第六話:夜会の帳と社交の駆け引き


 日が沈み、湖畔の別荘は夜の帳に包まれた。テラスの襲撃を乗り越えた緊張を和らげるため、そして何より狙撃犯に「日常」を装うため、予定通り夜会が開催された。


 図書室から移動した広間は、シャンデリアの柔らかな光に満たされ、優雅な音楽が流れ始めた。一同はそれぞれの正装に身を包み、昼間の険悪な雰囲気は影を潜めている。


 フェルナンド王子は、安堵からか少し表情を緩め、皆の装いを褒め称えた。


「皆、素晴らしい着こなしだ。アンゲリカ嬢のドレスは湖の色のようだ。ユーリア嬢の白は、まさに夜の聖女のよう」


 そして、私の地味なドレスにも、一瞥をくれた。

「エルヴィネータ嬢も、落ち着いた色合いが似合っている。しかし、昼間の弓の腕とのギャップには驚かされるばかりだ」


 私のドレスは、妃候補たちが選ぶ華やかな刺繍やレースとは無縁の、目立たない濃紺のシンプルなものだった。私は小さく頭を下げる。


 そして、夜会の始まりを告げるファーストダンス。


 私が驚いたことに、最初に手を差し伸べてきたのはラファエルだった。


「さあ、エルヴィネータ嬢。私のような美しい人間と踊れることを光栄に思いなさい」


 その言葉は相変わらず傲慢だが、昼間の緊迫した状況を打破してくれた彼には、どこか気安さを覚える。私は差し出された手を取り、ダンスフロアへ向かった。


 ステップを踏みながら、ラファエルは静かに囁いた。


「今日の功績で、貴様が隠し事をしていても、誰も表立って追求はできなくなった。だが、辺境伯家の『守り』の秘密は、次期宰相となる私の管轄だ」


 彼の言葉には、社交辞令を超えた確かな思惑が込められていた。


「貴様は根暗で、政治的野心がない。だが、その弓の力は王家直属の護衛にふさわしい。私と手を組むならば、その秘密を私が上手く庇護してやろう。代わりに、我々の派閥に取り込まれてもらおうか」


「私は……ただ父の命令で」


「分かっている。だからこそ好都合だ。野心なき弓兵を、私の翼下に置く。さあ、良い返事を聞かせてくれ。貴様が望むなら、私はいつでも貴様の『保護者』になってやれる」


 ラファエルは、気心を多少許す相手ではあるが、その言動の端々には、私という「駒」を次期宰相として利用しようとする鋭い野心が垣間見えていた。


 曲が終わり、次に私に手を差し伸べてきたのは、リンハルド王子だった。


「おや、兄上を差し置いて悪いが、次は私と踊ってくれるか、エルヴィネータ嬢」


 彼はどこか楽しそうで、瞳は好奇心に満ちている。


 ラファエルとは打って変わり、リンハルドはダンス中も、私自身というより、私の持つ魔導技術について話そうとした。


「貴女の弓は、あの短時間で高密度の魔力を具現化した。あれは、古代の錬金術が関わっているかもしれない。ぜひ、今度研究室に遊びに来てくれないか?魔導技術に明るい人間と話すのは、この王宮では貴重な機会なんだ」


 しかし、話が進むうちに、彼の興味は少しずつ私自身にも向かっていくのが分かった。


「貴女は、その強力な力を持ちながら、なぜ王族に関わろうとしない?そして、なぜこうも、社交の場を避ける?」


 彼は尋ねた。それは、研究者としての純粋な疑問だった。


「私は、不器用な落ちこぼれなので、王宮の人間とは釣り合いません」


 私が正直に答えると、リンハルドは微かに笑った。


「面白い。不器用な落ちこぼれが、国の第一王子を救う弓を引くか。貴女は、自分が思っている以上に王家の歴史と深く関わっているかもしれない」


 彼の言葉は、ユーリアの「神代の遺物」という言葉と重なり、私の中に漠然とした不安をもたらした。


 しかし、彼の好奇心は邪悪ではなく、純粋な探求心だ。そして、彼は王位を望んでおらず、ただ研究に没頭したいだけだということも、彼の率直な物言いから理解できた。


 ダンスを通じて、私はリンハルドという「魔導技術に夢中な王子」を、少しだけ理解した。


 彼は、王族というよりも、私と同じように、自分の興味の対象にしか関心がない、孤独な研究者なのかもしれない。


 夜会は、水面下で様々な思惑と秘密が交差する、静かな戦いの場へと変貌していた。そして、私は、逃れようとしても逃れられない運命の渦の中に、完全に引き込まれてしまったのだった。

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