第22話 四日目の昼 前半

 四日目の円卓は、空席が三つあるだけで、やけに広く見えた。


 グレン。

 ダリオ。

 レオン。


 昨日まで「椅子」だった場所が、今日はもう「穴」になっている。


 残り七人。


 七人の主と、七人の奴隷。


 そして、処刑人は爪を一本失ったまま、まだ元気そうに見えた。


 円卓の縁に刻まれた魔法陣が、淡く脈打つ。まるで「次を決めろ」と急かしてくるみたいに。


 みんな、黙っていた。


 喋れば、殺す理由になる。


 喋らなければ、殺される理由になる。


 この塔は、そういう場所だ。


「……時間の無駄だ」


 最初に沈黙を破ったのは、ブラッド・ガードランだった。


 椅子にふんぞり返って、腕を組む。昨日より目つきが硬い。レオンの死体を見たあとで、それでも強がれるのは、こいつの才能だ。


「今日吊るす奴を決めろ。裏切り者が残ってるなら、さっさと潰す。残ってねえなら、最終日に向けて無駄な犠牲を増やさねえ」


 強い言葉で、場を動かす。


 このゲームで一番怖いのは、「強い言葉」だ。


 人は、判断を預けたがる。

 責任を誰かに押しつけたがる。


 そして、その「誰か」が、いつも正しいとは限らない。


 僕は、わざと少し遅れて口を開いた。


「ブラッドくん、今日も元気ですね」

「あ?」


 ブラッドの眉がぴくりと動く。


「元気っていうか……相変わらず、場を仕切るのが好きなんだなって」

「仕切らねえと決まらねえだろ」


 正論だ。正論だからこそ、厄介だ。


 僕は、円卓の縁に指先を置いて、軽くなぞる。


「じゃあ、今日は僕も仕切っていいですか?」

「は?」


 ブラッドが一瞬だけ面食らった顔をした。


 周りも同じだ。


 今まで僕は、刺されるのを避けるみたいに、必要以上に踏み込んでこなかった。


 変なことを言えば吊られる。

 変な空気を作れば吊られる。


 だから僕は、いつも“賭け”の話に逃げていた。


 でも、四日目だ。もう、逃げてられない。


「……そろそろ、分かってきました」


 僕がそう言った瞬間、円卓の空気が変わった。


 誰かが息を止める。


 誰かの奴隷が、無意識に一歩下がる。


 リュシアさんの気配が、背後で静かに固くなる。


「何がだよ」


 ブラッドが低い声で聞く。


 僕は、笑ってみせた。


「裏切り者の輪郭です」

「……は?」


 ブラッドの口元が歪む。


「今さらかよ。運ゲー。お前、ここまで犯人探しなんてしてねえ顔してたじゃねえか」

「してましたよ。ずっと」


 僕は肩をすくめる。


「ただ、声に出してなかっただけです。だって、声に出すと」


 死ぬから。


 そこまでは言わない。


 言わなくても、この場にいる全員が理解している。


「裏切り者が一人死んだっぽい、って話はしました。ダリオの時に爪が落ちた。でも、レオンで弱体化が起きなかった。つまり、裏切り者は少なくとも一人は死んだ。でも、全員じゃない可能性がある」


 淡々と整理する。


 みんなの目が、僕の口元に集まる。


 僕が次に、誰の名前を出すか。


 その一言で、今夜の鍵が決まるかもしれない。


「ここで、裏切り者が残っているとしたら」


 僕は円卓を見渡してから、わざと視線を止めた。


 ブラッドの顔で。


「一番怪しいのは、ブラッドくんだと思います」

「……は?」


 ブラッドの目が見開かれる。


 次の瞬間、笑った。短く、乾いた笑いだ。


「お前、何言ってんだ?」

「言葉の通りですよ」


 僕はにこりとする。


「ブラッドくん、あなた、第一夜からずっと方向を作る側にいる」

「当たり前だろ。黙って死ぬほどバカじゃねえ」

「そう。だから怪しいんです」


 僕は、指を一本立てた。


「裏切り者が勝つために必要なのは何ですか?」

「……知らねえよ」

「票の誘導です」


 言い切る。


「裏切り者は、ルール上、自分で殺せない。だから投票で“鍵のかからない部屋”を作るしかない。つまりこのゲームは、剣でも魔法でもなく——言葉が武器になる」


 ブラッドの笑みが、消えた。


 こめかみの血管が、わずかに浮く。


「で?」


 絞り出すみたいな声。


 僕は、続ける。


「ブラッドくんは、誰よりも言葉が強い。誰よりも場を動かせる。昨日も今日も、結局あなたが吊るす話を前に進めてる」


 円卓の誰かが、視線を泳がせた。


 みんな、気付いていた。でも、言わなかった。

 強い前衛を敵に回すのが怖かったから。


 僕は怖くない。


 だって僕は、Zクラスだから。


 何を失っても、元がない。


「でも、僕から見ると」


 僕は、わざと柔らかく言う。


「あなたは怖がってるように見えないんですよ」

「……あ?」

「グレンが死んだ。ダリオも死んだ。レオンも死んだ。普通なら、もっと慎重になる。もっと静かになる。もっと、自分の言葉を選ぶ」


 ブラッドは、鼻で笑おうとした。


 でも、笑えない。


 みんなが、ブラッドを見ているから。


「なのに、あなたはずっと同じ調子で、同じ姿勢で、同じ強さで喋ってる」


 僕は、肩をすくめる。


「それって、情報を持ってる人の余裕に見える」

「余裕なんかねえよ」


 ブラッドが、円卓に拳を落としかけて——寸前で止めた。


 止めたことが、余計に「冷静さ」を見せてしまう。


「じゃあ、聞きます」


 僕は、視線を外さない。


「ブラッドくん。あなたは裏切り者が何人いるかを、今どう考えてます?」

「……一人か、複数かなんて、分かるわけねえだろ」

「そうですね。分からない」


 僕は頷く。


「でも、あなたは『決めろ』『さっさと吊れ』って言う。裏切り者が複数いる可能性があるなら、今日吊った相手が裏切り者でも、その瞬間に終わらないかもしれない。なのに、あなたは急かす」


 息を一つ吐く。


「急かす人は、得をする人です」

「……は?」

「票が割れる前に、空気を固めたい人。議論を深められると困る人」


 ブラッドの喉が、鳴った。


 怒りか。

 焦りか。


 どっちでもいい。


 この場で大事なのは、ブラッドの感情じゃない。


 周りの目だ。


「ブラッド・ガードラン」


 僕は、名前をはっきり呼ぶ。


「あなたが裏切り者じゃないなら、今日ここで、僕の疑いを論破すればいい。堂々と。あなたの言葉で」


 円卓の空気が、張り詰める。


 ブラッドは、ゆっくりと立ち上がった。


 筋肉の影が、魔石灯に伸びる。


「運ゲー」


 低い声。


「てめえ、俺を吊りたいだけだろ」

「違いますよ」


 僕は、あっさり首を振った。


「僕は、今日、真面目に裏切り者を探してるだけです。四日目なので」

「真面目に、ねえ」

「ええ。真面目に」


 僕は、わざと淡々と言う。


「だって、このままいくと、あと一人死にます。五日目までに誰かの部屋が開くのは、ルール上避けられない」


 円卓の縁を叩く。


「それなら、死ぬのが誰でもいいなんて状況は終わりにしたい」

「……」


 ブラッドの目が、細くなる。


 その沈黙の間に。


 僕は、最後の一手を置いた。


「ブラッドくん。あなたが裏切り者じゃないなら、今夜の投票で、僕に入れてもいいですよ」


 ざわ、と空気が揺れた。


「え?」

「何言ってんの、フォル」


 誰かの声が飛ぶ。


 リュシアさんの気配が、背後でわずかに動いた。


 僕は、笑う。


「僕が死ねば、リュシアさんも消えます。戦力的には最悪。だから、あなたが本当に勝ちたい側なら、僕を吊るさないはずです」


 ブラッドの表情が、一瞬だけ固まった。


「でも、あなたが負けさせたい側なら」


 僕は、首を傾げる。


「僕に票を集めるのが一番手っ取り早い。リュシアを消せるから。最終日の勝率が一気に下がるから」


 この場で一番の戦力を落とす。


 それは、裏切り者にとって最高の手。


「どうします?」


 僕は、ブラッドを見つめた。


「僕に票を入れて、リュシアさんを消しますか? それとも、僕を残して、僕の疑いをただの言いがかりにしますか?」


 円卓の誰もが、息を止めた。


 ブラッドは、歯を食いしばる。


 拳が震える。


 でも、殴れない。


 ここで殴れば、疑いが確信に変わる。


 だから。


「……チッ」


 ブラッドは、舌打ちした。


「言葉遊びがうぜえんだよ、運ゲー」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「俺が今夜お前に票を入れたら、俺は負けたい側ってことになる。入れなきゃ、俺は勝ちたい側ってことになる」


 ブラッドが、ぎり、と歯を鳴らす。


「……詰め方が汚ねえな」

「ゲームですから」


 僕は、笑った。


 この瞬間、ブラッドは理解したはずだ。


 僕は、犯人探しをしていなかったんじゃない。


 勝負どころを待っていただけだって。


「さあ」


 僕は、円卓の中央の魔法陣を見た。


「四日目の話し合い、続けましょうか。今夜、鍵のかからない部屋にするべき適任は、誰です?」


 ブラッドが、何か言い返そうとして、その前に、別の誰かが、喉を鳴らした。


 今まで黙っていた連中の目が、揺れていた。


 僕の狙いは、ブラッドを吊ることじゃない。


 ブラッドが動けない盤面を作ること。


 ここから先、誰が喋って、誰が黙るのか。


 その差が、次の死者を決める。

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