心が読める僕は、二度目の恋で君を必ず救う
清洲 蒼真
第1話
真っ白な天井を見つめたまま、田島煌(たじま・こう)は呼吸をゆっくり整えていた。
午前0時――日付が変わった。
30歳の誕生日だった。
けれど、自室に響く祝福の声はひとつもない。
携帯の通知も、当然光らない。
「……三十歳、か。」
孤独という言葉が、やけに胸に重かった。
社会人になって6年。
新卒で配属されて以来、煌の生活は“疲労の繰り返し”でしかなかった。
朝7時すぎ家を出て、会社に21時まで拘束され、
22時に帰宅して、飯と風呂を済ませ、24時に寝る。
翌朝6時起床。
まるで“教科書に載せられたブラック企業の見本”みたいな生活。
休日になれば身体は鉛のように重く、
友人は結婚し、同期は昇進し、
自分だけが昨日と同じ場所に取り残されているような感覚。
そして今日、30歳。
机の上には、ホールケーキがひとつ。
自分で自分の誕生日を祝うために買ったものだ。
「……せめて、これくらいは」
煌はホールケーキに一本のろうそくを刺し、火をつけた。
オレンジ色の灯りが、薄暗い部屋に揺れながら広がっていく。
「……おめでとう、俺。」
声に出してみると、余計に虚しさが募った。
誰も祝ってくれない誕生日。
恋人もいない。
家族は遠く、友人は忙しく、
仕事仲間は――そもそも祝うほど親しくもない。
ケーキを口に運ぶと、砂糖の甘みが舌に広がった。
「……うまいな……」
美味しい。
けれど、その甘さは、食べ終わるほど胸を締め付けてくる。
(俺は……何をやってるんだろうな)
30歳、童貞。
青春なんてとうの昔に置いてきた。
恋なんて遠い昔の幻想。
昔――
中学の頃、図書室で本を読んでいた一人の少女。
名前も、顔も、声も、もう曖昧で。
ただ、ページをめくる指が綺麗で、
本棚越しにこちらを見て、小さく微笑んだ姿だけが残っている。
(……そういえば、あの子、どんな名前だったっけ)
記憶を辿ろうとすると、胸が痛んだ。
“もう戻れない過去”の象徴みたいで。
ケーキを食べ終えると、部屋は再び静かになる。
煌は風呂に入り、YouTubeをぼんやり眺め、ベッドに倒れた。
天井を見つめ、深く息を吐く。
(人生って……どこからやり直せるんだろうな)
答えは出ない。
眠気がじんわりと押し寄せてきたころ――
――声がした。
「残念ですが。あなたは“童貞のまま30歳”を迎えたため……魔法使いになります。」
「…………え?」
天井からでも枕からでもなく、
“頭の中”に直接響く声だった。
男でも女でもない、中性的な声。
「は……?」
寝ぼけているのかと思ったが、次の瞬間、
**視界が一気に白く染まった。**
「な、なんだ……!?」
体が浮く感覚。
重力が消えたように、身体の輪郭さえ曖昧になる。
「……ちょ、待って……?」
混乱する煌に、声は淡々と続けた。
「あなたの在籍する世界において、“30歳童貞”は適合率が低い存在です。
よって、代替世界へ送還します。コピー個体があなたの世界には残りますのでご安心を。」
「ぜんっぜん安心できねぇよ!!」
叫んだつもりだが、声にならなかった。
ただ、心が叫んだ瞬間、白い空間に波紋が走った。
「なお、この転送に伴い、“余剰魂容量”を補填するためのスキルを付与します。
スキル内容はランダムですが……童貞のまま三十路を迎えた個体にしては、比較的上等でしょう。」
「勝手に世界を移動させるなぁぁぁぁっ!!」
訴えは虚空に吸い込まれた。
「では――いってらっしゃい。」
闇が落ちた。
底の見えない真っ暗な空間へ、煌は真っ逆さまに落ちていく。
(……これ……夢じゃない……?)
落下する感覚の中で、脳裏にたった一つだけ、強烈に浮かんだ。
――もし本当に人生をやり直せるなら。
――今度こそ、誰かを……好きになって、
その人のことを、大事にできる自分でいたい。
願った瞬間、視界が――開いた。
「……え?」
瞼を開けた瞬間、煌は自分の呼吸が止まったような感覚に陥った。
目の前に広がっていたのは、見覚えのある古びた黒板。
教室特有の、どこか少し埃っぽい空気。
机につけられた無数の落書き。
消毒液の匂いが混じった床のワックスの香り。
そして――
**中学生たちのざわめき。**
「……ここ……中学……?」
机に手を触れると、木の冷たさが指先から伝わる。
夢ならもっと曖昧で、輪郭がぼやけているはずだ。
(いやいや……落ち着け……っ)
制服のシャツは中学時代に着ていた、あの白いポロ。
袖の長さも、胸元の布の張りも、三十歳のときのそれとは違う。
腕をつねる。
「……っ痛っ!?」
痛覚が鮮明にある。
(夢じゃない……?)
混乱が頭の中を駆け巡る。
そんなとき、教壇から教師の声が響いた。
「はい、静かに! 今からテスト返すぞー!」
(テスト……だと?)
周囲の生徒がざわざわしながら、自分の名前が呼ばれるのを待っている。
煌の机の周りにも、懐かしい顔――クラスメイトの顔が並んでいた。
「田島くーん」
反射的に返事をすると、教師が国語のテストを渡してきた。
赤ペンでつけられた点数は――
**90点。**
(……懐かしい……これ、俺が昔取った点数だ)
脳裏に蘇る。
中学のとき、国語だけはなぜか苦手だった。
「たたみ」「畳み」の書き分けでミスして教師に怒られたことまで、そのまま。
(……本当に戻ってきたのか?)
否定できない。
否定できるだけの材料が、ひとつも残っていなかった。
緊張で心臓が速くなるなか、突然、頭の奥に機械音のようなものが響く。
――ピッ。
《魂転送完了。補填スキルの初期化を開始します。》
(……なんだ?)
視界の端に、薄い透明のウインドウが浮かんだ。
スマホのポップアップを拡大したような、異物感のある見た目。
《スキル1:最適化スキル生成
──精神的苦痛・困難・恐怖の状況を感知し、
それを克服するための“スキル”を自動生成する。
生成上限:10個》
《スキル2:真偽把握
──対象の言葉・選択肢の“真偽”を直感的に把握する。
詳細情報は不可。二択問題に絶大な効果。》
煌は息を呑んだ。
(……これ……ガチのスキル……?)
信じたくなくても、目の前の現実は否定できない。
中学の記憶が鮮明すぎる。
机の触感、声の響き、制服の肌触り――全部“本物”だ。
教師がクラスメイトにテストを返す間、煌は心の中で必死に整理しようとした。
(俺は……三十歳のまま、この中学時代に戻ってきた。
しかも、スキル持ちで――
……人生、やり直せるのか?)
胸がざわついた。
今度こそ
**誰かを好きになって、
その人にちゃんと向き合える人生が欲しい。**
そんな思いが、胸の奥で熱を帯びる。
(……あの子は……)
記憶の隅で、ページをめくりながら微笑んだ少女の姿が浮かんだ。
ぼやけたまま、名前も戻ってこない。
ただ、
“中学の図書室で出会った子”
という断片だけが残っている。
(俺は……あのときの自分より、
ちゃんと誰かを好きになれるんだろうか)
不意に教室の扉が開いた。
「すみませーん、図書委員の者です。新刊の連絡に来ましたー」
澄んだ声が響く。
その声が――
**胸の奥を鋭く刺した。**
(……え?)
反射的に顔を上げた煌の視界に、ひとりの少女が入ってきた。
黒髪のポニーテール。
高い背と、整った姿勢。
大きめの黒縁メガネ。
スレンダーな体つきに、控えめな表情。
「二年三組の小川です。今週の新刊について……」
胸が跳ねた。
(……この子……どこかで……)
記憶の深層で、ぼやけた少女の輪郭が、ゆっくりと重なった。
**図書室で微笑んだ“あの子”の記憶と。**
胸が熱くなる。
呼吸がうまくできなくなる。
(……まさか……小川、あかり……?)
彼女は淡々と連絡を終えると、こちらに一瞬だけ視線を向け――
ほんの僅か、微笑んだ。
(あ……)
胸の奥で、何かが確かに“再生”した。
教室を出ていく彼女の背中を見つめながら、煌は理解した。
**これは――第二の人生だ。
そして、彼女はきっと……俺にとって“運命の人”だ。**
透明ウインドウが再び、淡い光を放った。
《感情反応を検知――
スキル生成の前兆を確認。》
胸が鳴った。
(……始まるんだな)
そう思ったとき、チャイムが鳴り響いた。
午後の授業はほとんど頭に入らなかった。
黒板の文字が白く滲んで見える。
先生の声は耳を滑るように通り過ぎる。
ただ、胸の奥でずっと“あの瞬間”が燻っていた。
(小川……あかり……)
名前をもう一度心の中で呼ぶだけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
記憶の片隅に残っていた“図書室の少女”。
ぼやけていた輪郭に、ようやく名前が宿った。
あの頃、勇気がなくて声をかけられなかった相手。
本を読む横顔が妙に綺麗で、でも話しかけるなんて恐れ多くて。
(俺は……一度も恋を“始めた”ことすらなかったんだよな)
30年生きて、好きだと思えた人は片手の指で数えるほど。
その誰ひとりに、思いを伝えることができなかった。
だから、あの瞬間――
彼女と視線が交わった瞬間に心が弾けたのは、当然だったのかもしれない。
(今度こそ……後悔したくない)
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
カバンに教科書をしまいながら、煌は小さく息を吐いた。
「……まずは、話しかけるところからだよな」
三十歳の中身を持っていても、中学生の男子として“女子に話しかける”行為は簡単じゃない。
手が震えた。
声が上手く出る保証もない。
(でも……逃げたくない)
その瞬間、透明のウインドウが淡く輝いた。
――ピッ。
《感情反応を解析。
“恐怖・緊張・期待”を検知。
――スキル生成開始。》
「……!?」
胸の奥が一瞬だけ熱くなり、何かが流れ込んできた感覚があった。
《スキル1枠使用
新規生成スキル:〈心気安定〉
──会話前の緊張や恐怖を抑え、
“自然体”で相手と向き合える状態に調整する。
※効果は微弱。過信はしないこと。》
(……これって……)
まるで緊張したときに深呼吸を促すような、そんな優しい力。
魔法のように劇的ではないが、“確かに心の軸が整う”感覚だった。
(これなら……いける……かもしれない)
廊下を歩きながら、煌は図書室の方を見た。
ちょうど扉が開き、あかりが本を抱えて出てくるところだった。
(……出てきた)
足が止まりそうになる。
鼓動が一段と速くなる。
けれど――
〈心気安定〉が胸の奥を軽く押した。
(行け。逃げるな)
深呼吸。
歩き出す。
「……小川さん!」
声が震えなかった。それだけで胸が熱くなる。
あかりは立ち止まり、こちらを見た。
黒縁メガネの奥の瞳が、やわらかく揺れる。
「……田島君?」
自分の名前を呼ばれただけで、世界が一瞬だけ静かになったような気がした。
「さっき……その、新刊の連絡、ありがとう。
えっと……小川さん、図書委員だったんだね」
「うん。新しい本が来ると、つい整理したくなっちゃって」
淡く笑う。
その笑顔は、記憶の中の少女と重なり、胸に痛いほど響いた。
(……やっぱり、この子だ)
小さく息を吸い、言葉を続ける。
「俺……その、本読むの好きなんだ。
よかったら……オススメとか、教えてくれない?」
あかりは目を一瞬だけ丸くしたあと、ふわりと頬を緩めた。
「……いいよ。今度、一緒に図書室行く?」
「っ……!」
心臓が大きく跳ねた。
ただの会話。
ただの約束。
それなのに――
三十年間の人生で、一度も得られなかった“スタートライン”に立てた気がした。
「……うん。行こう」
返事をすると、あかりは軽く頷き、廊下を歩き去っていった。
その背中を見つめながら、透明ウインドウが再び光る。
《真偽把握:反応
――“本心”》
(……彼女は、嘘をついてない)
胸が熱くなる。
(俺は……やり直せるのかもしれない)
スキルがどうの、転生がどうのなんて関係ない。
**彼女と話せた。
彼女と“約束”できた。
それだけで、十分だ。**
世界はこんなにもやり直しの余地があったのか。
そう思った瞬間――
放課後のチャイムが鳴り、教室の窓が夕日に染まった。
煌は胸の奥に芽生えたものの名を、そっと認めた。
それは――
**“恋の始まり”だった。**
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