第6話 エロゲ同好会(構成員3名)、結成

本日3話投稿です。こちらは2話目です。3話目は21時くらいに投稿です。

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 土曜日。朝、九時五十五分。決戦の時は刻一刻と迫っていた。


 俺、御影悠真は自宅のリビングでソワソワと落ち着きなく歩き回っていた。掃除は完璧だ。部屋の換気も済ませた。隠すべき資料(自分の過去の漫画やネームの失敗作)もクローゼットの奥底に封印した。


「……兄よ。貴様、落ち着きがないぞ。小動物か」


 ソファに優雅に腰掛け紅茶(中身は砂糖マシマシ)を啜っている妹・叶羽が呆れたように言った。今の彼女は完全なる「外面(モード)」だ。フリル付きの清楚なブラウスに、膝丈のフレアスカート。髪も丁寧に巻かれており、どこからどう見ても深窓の令嬢である。


「お前こそ、なんだその恰好は。家だぞ?」


「フッ……愚問ですね、お兄様。今日のゲストは『第一正妃』候補。ならば迎え撃つ私も、正装で挑むのが礼儀というものでしょう?」


「挑むな。ただの友達だ」


 俺はため息をついた。今日は両親が箱根へ一泊旅行に出かける日だ。そして同時に、大学のアイドル・灯乃ゆらが「儀式(エロゲプレイ)」のために我が家を訪れる日でもある。


「あらあら、二人とも。そんなに緊張しなくてもいいのに」


 キッチンから母・美桜が顔を出した。旅行用のキャリーケースを既に玄関に置いている。父・剣一は車のトランクに荷物を積んでいる最中だ。


「悠真、お茶菓子は冷蔵庫に入ってるからね。あと晩御飯も適当に……って言いたいけど、せっかくだからデリバリーでも頼みなさい。これ、お小遣い」


「い、いいよ母さん。子供じゃないんだから」


「いいのよ。女の子をもてなす時はケチっちゃダメ。これ、お父さんからの遺言よ」


「遺言!?親父まだ生きてるだろ!」


 母さんはケラケラと笑い、俺の手に一万円札を握らせた。この人は完全に今日の集まりを「息子と彼女のデート(妹付き)」だと解釈している。訂正する気力はもう俺にはなかった。


 その時。ピンポーン、とインターホンが鳴り響いた。


 空気が凍りつく。いや、沸騰した。


「来たか……!」


「あら、いらっしゃったわね!」


 叶羽がスッと立ち上がり、母さんが小走りで玄関へ向かう。俺は心臓が口から飛び出しそうになりながら、その後を追った。


 ガチャリ。  


 重厚な玄関ドアが開かれる。


 そこに立っていたのは、初夏の陽光を背負った天使だった。


「おはようございます!」


 灯乃ゆら。その姿を見た瞬間、俺と叶羽、そして母さんの時が止まった。


 彼女が着ていたのは純白のワンピースだった。それもただのワンピースではない。レースがあしらわれ、腰にはリボン、スカートはふわりと広がるAライン。清楚を極限まで煮詰めたような、まるで――


「……花嫁衣裳(ウェディングドレス)?」


 俺は無意識に呟いていた。


「えへへ、お邪魔します!悠真くん、叶羽ちゃん!」


 ゆらは満面の笑みでペコリと頭を下げた。手には菓子折りを持っている。


「灯乃さん……その服……」


「あ、これ?変かな……?」


 ゆらは少し恥ずかしそうにスカートの裾を摘んだ。


「ほら、今日は『儀式』でしょ?だから私、一番きれいな服がいいかなって思って……タンスの奥から引っ張り出してきたの」


 『儀式には正装』。数日前の大学での会話を彼女は律儀に、そして全力で実行してきたのだ。白という色が「生贄」っぽくもあり、「花嫁」っぽくもあるのがまた業が深い。


「まあぁぁぁッ!!」


 母さんが悲鳴のような歓声を上げた。


「なんて可愛いの!あなたがゆらちゃんね!?いらっしゃい!まあまあ、なんて白が似合うのかしら!まるでウチにお嫁に来てくれたみたい!」


「えっ、お嫁……!?」


 ゆらの顔がボンッと赤くなる。


「は、はじめまして!灯乃ゆらです!その、お嫁だなんて……私まだ、正妃候補なだけで……」


「正妃候補!?まあ、悠真ったら!いきなり王室入りを目指すなんて!」


 会話が噛み合っていないようで、奇跡的に噛み合ってしまっている。母さんはゆらの手を取り、感動で目を潤ませていた。


「悠真、いい子じゃないの……!お母さん、安心して旅行に行けるわ!」


「母さん、頼むから話をややこしくしないでくれ!」


 俺は母さんを引き剥がした。このままでは玄関先で「結納」が始まりかねない。


「あら、ごめんなさいね。つい嬉しくて。……それじゃあ、あとは若い人たちでごゆっくりね♪」


 母さんはウインクを残し、ちょうど戻ってきた父さんと共に車に乗り込んだ。  父さんは運転席からゆらを一瞥し、ボソッと「……清楚系か。王道だな」と呟いてアクセルを踏んだ。ブォン、と車が走り去る。


 残されたのは、白ワンピの美少女(天然)と、清楚系美少女(中二病)、そして死にそうな顔の俺。


「……とりあえず、上がってくれ」


「はい!お邪魔します!」


 ゆらは靴を揃えて(すごく育ちが良さそうだ)、廊下へと足を踏み入れた。


「ようこそ、我が魔城へ」


 叶羽が優雅に微笑んだ。だが、その瞳の奥には「合格だ、その白装束……!」という熱い色が宿っていた。



 俺の部屋。通されたゆらはキョロキョロと室内を見渡した。


「わあ……ここが、悠真くんの部屋……」


 感慨深げに呟く。男の部屋に入るのが初めてなのか、それとも「魔王の玉座」的な意味で感動しているのかは不明だ。彼女の視線が、机の上の機材に止まる。


「すごい……!パソコンのモニターが二つもある!ペンタブレットだっけ?これで漫画とか描くんだよね?」


「あ、ああ。まあね」


「へええ……!まるで錬金術の工房みたい!」


 錬金術師の工房。……悪くない響きだ。いや、調子に乗るな俺。俺は咳払いを一つして、クッションを勧めた。


「まあ、適当に座って。狭くて悪いけど」


「ううん、落ち着くよ。なんか、悠真くんの匂いがするし」


「ッ!?」


 無自覚な爆弾発言に俺の心拍数が跳ね上がる。ゆらはクッションを抱きしめ、ちょこんと座った。白いワンピースが畳(洋室だが気分的に)に映える。


「さて、兄よ。茶番はそこまでだ」


 叶羽がバタンとドアを閉め、鍵をかけた。その瞬間、彼女の背中から「外面」のオーラが消失した。


「これより、『第一回・禁断魔導書研究会』を開催する!」


 叶羽はスカートのまま、ベッドの上に仁王立ちした。ゆらがパチパチと拍手する。


「パチパチパチ!開催おめでとうございます!」


「うむ!我ら『円卓の三騎士(トリニティ)』が集いし今、目指すは一つ!兄の覚醒、すなわち『トゥルーエンド』への到達だ!」


 叶羽は机の上のPCを起動した。モニターに映し出されるのは、当然『純愛プリンセスは闇落ちして兄を召喚したい!』のタイトル画面。禍々しくも美しいBGMが流れ出し、部屋の空気を一変させる。


「わあ……きれいな絵……」


「そうだろう?この美術(グラフィック)こそが魂を浄化するのだ」


 叶羽は俺をPCの前の椅子(メイン席)に座らせ、自分は右側に、ゆらを左側に配置した。俺の両サイドに美少女。画面にはエロゲ。どんな拷問だこれは。


「悠真くん、私、ノート持ってきたよ!」


 ゆらはカバンから新品のノートと筆記用具を取り出した。


「分からないことあったら教えてね?ちゃんと勉強するから!」


「……お手柔らかに頼むよ」


 俺は諦めてマウスを握った。ここから逃げることはできない。ならば、漫画のネタとして消化するしかない。編集の笹倉さんの言葉を思い出す。『実録・カオス兄妹』。そうだ、これは取材だ。


「よし……始めるぞ」


 俺は『続きから』をクリックした。


 ♢


 プレイ開始から一時間。状況は、予想以上にカオスを極めていた。


「――あっ、悠真くん!ヒロインちゃんが顔を赤くしてるよ!」


 ゆらが画面を指差して声を上げる。現在、物語は共通ルートの中盤。主人公と義理の妹(セレスティア)が、魔獣に襲われて洞窟で雨宿りをしているシーンだ。濡れた服。肌の透け表現。そして密着。エロゲのお約束イベントである。


「これは『吊り橋効果』と『体温低下による生存本能の刺激』を掛け合わせた高度な誘惑術式だな」


「なるほど……!メモしなきゃ!」


 叶羽の解説に、ゆらがカリカリとノートに書き込む。  


『雨宿り=誘惑のチャンス』


『体温低下=生存本能=愛?』。  


 お前は何を学んでいるんだ。


「兄よ、選択肢だ。A『服を乾かしてやる』、B『抱きしめて温める』」


「……普通ならAだが、このゲームならBか?」


「否!ここはC『魔力供給と称して首筋を舐める』だ!」


「そんな選択肢ねえよ!あったわ!いつ出た!?」


 隠し選択肢が出現していた。俺が躊躇しているとゆらが俺の袖を引っ張った。


「ねえねえ、悠真くん」


「な、なに?」


「『魔力供給』って……やっぱり、必要なの?」


 ゆらの瞳が画面の光を反射して潤んでいる。画面の中ではヒロインが『お兄ちゃん……私、魔力が足りないの……』と艶っぽい声で囁いている。


「い、いや、これは設定上の話で……現実には魔力とかないから」


「でも、心にも栄養は必要だよね?」


「えっ」


 ゆらは真剣な顔で言った。


「私、思うの。このヒロインちゃんは魔力が欲しいんじゃなくて……お兄ちゃんの愛が欲しいんじゃないかなって」


「……!」


 その言葉に、俺の手が止まった。叶羽も「ほう……」と感心した声を漏らす。


「鋭いな、第一正妃よ。その通りだ。このゲームの本質は『依存』と『渇望』。魔力とはすなわち、承認欲求と独占欲のメタファーなのだ」


「メタファー……!」


 ゆらはパァッと顔を輝かせた。


「そっか……!だから『結合』なんだね!不安な心を体ごと繋げて埋めるんだ……!」


「その通り!貴様、やはり才能があるぞ!」


「えへへ、褒められちゃった!」


 二人はハイタッチした。俺は頭を抱えた。なぜエロゲのHシーン導入部で、こんなに文学的な解釈が飛び交うんだ。しかも、ゆらはそれを「自分事」として捉えている節がある。


「じゃあ悠真くん、選んで?Cを」


「えっ、いいの?これ選んだら、多分……その、アレな展開になるけど」


「うん!見たいな。二人がどうやって……心を繋げるのか」


 ゆらの視線は真っ直ぐだ。一点の曇りもない。俺はゴクリと唾を飲み込み、震える指で『C』をクリックした。


 画面が暗転する。甘い吐息。衣擦れの音。そして――


 ――濡れた音と共に、鮮烈なCGが表示された。


「……っ」


 俺は反射的に目を逸らそうとした。だが、両サイドの美少女二人は微動だにせず画面を凝視していた。


「……なるほど。首筋へのアプローチ角度、35度。これは頚動脈への執着、すなわち『命を握る』という意思表示……!」


「すごい……!お兄ちゃん、すごく必死そう……。セレスティアちゃんも、痛そうだけど……嬉しそう?」


 ゆらは画面に顔を近づけ、食い入るように見つめている。


「ねえ悠真くん。これ、痛いのかな?」


「えっ、いや、それは……」


「でも、痛くても……好きな人にこんなに強く求められたら……私、我慢しちゃうかも」


 ドクン。俺の心臓が早鐘を打った。


 ゆらは無意識に自分の首筋に手を当てていた。白いワンピースの襟元から覗く、白く細い首筋。画面の中の情事と目の前の清純な少女がオーバーラップする。


 やばい。これは非常にまずい。俺の理性の堤防が決壊寸前だ。


「……あ、あのさ。ちょっと休憩しないか?ほら、お茶菓子もあるし」


 俺は慌てて話題を変えた。このまま見続けたら俺がおかしくなる。叶羽も俺の動揺を察したのか、ニヤリと笑った。


「フッ、兄のMP(メンタルポイント)が限界か。良かろう。一時休戦だ」


「わーい、お菓子!」


 ゆらはパッと笑顔に戻り、持ってきた紙袋を開けた。


「これね、駅前のケーキ屋さんで買ってきたの!『堕天使の涙』っていうチョコタルト!」


「なんと!我が二つ名を冠した供物を選ぶとは……ゆら、貴様やはり出来るな」


「でしょでしょ?」


 和気藹々とお茶会の準備を始める二人。俺は椅子に深く沈み込み、天井を仰いだ。


 まだ一時間。だが、体感時間は十時間くらいに感じる。そして何より恐ろしいのは――この異常な空間が少しだけ「居心地が良い」と感じ始めている自分だった。


 俺の(と誤解された)趣味を否定せず、真剣に向き合ってくれる美少女たち。孤独な作業場だったこの部屋が、今は華やかな笑い声で満たされている。


「……ま、悪くはないか」


 俺はボソリと呟き、差し出されたチョコタルトを手に取った。甘いチョコの味が、疲れた脳に染み渡る。


 こうして、「エロゲ同好会」……またの名を「悠真の理性破壊ツアー」の第一回会合は、無事に(?)幕を開けたのだった。


 だが、俺たちは忘れていた。エロゲには必ず「選択肢による分岐」があるように、現実にも予期せぬ「イベント発生」があることを。


 ブーッ、ブーッ。  


 机の上に置いていた俺のスマホが振動した。画面には、見覚えのない番号。いや、これは――蓮のスマホの番号?


 嫌な予感と共に、俺は通話ボタンを押した。


「……もしもし?」


『よう、悠真!俺だ、蓮だ!』


 元気すぎる声が響いた。白石蓮。昨日「絶対に来るな」と釘を刺した友人だ。


『お前、今日ヒマだろ?今からお前の家行ってもいいか?サークルのメンバーも一緒なんだけどさ、鍋やろうぜ鍋!』


「はあ!?ふざけんな、今日はダメだって言っただろ!」


『えー?いいじゃんかよ。……っていうか、もう家の前にいるんだけど』


 ――ピンポーン。


 スマホの声と現実のインターホンがハモった。俺は凍りついた。部屋の二人も動きを止めた。


「……兄よ。敵襲か?」


「悠真くん……誰?」


 叶羽が目を細め、ゆらが不安そうに俺を見る。画面には全裸に近いヒロインの静止画。テーブルにはお菓子と怪しいメモ書き。そして、白ワンピの美少女と、清楚な服を着て仁王立ちする妹。


 もし蓮たちがここに入ってきたら、俺の人生は間違いなく「ジ・エンド」だ。


「……迎撃する」


 俺は立ち上がった。漫画家としての、兄としての、そして男としての尊厳を守るために。俺たちの戦い(隠蔽工作)は、ここからが本番だった。


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