第4話 聖男、少年の幸せを願う

 ルシアンを預かってから、毎日がドタバタして楽しい日が続いた。


「みにゃと! できた!」


 ショッピングモールで買ってきたひらがなドリルを自慢げに見せつけてくる。


「おー、すごいね!」


 そんなルシアンを撫でると、学ぶことが楽しいのかどんどんと集中して勉強していた。

 将来はきっと有能な人になりそうだ。

 これが親バカってやつだろうか。

 気づいた時には僕も通販サイトでたくさんの本を買い足していたからね。


「大丈夫かな……」


 今さっき児童相談所から施設の手続きができたと連絡がきた。

 やはりルシアンの両親は見つからず、身元がわからないということで、施設で預かることが決まった。

 楽しかった日は一瞬だったが、僕がずっと面倒を見ることができないから仕方ないのだろう。


 昼下がり、僕はルシアンのために最後のお別れ会を用意した。


「みにゃと! なにこれ!」


 テーブルには、普段よりもずっと豪華な料理が並んでいる。

 ハンバーグにオムライス、カラフルなサラダ、ホットケーキにジュースまで。

 全てがルシアンに出会ってから、好物だと感じたものばかりだ。

 そんなことも知らないルシアンは驚いて目を大きく見開いている。


「今日は特別だよ。最後・・に一緒に楽しもう」


 僕も笑顔で席に着き、ルシアンは小さな手でフォークを掴み、嬉しそうに料理を頬張る。

 もちろんルシアンが座るのは僕の膝の上だ。


「わー、みにゃと! いっぱい!」


 口いっぱいにオムライスを頬張り、幸せそうに笑うルシアン。

 僕もつられてにっこりとしてしまう。

 普段の食事よりも楽しそうで、僕まで心が温かくなる。


「みにゃと、これも!」


 ルシアンはホットケーキを指さし、目を輝かせる。

 相変わらずホットケーキを食べる時は、口を開けて待っていた。


「うん、食べようか。特別だからね」


 一口サイズにホットケーキを切り、ゆっくりとルシアンの口に入れる。


「おいしい?」

「うん!」


 満面な笑みのルシアンを見ると、嬉しい反面胸が苦しくなる。

 今日でお別れのことは、まだルシアンには伝えてない。

 楽しそうに食べながら、ルシアンがふと僕の顔をジーッと見つめてきた。


「みにゃと……だれかくる?」


 その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。

 僕は玄関に行き、扉を開けるとそこには児童相談所の担当者がいた。


「ルシアンくんは元気ですか?」

「今はお別れ会を……」

「橘さんには大変助かりました。ルシアンくん、こんにちは!」


 振り返ると、そこには呆然と立ち尽くすルシアンがいた。

 胸を押さえて苦しそうな顔に僕は気づいてしまった。

 ルシアンが何となく、僕の言葉の意味が理解できていたことを……。


――ドンッ!


 背中に衝撃が走ったと思ったら、ルシアンはそのまま玄関から外に飛び出した。


「ルシアン、待って!」


 僕は必死に手を伸ばすが、ルシアンを捕まえることはできなかった。

 また、ルシアンを泣かしてしまった。

 その事実だけが僕の心を締め付ける。


「橘さん、大丈夫ですか!?」

「早くルシアンを追いかけないと……」

「私は右側に行きますね!」


 僕たちはルシアンを探しに行くことにした。


 慌てて近所の道を駆け回る。

 ルシアンの小さな体は軽やかで、どこに消えたのか全く見当がつかない。


「ルシアン! ルシアン!」


 叫びながら、近所の小さな広場や商店街の裏道まで駆け回ったが、ルシアンの姿はどこにもなかった。

 やがて児童相談所の担当者と合流し、道行く人々に声をかけながら探し続ける。

 それでも見つからない。

 近くでよく遊んでいた場所はすべて確認した。


「橘さん、一旦家に戻りましょう」


 ずっと走り回って見つからなかったら、きっと家にいるかもしれない。

 そんな児童相談所の担当者の話を期待しながら、家に戻っていく。


「みにゃと……ごはんおいしいね」


 玄関の扉は少し開いており、近づくと家の中からルシアンの声がかすかに聞こえてきた。

 部屋に入ると口いっぱいにご飯を詰めているルシアンがいた。

 お腹が空いて帰ってきたのだろう。


「ごめん……ごめんね……」


 僕はルシアンを抱きしめた。

 きっと何も言わずにいたのがダメだったんだろう。

 だけど、ルシアンは何も言うことなく、僕の頭を優しく撫でた。


「へっ……?」

「みにゃと……たのちかったよ!」


 ルシアンは僕をギュッと抱きしめると、近くにあったひらがなドリルを手に取った。

 どこかルシアンの様子がおかしい。

 僕はすぐに異変に気づいた。


「……ルシアン、待って!」


 だが、もうすでに遅かった。

 窓から勢いよく風が吹き込むと、周囲には光が集まり、床には謎の文字が浮かび上がった。


「みにゃと、だいしゅき!」


 震えながらニコリと微笑むルシアンに僕は手を伸ばす。

 眩い光とともに瞬きをすると、目の前のルシアンは消えていなくなった。


 残されたのはテーブルの料理と、ルシアンの笑顔の余韻だけ。

 僕は手をそっと伸ばして、空中に消えていく小さな光に触れるように祈った。


 〝元気に過ごしてくれと〟


 静まり返った部屋の中で、テーブルの料理を見つめながら僕は深く息を吐く。


「ルシアン……楽しかったよ」


 僕はルシアンに 〝楽しかった〟。

 ただその一言すら言えなかった。


 静まり返った部屋の中で、テーブルの料理を見つめながら、ルシアンの笑顔を思い返す。

 あの小さな手、口いっぱいにオムライスを頬張る顔、笑った時の目の輝き。


「また会えるといいな……」


 空の向こうで元気にしているルシアンを思い浮かべ、僕も自然と笑顔になった。

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