第一章 購買部改革編

一日目 その1 教授の困らせタイム、再び

 アークライト工学堂に入学して2年。

 あの変人――アムネス・レーン教授のもとで品質学を学び始めてから、わたくしの毎日は静寂とは無縁になった。


「えっ、またですの?」


 わたくし〈アリシア・ガーディアン〉の声がホールに響く。


「ふふ、いつもの、教授の“困らせタイム”だね。」

「……前回も急に呼び出されて、ファルミル豆の大きさを千粒も計測させられたんですから。」

「そうそう。全部測って平均値や標準偏差を出すって言うんだけど、途中で分からなくなって最初からやり直しになったりね。」


 肩をすくめるのは、わたくしのルームメイトであり、なりゆきで侍女になってしまった頼れる右腕のリズ。

 以前は“アリシア様”と呼ばれていたが、くすぐったくてやめてもらったのだ。


 今日もまた――面倒ごとの扉が、音を立てて開かれた気がした。


 レーン教授が執筆していた品質工学理論書の提出が遅れていると聞き、わたくしは工学堂の南塔にある研究室へと向かった。

 扉を叩くと、奥から教授の苛立った声が響く。


「羽ペンが届かん! アリシアが悪い! 購買部を調べてこい!」


 教授の机には未完成の原稿と、インクの染みた古い羽ペンが転がっていた。

 図表が書きかけのまま放置された原稿の端には、「再現性」と「誤差要因」の文字が走っている。

 龍の紋章が刻まれた封筒も、未開封のまま積まれていた。


(やっぱり始まりましたわ……教授の“困らせタイム”)

 けれど――教授の“困らせ”には、いつもどこか、学びの香りが混じっているのです。


「えっ……教授、わたくし購買部の係ではありませんのに?」

「だからこそだ! 購買部の係はな、届かぬ理由を“アタリマエ”だと思っておる。アリシア、君はまだ“アタリマエ”に毒されておらん。実に良い。すぐに改善してくれ!」

「改善ですの?」

「いいから、早く行け!」


 わたくしたちは購買部へと急いだ。

 そこでは、会計係トネスが乱雑な帳簿と商品に囲まれ、頭を抱えていた。


「方眼紙が見つからないんだ。どうもインク以外の在庫が減っててな……調達係が発注を間違えたらしい。」

「羽ペンはどちら?」と尋ねると、トネスは棚の奥から一本を取り出した。


「あるにはある。高級な〈セリュファル鳥〉の羽根を使ったやつだ。だが、レーン教授は安価な〈グリュム鳥〉の羽根がお気に入りなんだ。これは購買部でも周知されている。ただ、対応した調達係は発注書に“羽ペン”としか書いていなかったようだ。」


 腰に手を当て、わたくしは冗談めかして言う。


「わたくしはメモ用紙でお伝え致しましたわ。まったく、どういうことですの。教授の羽ペンが届かないなんて――誇り高きアークライト工学堂の名折れですわ!」


 教授の変人ぶりをよく知るリズは、苦笑しながら肩をすくめる。


「いやまあ、あの人の“お気に入り”の基準は庶民寄りだからね……。」

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