追放された魔導具オタクの聖女、拾ったちび虎に翻訳首輪をつけたら心の声が溺愛一色でした~精霊も聖獣も「偽物は嫌だ」と激怒して、国が滅びそうですが知りません~

とびぃ

第1話 第1章 聖女廃業、今日から発明家 1-1 騒音問題と神殿からの円満退職

 サンクレール王国の王都中央神殿にある「審問の間」は、その荘厳な見た目に反して、建築学的には失敗作と呼ぶにふさわしい場所だった。

 天井近くに嵌め込まれた豪奢なステンドグラスは、色とりどりの聖人や天使たちが描かれた芸術品だが、実用面で見れば最悪の採光装置である。夏の日差しを容赦なく取り込み、プリズムのように増幅させて室内の気温を温室のように吊り上げているのだから。

 重厚な石造りの壁は熱を溜め込み、換気口の少なさが致命的な空気の澱みを生んでいた。おまけに、権威を示すために焚かれた高価な香の匂いが、湿気を帯びた熱気と混ざり合い、吐き気を催すような甘ったるい重さとなって空間を支配している。

 高位の聖職者たちが纏う分厚い金糸銀糸の儀礼服の下で、玉のような汗が肌を伝う不快な感覚。それが、この場の苛立ちを加速させている一因であることは明白だった。

「聖女候補生リディア! 貴様、神聖な祈りの最中に居眠りとは何事か!」

 神官長の怒号が、石壁に反響して鼓膜を打つ。

 私の目の前、祭壇よりも一段高い位置に設えられた豪奢な席から、恰幅の良い神官長が顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。興奮のあまり飛び散った唾が、差し込む光に照らされてキラキラと舞うのが見える。

 その隣には、繊細なレースをあしらった純白のドレスを纏う少女、新聖女のマリアが優雅に腰掛けている。彼女は象牙の扇子で口元を隠しながら、長い睫毛の奥にある瞳に明確な嘲笑の色を浮かべ、こちらを見下ろしていた。

 私は、彼らの視線を一身に浴びながら、硬い石床に片膝をついて頭を垂れていた。

 周囲には数十人の神官や聖騎士たちが整列し、まるで大罪人を裁くかのような物々しい雰囲気を醸し出している。

 しかし、私の内心は、反省の色など微塵もなかった。

 私の意識は、神官長のヒステリックな怒声の「裏側」で響いている、規則的で微かな駆動音に向けられていたのだ。

(……ああ、やっぱり。第五層の魔導回路の遮音結界、出力係数の設定を少し間違えたわね。低周波の振動が床材と共鳴しているわ)

 彼らの背後にある巨大な水盤。そこから聞こえる「ブーン」という低い唸り声が、私の技術者としての神経を逆撫でする。気になって仕方がない。

 あれは先日、私が無許可で設置した『全自動聖水循環・揚水機(イルミネーション機能付き)』である。

 本来、この神殿における聖水の管理は、神官が見習いたちに命じて手汲みさせ、常に新鮮な状態を保つという非効率極まりないしきたりだった。

 だが、連日の記録的な猛暑の中、重い水瓶を抱えて階段を往復させられる見習いたちが、次々と熱中症で倒れかけているのを見て、私はつい我慢できなくなってしまったのだ。

 手持ちの金属屑と使い古した魔石を組み合わせ、水流制御の術式を刻んだパイプを繋ぎ合わせて「効率化」を図った結果が、あの揚水機である。

 ついでに、水流の運動エネルギーを再利用して七色に光る『発光魔石』のギミックまで仕込んだのは、完全に私の趣味――というか、美的センスに基づいたサービス精神だったのだが。

「聞いているのか、リディア! あの忌々しい機械のせいで、厳かな儀式が台無しだと言っているのだ! あのような騒音を撒き散らすガラクタを神の座に持ち込むなど、冒涜にも程がある!」

 神官長が、太い指を震わせて私を指差す。

 その言葉に、私は心の中で静かに、しかし断固として首を横に振る。

 いいえ、神官長様。訂正させていただきます。あれは騒音ではありません。回転翼の速度は毎分千二百回転で安定しており、あの振動音はむしろ正常稼働の証拠なのです。

 問題なのは機械そのものではなく、設置場所である水盤の石材密度が不均一で、特定の周波数を増幅してしまっている点にあります。つまり、筐体の共振対策として天然樹脂製の緩衝材を噛ませるのを忘れた私の設計ミスであり、神への冒涜というよりは、単純に物理法則への配慮不足です。

 それに、あの揚水機のおかげで水温は常に適温に保たれ、腐敗も抑制されているはずなのですが。

「それに、見なさい。この哀れなリディア様のみすぼらしい格好を」

 クスクス、と鈴を転がすような甘ったるい声が響く。

 新聖女マリアだ。彼女は扇子を閉じ、芝居がかった優雅な仕草で、私のローブの裾を指差した。

「聖女たるもの、常に清廉潔白で美しくあるべきですのに。煤と油で汚れたその姿……まるで路地裏を這い回る薄汚いドブネズミのようですわ。神聖な場所が汚れてしまいます」

「まあ、なんてことだ」「嘆かわしい」

 マリアの言葉に、周囲の神官たちもここぞとばかりに同調し、蔑みの視線を向ける。彼らの目は、マリアの使う「魅了」の魔術によって、正常な判断力を失っているように見えた。

 確かに私のローブは、先ほどまで揚水機の微調整を行うために床を這いずり回っていたせいで、裾が黒く汚れ、袖口には機械油の茶色いシミがついている。洗練されたマリアの姿とは対照的だろう。

 しかし、この汚れこそが名誉の負傷ならぬ「名誉の油汚れ」であることを、彼らは理解していない。

 魔導具とは、綺麗なドレスを着てお茶を飲んでいれば、妖精さんが勝手に作ってくれるようなものではないのだ。油に塗れ、鉄粉を吸い込み、試行錯誤の末にようやく産声を上げる技術の結晶なのだから。

「マリア様の仰る通りだ。その薄汚い姿は、お前の薄汚い心を映しているに違いない」

 神官長は、マリアの言葉に大きく頷き、勝ち誇ったように宣言した。その顔には、邪魔者を排除できるという歪んだ喜びが浮かんでいる。

「もはや猶予はない。リディア、貴様のような異端者は聖女候補の名に値しない! よって、本日をもって聖女候補の資格を剥奪し、国外追放を申し渡す! 即刻、北の辺境にある古びた修道院へ向かうがよい! 二度とこの神聖な王都の土を踏めると思うな!」

 追放。

 その言葉が重々しく響いた瞬間、静まり返った審問の間に緊張が走る。

 北の修道院。それは事実上の牢獄であり、極寒の地で死ぬまで粗食と祈りの日々を送ることを意味する、聖職者にとっての極刑に近い場所だ。

 通常であれば、ここで泣き崩れるか、無実を訴えて神官長の足元に縋り付き、慈悲を乞うのが通例だろう。

 マリアも、扇子の陰で口角を釣り上げ、私が絶望に顔を歪めて泣き叫ぶ瞬間を心待ちにしているはずだ。

 けれど。

 数秒の沈黙の後、私が上げた顔には、彼らの予想を裏切るものが張り付いていた。

 それは、雲ひとつない晴天のような、満面の笑みだった。

「はい! 喜んで!」

「……は?」

 神官長とマリアの表情が、同時に凍りついた。周囲の神官たちも、ざわめくことすら忘れて呆然としている。

 私はそんな彼らの反応などお構いなしに、弾むような声で続けた。

「謹んでその処分をお受けいたします! ああ、なんと慈悲深い判決でしょうか! ありがとうございます、神官長様!」

「な、何を……気でも触れたか?」

「いいえ、正気ですとも! だって、北の修道院といえば、ここから馬車で十日。人里離れた静かな場所ですよね? 周囲には民家もなく、訪ねてくる信者も稀な、隔絶された環境……!」

 私の脳内では、すでに新しい生活の青写真が高速で展開されていた。

 王都の喧騒からも、無意味な儀式からも解放された自由な時間。誰にも邪魔されない広大な空間。そして、北方の山脈には、耐寒性の高い特殊な魔導植物や、希少な鉱石が眠っているという文献を読んだことがある。

 ここは、研究環境としては最悪だった。予算申請は「前例がない」の一点張りで却下され、実験をすれば「うるさい」「煙たい」と怒られ、魔導具の価値を理解できる人間は一人もいない。

 いわば、ここは私にとっての「地獄のような職場」だったのだ。そこからの解放宣言。祝杯をあげたい気分だった。

「つまり、朝から晩まで祈りと称して拘束されることも、儀式の準備で徹夜させられることもない。何より、騒音に文句を言う上司もいない! 思う存分、魔導具の研究開発に没頭できるというわけですね!」

「き、貴様……!」

 顔を紫色に変色させて震える神官長に対し、私は立ち上がって衣服の埃を払った。

 これ以上、ここに留まる理由は一秒たりともない。

「では、善は急げと言いますし! 私はこれにて失礼いたします! 荷造りもありますので!」

 私は一気にまくし立てると、呆気にとられている神官長たちに深々とお辞儀をした。

 そして、踵を返して出口へと向かう。

 重厚な扉に手をかけたところで、ふと思い出して振り返った。

「あ、そうだ。最後にご忠告を。あの揚水機の整備方法は手引書を水盤の裏に置いておきますが、魔力供給のバランス調整が非常にシビアなので気をつけてくださいね?」

 私は、あくまで親切心から――あるいは、技術者としての最後の良心から、ニッコリと微笑んで付け加えた。

「あれは私の魔力波長に合わせて調整してあります。他の方が無理に『光あれ!』とか言って過剰な魔力を流し込むと、回路内部で魔力が逆流して安全弁が飛びます。最悪の場合、第五層の『蓄魔器』が耐えきれずに爆発しますから、絶対に触らないでくださいね!」

「ば、爆発だと……!? ふざけるな!」

「本当ですよ! それでは、お元気で!」

 背後で神官長が「な、なんだあいつは! 衛兵、捕らえろ……いや、さっさと追い出せ!」と叫び、マリアが「強がりですわ、きっと後で寒さとひもじさで泣きを見ますわよ!」とヒステリックに喚いていたが、今の私には遠い世界のことのように思えた。

 扉を開け放つと、外から吹き込む風が頬を撫でる。

 その風は、淀んだ神殿の空気とは違い、自由の匂いがした。

 さようなら、サンクレール王国。

 さようなら、私の才能を飼い殺しにし、技術への尊敬を持たない無能な上層部たち。

 私の第二の人生は、今この瞬間から始まったのだ。

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