第7話 2-3 深夜の超改良と戦慄するポロ村

 ポロ村の広場に鎮座する巨大な揚水水車。

 それは村の心臓部でありながら、今や動脈硬化を起こした老婆のように悲痛な軋み声を上げていた。

 直径五メートルほどの木製の車輪は、長年の湿気で腐食し、黒ずんだ苔に覆われている。川の流れを受けて回ってはいるものの、軸受けが磨耗しているせいで回転軸がブレており、一回転するたびにガタン、ゴトンと不穏な振動を周囲に撒き散らしていた。

 本来なら汲み上げられた水が樋(とい)を通って畑へ送られるはずだが、水受けの底が抜けている箇所が多く、せっかくの水が半分以上こぼれ落ちている。

「……ひどい。あまりにもひどすぎるわ」

 私は水車の前に立ち尽くし、絶望にも似た溜息をついた。

 これは単なる故障ではない。設計思想の敗北だ。

 動力の変換効率は目測で十五パーセント以下。摩擦抵抗は許容値を遥かに超えている。機械工学を愛する者として、この非効率の塊が目の前で稼働し続けているという事実だけで、蕁麻疹が出そうだった。

 周囲の家々の雨戸の隙間から、村人たちが息を潜めてこちらを覗いている気配がする。

 彼らは怯えているのだろう。

 夜の闇に紛れて現れた謎の女が、村の命綱である水車を睨みつけ、ブツブツと呪詛(※技術的ダメ出し)を呟いているのだから。

 だが、今の私に彼らを安心させるような言葉をかける余裕はない。私の最優先事項(プライオリティ)は、この可哀想な機械を「治療」することに固定されていた。

「待っててね。すぐに楽にしてあげるから」

 私は愛用の鞄から、ミスリル製の大型自在スパナを取り出した。

 月光を反射して冷たく輝くその工具は、鈍器のような威圧感を放っている。

 さらに、夜間作業用の『浮遊魔導灯』を三つほど起動し、水車の周囲に展開させる。

 ポゥ、と青白い光が闇を切り裂き、朽ちかけた水車を不気味に照らし出した。

 ――その光景は、村人たちの目には、邪悪な儀式の始まりにしか見えなかったに違いない。

「まずは軸の歪み矯正!」

 私は強化された脚力で地面を蹴り、数メートルの高さにある車軸部分へと飛び乗った。

 錆びついたボルトにスパナを噛ませ、魔力で身体能力を底上げして一気に回す。

 ギギギッ、バキン!

 錆が弾け飛ぶ音が、静寂な夜に銃声のように響き渡る。

「ああっ、軸受けが完全に死んでる! これじゃ回るわけないじゃない! もういい、全取っ替えよ!」

 私はポケットから予備の素材を取り出した。

 王都の廃棄場から拾ってきた正体不明の金属片だが、私の錬金術(簡易鋳造魔法)にかかれば関係ない。

 掌の上で金属を液状化させ、瞬時に真円度の高い金属球を生成する。それを軸受けにねじ込み、潤滑油の代わりにスライムの粘液(潤滑液型)を注入した。

 次は羽根板だ。

 腐った木材など信用できない。私は水車の足元を流れる川の水面に手をかざした。

「水よ、形を成せ。硬度強化、形状記憶――『氷結強化』!」

 私の手から放たれた魔力が、羽根板を包み込む。

 ボロボロだった木板の表面が、ダイヤモンドのように硬質な氷の膜で被膜されていく。

 ただ凍らせただけではない。流体力学に基づいて計算された、最も水流の抵抗を受けにくい流線型へと形状を変化させているのだ。

 作業は深夜に及び、私の意欲は最高潮に達していた。

 村人たちの視線など、もはや背景ノイズに過ぎない。

 私は水車という巨大なパズルを解くことに没頭していた。

 ガタガタと音を立てていた水車が、私の手が入るたびに静かになっていく。

 不規則だったリズムが、精密時計のような正確さを取り戻していく。

 その過程が、たまらなく快感だった。

「仕上げに、動力補助用の術式を刻印! 『水流加速』『摩擦低減』『自動清掃』……ええい、ついでに『害虫駆除』の結界もオマケしとくわよ!」

 私はスパナの柄で水車の側面に幾何学模様を叩き込んだ。

 そして、全ての作業を終え、地面に着地する。

 額の汗を拭い、私は満足げに叫んだ。

「再起動(リブート)!」

 その瞬間。

 ゴゥン……という重低音と共に、水車が回転を始めた。

 先ほどまでの悲鳴のような軋み音は一切ない。

 ヒュンヒュンヒュン……!

 風を切るような静かな音と共に、回転速度が加速度的に上がっていく。

 氷で被膜された羽根板が川の水を余さずキャッチし、遠心力で上部の水路へと叩きつける。

 その水量は、以前の比ではなかった。

 チョロチョロという小川のような流れではない。

 ドバババババッ! という轟音と共に、濁流のような勢いで水が溢れ出し、乾いた水路を一瞬で満たしていく。

「動力効率、三百五十パーセント向上! 損失、五パーセント以下! 完璧ね!」

 私は青白い照明の中で、爆速で回転する水車を背景に高笑いした。

 水しぶきが雨のように降り注ぎ、月光を受けて虹を作る。

 それは技術者として最高の達成感だった。

 しかし、村人たちの目には、全く別の光景が映っていたことだろう。

 深夜、青白い鬼火を従えたボサボサ髪の魔女が、巨大な鉄塊(スパナ)を振り回して水車を破壊――いや、呪いをかけた。

 すると水車は悪魔のような速度で回転し始め、狂ったように水を吐き出し始めたのだ。

 そして魔女は、その暴走する水車の前で、狂気じみた高笑いを上げている。

 ――これは、間違いなく「祟り」だ。

 村人たちの恐怖は頂点に達し、何人かは失神していたかもしれない。

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