太陽よ! ムーンショットを止めろ! 第2部

白い月

第??章 火明星(ほあかりぼし)のAI元年

火明星(ほあかりぼし)各国のメンバー浮遊大陸に招待

 ヴァーレンス王国の上空、雲海を突き抜ける一隻の飛行船の甲板は、穏やかな陽光と乾いた風に満たされていた。ミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒは、手すりに肘をつきながら眼下に広がる緑豊かな自国を眺め、やがて視線を遥か上空へと向けた。そこには、かつて神々の戦場と化した巨大な大陸が、静かな影として浮かんでいる。



「招待状とは、また随分と丁寧な話になったものだな。あのティルナノグから、だ」

 ミハエルの隣で、同じく大陸を見上げていたアリウス=シュレーゲルが、銀髪を風になびかせながら穏やかに微笑んだ。彼の赤い瞳には、純粋な好奇心が宿っている。



「僕も驚いたよ。あの後、ヴァーレンス王国ほか数国の管理下に置かれ、大規模な復興プロジェクトが進んでいるとは聞いていましたが……まさか、祭りが開かれるまでになっているとはね」

「祭り、ねえ。墓石の上でダンスパーティーを開くような趣味は、わたしには理解し難いが」

 ミハエルの皮肉めいた呟きに、後方で寝そべっていたフィオラ=アマオカミがくつくつと喉を鳴らした。黒竜の因子を持つ彼女は、人間形態をとっていてもその存在感は圧倒的で、退屈そうな表情で長い黒髪を指で弄んでいる。



「いいじゃないの、ミハエル。どうせ退屈していたところよ。骨董市でも開かれているなら、掘り出し物があるかもしれないわ」

「あんたはそればっかりね」

 と呆れた声を上げたのは、フィオラの喧嘩友達であるサリサ=アドレット=ティーガーだ。ホワイトライガーの耳をぴくりと動かし、金銀妖艶の瞳を細める




「でもまあ、美味いもんがあるならアタシは文句ないけどね。死闘を繰り広げた場所で食う飯ってのも、乙なもんよ?」

 彼女たちの能天気な会話に、ミハエルの傍らで静かに佇んでいた水鏡冬華が、ふっと息を漏らした。巫女装束に身を包んだ彼女の瞳は、ティルナノグのかつての姿と、これから目の当たりにするであろう現在の姿を重ね合わせるように、深く澄んでいる。




「ケテル……ポセイドンを自称してた身長2mの筋肉ジジイが引き起こした天蓋瀑布……あの濁流を、皆で防いだのがつい昨日のことのようね。あの水が、今頃はどんな花を咲かせているのでしょうね」

 その言葉に、仲間たちの間に一瞬、静かな共感が流れた。誰もが口には出さないが、あの戦いの記憶は身体の芯に深く刻まれている。オーディンも、ロキも、そしてポセイドンを気取る年齢一億歳以上のキングズリー・ヘンリー・エガートン=ケテルも、この空の下でそれぞれの運命と対峙した。そして、逃げおおせた大物、ルシファーの影も。

 飛行船は高度を上げ、やがて浮遊大陸ティルナノグの底面が視界いっぱいに広がった。ヨモツヘグイのようにあの世から抜け出せずにいた者ばかりの大陸は、今や幾何学的な光のラインが走り、巨大な推進装置と思しきものが青白い光を放っている。まるで、古代遺跡を無理やり未来都市に改造したかのような、ちぐはぐで、しかし圧倒的な威容を放つ姿だった。

「……なるほど。これは確かに、想像以上だ」

 ミハエルが感嘆とも呆れともつかない声を漏らす。飛空艇が大陸の縁に設けられた巨大なポートに着陸すると、一行はゆっくりとタラップを下りていった。

 踏みしめた大地は、もはや土の感触ではなかった。滑らかで硬質な金属質のプレートがどこまでも続き、足元からは淡い光が明滅している。かつて荒涼とした荒野が広がっていた場所には、信じがたい光景が広がっていた。

 空には無数のホログラム広告が浮遊し、立体的なマスコットキャラクターが陽気な電子音楽に合わせて踊っている。破壊された建物の残骸は跡形もなく、代わりにガラスとクロームでできた流線型のパビリオンが立ち並び、その間を自律走行するカートが人々を乗せて滑るように移動していた。鼻をつくのは、土埃の匂いではなく、甘ったるい合成香料とオゾンの混じったような、無機質な匂い。





「な……なんだ、これ……」

 天馬蒼依が、ミニ巫女装束の裾を揺らしながら、口をあんぐりと開けて立ち尽くす。彼女の後ろで、ヒーラーのガートルードや魔法剣士のアンも、信じられないものを見る目で周囲を見回していた。

「まるで……そう、おとぎ話の未来都市ですね」

 水の魔法使いであるユーナ=ショーペンハウアーが、星型の髪飾りを揺らして呟く。彼女の言葉は、この場の誰もが抱いた感想を的確に言い表していた。ここはもはや、彼らの知るティルナノグではない。死と再生の記憶が刻まれた大地は、完全に上書きされ、新しい物語の舞台へと作り替えられていた。

「悪趣味、という言葉すら生温いな」

 ミハエルは腕を組み、聳え立つ巨大なタワーを見上げた。その壁面には、巨大な文字が明滅している。

『――Welcome to Ti-AI-r na nÓg Park! 人類と知性の新時代へようこそ!――』

「ティア……パーク?」

 フレデリックが眉をひそめ、その奇妙な名称を口にする。

「ティルナノグと何かを掛け合わせた名前か?」

 その疑問に答えるかのように、一行の目の前に小さなドローンAIがふわりと飛来した。猫のような耳をつけた球体のそれは、愛らしい合成音声で話しかけてくる。

「ようこそ、お客様! ティルナノグAIテーマパークへ! 私は案内ボットの『ティアン』です。何かお困りですか?」

「……AI、テーマパーク、だと?」

 ミハエルの口から、呆れを通り越した乾いた笑いが漏れた。なるほど、そういうことか。この徹底的なまでの変貌、無機質で計算され尽くした景観、そしてこの人工的な賑わい。全ては、AIによって管理・運営される巨大な娯楽施設へと、この大陸が作り替えられた結果だったのだ。

 サリサが面白そうにティアンを指でつつく。

「へえ、コイツ、自分で考えて喋ってんのか? なかなか可愛いじゃん」

「はい! 私は高度な自律思考型AIを搭載しております! お客様一人ひとりに最適なエンターテインメントをご提案できますよ!」

 ティアンは得意げに胸を張り(球体なのでどこが胸かは不明だが)、空中にパンフレットのホログラムを投影した。そこには、色鮮やかな文字が躍っていた。

「そして本日から一週間は、グランドオープンを記念した特別イベント! 『第一回 ティルナノグAIフェスティバル』が開催中です!」

 ホログラムには、祭りの詳細な内容が次々と映し出されていく。AIが生成したアート作品のバーチャル美術館、有名作曲家AIによるシンフォニーコンサート、最新鋭のアンドロイドたちによる模擬戦闘トーナメント、そして、世界中の美味をAIが再現したフードコート……。

 フィオラが、バーチャル美術館の項目に鋭い視線を向けた。彼女の赤い瞳が、初めて本気の興味をたたえて輝く。クロードは無言で模擬戦闘トーナメントの文字を睨みつけ、その隣でサミュエルが目を輝かせている。

「面白そうじゃないか」

 と、いつの間にか隣にいたフレデリックがミハエルの肩を叩いた。





「模擬戦とくりゃあ、腕が鳴る。それに、こんなに綺麗なご婦人方(アンドロイド含む)が大勢いるんだ。楽しまない手はないだろう?」

 ミハエルは、その軽薄な友人の言葉を無視し、再び目の前の喧騒に目を向けた。人々――人間も、亜人も、そして自律歩行するアンドロイドたちも――が楽しげに笑い、闊歩している。ここは、かつて血と涙と絶叫が満ちた場所だ。自分たちが命を懸けて守り、そして多くのものを失った場所。その記憶は、この陽気な電子音楽とネオンの光の中に、跡形もなく溶けて消えてしまったのだろうか。

「……いや」

 ミハエルは小さく首を振った。消えはしない。記憶は、ここにいる自分たちの中に在る。そして、この変貌こそが、あの戦いの結果なのだとしたら、それを見届ける義務がある。

 彼はゆっくりと歩き出し、テーマパークの巨大なエントランスゲートへと向かった。仲間たちが、無言で、あるいは賑やかに言葉を交わしながら、その後ろに続く。ゲートをくぐると、さらに強烈な光と音の洪水が彼らを包み込んだ。

 ミハエルは空を見上げた。かつて静かな巨塊として、巨大な墓標のように浮かんでいた大陸は、今や巨大なミラーボールのように煌めいている。

「さて、始めようか」

 彼は、誰に言うともなく呟いた。その声には、冷めた皮肉と、抑えきれない好奇心が奇妙に同居していた。

「俺たちの戦場(ダンスホール)で、どんな出し物が見られるのか、じっくりと見物させてもらおうじゃないか」

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