第9話 幕間・侍女と集落長
「――アリシア様っ!!」
目の前で主人が起こした奇跡に気を取られ、つい反応が遅れてしまった。
麦畑に盛大に突っ込んでしまったアリシア様に駆け寄り助け起こす。幸いアリシア様が育てられた麦はこの程度ではびくともせず、彼女を優しく受け止めてくれていた。その愛嬌に溢れたお美しい顔にも、収穫間近の麦畑すらくすんで見えるような艶やかな金髪にも傷一つない。
それを確認し、私――ローザは安堵の息をつく。
――本当に、なんという無茶をされるのやら。
当の本人はといえば、先の喜びに満ち溢れた表情のままで気を失っているようだった。全く人騒がせな主人である。
「……な、なぁ」
背後から声がかかり、私はアリシア様を横抱きにして振り返る。見れば騒然としている領民の中で、長であるトマス様が一歩歩み出て声を震わせていた。
「一体何が起きたっていうんだ? 領主様は何をしたんだ? 死んだはずの土や種から芽が出ただけでも訳がわからねぇのに、どうして麦がそんな速度で育つ? 嬢ちゃんは何か知ってるのか?」
「……詳しいことは不明です」
私は健やかに眠るアリシア様を一瞥し、慎重に言葉を選ぶ。この奇跡が広く知れれば間違いなく厄介なことになる。少なくとも、今は適度にぼかしておかなければならない。
幸いなことに、先のアリシア様のお話によればこの地域では魔法が非常に珍しいらしい。追究を躱すことはそれほど難しくないはずだ。
「アリシア様は非常に魔法に秀でたお方です。詳しくは直接お伺いするほかありませんが、これもアリシア様の特別な魔法の一つなのでしょう」
「で、でもよ……仮に特別な魔法だったとしても、今までここに来たどんな奴もろくに魔法が発動できやしなかった。宮廷魔術師とかいう立派な肩書を持った奴ですら、継続して魔法を使い続けるのは不可能だって言ってたんだ。何故こんな若い領主様だけこんなことができる?」
ふむ、と考えてみる。
アリシア様の手から放たれた光から察するに、あれはまず間違いなく【目覚まし】によるもの。ギフト由来が故の例外とも捉えられるが、おそらく原因は別にある。さて、どう話したものやら。
「簡単に言えば、アリシア様の魔力が常識外れということになります。魔法の発動には己の魔力だけでなく自然界の魔力も用いるのが常ですが、その自然界の魔力が枯渇しているこの地ではそれが不可能。それでも、発動に必要なすべての魔力を己のもので賄うことができれば、理論上魔法を使うことは可能です」
「そんなことを、この領主様がやったっていうのか……」
トマス様が目を見開いてアリシア様を見ている。ようやく、私の主人を認める気になってくれたのかしら。
……なんて思ったのもつかの間。
「――う、嘘だっ!」
遠巻きにしていた領民の一人が不意に叫ぶ。
「そんなこと、王宮でぬくぬく育ってたお姫様になんてできるはずねぇだろ!? どうせこれも、俺たちを弄んで楽しむ貴族様のお遊びか何かなんだ! 俺は騙されねぇからな!」
――少々痛い目を見てもらう必要がありそうね。
どうして出自だけで温室育ちだと決めつけるのか。アリシア様が置かれた環境はむしろ、王宮にありながらこの地と大差ないようなものだったと言うのに。
見たことがないから仕方がないというのはわかる。だとしても逆に言えば、見たことがないのにそうと決めつけるというのはいかがなものか。何より彼もたった今、目の前でアリシア様が起こされた奇跡を見たじゃないか。
私は知っている。腕に抱くこの方が、この小さく軽いお体でどれだけ努力をしてきたのかを。宮廷魔術師など足元にも及ばない魔法能力を手に入れるのに、どれほどの研鑽を積んだのかを。
それを頭ごなしに否定するなんて、彼も結局ギフトを理由に追放を言い渡した王宮側と何も変わらないではないか。
私がアリシア様に肩入れしている自覚はある。何せ一度命を救われた身だ、肩入れしないほうがおかしい。だがそれを差し置いても、正面切って罵声を浴びせられる神経が理解できない。
……だけどどうやら、この意見は決して彼一人のものではないようで。
「そ、そうだそうだ! そうやって希望を見せてから落とすつもりだろう!?
「どうせその麦だって本物じゃないんだろ!? 俺たちの畑に変なことするんじゃねぇ!」
すぐにでも足元の石を投げてきそうな勢いに、この場が先ほどまでとは違った種類のざわめきで満たされていく。……よもや、彼らの貴族アレルギーがこれほどとは。これでは一人や二人ぶっ飛ばしたところでどうにもならなさそうだ。
別に何人で来ようがアリシア様をお守りしながら全員叩きのめすことは容易いが、アリシア様はお優しいから決してそんなことは望まないだろう。そうすると、この場を収めるのは私には荷が重い。
ひとまずは逃げの一手を打つしかないか――そう諦めかけた時。
「黙れお前らっ!!」
トマス様の怒号が響き渡り、一瞬にして畑が元の静寂を取り戻した。
「いいか。確かに今までの奴らは俺たちのことなんざまともに考えちゃいなかった。払えない量の徴税を課してきたり、支援金を受け取るために土下座させてきたり、ろくな知識もねぇ癖に畑にずかずか入ってきたり、それはもう散々だった」
悔しそうに顔をしかめながら、トマス様が続ける。
「でもよ。この領主様は自分がぶっ倒れるまで魔法を使って、育った麦にあんなに喜んでいた。今までの奴らの中で、あんなに純粋に実りを喜んでくれた奴がいたか? ぶっ倒れるまで何かをしてくれたことがあったか? そんな領主様にぶつける言葉がそれで、お前らは本当にいいのか?」
トマス様の言葉は静かでありながら、とても重々しく響いた。
領民たちに目を向ければ、多少不満げにしているものもいるけれど、少なくとも今すぐに彼に意見しようとするものはいなさそうだった。……なるほど、これが長年、集団を率いる長というものなのかもしれない。
「嬢ちゃん――ローザといったか。こいつらがすまんかった」
トマス様は私に向き直ると、深々と頭を下げる。
「責任は俺がとる。どうかこいつらは見逃してやってくれないか」
「……構いません。アリシア様には『何事もなかった』とご報告しておきます」
本来なら当然ありのままに報告するべきだろう。でも今は、余計な心労をアリシア様におかけしたくはない。……それに、トマス様が間に入ってくれるのであれば、そう悪いことにはならないと思えた。
「すまねぇ、恩に着る。……それより早く領主様を休ませたほうがいいだろう。ミラ、お前のところに――」
「それには及びません。館におりますので、何かあればお申し付けください」
トマス様が少し離れたところにいた水色の髪の少女に声をかけるのを制して、私は一礼すると領主の館へと駆け出した。
――大丈夫です、アリシア様。あなたの行いはきっと、領民に届きます。
腕の中で眠る主人に心の中でそっと語り掛けて、私は彼女を起こさないよう細心の注意を払いながら館へとひた走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます