夫婦喧嘩は犬も喰わない~遠山さんちのおいしい事件簿~

清見こうじ

第1話 謎の電話事件

 それは、結婚して2カ月ほどたった、ある夜のこと。


 旦那様より一足早く帰宅して、夕飯作りにいそしんでいた、杏子きょうこさん。


 家事と仕事の両立は大変だけど、大好きな旦那様においしいご飯を食べてもらいたい。


 でも最近、忙しくて出来あいのものが多かった。


 今日は、定時で上がれたし、一方旦那様は少し遅くなると言っていたので時間があるし、ちょっと手の込んだ料理にしよう!


 昨日の夜下茹でしておいた大根を使って……アレは作るとして。


 あと何作ろうかな。


 RRRRRRR……。


 電話が鳴った。


 水でぬれた手を拭きながら、慌てて電話に出る杏子さん、でしたが。




『遠山さんのお宅ですか?』


「はい、そうですが」


 相手、女性、しかも若い。


『サイトウと申しますが、ヒロヤさん、いらっしゃいますか?』


「まだ帰宅しておりませんが……」


『何時頃お帰りになりますか?』


「今日は遅くなると言っていたので、はっきりとは……もし何でしたらこちらからかけ直しいたしますが」


『いえ、またお電話いたしますので、失礼いたします』


 丁寧に答えつつも、あっさり切れる電話。




 誰だろう?


 サイトウさん……旦那さんの男友達になら、斉藤さん、何人もいたけど。


 女性には思い当たる節がない。


 浩哉ひろやさん、は杏子さんの大好きな旦那様の名前。


 だから間違い電話、というわけではないと思う。


 ま、用事があれば、またかかってくるでしょう。


 杏子さん、そう考えて、再び料理に取り掛かる。


「杏子さん、今日ひじき煮作ったけど、少し食べる?」


 母屋に住むお義母さんが、勝手口から声をかけてきた。


「わ、助かります。おかず増えた!」


「何作ってんの? ……ふろふき大根? いいな、おいしそう」


「あ、もう少しで出来上がるんで、持っていきますよー」


「嬉しい! ……あ、ちょっとでいいからね。お父さん、急に飲みに出かけちゃって、私ひとりだから」


「だったら、今日こっちで一緒に食べましょうよ。もうすぐ浩哉さんも帰ってくるし」


「じゃあ、今お鍋持ってくる」


 いそいそと母屋に戻るお義母さんを見送り、味噌だれを作り始める杏子さん。


 さっぱりした気性のお義母さんとは、今のところ上手くやってる。


 一応、別々に居を構えたとはいえ、同じ敷地内に暮らしているから、ちょっと不安もあったけど、仕事を持っている杏子さんのために、いろいろ気を遣ってくれているのが分かる。


 今みたいに、おかずを余分に作っておすそ分けしてくれたり、敷地の共有部分のお掃除や整理整頓は平日にほとんど済ませておいてくれたり……でも、それが押しつけがましくない。


 杏子さんがいない時は、たとえ浩哉さんが在宅してても家に入らないし、杏子さんがいても電話するか勝手口で用を済ませようとして、やたら家に上がろうとはしない。


 気性はさっぱりしてるように見えるけど、めちゃくちゃ気遣いしてくれてる。


 そして杏子さんのことを、実の娘のようにかわいがってくれている。


 なもんで、杏子さんも、一緒にご飯を食べたりお茶を飲んだり、お出かけに誘ったりして、なるべく接点を持ちたいと思っている。


「そういえば、うちのほうにヒロに電話がかかってきていたよ。タケウチさん、ていう人から。電話番号教えていいか迷ったから、ヒロに聞いてからにしようと思って。また、かけてくるって……これ美味しいね、杏子さん」


 食卓にはふろふき大根と豆腐のお味噌汁、豚こまと蓮根のキンピラに大根葉の浅漬け、ひじきの煮物が並んでいる。


「タケウチ……何さん? 俺の友達なら、皆番号知ってるはずだけどな」


 好物に囲まれてご満悦の旦那様……浩哉さんが聞き返す。


「名前は言わなかったけど。女の人だったよ。杏子さんと同じくらいかな」


「女でタケウチは知らないなあ」


「そういえば、うちにもかかってきた。サイトウさん、て若い女の人」


 お義母さんと浩哉さんの会話で、さっきの電話を思い出した杏子さん。


「サイトウ……? 知らないなあ。あ、でもこっちにかかってきたなら、同級生かな? 高校の同窓会の名簿、たしかこっちの番号になってる」


 お義父さんが、もともと電話の権利を2回線持っていたので、高校生の時、ひとつを自分用に貰っていた浩哉さん。


 結婚を機に離れを建てた時、そのまま同じ番号を使っている。


「またかけてくるって」


「ふーん。同級会かな? 結婚して名前変わってると分かんないや」


 この夜は、そんな風に過ぎたのだけど。


 あくる日も。


 またあくる日も。


 浩哉さんが帰ってくる、ほんの少し前のタイミングで、サイトウさんから電話がかかってくるのだ。


 しかも。


「用件を伝えますが」


 杏子さんが承ろうとするが。


『それほどのことじゃないんで。またいらっしゃる時で結構です』


 と、にべもない。


 言葉づかいは丁寧だけど。


 気に入らない!


「ホントに知らない人なの!?」


 1週間以上も、毎日かかってくるなんて、おかしくない?


「ホントに知らないって! 絶対! 全く!」


 懸命に弁明する浩哉さん。


「じゃあ、なんで、狙ったように浩哉さんのいない時間にかけてくるの? 用件も言わずに!」


「偶然だろ! 帰ってきそうな時間にかけてるんだろ」


「いつも6時、とかじゃないもん! 時間バラバラだし! なのに、帰ってくる少し前に! 必ず!」


 浮気してるんじゃ……言葉には出さなかったけれど、杏子さんの言いたいことが分かったらしく、今度は浩哉さんがキレる。


「浮気なんかしてない! 疑うのかよ!」


「だって、おかしいよ! ここ1週間に、急にこんな……」


「浮気なんかするはずないだろ! 俺は……」


 杏子だけを愛してる……とか、なんとか、その傾向の科白を言えばよかったのに、あろうことか、浩哉さん、とんでもない言葉を口にした。


「そんなことに使う余分な金も時間も無い!」


「……じゃあ、お金と時間があったら、浮気するわけ?」


「いや、今のは言葉のあやというか……そんなことに使うくらいなら、新しいカメラを……じゃなくて杏子のために使うという意味で……」


 しどろもどろになって、さらに墓穴を掘る浩哉さん。


「……今のはヒロが悪い」


 いつの間にか同席していたお義母さん。


「杏子さん、ごめんね。お父さんが『俺は稼ぎが少ないけれど、よそに女を作るようなことはしない。なまじ金と暇があるから女なんか作るんだ』ってよく言っていたのを、聞いていたもんだから。本家の義兄さんがそれで離婚したもんだからねえ。それについては許してやって」


 お義母さんに頭を下げられたら、杏子さんも引き下がらずを得ない。


「で、ホントに浮気してないんだろうね?」


「お袋まで! してない! 絶対に!」


 双方から責められて、浩哉さん、涙目になる。



 その時。



 RRRRR……。


「……はい、もしもし?」


『遠山さんのお宅ですか? サイトウと申しますが、浩哉さんはいらっしゃいますか?』


 来た!


「代わりますので、お待ちください」


 はい、と受話器を突き出す、杏子さん。


「サイトウさん」


「……」


 無言で受話器を受け取る、浩哉さん。


「もしもし? ……は? ……あのですね……興味ありません! ……俺、結婚しているんで! ……電話に出てたのが女房です!!」


 ガチャ! と受話器をたたきつけるように置く、浩哉さん。


「……お見合いパーティーの、勧誘、だって」


「「はあ?」」


 杏子さんとお義母さん、異口同音で、気の抜けた返事をする。


「……確かに似てるよ、二人の声。……たぶん、母屋にかかってきたタケウチっていうの、このサイトウさん、と同じ人だ。向こうで仕入れた名簿の電話番号、両方乗ってたんだろ、きっと。お母様にはお話ししにくい内容なので、って言ってたし。杏子のこと、お袋と勘違いしてたみたいだ」


「何で?」


「そういえば、私、息子に聞いてみます、って言ったかも。タケウチさんに」


「……杏子も言えばよかったんだよ。主人は、とか一言言えば、向こうも既婚者だって分かっただろうし」


 確かに、杏子さん、一言も夫、とか、主人、とか、言わなかった、かも。


「おかげでさんざんな目にあったよ」


「……ごめんなさい」


 一応、素直に謝っておく。


「でも、お金持ちになっても、浮気しちゃだめだからね」


「……はい」




 この事件(?)の後。


 杏子さん、知らない人からの電話には、老若男女かまわず、必ず『主人は』と付けるようになった。


 それから。


 この後妊娠して、暇な時は母屋でお義母さんと過ごすことが増えてきた杏子さん。


 たまに母屋の電話に出ると、ほぼ間違いなくお義母さんと間違えられることが判明した。


『あれま、嫁さんと声そっくりだね。親子みたいだ』


 お義母さんに代わった後、電話の向こうからそう言っているのが漏れ聞こえて、杏子さん、納得しつつ、新たな不安がわいてくる。


 男の人は、母親に似た女性を選ぶとは、よく言うけれど。




 私は声で選ばれたわけじゃないよね?


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