聖女に転生したけど中身は世界最凶の暗殺者でした

じゃむばた

聖女と聖騎士編

第1話 コードネーム『サイファ』

 コードネーム『サイファ』。


 世界屈指の暗殺者として知られ、性別も容姿も年齢も一切不明。

 ゴリラのような巨漢だったという証言もあれば、血の気のない細身の男だったという証言もある。

 目撃者の供述は常に食い違い、同一性を断定できた者はいない。


 彼は世界中の要人を暗殺し、国家政治を揺るがし、巨大麻薬カルテルのボスを消し、百名規模の傭兵部隊すら単独で壊滅させた。サイファには国家規模の懸賞金が掛けられている。


 そんなサイファは、今まさに大きな仕事の詰めに差し掛かっていた。

 郊外の警備が厳重な建物の奥で、鎖につながれた女たちが震えている。しかし彼は何も感じない。


 痛ましさでも怒りでもない。脳内に浮かぶのは「動線を塞ぐ障害物が多い」という無機質な評価だけだった。


 そして、暗殺対象を視界に捉えた瞬間も、心は静かに凪いだまま。


「対象の心拍数、秒間一二〇。恐怖由来の興奮。動きは直線的。逃走確率、零」


 それがサイファにとっての“敵の情報”のすべてだった。


 暗殺対象が吠える。


「サイファ! 裏切ったな! 組織を敵に回す気か!?」


 銃口を向けたまま、後退していく。


 サイファは歩きながら、わずかに首を傾けた。


「組織?」


 彼にとって、人間の所属は意味を持たない。

身体を動かす石ころの材質が違う程度の話だ。


 そのまま歩みを止めない。


 拳銃を持つ腕は震え始めていた。対照的に、サイファの心拍は完全に平常。午後に散歩でもしているかのような静けさだ。


「弾倉、残り六。腕が震えてる。命中率は二割。撃たれる前に終わる」


 呟きというより、観察記録に近い声。


 彼にとって殺しは仕事ではない。掃除に近い。人間を“育成畜舎の管理ミスで発生した不良品”と見なすその目は、徹底して冷たい。


 暗殺対象が引き金に指を掛けた瞬間、サイファの姿は音もなく懐へ滑り込み、淡々と心臓の位置へ刃を通した。


 悲鳴も聞かない。倒れる鈍い音だけを確認する。


「心臓停止。動作終了」


 感情の欠片もない声だった。


 飛び散った血が袖にかかると、

 サイファは軽く払うだけで興味を終わらせた。


「これで女たちの処理に回る。効率は悪いが、許容範囲」


 あくまで“工程”としての扱いだった。


 目撃者は殺す。女たちはその場で命を落とすが、サイファの中には達成感も一滴も湧かない。横たわる彼女たちに視線を向けることすらなかった。


 暗殺対象の私室から金庫のセキュリティを解除し、金庫の内部掻き出すと、札束が床に大量に落ち、奥から名簿が出てきた。

 その名簿の中身を確認すると知った名前が幾つも記載されており、この組織と顧客の繋がりが見えてくる。


 国家関係者、軍部の高官、政財界の裏献金の流れ、麻薬ルートの中継国、複数の独裁国家の秘密資金、国際企業の汚職ネットワーク。

 どれも一国を揺るがす情報だったが、サイファにとっては取捨選択すべきデータの山にすぎなかった。興味が湧くはずもない。


 携帯端末が震え、着信が入る。


『サイファ、組織が貴方の排除を決めたわ。一体何をしたの?』


 声の主は、別班のハンドラー。いつも淡々と仕事を回す女だが、今日の声音には珍しく焦りがあった。


「……先に手を出してきたのは向こうだ。同類を寄こしてきたから、少し吐かせて、依頼主を排除しただけだ」


 淡白。

 事務的。

 そしてあまりに常識外れ。


 ハンドラーが沈黙したのが分かった。

 サイファの言う「同類」とは、自分たちの暗殺班のことだ。

 内部粛清を察知して逆に返り討ちにした。その結果、依頼主まで消したにすぎない。


『それ、理解してる? 組織はあなたを脅威と判断したのよ』


「判断は妥当だ。だが、既に遅い」


 まるで天気の話でもするような調子だった。


『……逃げる気は?』


「ない。逃げる意味はないし、むしろ俺にとって組織は敵になった」


 サイファの思考は静かに整然としている。

 組織が敵に回ったことも、敵が自分の複製のような殺し屋を何人も放ったことも、脅威と認識していない。


『なら、どうするの?』


「後始末だ。」


 それは“敵対者を全て片付ける”という意味か、

“自分が消える側に回った結果処理を確認する”という意味か。

 彼の声からは判断できない。


 ▽


 組織がサイファの処分を決めてから半年。

 都心部のチャイナタウンの一角、雑多な漢字看板の灯りが濡れた路地に滲む中、無精髭に伸び放題の髪、かつては上等だったであろうスーツをぼろ布のようにまとった男が、雨に打たれて立っていた。


 昨夜から続く冷たい雨は容赦なく体温を奪っていく。

 血流は鈍り、指先に感覚が戻らない。サイファという化物ですら、疲弊すればただの肉体に過ぎないと告げる雨だった。


「――サイファ。やっと見つけたわ」


 声を聞くだけで、誰か分かる。半年ぶりの声だ。

 振り向くと、黒いサングラスにブロンドの髪を濡らした女が立っていた。


「ハンドラーか」


「分かっていると思うけど、貴方を殺しに来たわ」


「お前だけか?」


 サイファは雨音の中でも気配を読むことができる。だが、この路地にいる人間は彼女ただひとり。もし殺すなら、ここが唯一の好機。この女を仕留めれば、まだ生き延びる余地はある。


「トップ連中の暗殺者は、貴方がほとんど殺したでしょ。だからオペレーターの私まで、こうして現場に出張らされているわけ」


「組織もずいぶん弱ったんだな」


 重要任務に就く暗殺者を片っ端から潰した結果、組織運営に支障が出ている。その証拠が彼女の“現場投入”だ。彼女は本来、後方の司令塔。だが実行部隊としても訓練されたプロであり、実力的にも申し分ない。


 疲労困憊のサイファが勝てるかどうか。五分五分どころか、やや不利。いまの彼の身体は、半年間の逃亡と衰弱で限界が近い。


 雨はすでに土砂降りに変わり、路地のアスファルトを白く叩きつけていた。

 サイファはわずかに姿勢を低くし、体重を片足に寄せる。だが、いつもの切れ味はない。筋肉の反応がワンテンポ遅い。半年間の逃亡生活と負傷の蓄積が、無理なく体を削っている。


「やる気はあるみたいね。でも、あなた……もう限界でしょう?」


 ハンドラーの声は雨に混じりながらも鮮明だった。 挑発でも、嘲笑でもない。ただ事実確認その正しさが胸に突き刺さる。


「……そうだな」


 サイファは淡々と答えた。息の乱れを隠せない。


「でも、あなた一人なら勝てる。そう思ってる顔ね。」


「顔に出ていたか?」


「全部。今のあなたは“読める”。」


 ハンドラーはサングラスを外し、濡れた髪を払った。

 その瞬間、サイファが地面を蹴る。

 滑るほどの雨脚を利用した低い突進。

 直線ではない、不規則な体捌き。

 疲弊した身体でも、殺しの最適解を探す反射だけは健在。


 しかし――、


「遅い」


 ハンドラーの靴先が、サイファの進路に正確に入り込む。

 体勢がほんの少し崩れる。

 その一瞬が決定的だった。


 サイファは即座に転倒を避け、後ろ跳びで距離を取る。

 だが肺が痛む。肩で息を吸う。

 雨のせいではない。

 半年間、戦い続けて限界まで削ったツケが、呼吸のたびに反乱を起こしている。


「あなたは強い。でも……“常に最善”の身体じゃなきゃ勝てないタイプよ」


「自覚はある」


「だから終わりなの」


 ハンドラーの姿が消えた。

 雨のカーテンの中に溶けたのではない。

 脚が異常な速度で踏み込んだだけだ。

 サイファもそれを理解していた。


 右後方、反射が告げる。


 振り向きざま肘打ちを放つ。

 だが、雨で滑った。

 肘が数センチずれた軌道を描く。


 その誤差を、ハンドラーは当然のように利用する。


 掌底がサイファの肋骨にめり込んだ。

 折れる音。

 世界がわずかに歪む。


「……ッ!」


「痛覚、まだ残ってるのね」


 彼女は一歩も引かない。

 サイファの呼吸が止まった瞬間、首へ手刀が来る。

 それを防ぐが、次の回し蹴りが側頭部へ飛ぶ。

 反応はしている。

 だが体が間に合わない。


 視界の端が黒く染まる。


「君は……後方の人間だろ」


「だから言った。暗殺者が減りすぎて、人材がいないって」


 雨の中、淡々とした声。

 そこに憐れみも怒りもない。


「あなたは脅威。情報を持ちすぎてる。だから……ここで終わり」


 ハンドラーの動きが止まる。

 サイファの肩越しの背後。


 サイファは気づいた。

 遅すぎたが、それでも理解する。


 銃声。


 背中に焼けるような衝撃。

 肺が潰れ、呼吸が溶けた。


 いつもの処分方法だ。

 組織は、最も危険な目標を仕留める時、“味方の背中越し”に撃つ。


「……裏からか」


「あなたなら前からじゃ当てられないわ」


 視界がゆっくりと流れ落ちる。

 雨の音が遠のく。

 血の匂いと冷気だけが残る。


「サイファ、最後に教えて。どうして組織のデータを盗り、仲間を消して回ってるの……?」


「ゴフッ……仲間だと? これは復讐だ……お前にはわかるまい」


 彼は最期まで変わらなかった。冷静で、合理的で、歪んだほどに“空白”の男。

 


 裏切りと殺意。

 復讐と復讐が織りなす戦いは、サイファの死によって全てが闇の中に葬り去られていく。


 意識が深い底へ沈む……。

 沈んで、沈んで……。

 次に聞こえたのは、知らない少女の悲鳴と、血の弾ける音だった。

 

 



・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

あとがき


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

暗殺者サイファが元同僚に殺され、その魂が別の世界へ行きます。

彼がこの先に待ち受ける運命に選択を迫られます。

この一話は、物語の“導火線”です。

まだ大きな事件は起きていませんが、すでにいくつかの歪みが見え始めているはずです。

この先、彼女(彼)が進む道は、茨の道です。

歪んだ世界を変えていくその過程を、楽しんでいただけたら嬉しいです。

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