異世界セーラー服

橿原 瀬名

第1話 少女と剣客



 ミタキ・ソウマは旅の剣客である。

 生まれはムラクモ、サムライの国。祖霊と精霊たちを『カミ』と呼ぶ、独特の信仰が根付く国。


 などと、知り合いの学者は、祖国の文化をそう評価していた。



「とは言っても、俺にしてみりゃお前らの方が特殊なんだがねぇ」



 ソウマは苦笑いをしながら言う。独り言だ。かれこれ3日も人と話していない。

 彼が歩く荒野には、風の音だけが響いている。自分自身と頭の中の友人たちしか、話し相手がいないのだ。



「……おや、ありゃなんだい? 人だねぇ」



 道の真ん中で倒れている人を見つけ、彼は駆け寄る。

 その口調は、なんとも落ち着き払った様子だ。


 彼に言わせれば、焦る必要がないのだ。『気』を読めば、倒れている人間が、少なくとも命の危機に無いことは分かる。



「大丈夫かい、あんた?」



 彼は倒れている人間――10代後半ほどの幼さが残る少女――を揺さぶる。

 少女は、「ん……」と吐息を漏らしながら、目を覚ました。



「……どなた、ですか。なぜ、私の寝室に」



 一瞬、訳が分からなかった。少女は、静かな口調とは裏腹に、怯えているように見える。

 しかし、ソウマは頭の回転が速い。彼女とは対照的に、すぐに状況を飲み込んだ。



「周りを見てみろよ。あんたは荒野に捨てられていた。俺はそれを、今から拾おうとしただけだよ」



 少女は、言われるがままに周囲を見渡す。そこには、一面の荒野が広がっていた。

 草はあまり生えておらず、土や砂の独特な香りが、風に乗って漂う。


 ヒューヒューと鳴る、風のさみしげな音。


 鋭い風の音は、見知らぬ『異世界』に迷い込んだ少女の心に、不安と共に染み込んでいく。



「……本当に、わたしはここに捨てられていいのですか?」

「少なくとも、俺から見たらな」

「そう、ですか」



 少女は拳を握りしめながら、少し後ずさる。

 その表情には、明らかな警戒心がにじんでいた

 立ち上がれば、黒い髪が風になびき、セーラー服のスカートがパタパタと揺れる。


 その感触に、彼女は強い違和感を覚えた。



「わたし、なんで制服に着替えているの?」

「制服? あんた、兵隊さんか、魔法学校の生徒さんかい?」

「魔法学校……?」



 少女は困惑していた。魔法学校なる単語もそうだが、衣服の変化は明らかにおかしい。


 自分の体を、誰かに辱められたという確信はない。


 けれど、自分の衣服は、少なくとも1度は脱がされている。それをしたのは、目の前の男かもしれない。


 少女からすれば、疑うには足りなくとも、警戒するには十分な根拠だ。

 


「アナタは、何者ですか? なんの目的で、私の前にいるんです?」

「何者かって? しがない旅の剣客さ。ご覧の通り、大した男じゃない」



 ソウマはヘラヘラ笑いながら言うと、『酒』と書かれたひょうたんを煽る。

 それから、ニヤッと笑いながら、少女には『水』と書かれたひょうたんを差し出した。



「飲みな。少しは気分が落ち着くハズだぜ」

「……お昼から、お酒ですか?」

「別にいいだろ? お前さんに渡したのは、水のほうなんだしよ」



 少女はしばらく、水を受け取るのをためらっていた。だが、緊張で喉が渇いたのもあり、恐る恐る受け取る。

 少しは緊張が落ち着いたらしく、フーっと長いため息をついた。



「それにしても、さっきは魔法学校、とか言ってましたよね。少し、ファンタジーすぎる気がしますが」

「ふぁんたじー? なんだいそれは」

「おとぎ話めいた出来事、という意味です。たとえば、ありえない魔法を使ったりとか。知らない言葉ですか?」

「あー、なるほどね! あんたの国じゃ、神話級の出来事をそう表現すんのか!」

「……あの、すみません。わたしには、あなたが同郷に見えるのですが」



 ソウマは、少女にとっては時代錯誤な、着物姿で腰に刀を差した姿をしている。

 しかし、それ以外は、日本人だと言うことで説明がつく容姿をしていた。


 さっきからどうにも、会話がかみ合わない。少女は怪訝な顔をしていたが、ソウマが嘘をついているとは、思っていない様子だ。



「同郷? いやいや、あんたはこのガラテア大陸の人だと思うぜ? 顔立ちは確かに、俺たちムラクモの民に近いがな。しかし、瞳が黒すぎる。ほら、俺たちの瞳は、もっと赤みが強いんだ」



 少女は、いわゆるカラコンかと思っていたソウマの赤い瞳が、人種特有の特徴であるかのような発言に、目を見開いた。



「……どういう、こと?」

「さあな。それより、そろそろ名乗ってくれよ。俺はミタキ・ソウマってんだ」

「私は……相川 美穂です」

「そっか。まあよろしくな、ミホちゃん」



 自己紹介を終えた2人は、しばらく黙って向き合っていた。

 再び、風の音だけが、周囲を支配し始める。


 ソウマは困っていた。ミホが、何かのっぴきならない事情を抱えているのは分かる。

 自分も警戒されている。しかし、彼女を放り出すわけにはいかない。


 こんな見目が良くて華奢な女の子、放っておけば賊の慰み者だ。

 別に放って置いてもいいが、そんなのは寝覚めが悪すぎる。



「あの、すみません。1つ聞いてもよろしいですか?」

「お? なんだい」

「ここは、どこなのでしょうか?」



 ミホは恐る恐る、ソウマに尋ねた。なんとなく、自分の中でしている、嫌な予感に胸がざわめく。



「ここかい? ガラテア大陸のザンガーグって国だ。知らないのか?」

「……もしかして、ここは、私がいた世界ではない? いわゆる異世界や、異次元ということ?」



 ソウマの頭の中で、いくつかハテナが浮かぶ。

 しかし、彼はその1つ1つを、考えて分かることかどうかと、聞けば分かるかどうかで、分別していく。



「……あんたから見て、ここは自分の世界じゃないのかい?」

「確証はありません。だけど、話の流れからして、この世界のこの時代に、私がいた国はないかもしれません」



 ミホは、どこか現実感がないような、しかし元の世界には帰れないかもしれないという絶望感はあるような、不思議な心境でいた。


 ソウマの方は、彼女がこれからどうすべきか、どうすればこの世界の中で生きていけるか。


 本人なりに、真剣に考えていた。それが表情に反映されることはないが。



「ま、なんにせよあれだ。人の多い場所に行けば、あんたがいた国や時代との、文化の違いが分かるかもしれねぇな」

「……そうですね。行ってみたいのですが、その、案内をお願いしますか」

「いや、するに決まってんだろ? 一人で行かせる訳があるか? アンタみたいなキレイで弱そうな姉ちゃん、一人旅なんてしたら、賊の慰み者になるのがオチだぜ」



 さも、単なる当たり前の事実を言うかのように、ミホが一人で行けばレイプされると断言するソウマ。


 ミホは、そのあっさりとした物言いに、早くも文化の違いを感じ始めていた。

 彼の価値観の根っこにある、ある種のドライさを強く感じ取ってしまって、それが不気味でならなかった。


────

───────

─────────



「何から何まで、すみません。ご飯まで頂いて」



 ミホは焚き火の前で、静かに頭を下げる。彼女は棒に差して焼かれた魚を、味わって食べる。


 まるでひまわりの種をかじる小動物のような、可愛らしい所作だ。

 しかし、その表情はどこか浮かない。ほほ笑みながらも、ソウマへの警戒と、状況に対する不安がにじんでいる。



「なに、気にすんなよ。それより、あんたが異世界に飛ばされたってのが本当なら、帰る方法あんのかい?」



 ソウマはどこかのんきに、棒に差して焼いた魚に、豪快にかぶりつく。

 本人としては、自分なりに真剣に聞いているつもりだ。

 しかし、ミホは彼の根本的な価値観が、少しドライなのだろうと、確信しつつあった。



 2人がいるのは、森の奥の湖から、少し離れた場所である。

 ソウマは、後で水浴びをさせるとき、ミホの体を見なくて済むよう、この開けた場所を選んだ。



「……ない、と思います。少なくとも、どうすれば元の世界に帰れるか、私には見当が付きません」

「わかってるとは思うが、お前さんが知らんだけかもしれんぞ」

「それは、そうですけれど……」

「知り合いにかなり賢い魔女がいてよ。いけ好かないアバズレだが、知恵と魔法はかなりのもんだ。一緒に、そいつのとこに行ってみるか?」



 会話の中に当たり前のように魔女という言葉が出てきて、ミホは困惑していた。

 それに、アバズレという言葉を平然と使うのも、女性に対して、ある種の押し付けを感じる。

 しかし、ソウマは魚を食いながら、のんきに話を続ける。



「ま、いやと言っても連れてくがな。お前さん、得体の知れん魔女は嫌でも、元の世界には帰りたいだろ?」

「はい。……あの、すみません。異世界と言う概念を、ソウマさんは知ってるんですよね。その、『前例』があるんですか?」

「前例ねぇ。お前さんみたいに、別の世界から来たやつってことかい? それならあるぜ」



 自分のように、異世界に飛ばされた人間がいる。

 その事実に、ミホは期待と絶望の両方を持った。



「その人は、帰れたんですか?」

「うーん、本人が帰るのを嫌がったそうだぜ。方法があったかは知らんがな。元の世界だと、不遇な人間だったらしくてよ。こっちの世界のが楽しいんだとよ」

「……いますよね。そういう人も」



 でも、自分は違う。家族や大切な友人たちに、会いたい。

 ミホは心の底から、そう思っている。


 友達と過ごした時間を思い出す。

 ミホの部屋に集まって、恋の話に花を咲かせた。


 ウサギの着ぐるみめいたパジャマをイジられたのも、少し気恥ずかしいが楽しかったのだ。

 もっと大人っぽいのを着てるのかと思ったと、そう言われたイメージを、いい意味で裏切れたから。



「……お風呂は、ないですよね」



 ミホは、分かっていると言わんばかりに、口を開く。



「おう、ないぜ。だが、今夜は月があんなに明るい。水浴びでもしてこいよ」

「あの湖で、ですか?」

「安心しろ。敵が近付いてきたら守ってやる。……その時は、体をコイツで隠せ」



 ソウマは、背中に背負った袋から、毛布のようなモノをミホに手渡す。

 ソウマからしたら、何が来ても俺が守ってやるという親切心だ。

 体を清めてる最中に、女を襲うような行いは不届きだ。自分の考えがどうあれ、斬り捨てても文句は言われないだろう。


 しかし、ミホはいやいやと首を振って、それを拒否した。現代の女子高生なら、当たり前の反応として。



「い、いやです……。お外で、裸になれと言うんですか? そんな……」

「あのな、俺は覗いたりするつもりはねぇぞ?  嫌なのは分かるけどよ。汗くらいは流しとかなきゃ、体が臭くなるぜ」

「〜〜〜! さ、最低です! あなたは!」



 しかし、こんな事を言われては、ミホも拒否はできなかった。

 怒りと羞恥心で頬が赤くなる。同時に、どこかありがたみも感じていた。


 おかげですこしは、不安を忘れられたから。


 ありのままをさらけ出したミホを、月と森の木々だけが見ていた。

 水面に映る白い素肌は、月光を照り返して淡く輝いていた。


 自分の体に見惚れてしまったことが、彼女の羞恥心を増幅させた。

 もし、ソウマが覗いていれば、同じように思うだろうと、理解してしまった。


 頭の中で、水面の鏡像を見つめる自分の視線が、ソウマの視線と同じように感じられる。


 彼女は体を清めながら、不安のあまり、ついに涙を流した。

 なぜかは分からないけど、幼い頃に父に言われた言葉を思い出す。



『いいかい。何かあったら、いつでもオレを呼ぶんだぞ。父さんはな、ミホのためなら、どこにだって駆けつけるからな』



 特撮ヒーロー好きの父は、いつもそう言っていた。



「――嘘つき。助けに来てよ、お父さん……」


 

 責めるようなその言葉に、応えるものはなかった。

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