第15話 一日目の話し合い

 それに、裏切り者への通知は、もう済んでいる。


 もし、あの瞬間、僕の頭の中に声が響いていたら。


 その時、僕は、どんな顔でリュシアさんの「来た?」って質問に答えていたんだろうな。


 自分でも、ちょっと興味があった。



 夜の鐘は、石の塔のどこかから、低く響いた。


 ゴォーン……ゴォーン……。


 音が鳴り終わる頃には、僕とリュシアさんは、もう部屋を出ていた。


 十の部屋から、それぞれ主と奴隷が現れる。

 円卓のホールは、さっきよりも暗くて、魔石灯の光がやけに冷たく見えた。


 十人の主が円卓の椅子に座り、背後にそれぞれの奴隷が立つ。


 僕は、相変わらず場違い感たっぷりのZクラス席。

 隣にいるのは、氷の女王を奴隷にした、最底辺のご主人様。


 どう考えても絵面がおかしい。


『では、第一夜の投票を始めよう』


 天井の魔法陣がふっと光って、学園長の声が降りてきた。


『まずは、話し合いたまえ。誰を、この夜の“鍵のかからない部屋”にするのかをね』


 ぞわっと、空気が重くなる。


 何秒かの沈黙のあとで。


「よお」


 面倒ごとが大好きな顔をした男が、椅子から身を乗り出した。


 ブラッド・ガードラン。筋肉と自信と短気で構成された、典型的な“Bクラス上位の問題児”。


「とりあえず、簡単なとこから行こうぜ」


 にやっと笑って、迷いなく言った。


「この中で、一番いらねえやつから落とそうぜ」


 視線が、真っ直ぐにこっちに向いた。


「お前だよ、運ゲー野郎」


 ブラッドが、顎で僕をしゃくる。


「フォル・エルノート。Zクラス。実技も筆記も底辺。魔力総量もゴミ。たまたま第一階層で主席様が魔力切らしてくれただけの運勝ち野郎。違うか戦闘では役に立たない。裏切り者ならラッキーぐらいのやつだ」

「全部合ってますねぇ」


 否定するところがなかった。


「で? そんな雑魚を、この十人チームの中に置いとく意味あるか?」


 ブラッドが、円卓をぐるりと見回す。


「処刑人がどんな魔物かは知らねえが、最終日に戦うのは、実力あるやつで固めた方がいいに決まってんだろ。だったら、ゴミみてえな戦力は、早めに落としておいた方がいい」


 ストレートすぎて、逆に気持ちいいくらいのロジックだった。


 ブラッドは、ニヤリと笑って、指を一本立てた。


「裏切り者は主の中に一人なんだろ? なら、こいつが裏切り者でもおかしくねえよな。立場的にも、一番処分しやすい」


 数人が、わずかに表情を動かした。


 確かに。最初の一夜で吊るすなら、誰も惜しまないやつが一番いい。


 感情としても、合理性としても。


「いいか? 俺が提案する」


 ブラッドは、堂々と言い放つ。


「今夜の投票は、全員フォル・エルノートに入れよう。あいつが裏切り者ならラッキーだし、違ったとしても、戦力的には損失が少ねえ。一番コスパがいいだろ?」


 シンプルで、わかりやすい正しさだった。


 円卓の何人かが、顔を見合わせる。

 誰かが口を開く前に、僕は手を上げた。


「賛成の前に、一つだけ質問いいですか?」


 僕の声は、自分で思っていたよりも落ち着いていた。


 リュシアさんの気配が、背後でぴくりと動く。


「なんだ、運ゲー野郎」

「ブラッドくんは、裏切り者が本気で勝ちに来るタイプだと仮定してます?」

「ああ? どういう意味だよ」

「その辺、ちょっと確認しておかないと、賭け方をミスりますから」


 円卓の視線が、じわりと僕に集まる。


 僕は、肩の力を抜いて、なるべく気楽に聞こえるように話した。


「仮に、僕が裏切り者だったとして」


 何人かの肩が、小さく跳ねた。


「この中で、一番脅威がない位置にいる自覚はあります。戦力も成績も最低。人望もゼロ」

「自覚あるだけマシだな」


 ブラッドが鼻で笑う。


「でも、だからこそ、です」


 僕は、円卓を一周見渡した。


「僕みたいな雑魚が裏切り者だったとしても、正直、あまり脅威じゃない」


 静寂が落ちた。


「だって、最終日に処刑人と戦うとき、僕がどっち側にいようと、大きく戦局は変わらないでしょ。むしろ、今僕を残しておいた方が、いつでも切れるカードが残るわけです」


 ブラッドの眉が、ぴくりと動いた。


「…………は?」

「極端な話、ですよ?」


 僕は、片手をひらひらさせる。


「この十人の中で、一番信用ならない、不人気で、処分しやすいポジション。それを裏切り者にあてがっておくのって、裏切り者側からしたら、あまり美味しくないと思うんですよね」

「何が言いたい」

「つまり」


 息を一つ吐いて、僕は言った。


「僕を初日に吊るすのは、『裏切り者が一番弱いところで確定する』っていう、一番楽な未来をプレゼントする行為なんですよ」


 数人の目が、わずかに見開かれる。


「もし、本当に賢くて、本気で処刑人に勝たせたい裏切り者がいるなら、自分はもっとマシな位置を取りに来るはずだ。たとえば、情報を握りやすいやつとか。発言力があるやつとか。……最初に誰かを指させるやつとか」


 僕は、静かにブラッドを見た。


「そう思いません?」


 ブラッドの口元から、笑みがすっと消えた。


「てめぇ、遠回しに俺が裏切り者だって言いてえのか?」

「いやいや、まさか」


 僕は首を振る。


「ただ、初日に全員で一人に乗っかろうって提案する人が、裏切り者だったら、めちゃくちゃやりやすいだろうなとは思います」


 十票の方向を、一瞬で決められる位置。

 誰の顔色も伺わずに、空気を作れる位置。


 それは、たぶん僕じゃない。


「言っておきますけど、僕は別に、生き残るためなら喜んで自分に票集めてもらっても構いません。Zクラスですし。皆さんからしたら、僕は捨て札です」


 それは、本心の一部だった。


「でも、裏切り者がこの中で一番弱い駒ですって、確定させてから処刑人に挑むのって、賭けとしては、あまり配当よくないと思いません?」


 円卓の何人かが、表情を曇らせる。誰かが、小さく唸った。


「……つまり、お前はどうしろって言うんだ?」


 今度は、反対側に座っていた長髪の女子が口を開いた。

 Aクラスの魔法弓使い、シアラ・ルーメン。冷静そうな目をしている。


「誰も吊るすなって? それはできないルールでしょ」

「そうですね。誰か一人は鍵のかからない部屋に行かなきゃいけない。そこはもう、どうしようもない」


 僕は頷く。


「だから、初日は、裏切り者候補から外したくない人を避けて選ぶのが、一番まだマシだと思ってます」

「まだマシ、ね」


 シアラが、腕を組んで僕を見た。


「あなたは、自分をそこにカウントしたいの? 裏切り者候補として残しておくべき、便利な駒として」

「ひどい言い方ですね。でも、まぁ、はい。そんな感じです」


 そこまで言うと、背中から、ひんやりした視線が刺さる気がした。


「……自分を便利な裏切り者候補に数える主なんて、初めて見たわ」


 リュシアさんの声が、少しだけ低くなる。


 ブラッドが、鼻で笑った。


「ごちゃごちゃ理屈並べて、自分に票集めたくねえだけじゃねえか」

「もちろん、その気持ちはありますよ?」


 僕はあっさり認めた。


「でも、ブラッドくんの提案どおり全員僕に入れるっていうのが、裏切り者にとって一番ぬるい展開だってことだけは、本気で思ってます」


 ブラッドの目が細くなる。


 円卓の空気が、じりじりと熱を帯びてきた。


「……一つだけ、フォル・エルノートの意見に賛成してもいいわ」


 不意に、背後から冷たい声がした。リュシアだ。


「え?」


 僕が振り返ると、彼女はまっすぐ前を向いたまま、静かに続けた。


「裏切り者が、自分の席に雑魚を選ぶなんて、あまりにもセンスがないわ。私が裏切り者なら、絶対にもっといい駒を選ぶ」

「おい氷女、それは」

「それに、あまりにも露骨に一人を狙い撃ちしようとする人間は、情報操作をしたい意図が透けて見える」


 リュシアは、ほんの少しだけ、ブラッドに視線を向けた。


「少なくとも私は、初日にあなたの提案どおりに票を入れるつもりはないわ、ブラッド・ガードラン」

「……はっ」


 ブラッドが、笑ったのか、吐き捨てたのかわからない声を漏らす。


「主席様に嫌われちまったな、俺」

「元から好いてないわ」


 返しが鋭すぎる。


 そのやり取りに、円卓の誰かがくすっと笑った。

 重かった空気が、ほんの少しだけ揺れる。


「じゃあ、どうする?」


 シアラが、話を戻した。


「初日から、明らかに有力な誰かを落とすのは愚策。かといって、誰も落とせないルールでもない。結局、そこそこ怪しくて、そこそこ惜しくないところに行くのが妥協点?」

「そんなところでしょうね」


 僕は頷いた。


「裏切り者候補としては、むしろ、中途半端に器用で、発言力もそこそこある人を残しておきたい。だから、僕みたいな雑魚と、ブラッドくんみたいなわかりやすい前衛は、まだ動かさない方がいいと思います」

「おい」

「戦力としては必要ですから。処刑人がどれだけ強いかもわからないのに、初日で前衛削るの、怖くないです?」


 ブラッドが、舌打ちを飲み込んだ。


 円卓のあちこちで、小さくうなずく影が見える。


 Aクラスの剣士。

 Cクラスの防御魔法特化の男子。

 回復魔導士の少女。


 それぞれが、自分の役割を意識しているのが伝わってきた。


「……候補を、一人に絞るのはやめましょう」


 シアラが、結論の形に落とし込んだ。


「今夜は、それぞれが自分の基準で一人選ぶ。票が割れれば、それはそれで情報になる。誰が誰に入れたのか、明日以降の材料になる」

「それで、処刑されるのは?」

「……最多票を取った人ね」


 シアラは、少しだけ目を伏せた。


「誰になっても、責任は全員で分ける。少なくとも、誰か一人の提案に全員で乗っかるよりはマシよ」


 合理的な折衷案だった。


 ブラッドは不満そうに舌を打ったが、それ以上は何も言わない。

 

 学園長の声が、満足げに響いた。


『ふむ。なかなか良い妥協点じゃないか。では、投票を始めよう』


 円卓の表面に、淡い光の文字が浮かび上がる。

 それぞれの名前。その横に、小さな空欄。


『主たち十人。自分以外の誰か一人の名を、心で思い浮かべたまえ。円卓がそれを読み取る』


 妙にアナログなようでいて、魔法的には理不尽な仕様だった。


「……誰に入れるの?」


 背後から、リュシアが小さく問いかけてくる。


 僕は、少しだけ考えてから、答えた。


「今のところ、一番、中途半端に危ない人に」


「……そう」


 何も聞かないまま、彼女の気配が一歩引いた。


 円卓に手を置く。

 名前を一つ、頭の中で思い浮かべる。


 円卓の文字が、淡く光った。


『投票、完了』


 学園長の声が静かに告げる。


『では、結果を発表しよう』


 全員の視線が、円卓の中央に集まる。


 光が収束し一つの名前が浮かび上がった。


 フォル・エルノート、でも。


 ブラッド・ガードラン、でもない。


 別の、慎重そうな顔の男子の名前だった。


 Cクラス。防御魔法特化。今までほとんど口を開かなかった、無難そうな盾役。


「……マジかよ」


 本人が、一番驚いていた。


『最多票、四。Cクラス、グレン・ハーツ。今夜、鍵のかからない部屋となるのは、君の部屋だ』


 胸のあたりが、わずかに冷たくなった。


 僕の名前も、ブラッドの名前も、円卓には浮かんでいない。


 でも、それで安心できるほど、甘くはない。


『他の諸君は、自分の部屋に戻りたまえ。今夜、処刑人が、どの扉を通ることになるのか』


 学園長の声が、愉快そうに笑った。


『それは、彼だけが知る』


 グレンの顔色が、ゆっくりと青ざめていく。


 円卓の周囲で、誰も何も言わなかった。


 誰もが、心のどこかで安堵しながら。

 誰もが、心のどこかで自分を疑いながら。


 今夜一人だけ、鍵のかからない部屋で眠ることになった男を、見ないふりをしていた。

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