第5話

 旧鉱山が閉山されてから、ボクの足は新しい採掘場のルートを覚え始めていた。


(結局、エナジーチャージの値段どうしたらいいのかわかんないな。とりあえず鉱石採取しながら考えよう)


 たどり着いたのはミルド岩層。街から少し離れた段丘地帯に、階段状に掘られた採掘ポイントが並んでいる場所だ。遠くからでも、ツルハシの音と人の声が重なっているのがわかる。


「……人、多いな」


 段丘の縁に立った瞬間、思わずため息が出た。


 岩場のあちこちに、プレイヤーがびっしり張り付いている。ひとつの岩を二人、三人で殴っていたり、復活待ちのポイントの前で順番待ちまでしていたりする。


「ロコット、足踏まれるなよ」


「ワン」


 ロコットは返事をしながら、ボクのぴったり横についた。旧鉱山のときみたいに、自由に走り回れる空間じゃない。人の間を縫うように歩きながら、ボクはあの静かな廃鉱山を少しだけ恋しく思う。


(クズ鉱石しか出なかったけど、あそこはあそこで良かったんだよな)


 空いていて、ロコットと並んでゆっくりツルハシを振れた。誰にも邪魔されない、散歩の延長みたいな場所だった。


 今のミルド岩層は、どう見てもスローライフとは程遠い。採掘ポイントの前に立って、タイミングを見計らってツルハシを振るう。ほんの少しでも遅れれば、さっきまで空いていた岩もすぐに誰かに占領される。


「……やりづらいな」


 空いている端のほうの岩を見つけて、ツルハシを構える。ロコットは岩とボクの顔を交互に見て、なんとなく様子をうかがっている。


 カン、と一撃。岩の耐久力ゲージが、ほんの少しだけ減る。もう一撃、もう一撃。やっと砕けたと思ったら、出てきたのは見慣れたクズ鉱石だった。


(やっぱり、効率はそんなによくないか)


 そんなことを考えていると、少し離れた場所からひそひそ声が聞こえてくる。


「そういえばさ、旧鉱山の閉山最終日の話、聞いた?」


「オクトパスブルーが採れたってやつだろ」


 ボクの手が、ほんのわずかに止まる。


「誰も行かないから閉山したはずなのにさ、最終日のログに“採取”の記録があったらしいぞ」


「誰が掘ったかはわからないってやつな。オーナーも閉山して権限なくなったから、ログ追えなかったって」


「だからさ、“オクトパスブルーが採れた事実だけが本当”って噂だけ広まってる」


「いいよなぁ、その正体不明のラッキー野郎」


 ボクはツルハシをもう一度振り下ろした。岩が少しだけ欠け、粉が足元に散る。


(……あれって、本当にそんな貴重だったのか)


 手元のスマホの中には、あの日入手したオクトパスブルーの文字が今も光っている。


(まあ、もう使ってトレード不可だし、気にする必要もないか)


 ボクにとっては、ロコットが導いてくれた道標みたいなものだ。


「よし、もう少し掘るか」


 ツルハシを握り直し、別の岩に移動しようとしたとき、ふと思いついてスマホ型デバイスを開いた。アイテム欄には、昨日までに作ったエナジーチャージがぎっしり詰まっている。


 青いカプセル。説明にはこうある。


『武器に魔力を一撃分だけ付与し、物理攻撃・魔法攻撃の威力を上昇させる消耗アイテムです』


(攻撃の威力を上げる、か)


 ボクはツルハシを握り直し、画面と交互に見比べる。


(昔やってたゲームでも、こういうアイテムはあったよな。剣に使うのが普通で、たまにネタでツルハシに使ってる人がいたっけ)


 ネタ扱い。チャット欄で笑われていたプレイヤーの名前だけ、ぼんやりと記憶に残っている。


(でも、このゲームはどうなんだろう。ツルハシも“武器”扱いだよな)


 ステータス欄に表示されているツルハシのカテゴリには、たしかに「採掘道具/鈍器」と書かれていた。


「ロコット、ちょっと試してみるか」


「ワン?」


 ボクはエナジーチャージのアイコンをタップし、「使用対象:採掘用ツルハシ」を選ぶ。次の瞬間、手元のツルハシの先端がふわりと青く光った。


 金属の表面に薄い魔力の膜が張り付いたみたいに、光がじわじわと広がっていく。ロコットが目を丸くして、その光を追いかけるように頭を動かした。


「さて、どうなるかな」


 試しに、近くの岩に向かってツルハシを振り下ろす。カン、と響いた音はさっきと同じはずなのに、手に伝わる感触は明らかに違う。硬い壁に当たっていたはずの手応えが、妙に柔らかく感じる。


 岩の耐久ゲージが、一撃で半分以上も削れていた。


「おお……」


 もう一度、力を込めて振るう。今度は、岩があっさりと砕け散った。中から、クズ鉱石と一緒に、少し質の良さそうな鉱石が二つ転がり出る。


[ミルドアイアン鉱石を入手しました]


「出たな、やっと」


 ボクは拾い上げた鉱石をスマホで確認しながら、思わず笑ってしまった。ロコットは砕けた岩の欠片をクンクンと嗅ぎ、尻尾を大きく振っている。


「ツルハシにエナジーチャージ、ありだな」


 再びエナジーチャージを使用する。青い光がツルハシの縁をなぞり、採掘ダメージが一時的に上がる。画面の隅に、淡いアイコンが表示された。


 今度は別の岩を殴る。一撃。砕ける。次の岩へ。一撃。砕ける。さっきまでのちまちました作業が嘘みたいに、テンポよく岩が壊れていく。


(これは気持ちいいな)


 ミルド岩層の喧噪が、少しだけ遠くなる。目の前の岩とツルハシの感触、それからロコットの足音だけに意識が集中していく。


「ロコット、どうだ。これでまた、前みたいにサクサク掘れるぞ」


「ワンッ」


 嬉しそうに吠えたロコットは、砕けた岩の欠片を避けながらボクの横を走る。青く光るツルハシの軌跡と、茶色の尻尾の揺れが、妙にしっくりと並んでいた。


 しばらく夢中で掘っていると、隣の岩場から視線を感じた。ちらりと見ると、近くのプレイヤーがボクのツルハシをじっと見つめている。


 その視線の意味を考える前に、ボクはもう一つ岩を砕いた。ミルドアイアン鉱石がコロンと転がり出る。


 隣のプレイヤーが、小声でつぶやいた。


「なぁ……あれって、エナジーチャージだよな」


「だよな。青いエフェクト、完全にそうだろ」


「でもさ……なんで採掘で使ってんの?」


 もう一人が呆れたような声を出す。


「採掘に使うバカはいないだろ。エナジーチャージより鉱石のほうが安いんだから」


「だよな。普通、狩りで使うか、売るかだろ」


「売れば儲かるのに……アイツ、何も知らない初心者なんじゃね」


「初心者って怖いよな。原価計算とかしないで突っ込めるの、ある意味才能だわ」


 笑いを含んだ声が、岩の影で小さく弾ける。


 ボクの耳にも届いてはいたけれど、内容を細かく追うほどの余裕はなかった。目の前の岩が、一撃で砕けるその感触のほうが、今はずっと大事だった。


(たしかに、鉱石のほうが安いのかもしれないけどな)


 ボクはツルハシを軽く振って、青い光の残滓を眺める。


(でも、ボクはMPを気にせず作れるし、倉庫のクズ鉱石は山ほどある。だったら、ここで使って何が悪いんだろう)


 ロコットが足元に寄ってきて、鼻先でボクの手をつついた。褒めてほしい子どもみたいな仕草に笑ってしまう。


「大丈夫だよ、ロコット。ボクたちはボクたちのペースでやればいい」


「ワン」


 ツルハシを構え直し、もう一度、一番近い岩に向けて振り下ろす。カン、と澄んだ音がして、岩が素直に砕け落ちる。


 周囲のプレイヤーが何を思おうと、何を言おうと、関係ない。ボクはロコットと一緒に、気持ちよくツルハシを振れる場所を探して、そのための工夫をしているだけだ。


 画面の隅では、エナジーチャージの残り個数がゆっくり減っていく。でも、倉庫にはまだまだ予備がある。作ろうと思えば、いくらでも作れる。


(売って大儲けするより、こうやって使ってしまうほうが、ボクには合ってる)


 そう思うと、心の中のざわつきがすっと収まっていく。


 ミルド岩層の喧噪の中で、ボクとロコットだけが別のリズムで動いているみたいだった。青く光るツルハシが岩を砕き、鉱石が足元に転がる。そのたびにロコットが小さく吠える。


 いずれ、この選択がどこかで波紋を生むのかもしれない。経済とか、相場とか、そういうものに影響が出るのかもしれない。


 けれど今はただ、目の前の岩と、隣にいるロコットと、青い火花の具合がちょうどいい。それだけで十分だった。


 ボクはまたひとつ岩を砕き、ロコットの頭を軽く撫でた。

 青いバカと呼ばれても構わないと思えるくらいには、この世界でのスローライフが、少しずつ形になってきている気がした。

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