第7話 聖男、ルシアンの年齢を知る

 焼きあがったホットケーキの上にバターを落とすと、ジュッと小さな音がして甘い香りが部屋いっぱいに広がる。

 その匂いに釣られるように、ルシアンは背伸びをして身を乗り出した。

 この間は全く見えなかったのに、今はフライパンの中身が見えるようだ。


「まだ? もうたべていい?」

「もう少しだから待ってね」


 焼き上がったばかりのホットケーキをお皿に載せると、ルシアンは嬉しそうにテーブルに運ぶ。

 さっきは少し成長を感じたのに、今はあの時と変わらないルシアンだ。

 僕がフォークで小さく切り分けると、ルシアンは嬉しそうに口を開けて待っていた。


「くくく、大きくなっても変わらないね」


 口いっぱいにホットケーキを頬張り、もぐもぐと幸せそうに噛む姿に、思わず笑みがこぼれる。


「おいしい?」

「うん! みにゃとのホットケーキすき!」


 口の周りにシロップをつけながら、ルシアンは満面の笑みを浮かべていた。

 その姿を見ていると、まるで昨日のことのように一緒に食べた朝食を思い出す。

 でも、あのときより少しだけ目線が合わなくなっているし重くなった。

 それでも僕の膝の上に乗るのは変わらないようだ。

 僕はマグカップを手に取りながら、なんとなく口を開いた。


「ルシアンって、いくつなの?」

「いくつ……?」


 問いかけると、ルシアンは首を傾げた。

 考えるように指を折って数え始めたものの、途中で止まってしまう。


「えっと……ごさい? いや……ろく……?」


 少し自信なさげに言うその表情が可愛らしくて、思わず笑ってしまう。


「そっか。前に会ったときは4歳くらいだったんだね


 そう言って、ルシアンは立ち上がると両手を広げて自分の背丈を示すようにした。


「ちょっとおおきくなったの!」

「本当だ。すごいね」


 僕がそう言うと、ルシアンは得意げに胸を張る。

 向こうの世界では一年が過ぎていたのだから、成長して当然だ。

 でも、たった一ヶ月会わなかっただけでここまで変わるなんてね。

 僕にとっては、ほんの少し目を離しただけの時間なのに少し寂しく感じてしまう。


「みにゃとのごはんでもっとおおきくなる!」

「うん。じゃあ、また一緒にいっぱい食べよう」


 ルシアンは嬉しそうに頷くと笑顔を見せた。

 その笑顔を見て、胸の奥にぽっと灯りがともるような感覚が広がった。

 そういえば、ルシアンはこっちにくる時に鞄を持ってきていた。


「ルシアンは何か持ってきたの?」


 ルシアンはすぐに鞄から何かを取り出した。

 それは子ども用のドリルだった。


「これって……」

「うん! みにゃとのやつ!」


 一緒に行ったショッピングモールで買ってあげたドリルだった。

 大事そうに抱えて、向こうに戻っていったけど、そんなに大事にしてくれているとは思わなかった。


「これいっぱいやった!」

「ルシアン、頑張ったんだね」 


 きっと僕にとったらたったの一カ月しか経っていないが、ルシアンはずっと努力したのだろう。

 その証に表紙の端が擦れていて、何度もめくった形跡がある。


「そういえば――」


 僕はふと部屋の棚を思い出した。

 ルシアンが帰る頃にネットで本を買っていた。

 渡すこともなく棚の片隅に置かれた子ども向けの本たち。

 僕は数冊の絵本やドリルを取り出すと、ルシアンの前に置いた。


「はい、これ。ルシアンへのプレゼント」

「プレゼント!?」


 ルシアンの瞳がパァッと輝いた。

 両手で大切そうに本を抱え、嬉しそうに笑う。


「みにゃと、ありがと!」

「いっぱい読んで、もっと勉強しようね」

「うん! ぼくがんばる!」


 その返事に僕も思わず笑ってしまう。

 一緒に勉強するために買ったけど、まだ5歳なら絵本でも使えるだろう。

 ルシアンは嬉しそうに本の表紙を撫でると、早速ページをめくり始めた。

 ひらがな表や簡単な単語が並んでおり、指でなぞりながら小さな声で読む。


「これは……あめ?」

「そうそう、合ってるよ。空から降るやつ」

「ふる……」


 口の中で繰り返しながら、ルシアンは次のページへ進む。

 時々詰まりながらも、一生懸命声を出して読む姿が愛らしい。


「こっちは猫だね!」

「みにゃと!」

「はは、僕は猫じゃないよ」

「んーん! かわいいの!」


 僕のことを可愛いって……。

 童顔だけどさすがにもうそろそろアラサーの男にそれはないだろう。

 そんな他愛もないやり取りを続けているうちに、外はすっかり暗くなっていた。

 窓の向こうで街灯が灯り、時計を見ると、もう夜の七時を回っている。


「わっ!? もうこんな時間!?」

「まだよみたい!」


 ルシアンは本を抱えたまま名残惜しそうに言った。

 その姿に苦笑しながら、僕は立ち上がる。


「じゃあ、続きはまた明日。今日はごはん作るね」

「ごはん!」


 ルシアンは嬉しそうに目を輝かせた。

 再びこの家に、二人分の夕食の匂いが戻ってくる。

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