第2話 早朝のキャンパスで、俺はまだ“異様な出会い”を知らない
「君、オカルト好きでしょ?」
そう言い放った、おそらくは次期ミスキャン最有力候補の咲坂雪菜は、俺のバックボーンをこう読んだに違いない。
『コミュニケーション苦手。強い劣等感。オカルトへの現実逃避』
オカルトという、一見「怪しげ」に見えるジャンルを、先進的な深層心理学として昇華した田尻には、確かにオカルトファンが多い。
『もともとオカルト好きだったのが高じて、心理学へ手を伸ばしたら田尻に行きついた』
――咲坂が即座に辿り着いた結論は、そんなところだろう。
――フロイトに始まり、ユングの影響を多分に受ける田尻の系譜は、ユングが「オカルト的」と揶揄されるのと同じ理由で、「怪しい」と評される。
だから、田尻を心酔している俺が“オカルトに興味がない”なんて言えば、そりゃ嘘になる。
ただし、幽霊、超能力、UFO――といった世界に過剰にハマってる訳ではない。
「まあ、そうだね」
俺は咲坂雪菜が“オカルト”という言葉を、どういう意味で使ったのか分からず、とりあえず曖昧に返した。
「そうか、ガチなオカルト好きってわけじゃなさそうね?」
彼女の容姿とは裏腹な鋭い視線を突き付けた。
「え? どういう意味?」
俺は彼女の言葉の真意を計りかねて、問い返す。
「田尻の心理が好きな時点でオカルトに興味ないと言えば、嘘になる。でも幽霊、超能力、UFOの話を好むガチ勢ではない」
俺の口調を真似てそんな風にいった。
俺は少し背筋に寒いものを感じた。なんで俺の思考読んでんだよ?
俺は今見せた「プロファイリング」から、咲坂という女性が、間違えてこの教室に来たわけではないことは確信した。
すると俺は、心理学マニアとしての対抗心がムクムクと湧き上がった。
「オカルト好きのイタイ現実逃避男かどうか、確認したってことか。いきなり探ってきたな?」
今度は俺が咲坂の思考を読んでそう返した。
「あははは」
俺の言葉の意図を完全に理解した咲坂は、嬉しそうに笑い、そして続けた。
「だって初日に、こんなハードカバーの本を机に並べちゃうとか。私も田尻先生には興味あるけど、義人くんってちょっと偏執的なのかなって、警戒しちゃったの」
なるほどね。そういうことか。ここで、いままで咲坂がしてきた質問の意図を理解した。
「本人目の前にして警戒してるとか、初対面なのにひどくね?」
おどけた調子で突っ込んでみる。
「あら、初対面だから警戒してるんだけど?」
鋭い。理詰めで来たな?
俺は何も言い返せず、黙りこくってしまった。
「フフフ。義人くんって面白いね」
完全に論破された。けど不快な感じはしない。
というかこの会話メチャ楽しいんだけど?
彼女との会話に夢中になっていた俺は、ここでようやく美女とさえない男という妙なシチュエーションの会話を、周りの学生たちが奇異の目で見ていることに気づいた。
自意識過剰な俺は、反射的に首を引っ込めた。
咲坂も会話に満足したのか、嬉しそうに笑みを残してようやく俺から視線を外した。
いかん、いかん。
のっけからペースを乱されてしまった。
今からはじまる講義に集中しなくては。
そのために苦労してこの大学に来たんだ。こんな雑念に惑わされている場合じゃない。
そして、今度こそ──本命の田尻が教室に入ってきた。
写真で何度か見たことのある容姿。一見するとどこにでもいる中年男性。
しかし分かった――田尻に漂う異質な気配を。
少し前に咲坂雪菜が、オンボロな教室を一瞬できらびやかな空間に変えたように、そのきらびやかだった教室を今度は田尻が、一瞬で張り詰めた空気に作り変えてしまった。
田尻のワークショップに出た人は、決まってこう言う。
「先生にずっと操られてた気がしました」
――それはおそらく錯覚じゃない。
今、田尻を見た瞬間、その“怖さ”を感じた。
そして、教室のざわめきも、一瞬で“田尻の空気”に押しつぶされたのだ。
俺は一瞬“ヒヤリ”としたが、それでもここはワークショップではなく大学の授業だ。
さすがに初対面の学生に、いきなりディープな心理療法は仕掛けてこないはずだ。
田尻が教室に入ってからは、咲坂も俺に視線を向けることはなかった。
俺も講義に集中した。
初めて受ける田尻の講義。
一年生向けだから、いきなり突っ込んだ内容にはならない。
田尻フリークの俺からすると、正直かなり物足りない。
大学の講義というのは、往々にしてベーシックな部分をすっ飛ばして、講師の趣味や哲学を学生に押しつけるものが多い。
だから俺もそんな“暴走講義”を期待していたのだが、田尻の講義は意外にも実直な話だった。
根は真面目な人間なのかもしれない。
それでも、説明の端々にちらりと顔を出す田尻の独特の視点には、何度も引き込まれた。
俺はノートを取りながら、机の上の分厚いハードカバーを何度も開いては、田尻の言葉を確かめるようにページをめくった。
その前のめりな姿勢に、周囲の学生たちはドン引きだ。
ただ、そんな俺に視線を向けない学生が一人だけいた。
咲坂雪菜だ。
俺は講義に夢中で、隣の彼女の存在をすっかり忘れていた。
けれど、ふと重要なことに気づいた。
彼女も俺のことを――忘れている。
周囲が俺を気にするのは、講義に集中できていないという証拠。
逆に、俺を見ないということは、それだけ講義に没頭しているということだ。
咲坂が俺を見ていない。
つまり、彼女も俺と同じくらい真剣に、田尻の話を追っているのだ。
俺はそんな彼女の動きを少しだけ横目で見ていた。
すると、俺が「ここだな」と思ってノートを取り始めるタイミングで、彼女もまるで合図をしたかのようにペンを走らせる。
俺は驚いた。
まるでシンクロしている。
同じポイントで、同じようにノートを取っている。
これは――咲坂は、俺と同じレベルで田尻の講義を理解しているということを意味する。
やめときゃいいのに、視線が彼女に向かう回数が増えてしまっていた。
すると、うっかり咲坂のノートを凝視しているところを、彼女に気づかれてしまった。
わざとらしく視線をずらして顔を背けたが、今度は彼女が俺のノートをがん見した。
俺のノートを見た彼女は驚きの顔を見せる。
彼女の視線を横顔に当てられて、耐えられなくなった俺は――横目で彼女を「チラ見」してしまった。
案の定、目が合った。
すると、彼女は少し嬉しそうに微笑んだ。
たったそれだけで、異様に恥ずかしくなり………また顔が熱くなる。
そんな俺を見て、咲坂は『プッ』と噴き出した。
ああ、赤面してるのバレたな。
ええ、俺は喜んでもらえれば何よりです、と諦めた。
咲坂は噴き出しつつも下を向き、またせっせと講義のノートを取り始めた。
でもね。
これはヤバいな。
あれだけの容姿で、俺に匹敵する田尻フリークとは。
どうやったって、心が浮足立つのを抑えきれない。
そして講義の間中、口角が上がりっぱなしになっていたことに途中で気づき、自分でも苦笑した。
田尻の一回目の講義が終了した。
「まあ最初はこんなもんかな」と思いつつ、俺は早々と席を立った。
むろん、隣に座る咲坂のことは大いに気になる。
だが、仲良くなるチャンスとばかりに積極的に話しかけるような行動原理は、俺には存在しなかった。
むしろ、まだ微妙すぎるこの咲坂との関係が気恥ずかしくもあり、早々に逃げ出したかった。
そんな俺の思惑も知らず、咲坂は俺を呼びとめた。
「櫻井くん……」
あれ? さっき“義人くん”って名前呼ばなかったか? 距離とったのか?
俺の悪い癖で、こういう間合い勝負に反射的に対抗したくなる。
「あ、義人のままでいいけど」
って、なに上から言ってんだよ?
でも、これ言ってみたかったんだよね。
俺から距離つめてもいい許可出す、みたいな。
咲坂はビックリしたように目をパチクリとした。
そして、意地悪そうな目をして俺を見て、頬笑みながら言った。
「それは、どうもありがとう」
ありがとう……?なんでありがとう?
名前呼びを許可してくれてありがとう……ってこと?
これだけのことで、はかどり過ぎている自分に苦笑。
「じゃあ“義人くん”。この後、時間ある?」
「は?」
咲坂の突然の切りこみに、また俺は怯んでしまった。
「あ、あ〜、そうね。次は講義ないから大丈夫」
辛うじて、そう返すことができた。
「じゃあ、ちょっとお茶しようか? A棟のカフェでいい?」
「お、おう、そうね」
な、なんだ? この展開?
ふと周囲を見回すと……
そうだよな。そうだよ。そのリアクションだよ。
咲坂雪菜という教室の視線をかっさらっていた美女が、冴えない男をお茶に誘ってる。
異様だよね。俺だって、まだこの状況についていけてないから。
大いに奇異の目で見てもらって結構。
俺はすでに、咲坂がただの美女ではないことは理解していた。
田尻というディープな深層心理学に強い興味を持ち、おそらくは俺と変わらないモチベーションでこの講義を聞いていた。
外見だけで語るなら、彼女は俺とはまったく不釣り合いだ。
でも、間違いない。
俺が彼女に外見以上の興味を持ったように、咲坂もきっと俺に興味を持ったはずだ。
田尻の心理学に惹かれる人間なんてそれほどに希少なのだから。
まあ……他人の目には、この美女とさえない男のツーショットは、さぞ異様な光景に映ったことだろう。
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