『元イージス艦長、異世界でゴミを拾う 〜善行ポイントで現代兵器をガチャ排出。最強の傭兵団は金曜日にカレーを食べる〜』

月神世一

第1話

艦長、金曜日の午睡から目覚める

 日本国、東京都新宿区市谷本村町。防衛省、庁舎B棟。

 統合幕僚監部、防衛計画部の執務室には、今日も書類の山とパソコンの排熱が淀んでいた。

 時刻は12時45分。

 一等海佐、坂上真一(50)は、デスクで最後の一口を飲み込んだ。

 プラスチックのスプーンが、発泡スチロールの容器の底をこする、カツッという乾いた音が響く。

「……ご馳走様」

 金曜日はカレー。それが海上自衛隊の、いや、坂上の体に染み付いた鉄の掟だ。

 もっとも、かつて護衛艦の艦長席で食べた特製ビーフカレーに比べれば、コンビニの温められたカレーは味気ない。だが、スパイスが胃を刺激し、午後の激務への活力をくれる点においては同じだった。

 坂上はポケットから愛用のコーヒーキャンディを取り出し、包装を剥いて口に放り込んだ。

 ガリッ。

 固い飴を奥歯で砕く。広がる苦味と甘味。

「1300(ヒトサンマルマル)の会議まで、あと15分か」

 腕時計を確認し、坂上は椅子に深く持たれかかった。

 背骨が悲鳴を上げている。五十肩も痛む。現場を離れ、机上の空論と政治調整に追われる日々。

 ふと、瞼が重くなる。

 10分だけ落とそう。海にいた頃、どんな荒天でも一瞬で眠り、一瞬で覚醒する技術を身に着けた。

 坂上は腕を組み、規則正しい寝息を立て始めた。

 意識が、深海へと沈んでいく――。

 ***

 肌を撫でる風が、妙に生温かい。

 空調が壊れたか? 総務課に連絡せねば。

 そんな寝ぼけた思考と共に、坂上は目を開けた。

「……ん」

 天井の蛍光灯が眩しい……はずだった。

 だが、視界に飛び込んできたのは「青」だ。

 突き抜けるような蒼穹。そこに、見たこともない巨大な積乱雲が湧き上がっている。

 坂上は反射的に体を起こした。

 ガサリ、と乾いた草の音がする。

 アスファルトの床でも、カーペット敷きの執務室でもない。

 そこは、鬱蒼とした森の中だった。

「……状況開始(アクション)、か?」

 訓練か? いや、市ヶ谷のど真ん中でこんな演習はない。拉致か? 意識を失った記憶はない。

 坂上は素早く周囲を警戒(スキャン)する。

 直径数メートルはあろうかという巨木。見たことのない紫色の花。遠くで聞こえる、聞いたことのない野太い鳥の鳴き声。

 そして、違和感の正体に気づく。

 視線が高い。

 いや、体が軽い。

 五十肩の痛みがない。腰の重みもない。まるで、油を差したばかりの新品の機関部のように、全身が躍動している。

 坂上は自分の手を見た。

 節くれ立ち、シミができ始めていたはずの50歳の手ではない。

 皮膚には張りがあり、筋肉は若々しく隆起している。

 かつて、北辰一刀流の道場で素振りに明け暮れていた頃。

 20歳。全盛期の自分の手が、そこにあった。

「……異世界転生、か? 馬鹿な」

 口をついて出た言葉は、部下の若手幹部が休憩中に話していたサブカルチャー用語だった。

 まさか。

 私は国家公務員だぞ。そんな非科学的な事態が起きてたまるか。

 だが、現実(リアル)は目の前にある。坂上は混乱を意志の力でねじ伏せ、深く息を吐いた。

 その時だ。

 視界の隅に、半透明の「板」が浮かび上がった。

 戦闘指揮所のディスプレイ(HUD)に似ている。

「……なんだ、これは」

 坂上が手を伸ばすと、その板――ウィンドウが目の前にスライドした。

 そこには、明朝体のようなフォントでこう記されていた。

【ユニークスキル:善行補給箱(サプライ・ボックス)】

「補給……?」

 その下に、小さな文字で『取扱説明書・利用規約』という項目がある。

 坂上は眉をひそめながら、指先で空中の文字をタップした。

 職業病だ。どんな兵器もシステムも、まずはマニュアルを熟読しなければ動かさない。

 ウィンドウが展開し、詳細が表示される。

 ―――

 【概要】

 本スキルは、所有者が蓄積した『善行ポイント』を消費し、出身世界(地球・西暦202X年時点)の物資を召喚・転送するものである。

 【ポイント取得条件】

 他者への貢献、環境美化、人命救助、文化的寄与など、「善い行い」と判定される行動により付与される。

 (例:ゴミ拾い 1P~ / 人命救助 100P~)

 【召喚コスト】

 ・100P:カテゴリー選択権(3種)

 ・1000P:カテゴリー選択権(4種)

 ・10000P:カテゴリー選択権(5種・高精度)

 ※排出される物品は、選択カテゴリーに基づきランダムに選定される。

 【重要事項・禁止事項】

 本スキルの利用者は、**『国際人道法(ジュネーヴ諸条約等)』**およびそれに準ずる倫理規定を遵守しなければならない。

 以下の行為が確認された場合、保有ポイントの全没収、およびスキルの永久凍結を行う。

 1.非戦闘員(民間人)への意図的な攻撃・殺害

 2.降伏した捕虜への虐待・殺害

 3.軍事上の必要性を超えた、無秩序な破壊・略奪行為

 ―――

「……ふっ」

 坂上は思わず、乾いた笑声を漏らした。

 異世界に来てまで、法律と交戦規定(ROE)に縛られるとは。

 だが、悪くない。

 無秩序な暴力は、坂上が最も嫌悪するものだ。

「いいだろう。郷に入っては郷に従えと言うが、私のルールは私が決める」

 坂上はウィンドウを閉じ、足元に落ちていた「折れた剣の柄」らしき錆びた鉄屑を見つめた。

 誰かが捨てたゴミだ。

「まずは、状況確認と……環境美化から始めるか」

 坂上真一、20歳(中身50歳)。

 元イージス艦長の、ゴミ拾いから始まる異世界航海が、ここに幕を開けた。

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