第10話
身支度を整える。最後の洗顔、最後の朝食、最後の歯磨き。
ここに持ってきた着替えなんかの荷物はどうなるんだろう。まぁ、私にはもう必要ないし、まぁ置いとけば誰か使うかもしれないから手ぶらで出発するか。
誰か使うのだろうか…私の服、下着、タオル、薬、BBクリーム、リップ、充電の切れたスマートフォン。
きっとゴミとして老婆が捨てるだろう。いらない手間をかけてしまうと思うと申し訳ない気持ちになった。
玄関を出て振り返り
「お世話になりました」と離れへ礼をする。
ここで過ごせて本当によかった。
昨日の雨のおかげで空気がいつもより澄んでいるような気がした。
これから死ぬのに清々しい気分だ。私はこれからツキナ様のところへ行く。
そう、最後のお祈りをしに。
歩き始める。きっと来ると信じていた。やはりいた。
——あの男の人。
自分の耳が熱くなるのを感じる。
水たまりを気にしながら声を掛けてみた。
「おはようございます」
「あ、おはようさん」
気まずい。先ほどの清々しい空気が一気に重く感じた。
「…あの…この前は「こっちこそ悪かった」
私が謝る前に謝られた。
しかし、どちらが悪いと言うことでもないような気がする。
一番悪いのは私の運命だ。そう思うしかない。
しばし沈黙が流れ、どうしていいかわからなくなった。
恐らくそれは向こうも同じようで、なかなかお互い切り出せなかった。ピチュチッチッピッと鳥の鳴き声が響く。
「あ。早く何か言えって言ってる」
「なにが?」
「鳥が」
「ああ」
納得されてしまった。ナゼ今ので納得する。
「ごめんなさい。私、今日お願いしに行くんです」
彼が驚く様子は見てとれなかった。自分には止められないと半ば諦めているのだろう。
「しつこいと思うやろうけど…無理やと思って訊くんやけど…やっぱりダメか?本当にいいんか?」
そんなに私のことを思ってくれているのならと思い、もう何もかも話してしまいたくなった。私の負けだ。
「あの…あなた、色々見えているみたいだからもう話しちゃいますけどっていうか、知ってるかもですけど……。」
一度深呼吸をして口を開く。
「私、弟を殺して逃げてきたんです。」
やはり知っていたのだろう。黙って頷いている。
「ここに辿り着いたのはラッキーでした。この為だったんですかね、この幸運のために、今まで嫌な思いばかりしてきたんですかね」
わかったような顔をして男が私を見つめる。
「それは俺にはわからんが…。いや、俺も同じようなことしているから、ヒサエさんの気持ちはようわかる」
ん?一体どういうことなのか?
最近は逃亡犯のニュースなんてなかったケドな。
見るからに”キョトン”な顔をしていたのだろう、彼はいつもの猫背を気持~ちピンと伸ばし、こちらが訊くまでもなく語り出した。
「今でこそ食物が育たんが、昔、ここは他のとこと同じように農業ができるような土地やったんよ。俺は農家の生まれで、子どもん時から家の手伝いさせられて真面目に働いとった。」
この人はこの島の生まれだったのか…。
「でも大人になってもな、俺は嫁も取らんて、ココでは変わりもん扱いされとった。」
変わりもん。やはりか…と思ったが今は口出しするのはやめとこう。
「昔は今みたいに独身者は少なかったけんね。あれは忘れもせん、三十二歳の時やったよ。なんでか米を盗んだ容疑をかけられた。村の米蔵からごっそり米俵が無くなってたんよ。いくらなんでも一人でできる所業じゃないのによ」
昔って?米泥棒?
話の端々で「んん~?」と思ったが、この人の話にいちいち驚いていては埒があかないと思い、気にはなったがここもスルーした。
「家族までもが俺を疑ったんよ。普通は庇うやろ。まぁ、仲が悪かったけんな。ヒサエさんと一緒で、ただの働き手としか思われとらんかったからな。体調崩して寝ていようものなら、看病するどころか罵声が飛んできよったよ」
「そんな…ヒドい」
私も思い出した。
うちの親も私が体調を崩して寝ていると、すごく不機嫌になっていた。
小学生だった時も、風邪程度だと一人で病院に行かされていたし、親が仕事を休んで看病してくれるなんてことなんてなかった。
「結局犯人は見つかった。隣の村のもんだったよ。犯人が捕まってもよ、俺に謝るどころか”疑われるお前が悪い、日頃の行いが悪いからそうなる“ってよ、そう宣いやがった」
その時のことを思い出しているのだろう。声が少し震えている。
聞いているだけの私も悔しくなっていた。
実際に見たわけではないが、なぜ真面目に働いている人間にそのようなことが言えるのだろうか。じわじわと込み上げてくるものがあったが堪えた。
「俺もさ、あぁ、死ぬまでこんな奴らと暮らさんといけんのかと思ったらさ、一気に死にたくなった。なんならこれみよがしに死んでやろうと思ってさ…」
気持ちがわかりすぎるほどわかって息がつまる。すごく辛い。
「今思えば、一時の気の迷いだったのかもしれんが、もう衝動的にさ、納屋で首くくってやった。家族に対する最後の嫌がらせやな。そのあとどうなったかは知らんが」
彼のことが他の人から見えない、と言っていた時点でそんな気はしていたのだが、やはりそういうことだったのか。
「でも、俺が死んだあと、家族はのうのうと生きとんのかなぁって思うことがあって虚しくなった。俺ってなんやったんやって…。だからな、ヒサエさんに自分で死んで欲しくなかった。でも、よう聞いたら事情が違うみたいやね」
事情は違うけど、あなたと私は似ている。
昔って、いつなの?
もし、同じ時代に生まれていたらきっと仲良くなれた。今、確信した。
思ってもみなかった重い話の告白に、どう話しかけていいか悩んだ挙句、やはり訊いておかないといけないと思い、口を開いた。
「あの…一つ気になることをお訊きしたいんですけど…あなたは私が来世でも同じことをするとか言ってましたよね?ずっと気になっていたんですケド…あれってどいういうことなんでしょうか。私の未来が見えるんですか?」
こんな質問を真面目にしていること自体がおかしいのだが、どうしても教えて欲しかった。それと同時に、いつかの占い師の顔が脳裏に浮かんだ。
男は言いにくそうに視線を右下に逸らし、それから私の顔を見つめて意を決したように話し出した。
「このことをヒサエさんに言った時点で、俺の姿は消える。俺は正体をバラしたらいけんのよ。でも最後やけん教える」
姿が見えなくなるとは、成仏するということなのだろうか?それとも…ただ消滅する?魂が消えて無くなるということなのだろうか?
「俺は、ヒサエさんの未来が見えるわけじゃないんよ。むしろ逆。」
逆とはなんだろう。
「俺はヒサエさんの前世。俺が自殺なんかしたけん、ヒサエさんもそういう運命を辿るんじゃないかと思うとる。今で言うカルマってやつやなぁ。」
ここでもカルマなんて言葉が出てくるとは思わなかった。
そんな、前世の行いで人生決められてたまるか!
「ごめんなぁ…俺が堪えて乗り越えていれば、ヒサエさんはもっと幸せな人生やったかもしれんのになぁ。本当に謝っても謝りきれんなぁ。だからな、あの祠に祈ったんよ。来世の俺のことは幸せにしてください、何か起きた時には、助けてあげてくださいって…それでも釣り合わんよな。実際、その祈りが届いたかもわからんしなぁ」
そこまで言うと彼の姿は徐々に見えなくなった。
画像加工する際に、不透明のパーセンテージを下げていった時のような消え方で、本当に最後は透明になってしまった。
人が一人、目の前から消えてしまったのに、どうして私はこんな例えが頭に浮かぶのだろう。人としてどうなのだろう。と、思ったところで夢から醒めたように現実を受け入れた。
急いで彼の腕を掴もうしても、もう触れることはできなかった。最後に見た彼は、悲しそうに微笑んでいた。
——やめてよ。自己完結して終わらないでよ。残された身にもなってよ。まだ、あなたの名前さえ聞いてないじゃない!
そんな顔をされて許さないわけがないではないか。
もしかしたら姿が見えないだけで彼には聞こえるんじゃないかと思い、私は必死で叫んだ
「ちがうちがうちがう!!そんなこと思ってない!これは私が決めたことだ!あなたのせいなんかじゃないよ!!これは自分で選んだ結果だよ!カルマなんてクソ喰らえだよ!」
気付けば鼻を垂らして泣いていたが、「クソ喰らえ」って…と、自分の発言にふと、笑ってしまった。
彼に近付いてはいけない気がした意味もわかった。
そりゃ、自分の前世とおかしな関係になったらマズイでしょ。
鼻水は止まったがまだ涙が止まらない。まさかこんな切ない終わり方になるとは思ってもみなかった。
鼻を啜りながら、昨日の雨で土がゆるくなった道を歩き出す。
滑ったりしないように気をつけながら。
そういえば島に着いたときも、足元に気を付けながら歩いたなと思い出した。
それから島での出来事を思い出す。穴ぐらでの初めての野宿、汚れた靴、老婆との出会い、男を毛嫌い、花畑、祠、そこで見た鏡、アレ仕組みはどうなっているのかしら?神様の力?そう思いきや、映されている場所で本当に盗撮されてたら怖いな。盗撮といえば弟…。
思い出している途中でふと「あれ?最初なに考えてたんだっけ?」となる。
気が紛れたのだろう。涙が止まっていた。
祠の入り口の印である石碑が見えた。
——ついに来てしまった。
もう後戻りはできないと、自分に言い聞かせ歩を進める。
石碑の横の細い道へと入る。相変わらず、不気味な雰囲気を醸し出す竹林。竹の葉っぱに昨日の雨の滴が残っているのだろう。風が吹くたびに水滴がぱらりと落ちてきて、首筋を濡らした。
相変わらず妖怪でも出てきそうな雰囲気の中、ついに目の前に現れる祠。
その中を覗くと、いつものように鏡が見える。
先ほど、この鏡の仕組みを考えていたことを思い出し、フッと思い出し笑いが出た。
じーっと見つめていると見える。テレビの画面だ。
ニュースで”弟を殺害した姉が逃亡中”だとテロップが出ている。
近所の人にインタビューしている
「たまにお庭で見かけたけど、挨拶もしていたし普通だったけどねぇ。お仕事もされていたみたいだし」
そりゃそうだ。私は暴力団でもなんでもない。ごく普通の一般市民だ。
むしろ陰キャで、目立つような行動は抑えてきた。本当に何にもない女だ。
校則破りはただの目立ちたがりの自己主張で、格好の悪いことだと思っていたし、ヤンキーなど群れることでしか力を発揮できない、ダサい無趣味の集団だと思っていた。
そして何か事件が起きた時に、疑われる確率が高いワルモノにわざわざ自分からなりに行くような、くだらないアイデンティティーをひけらかす馬鹿だと見下していた。
だが、今になって思うと、明らかに彼らの方が幸せに暮らしている率が高い。
あいつらは無駄にコミュニケーション能力が高いため、就職活動もうまくいっているようだった。
腹立たしい限りだ。
校則すら破ることができずに、真面目に学校生活を送る者の方がいつも馬鹿をみる。それは社会人になっても変わらないのだが…。
今にも増して、その時代の企業の人事が、いかに人を見る目のなかったことよ。
一気に嫌なことを思い出してきた。いやいや、もう、そういうのはよそう。
気持ちを落ち着かせるために一度立ち上がり、深呼吸をする。
再度、祠の前に屈み、格子戸を開け、中を確かめる。まじまじと観察する。上半身を祠の中へ捩じ込む。鏡の横のところどころ苔で変色した石に触れ、彫ってある文字を指で辿る。
初めてここに訪れたときは、老婆のことが気になってしまい読めなかったが、今ならしっかりと文字を認識することができる。
”月靡弧氏“
二番目の文字はなんと読むのだろうと思っていたが、親切にも右横にフリガナが振ってあったので、口に出して読んでみる。
「ツ・キ・ナ・ビ・コ・ウ・ジ」
音として認識した時に気付いた。
あ。ナビコ。
こんなところに居たのか。
私の前世の人物から願いを託され、何年もの時を経て、私が小さい時に姿を現していたナビコ。
かっこいいお兄さんだったナビコ。
神様だから今も歳をとらずにあの姿なのだろうな。心底羨ましいと思った。
私など見る影もなく老けたので会うのは恥ずかしい。
会っても気づかないのではないのか。
祠の前に昨日降った雨が溜まっているので、濡れないようにそれを避けた場所に屈み、祈りを捧げる。
——これで全て終わる。
嫌なこと、苦しいこと、悲しいこと、悔しかったこと、虚しさ、不安。さまざまな負の感情から解放される。
助けてもらえるのなら、本当はもう少し前に違う形で助けて欲しかったけど、もしそうだったら少し違う人生だったかもしれないけど、今となってはもう遅い。
手を合わせ、口に出しながら祈る
「どうか、苦しむことなく、安らかに死なせてください」
ゴッ
祠の前の水たまりに倒れる。泥臭さが鼻腔をつく。
一瞬、なにが起こったのか理解できなかったが、ひどい痛みを感じ、後頭部を硬いもので思いっきり殴られたのだとわかった。
「いっ…たい、じゃないの…よ…!」
生暖かいものが首筋にかけて伝ってくる。痛みの衝撃と闘いながら薄れゆく意識の中で目にしたものは
花畑で見かけた男女と…老婆。
その姿を確認した直後、腕を捲られ注射を打たれた。
思ったよりも安らかではなかったことに落胆しながら目を閉じた。
その後、私は目を覚ますことはなかった。
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