さゆがさらに上をいくほどうぜえ
さゆはひらりと身を翻し、まるで舞を舞うかのように軽やかに部屋を出て行った。その背中を見送りながら、出雲建はヤマトタケルに向き直り、穏やかな笑みを浮かべる。
「さて、ヤマトくん。さゆちゃんが表の『眼』となってくれる以上、我々は裏の『礎』を固めるとしようか」
「うむ。この穢れ、これ以上広げるわけにはいかないな」
ヤマトタケルは短く応じると、すっと目を閉じた。彼の体から、静かだが圧倒的な霊力が津波のように広がり始める。それは物理的な壁ではなく、次元そのものを歪める霊的な障壁であり、ホテルの豪華な内装を何一つ傷つけることなく、不可視のドームとなって建物全体を覆っていく。一方、出雲建は床に座して印を結び、意識を地の底へと沈めていった。彼の霊力は細い糸のように鋭く、岩盤を貫き、土を分け、この土地が記憶する古の霊脈へと触手を伸ばしていく。
一方その頃、桜雪さゆはホテルのメインバー『ステラ・ラウンジ』のカウンターに腰掛け、十二単でノンアルコールカクテルをちびちびと飲んでいた。彼女の周りには、最新の流行に身を包んだ男女が、楽しげにグラスを傾け、談笑に興じている。その誰もが、すぐ隣に座る小柄な女性が、富士のマグマから生まれた神にも比肩する大妖怪であることなど知る由もない。
「んー、それにしてもアイヌってトーテム立てたっけ? 違う気がするんだよなー」
さゆは、チェリーを飾ったきらびやかなカクテルをストローでかき混ぜながら、ひとりごちる。出雲建が語った『魂の柱』という言葉が、彼女の知識欲を妙に刺激していた。
「レプンカムイは沖の神でシャチでしょ? 海の神様だけど、トーテムとは関係ないし……。アトイエオルンカムイは海をうろつく者っていう意味だから同じか……。わだつみの神様なら瀬織津姫様だから、こんな下賤な土地の神とは格が違うし」
彼女の思考は、古の神話体系と、現代に追いやられた土着信仰の間を自由自在に飛び回る。出雲の国譲りも、天津神と国津神の争いも、彼女にとっては昨日見たドラマの話をするのと同じくらいの身近さだ。この土地に眠る存在は、果たしてどのような神格を持つのか。あるいは、神にすらなれなかった、名もなき精霊の集合体なのか。それが彼女の興味を引いていた。
「まあ、どうでもいっか。弱いものいじめする奴らは嫌いだし(自分がヤマトタケルをいじめているのは棚に置く)、そいつらにやられたっていうなら、ちょっとは助けてあげてもいいかな」
さゆは結論を出すと、カクテルを飲み干し、優雅にカウンターを離れた。彼女の桃色の瞳は、すでに次の獲物を探している。ターゲットは、先ほどニュースで見た、いかにも軽薄そうな動画配信者の一団だ。
ホテルの裏手、立ち入り禁止のテープが張られた旧研究所への入り口付近は、異様な熱気に包まれていた。数十人の若者がスマートフォンを掲げ、ライブ配信中の「ヤミナベMV」リーダー、ケンジを取り囲んでいる。
「うおおー! 見てるかお前ら! ここがガチでヤバいって噂の廃墟だぜ! 今から俺らが潜入して、悪霊だろうがなんだろうが、その正体を暴いてやんよ!」
ケンジがそう叫ぶと、取り巻きたちは
「ヒュー!」
と歓声を上げ、コメント欄は凄まじい勢いで流れていく。彼らにとって、ここはただの肝試しスポットであり、金と名声を生み出すための舞台に過ぎない。
その様子を、さゆは少し離れた木陰から冷めた目で見ていた。
「……品性のかけらもないねぇ。こんな場所で騒ぐなんて、罰が当たるって知らないのかな。まあ、教えてあげるのが親切ってもんか」
彼女はふふふ、と楽しそうに笑うと、すっと闇に溶けた。
ケンジと彼の仲間たちが、バリケードを乗り越え、懐中電灯の光を頼りに薄暗い通路を進んでいく。
「やべえ、空気ひんやりしてんな! マジでなんか出そうじゃね!?」
「コメント欄、『背後に何かいる』で埋まってんぞ!」
彼らがわざとらしく怖がってみせ、視聴者の期待を煽っていると、不意に通路の奥からコロコロ、と何かが転がってきた。
「ん? なんだ?」
ケンジが懐中電灯で照らすと、それは人間の頭部だった。しかも、一つや二つではない。通路の奥から、まるで無限に湧き出すかのように、大量の頭が、頭が、頭が、ゴロゴロと転がってくる。
「ひっ……!?」
その全てが、桜雪さゆと寸分違わぬ顔をしていた。ある頭は微笑み、ある頭は泣き、ある頭は怒りに顔を歪めている。百の貌を持つ百の頭が、一斉に彼らを見つめた。
「な、なんだよこれ……CGか!? 誰かのドッキリか!?」
ケンジは震える声で虚勢を張るが、仲間の一人が悲鳴を上げた。
「ケ、ケンジ! その頭、目が……目が合った!」
次の瞬間、その仲間の瞳から、ふっと光が消えた。彼は呆然と立ち尽くし、
「……あれ? おれ、ここで何してんだっけ……?」
と呟いた。
さゆの百の頭。その瞳と視線が交わった者は、今回の頭の効果は、直前までの記憶を根こそぎ奪われる。それは、脳を直接書き換える、神域の瞳術だった。
「うわああああああ!」
「やめろ! こっち見んな!」
パニックに陥った配信者たちが逃げ惑う中、百の頭は無慈悲に彼らを追いかけ、その視線で次々と記憶を刈り取っていく。やがて、通路には、自分が誰で、なぜここにいるのかさえ忘れ、ただ虚ろに立ち尽くす若者たちの集団だけが残された。
ライブ配信のカメラだけが、コロコロと転がる美しい少女の生首と、虚無に囚われた若者たちの姿を、全世界に向けて無言で映し続けていた。
「んー、ちょっとやりすぎたかな?」
遠くの屋上からその光景を眺めていたさゆは、満足げに小さく呟くと、再びホテルの喧騒の中へと姿を消した。彼女にとって、それはほんの悪戯に過ぎなかった。
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