夜明けの青星

おさない

第一話 あの子について

episode1

休み時間はいつも頬が痛い。


上げっぱなしの口角。硬直した左右の筋肉が、今にも震え出しそう。


はじめは、多かれ少なかれみんなそうなんだろうって思ってた。友だちの話に大げさに驚いてみせたり、つまらない冗談に笑い転げたり、そういうの無理してやってるんだろうなって。


でもいつからか少しずつ、自分だけがうまく笑えていないんだと気づいていった。私の笑顔は、口だけだ。自分で見たことはないけど、きっとそうだ。目は笑っていない。頬も動いていない。口角だけが、不自然に上がっている。まるで、ピエロみたいな──。


高校に入学して、那智なち瑠夏るかに出会ってから、それは確信に変わった。


那智と瑠夏は、本当に笑っている。


二人が笑うとき、顔全体が笑っている。目が細くなって、頬が上がって、声が弾んでいる。自然に。


だからいつも、自分だけが集団のなかで異物のように感じられる。それを悟られないように、出来合いの笑顔を貼り付けている。


杏子あんこ、今日も休みなのかな」


昼休み。教室の一番後ろにある瑠夏の机を囲んで昼食を取っていたとき、那智がそう呟いた。


「えー、今日は来るんじゃない?出席日数ヤバいって、杏子も言ってたしー(笑)」


真っ先に反応したのは瑠夏。締まりのない話し方が特徴的で、今みたいに、「えー」とか「あー」とかつける癖がある。語尾も伸ばしがち。


ハキハキと端的に話す那智とは対照的だが、中学の頃から仲が良かったというふたりの会話は、いつもテンポがいい。


「何日休んだら留年になるんだっけ?」


「えー、たしか三分の一とか」


「三分の一?って、もうアウトなんじゃ……」


「それはないでしょー(笑)まだ7月だしー」


この会話のなかで私が発した言葉は、あはは、の三文字だった。何を言ったら正解なのかを考えてから口を開くから、いつもワンテンポ遅れ、気づいたら置いていかれている。一緒にいる。手を伸ばせば届く。はずなのに、いつも二人を遠く感じる。


3ヶ月ほど前。入学式の次の日に、那智と瑠夏が、一緒にお昼食べない?と杏子を誘った。杏子から聞いた話じゃない。見たのだ。なぜなら私もその場にいたから。それをきっかけに、私も含めた4人で一緒に過ごすようになった。


そのときからうっすらと気づいていた。二人にとって私は、いてもいなくてもいい存在なんだろうなって。あのとき、二人が声をかけたのは杏子だ。杏子と一緒に弁当を広がる私のことは見てもいなかった。でも杏子が、「未央も一緒ならいいけど」と言ったから、私はここにいる。


弁当箱に転がっている悲しげな卵焼きに箸を伸ばして、口に運ぶ。


味がしない。高校に入ってから、どんどん味覚がおかしくなっている。何を食べても、飲んでも、あまり味を感じないのだ。


「てか、杏子の話で思い出したんだけど、6組のまつりちゃんが杏子と仲良かったの知ってた?」


ドキッとした。思わず、飲み込みかけた卵焼きを吐き出しそうになる。


「え、未央?」


ゴホゴホとむせる私を見て、那智が驚く。いや、ごめん、大丈夫。口元を押さえながら、なんとか声を絞り出す。


「未央、杏子とまつりちゃんと中学一緒だったよね? 3人で仲良かったの?」


自分のポットに入ったお茶を差し出しながら、那智が問う。私を心配する目に嘘はなさそうだが、瞳の奥に、隠しきれない好奇心が垣間見える。


「杏子とまつりちゃんと私は──仲良く、なかったよ」


「え、あ、そうなの?」


「うん……私がまつりちゃんとは全然、話したことない」


「じゃあ杏子は、まつりちゃんと未央、それぞれと仲良かったんだ」


「えっと、杏子とまつりちゃんが仲良かったのは中学の途中までで。杏子とまつりちゃんが疎遠っていうか、あまり一緒にいなくなっていたところで、私と杏子が一緒にいるようになって。で、そのまま一緒の高校に……っていう感じ、かな」


嘘ではない。ただ、我ながら歯切れの悪い回答だなと思った。


ふうん、そうなんだと大雑把に理解した様子の那智とは裏腹に、「へえー、じゃあやっぱ気になるのはさあ」と瑠夏。瑠夏は、フワフワとした話し方とは対照的に、急に目が鋭くなるときがある。


私の曖昧な説明のなかに、核心に迫るような引っ掛かりを覚えたような、そんな顔をしていた。


「杏子とまつりちゃんって、なんで仲悪くなっちゃったんだろー?」


瑠夏と那智が、真っ直ぐ私を見る。


クーラーの効いた教室で、変な汗が、背中ににじむ。


うーん、と考えるそぶりをしながら、内心は心臓が口から飛び出しそうになるくらい、ドキドキしていた。


「そこは、私も、よく、わかんないんだよね」


たどたどしい言葉。


ヘラッと笑って誤魔化すと、「まあ、友だちと喧嘩したこととかあんまり言いたくないよねー」と瑠夏。


追求を免れてホッとする一方で、何か引っかかるような小さな違和感も覚えた。


喧嘩、か。


瑠夏の中では、いま、喧嘩ってことになったらしい。間違ってはいない。あの二人は絶縁状態で、二人の気持ちが喧嘩している状態で──。


でも、そういう言葉でまとめていいのか、わからない。


あの日、起こったこと。今からちょうど2年前の中二の夏。


私が見た杏子は、取り返しのつかない罪と、生きていくことの途方のなさに打ちひしがれ、今まさに、命を断とうとしていた。

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