第14話 過去と重なる影、その中心に咲坂雪菜がいた
昼食を終えた俺と上條社長は店を出た。
この社長と食事なんて、緊張で何も喉を通らない――はずだったのに。
気づけば、俺の一ヶ月分の食費に相当するフルコースを完食していた。
「君は、食えないという割に、気持ちの良いくらいに完食したな?」
「自分でも意外でした。貧乏学生の胃袋は、社長のプレッシャーより高級食材を優先したようです。経験したことのない美味さでした。ごちそうさまです」
「良い店だろう? 今度、YUKINAを誘って来たらどうだ?」
「なっ!!」
いきなりぶっこむなよこの社長!
「そ、そんな簡単に言わんでくださいよ」
「別に食事に誘うぐらいの関係にはなっているだろうに」
まあ、大学では普通にお茶する関係にはなっているが、こんな高級店に咲坂と二人でとなるとなかなか俺のイメージが追いつけない。
「貧乏学生には無理な話ってことです。こんな高級店に二人で来たら、数ヶ月断食コースですよ」
誤魔化し半分でそう応えたが、これは誇張でもなんでもない、リアルな話だ。
しかし社長は、とんでもないことを口にした。
「そこはYUKINAに払ってもらえばいいじゃないか。彼女にはそれなりに支払っている。全然問題ない」
「はあ?! さすがにそれは俺がかわいそうすぎるでしょ?」
俺は苦々しく顔を歪めてしまった。
初デートなのに、ゴールドカードで颯爽と支払いを済ます咲坂の姿。
ありえそうで萎える。
格差恋愛、エグすぎる。
そんな相手に、いきなり告白宣言した俺――大丈夫なのか、本当に。
このまま情けない自分から離脱するように俺は話題を変える。
「咲坂の給料、確かに高そうですけど、社長がそこまで気をかけるほどに重要なポジションなんですか?」
これはずっと疑問だったことだ。
「なんだ? まだ彼女を辞めさせようと考えているのか?」
「違いますよ。ただ──咲坂より人気があって稼ぎ頭のマルチタレントもいるだろうと思って」
たしかに咲坂は、Kスタジオの中でも“人気モデル”の一人だ。
けれど、メディア露出が多いわけでも、バラエティやドラマに出ているわけでもない。
この業界で言う“稼ぎ頭”とは違う気がする。だから社長がここまで関わろうとすることが、どうも引っかかる。
「それはね、私が社員想いのいい社長ってことだよ」
上條は、まるで冗談みたいに肩をすくめた。
曖昧すぎる笑顔。それがかえって裏がありそうな答えに思えた。
だからもう少し話を進めてみた。
「教科書通りのご回答ですね」
俺はわざと不満げにそう応えた。
「なんだ? そのつまらなそうな顔は」
上條社長はそう言ったものの、俺の問いをそれほど不快には思っていない風に見えた。
「咲坂を特別視する理由が、他にありそうかと思ったんで」
上條の瞳が、一瞬だけ揺れた。
「君もYUKINAのことになるとしつこいな」
「そりゃそうでしょ」
俺はあえて笑って見せた。
「まったく君はめんどくさい男だな。でもまあいい。君だから教えてやろう」
上條社長は、諦めたようにふっと一息ついてから、椅子の背にもたれながら、ゆっくりと話し始めた。
「君はIZUMIというモデルの名前を聞いたことがあるか?」
唐突に、上條社長は聞き覚えのない名前を出してきた。
俺は軽く首を傾げる。全く心当たりがない。
「いえ、聞いたことないですね」
思った通りの事実を返した。
「そうか。モデル業界でのIZUMIの知名度は絶大だが、一般人にしたらそんなもんなのかもな」
「ええ、全く聞いたことないです。少なくとも咲坂のことは俺でも知ってましたが」
俺は暗に「咲坂ほどではないのかな?」という意図を含ませた。
「一世代前のモデルだからな」
なるほど。世代が違うのか。俺が高校生、いや中学の頃? なら俺が知らないのも当然だ。
「私が知る限り、未だにIZUMIを超える人材には出会っていない。それほどのモデルだ」
この社長がそこまで言うか? これはさすがに咲坂レベルの話ではなさそうだ。
「私はこう見えて、簡単には人を褒めたりしないのだが、彼女だけは別格だ」
な、なんか凄いな……
そんなに凄いなら、こんな俺でも見てみたい衝動に駆られた。
咲坂には悪いが、これは男の本能として仕方ない。
「で、そのIZUMIさんがどうかしたんですか?」
「YUKINAを見てると、IZUMIを思い出すんだよ」
そう言った上條社長は今までにないほどに真剣な面持ちだった。
でも、咲坂に似ているのか。かなり気になるんだけど?
「それはメチャ興味深いですね」
「YUKINAと似ているからか? まったくお前ときたら」
「まあ……否定はしません」
俺はおどけた調子で返した。
「でも、咲坂とはさすがに比較にならないんじゃないですか? そのIZUMIさんのレベルの高さとは格が違うって気がしますけど……」
俺の言葉に、上條社長は少し驚いたように目を見開いた。
「櫻井、お前は分かってないな?」
上條社長はそう言って意味深な笑いを見せた。
「え、どういうことですか?」
俺には全く理解できなかった。
「まあ、それは自分で気づかなければならないな。私からの宿題としておこう」
上條社長は楽しそうだ。俺は全く楽しくないんだが?
「そこまで言っておいて、それは気になるじゃないですか!」
「ハハハ、君もまだ甘いな」
上條は一通り笑った後に、まじめな顔に戻りながら口を開いた。
「そのIZUMIだが──実はうちのスタジオにいたんだよ」
まあ、それは最初からそうだろうと思っていたが、その言い回しに少し引っかかった。
「“いた”って過去形ですか? 今はいないんですか?」
軽い気持ちでそう尋ねたのだが、上條社長の表情がふっと曇った。
その顔を見た瞬間、背筋が冷たくなる。
――しまった。踏んではいけない地雷踏んだ。そう直感した。
俺は反射的に話を引っ込めようとした。
「あ、いや社長、今のはただの興味本位なんで! 無理に話さなくていいです!」
そう言うと、上條社長はなぜか穏やかな笑みを浮かべ、俺を見つめた。
「櫻井、君は確かに人の顔色を読むのがうまいな」
そう言った上條社長の顔は、なぜか今まで見せたこともない優しい女性の顔になっていた。
え……?
なんだ? 何が起こった?
俺はあまりの社長の豹変ぶりに激しく混乱してしまった。
あの冷徹な上條社長が、なぜこんな顔になった?
はじめて上條社長を女性として見てしまう自分に気づいて激しく動揺してしまった。
「櫻井?」
「は、はい!?」
「……お前、今ちょっと私に惚れかけただろ?」
ぎくっ! この人はやっぱり要注意だ。簡単に人の感情を読んでくる。
「な、なわけないでしょ!」
そう否定したものの、社長が信じるわけがない。
「YUKINAに報告しておくかな、“櫻井が私に惚れかけた”って」
「や、やめてくださいよ! 冗談にならないですって!」
「ハハハ……若いっていいわね」
――完全に転がされてる俺。
でも、多分、一瞬でも辛い顔をしてしまったことに対する、上條なりのフォローなのだろう。
俺がそれを重くとってしまったから。
そう思うと、胸の奥が少し痛んだ。
動揺冷めやらぬ俺を見て、フフフと微笑みながらも、なおも上條社長は話を続けた。
「実はな、そのIZUMIを私が潰してしまったんだ」
突然のカミングアウトに、思考が一瞬で止まる。
そのセリフの重さとは裏腹に、さっきほどには社長は暗い表情になっていない。
心してコントロールしているのだろうと感じた。
「な、なんでですか?」
俺もことさら大げさに反応しないように気を使いながら聞いた。
「一番近くにいたはずの私が……彼女の苦悩に気づけなかったのさ」
淡々とした声色。
けれど、その奥に沈んでいるものは重く、冷たい。
言葉の端々に、悔いと後悔が滲んでいた。
――ああ、この人にも、そんな顔をする時があるんだな。
ここまで聞いて、すべてのピースが埋まった。
IZUMIという前途ある天才モデル。
駆け出しだった――まだ若かりし頃の上條社長が、手塩にかけて育てたのだろう。
しかし、上條社長の過度な期待が、いつしかそのモデルを精神的に追い詰めてしまった。
そうか、これがこの人のトラウマなのか。
そして社長は、IZUMIに咲坂を重ねている。
同じ轍は踏ませない。
だからこそ、苦悩を見せる咲坂に、必要以上に踏み込んでしまうのだ。
上條社長は明るい表情を崩さずに口を開いた。
「私はIZUMIが今、どこで何をしているかさえ知らなくてな。生きているかさえも分からない」
生死も知れない?
その言葉が、胸の奥に鈍く響いた。
俺は、あまりの重さに、ただ黙るしかなかった。
俺が沈黙していると、上條社長は小さく息を吐いた。
気まずさを和らげるように、ふっと笑みを作る。
「まあ、そういうことだ」
わざと明るく振る舞う上條社長を見て、この話題を振ってしまったことをつくづく後悔した。
「ところで櫻井、YUKINAはなんでモデルをやってるか知ってるか?」
俺の落ち込みに気づいたのか、上條社長は話題を変えた。
「いえ、知りませんが……スカウトとかですか?」
俺もそれに乗っかり、軽い調子で返した。
「違うよ。自分で応募してきた」
「え? そうなんですか? あいつも案外、目立ちたがりなんですね?」
これはかなり予想外の話だ。自分で応募する咲坂のイメージが湧かない。
「女性はみんな注目されたい願望はあるんだよ」
そんなものなのか?
確かに女性が少しでも美しく見られたいという願望は分かる。
けれど、咲坂の性格を考えると――
わざわざモデルを選んでまで人目を集めたいとは思えない。
しかも今の彼女は、その“視線”によって苦しんでいる。
「咲坂は注目されすぎて、その視線に苦しめられてますよね。皮肉ですけど」
そう伝えると、上條社長は少しだけ視線を落とした。
そして、ため息をひとつ吐きつつ続けた。
「そうだな。……YUKINAには憧れのモデルがいてな。彼女はそのモデルのようになりたくて、モデルを志望したんだ」
「え? なんだそれ? ますます“らしく”ないですね」
思わず声に出た。
頭の中に、冷静で合理的な咲坂の姿しか浮かばない。
「あいつ、あれでメチャクチャ頭いいんですよ。なのに発想がミーハーすぎません?」
「それはな――YUKINAが憧れて目指そうとしたモデルが、IZUMIだからだ」
「え!? そうなんですか?」
話が終わったと思っていたIZUMIの話題がここにも。
そんなことがあるのか?
俺には、IZUMIというモデルの姿がまるで想像できない。
けれど、社長の語気には妙な確信があった。
「IZUMIの影を追うYUKINAは、どうしてもIZUMIに似てきてしまう。だからYUKINAを見ていると、私もIZUMIと重ねてしまうんだ」
なるほど、そういうことか。
つまり咲坂がIZUMIというモデルに似ているのは偶然ではなかった訳だ。
そして改めて思った。
社長にとって咲坂を救うことは、もはや贖罪だ。
かつて救えなかったIZUMIに対する、静かな償い。
「IZUMIにも、私じゃなくて……君のような存在がいてくれたらと思うよ」
「……それは買いかぶりすぎですよ」
本心でそう即答した。俺なんて非力な学生であることは間違いない。すくなくともこの上條社長よりも優れているところなんて一つたりともない。
ただ、社長はこんな非力な学生に頼ってでもYUKINAを救おうとしている。
こんな俺でも頼ってくれた。
そう思うと、胸の奥が、少しだけ熱くなった。
ほどなくして、俺たちはスタジオに到着した。
上條社長は正面エントランスから堂々と中へ入っていく。
「社長、いいんですか? 正面から俺と入って」
「ああ、構わんだろ」
「なんか、適当っすね?」
「もう君との関係が皆にバレても問題ないだろうということさ」
「関係バレるとかやめてくださいよ……なんか親密な関係がありそうじゃないですか」
「さっき、なりかけたもんな? いや櫻井のあの時の顔、グッときたなぁ?」
「マジでやめてくださいって! ほんと洒落になりません!」
「ハハハ、若いっていいわ」
楽しげに笑う上條。
その声に、スタッフたちが一斉に振り向く。
モブ野本の苦み走った顔。
そして、目をまん丸にして驚いている、あざと高校生・MISAKI。
上條がここまで上機嫌なのは、きっと俺の協力に少しは期待しているからと思いたい。
そんな想像でも、胸の奥が少し軽くなる。
正面から入ってわざと目立つように振る舞うのも、彼女らしい演出なのだろう。
つまり――俺の存在を、スタッフに印象づけるために。
「じゃあ、櫻井。私は部屋に戻るから」
「はい、ご馳走さまでした」
「YUKINAはまだ撮影がかかるだろう。ゆっくり見学していけ。綺麗な女性ばかりで目の保養になるぞ、フフフ」
「もう社長の美貌でお腹いっぱいです……」
「最後にようやくうまいこと言ったな」
そう言って、上條社長は軽やかに笑いながら、踵を返した。
去り際、後ろ向きのまま片手をひらりと上げる。
そんな仕草ひとつでも、この人は絵になる。
――いや、ほんと凄い人だ。
危なかったな〜。
いろんな意味で。
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