第14話 4-2 真紅の首輪と致命的な仕様

「起きて、チビ。素晴らしい贈り物があるのよ」

「……んぁ?(……なんだ、朝か? まだ眠いんだが……)」

 チビは寝ぼけ眼をこすりながら(前足で顔を洗う仕草がそれに当たる)、不満げに私を見上げた。

 私は完成したばかりの『翻訳首輪』を、見せびらかすように彼の目の前にぶら下げた。

「見て! 特製首輪よ!」

「ッ!?(げっ、また変なものを……!)」

 チビは瞬時に覚醒し、飛び退いた。

 背中の赤いリボン結びだけでも屈辱的なのに、さらに首輪だと?

 俺をどこまで愛玩動物扱いすれば気が済むんだ、この女は!

 そんな心の叫びが聞こえてきそうだが、私は強引に迫った。

「嫌がらないで。これはただの飾りじゃないの。あなたの言葉を、私に分かる言葉に変換してくれる『魔法の道具』なのよ」

「……?(翻訳、だと?)」

 チビの動きが止まった。

 彼は首輪を凝視し、次に私の顔を見た。

 その目に宿るのは疑念と、わずかな期待。

 もし本当に言葉が通じるなら、自分が皇子であることを伝えられる。そうすれば、この屈辱的な生活から脱却し、帝国への帰還を要請できるかもしれない。

 ――悪くない話だ。いや、むしろ好機か。

 チビはそう判断したらしい。

 彼はためらいがちに一歩近づき、首を差し出した。

「……(つけてみろ。ただし、変な呪いがかかっていたら承知せんぞ)」

「あら、素直でいい子ね」

 私は彼の首に巻かれていた包帯の上から(リボンは邪魔なので外した)、革の帯を回し、パチンと留め金を固定した。

 寸法はぴったりだ。赤い革が白い毛並みによく映えている。

 中央の魔石が淡く発光し、起動術式に入ったことを知らせる。

「同調開始。魔力波長、走査中……完了。言語野への接続、確立」

 微細な駆動音と共に、首輪が震えた。

 私は期待に胸を膨らませ、チビに向かって促した。

「さあ、何か喋ってみて」

 チビは緊張した面持ちで息を吸い込み、そして吠えた。

「ギャウッ! グルルルッ!(あー、あー! 聞こえるか! 俺はガルディア帝国第二皇子、ジークハルトだ! 控えおろう!)」

 彼の喉からは、相変わらず獣の唸り声しか出ていない。

 だが、その直後。

 首輪の魔石が明滅し、そこから流暢な人間の言葉が――それも、妙に艶のある美声が響き渡った。

「『ねえ、こっち向いて! もっと俺を見てよ! 寂しいんだから!』」

「…………は?」

 時が止まった。

 私とチビ、一人と一匹の間に、冷たい沈黙が流れた。

 今、なんて言った?

 寂しい? もっと見て?

 まるで恋人に甘えるような、甘ったるい台詞。しかも声が無駄に良い。

 チビ自身も、自分の口(首輪)から出た言葉に呆然としていた。

 彼はブンブンと首を振り、抗議するように叫んだ。

「ガウッ! ギャウウッ!!(違う! 何を言っているんだ俺は! 貴様、この機械は壊れているぞ! 俺は皇子だと言ったんだ!)」

 しかし、首輪から出力されたのは――

「『照れないでよ! 君のことが気になって仕方がないんだ! ずっと一緒にいてくれるよね!?』」

「…………ぶっ」

 私は堪えきれずに噴き出した。

 何これ、可愛すぎる。

 なるほど、私の設計した『本音抽出機構』が、少し優秀すぎたらしい。

 彼の表面的な意識(皇子としての自尊心や建前)を「雑音」として除去し、深層心理にある「生存本能」や「保護欲求」、そして昨夜ミルクをもらった時の「安心感」を、最大限に増幅して出力してしまっているのだ。

 つまり、これは故障ではない。仕様だ。

 彼の魂の叫びそのものなのだ。

「そう……そんなに寂しかったのね、ジークハルトくん」

 私は慈愛に満ちた表情で、彼を抱き上げた。

 名前らしきものは聞き取れた。ジークハルトというらしい。立派な名前だが、中身はこんなに甘えん坊だなんて。

「ニャッ!?(離せ! 誤解だ! これはとんでもない誤解だぞ!)」

 チビ――ジークハルトは必死にもがくが、そのたびに首輪が愛の言葉を紡ぎ出す。

「『抱っこして! もっと強く抱きしめて! 君の匂い、大好きなんだ!』」

「もう、素直じゃないんだから」

 私は彼の頭に頬ずりをした。

 柔らかい毛並みの感触と、ミルクの甘い匂い。そして首輪から聞こえる麗しい声の甘い囁き。

 これは、ある種の破壊兵器だ。

 私の母性本能が許容量を超過しかけている。

「よしよし、分かったわ。あなたが満足するまで、たーっぷり可愛がってあげる」

 私はニヤリと笑い、彼を膝の上に乗せた。

 技術者として、試作品の機能確認は徹底的に行わなければならない。

 特に、この「甘えん坊機能」がどこまで本音なのか、検証する必要があるだろう。

 ジークハルトの顔が青ざめる(毛皮の下で)のが分かった。

 彼の青い瞳が、助けを求めるように泳いでいる。

 ――誰か、誰か助けてくれ! この女、目が据わっているぞ!

 だが、この森に彼の悲鳴を聞く者はいない。

 ここから始まるのは、勘違いと溺愛による、皇子にとっては地獄、私にとっては天国のような時間の始まりだった。

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