炎が逆回しのように一点へ収束していく。何が起きているのか全く分からなかった。


 …いや、正確には『分かりたくなかった』。あんなこと、起こるはずがない。一つの『原因』を除いて、絶対に起こるはずがない。そして、その『原因』は受け入れ難い最悪の真実だった。


「嘘だと、言ってくれないのか」

 司令が、らしくない言葉を呟く。その隻眼に映ったのは、炎を喰らう『孔』達。


 間もなく、無傷の巨人が何事もなかったかのように姿を現した…


 午前七時四五分 千代田区 区立シェルター

 

「押さないでください!!」

「助けて、まだ死にたくないって!!」

「ウチのコ見てませんか!?」


 歌が響き渡る中、シェルターに人々は押し寄せる。シェルターの入り口は乱闘そのものだ。


〈坂田君、早く中へ!! みんな第一ブロックで待ってる!!〉

 携帯から緊迫した健ちゃんの声が聞こえてくる。

「…うん、入り口が収まったら行くよ」


 携帯を切り、僕は佇む巨人に息を呑んだ。冷や汗が首筋を伝い、襟は濡れる。


 竜は大丈夫だろうか。僕達は、もう一度ピザを囲めるだろうか。考えれば考えるほど、不安は収まらない。竜の愚痴と苦悩が、今になってリアルに感じられる。僕は、理解者のつもりで何も分かっていなかったらしい。


(…ワンダは、勝てるのか?)


 口に出してはいけない、禁断の疑念。恐慌の中、僕は迷いに立ち尽くすばかりだった。


 突然、袖を小さな手が握る。振り向いた時、幼い少女と目が合う。親と逸れのか、その瞳はうるうるとしていた。


「…わたしたち、死んじゃうの?」


 断言なんて出来る訳がなかった。僕だって同じ気持ちだった。だけど…


(ソーセージピザで頼む)


 僕は、決めた。自分にできる事をするって…


「ワンダが、守ってくれるよ」


 笑いかけ、少女の手を引き走り出す。振り返った時、目が合ったのは安堵の表情だった。

 

 午前七時四五分 港区芝浦

  

 呆然が、東京中を支配していた。受け入れ難い真実に、手も、瞼も、そして、口さえも動かなかった。巨人はただ歌い続ける。何処までも黒い闇を湛えた孔が、俺達を無視してボルメラーを見つめていた。


 突然、閃光が迸る。体中の孔から凄まじいエネルギーが溢れ、やがて突き出した右掌へと収束。街を照らしながら歌声は悲鳴のような不協和音へと変貌していく。


 怯え、後退りするボルメラー。奴が何者か、何を目的にしているのか。知る者は今もいない。だが、戦場に立つ全ての者の脳裏には共通した結論が浮かび上がっていた。


「逃げろ!!」


 瞬間、世界は『白』に包まれた。視覚と聴覚に激痛が走り、俺は操縦桿を押し倒しながら気を失った。 


 機器類が火花を上げ、機体が激しく揺れる中、特異点は天へと弾け、無数の眩い矢となり降り注ぐ。一本一本が幾つものビルを蒸発させながら大地を穿ち、轟音と共にマグマが天高く噴き上がる。


 銀座、千代田、品川。破滅は都心全域に平等に降り注いだ。黒煙の中、全てを飲み込み、焼き尽くし、溶かす一瞬の死。


 目覚めた時、モニターいっぱいに広がっていたのは地獄そのものだった。


 力無く崩れるボルメラー。背負いし火山は崩壊し、ドス黒いマグマが白いマグマの大洋へと流れ落ちる。巨人は何事も無かったかのように歌い続ける。ゆっくりとさらに上へと浮かび上がり、無機質に眺めていた。

 

 …その右掌に、光の特異点を眩かせて。

 

「上だ!! もっと上へ、宇宙まで逃げろ!!」


 額から血を流しながら司令は叫ぶ。我に返り、機器類に向き合うオペレーター達。


「機体の加圧及び密閉を確認!!」

「エンジン最大出力!!」

「報告、大気圏突破準備完了しました!!」

「翔べ、今すぐ翔ぶんだ!!」


 警報の中、俺は操縦桿を最期の力を振り絞り押し倒す。

 瞬間、エンジンが異音と共に爆炎を吐き出す。凄まじい重力が体を押し潰し、俺達は苦悶の声を漏らした。轟音と共に炎を纏い天を貫くロックホーク。巨人は追わない。去りゆく俺達に少し視線を送り、再びボルメラーに向き合う。


 数分の時間を掛け、光はその勢いを増していく。絶望の中、ボルメラーが見たのは空を覆う第二の太陽。第一射とは比べ物にならぬ嵐が吹き荒れ、街が鈍く震える。


 次の瞬間、不協和音と共に太陽は堕ちた。ボルメラーを飲み込み、大地へ沈み込む。地球は激しく震動し、海は荒れ、雲が消える。ありとあらゆる都市が轟音と共に崩壊し、凄まじい暴風が世界中に吹き荒れた。突如として訪れた終焉。


 破壊と混沌の中、世界ははるか東の空から漏れる破滅の光を見た…

 

 砂嵐混じりのモニターに、星々が輝く。司令室には、呻き声が響き渡っていた。 


〈応答せよ、応答せよ!!〉

 酷く焦燥した通信だった。無重力の中、俺は全身の痛みに耐えながら応えた。


〈何事だ、東京で何が起こった?!〉

「…消滅です」

 曖昧で、答えにもならない言葉だった。だが、こうとしか表現出来なかった。


〈具体的な報告を求める、壊滅とはどういうことだ!?〉

 違う。壊滅なんて生易しいものじゃない。理解し難いのはこっちの方だ。混乱の中、口が中々開かない。


〈繰り返す、東京で何が起こった!?〉

 息を整え、ようやく俺は答えた。


「…壊滅じゃありません。消滅です」

 

 眼下には、かつて東京と呼ばれた煮え滾る大穴が口を開いていた…

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