第9話:いつの間にか、澪は何かに気づいたようだ

新学期が始まってから、すでに一か月以上が過ぎた。桃見高校の生徒たちも、新しい生活に少しずつ慣れてきている。知らぬ間に、それぞれの「日常」が形を取りはじめ、少しずつ違いはありながらも、どこかそっくりな「青春」となっていた。


授業中は、穂乃香とたわいもない話を交わし、活動時間になると部室でだらだらと過ごす。代わり映えのない毎日かもしれない。だが、麻央にとっては、これまで手に入れることのなかった、かけがえのない幸福な日々だった。


「澪さんって普通に姿を出せるのに、どうしていつも半透明なんですか?」

淹れたばかりの緑茶を飲みながら、麻央は澪と雑談をはじめた。


「これは省電モードだよ。」


「だから澪さんはいつもエネルギーがないんだね」


そんなくだらない会話を、悠真が解散を宣言するまで続ける――それが、麻央の文芸部での活動だった。


このままずっと続いていくと思っていた。

――あの日までは。


「そろそろ時間ですね。今日はここまでにしましょう。木下さん、ちょっと預かってほしいものがあります。」

悠真は本を閉じ、鞄から二つだけついた鍵のキーホルダーを取り出し、一つを麻央に手渡した。

「すみません、明日から一週間ほど不在にします。その間、文芸部のことは木下さんにお願いしたいです。」


「え? 相田くん、休むの? どういうこと?」

麻央は驚いて尋ね、隣の澪も疑問いっぱいの表情を浮かべた。


「図書館で新しい本の導入と古本寄付イベントがあるんです。生徒会から、文芸部代表として名目上の顧問を務めて意見を出してほしいと言われたので、手伝いに行くんです。」


「わあ、悠真くんすごいね、指名されたんだ。」


「そういうわけじゃなくて、たまたま文芸部を作ったから、名前が記録されただけです。」


「わかった。どうせここには誰も来ないし、私に任せても心配いらないよ。相田くんは安心して用事を済ませてきて。」


「そんなこと言わないで、木下さんが今立てた旗が、俺の心配の種になっちゃうよ。」


「私ってそんなに頼りない?」

麻央は目を細めて抗議したが、すぐに気を取り直し、鍵を受け取り、鞄を手に悠真と一緒に澪に別れを告げ、部室を後にした。


麻央が持つ鍵がちゃんと使えることを確認すると、悠真は再び鍵をなくさないように注意した。


麻央がしっかりと約束したのを聞き、二人は互いに別れの挨拶を交わし、今日の部活時間を終えた。


そして、安定していたはずの日常も、さっきの施錠の音をきっかけに、少しずつ変化を始めた。



「行け! 幽霊の澪!」


「ズバズバズバズバズバ……あ……あ……もうダメ、疲れた……」


悠真が部活を休んだ初日、スマホばかり触って飽き飽きしていた麻央は、奇妙なアイデアを思いついた。澪に自分の後ろにいてもらい、指示に従って空気に向かって必死にパンチを繰り出させるのだ。どうやら麻央のお気に入りの漫画キャラの真似らしいが、澪の体力は限られており、三秒も動かないうちに息切れしてしまった。


幽霊が体力を使い果たすと大きく息をするのはさておき、すぐに飽きてしまった麻央はつまらなさそうに机に伏せ、ようやくこの文芸部で自分だけが一日中サボっていることに気づいた。


「澪さん、最近何の本を読んでるの?」


「麻央さん、《銀河鉄道の夜》はもう読んだの?」


宙に浮かんだままの澪は、まだ完全に休めておらず、垂れた髪が顔の大部分を覆いそうになっていた。


「読んだよ。だから、もし澪さんが私向けにおすすめの本を知ってたら、教えてほしいな。サボる頻度は週に四回で十分だから、これ以上ダラけてられないの。」


「一週間は七日しかないんだけどね……」

澪は幽霊よりも不活発に見える麻央を上から眺めながら、最も穏やかな口調でツッコミを入れた。


元々は海外文学が中心だった澪だけど、最近はライトノベルにどっぷりハマっている。それは生前に一度も触れたことのない新しいジャンルで、よくある異世界転生でも、学園ラブコメでも、SFバトルでも、何でも夢中になって読んでいる。ほんの数日で、すっかりオタク幽霊だ。


「なんだか……悠真くんって普段は静かに本を読んでるだけなのに、いないと逆にすごく静かだね。」

澪は勇者パーティーを追い出された魔王軍のスパイが主人公の作品について楽しそうに話していたが、麻央の視線に気づくと、向かいの空いた椅子へ視線を移し、困ったように笑った。


「そういえば、私たちが部室にいない時、澪さんは何してるんですか?」

麻央が淡々と聞く。


「授業中は透明になって学校中をふらふらしてるよ。ただ、敏感な猫にしょっちゅう『シャーッ!』って威嚇されてね……ちょっと死にたくなるくらい落ち込むんだ……もう死んでるけど。」


「え? じゃあ最近、廊下の気温が急に下がるって聞くのは、全部澪さんのせいなの?」


「こんな暑い日でもみんなをちょっと涼しくできるのも、私が生きてた意味だよね……まあ、もう死んでるけど。」


「じゃあ夜は? 澪さん、夜はどうしてるんですか?」


麻央は考えずに追問し、澪は一瞬止まったが、すぐに話を続けた。


「夜か……近くのコンビニでバイトしてるよ。」


「……え?」


「バイトしてるの。図書館に読みたい本がなかったら、自分で買わなきゃいけないからね。」


「……どうして幽霊を雇うコンビニがあるんだ……?」


「店長に、食べたり飲んだり寝たりしなくていいって言ったら採用されたの。店長は優しい人で、1日9時間も働けば十分だって言うの。他の時間は無給の義務活動だけど、ちゃんと笑顔で『終わらせてから帰っていいよ』って励ましてくれる。」


「1日9時間も働かせるなんて完全に違法だよ……ブラック企業かよ。」


「でも、私みたいなダメ幽霊……店長くらいしか受け入れてくれないのよ……やりたくなかったら腎臓売るしかないけど、もう臓器は全部なくなってるし……。」

澪はどんどん悲しそうになり、涙まで出そうで、本当に可哀想だった。


「辞めろ! さっさと辞めなよ!」

思わず麻央はこめかみに手を当て、黒い企業から澪を遠ざけるよう必死で諭す。


本来なら文学を楽しむ部活なのに、悠真がいないとまるで大人の酒会になってしまったみたいだ。麻央は澪の背中をぽんぽんと叩きながら愚痴を聞き、時々前の空椅子をぼーっと見つめては、すぐに我に返り、澪と一緒に店長をハゲだと文句を言った。


「ありがとう、麻央さん。今日のバイトが終わったら、勇気を出して辞めます。」


「終わるまで待たなきゃいけないの……?」


部活時間の終わりに、麻央は澪に別れを告げ、ギシギシと音を立てるドアを少し力を入れて閉め、鍵をかけたのを確認して部室を出た。


誰もいない旧校舎の廊下を歩きながら、麻央はふと部室を振り返った。

その視線はほんの二秒、そこで一瞬止まり、特に考えずに家へ向かって歩き出した。

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