第16話 独力の果て

スーリが去ってから、二ヶ月が経った。


秋は深まり、朝晩の冷え込みが厳しくなっていた。


村は、変わりつつあった。


だが、それは良い変化だけではなかった。


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朝の広場を歩く。


かつては声が響いていた場所だ。子供たちの笑い声、鍛冶の槌音、井戸端での談笑。


今は、何もない。


人はいるのに、村の気配が薄い。


井戸の周りに、誰もいない。水桶が並んでいるだけだ。かつてはここで女たちが笑い合い、噂話に花を咲かせていた。今は、水を汲んだらすぐに立ち去る。会話する余裕がない。


誰もが黙々と作業をしている。話す余裕がないのだ。


アレンは足を止め、広場を見渡した。


(これが、二ヶ月の結果か)


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「ミミ、増えたね」


リシアが檻の前でしゃがみ込んだ。


最初は一匹だったウサギ型の小型個体が、今では五匹になっている。繁殖は順調だった。


「ウリも、だいぶ大きくなった」


隣の檻では、猪型のウリがのんびりと餌を食べている。子供の頃は凶暴だったが、今では人の手から餌を受け取るほど懐いていた。


「家畜化は成功だな」


アレンが頷いた。


だが、全員が喜んでいるわけではなかった。


「モンスターなんぞ飼うもんじゃねぇ」


檻の向こうで、老人が呟いた。腕を組み、不機嫌そうに家畜を睨んでいる。


「不自然だ。いつか牙を剥くに決まっとる」


アレンは何も言わなかった。


だが、現実が少しずつ反対の声を小さくしていた。


肉が増えた。食糧が安定した。子供たちが笑うようになった。


それが、何よりの説得だった。


「……まあ、食えるんなら文句は言わねぇよ」


老人は最後にそう呟いて、背を向けた。


リシアが小声で言った。


「少しずつ、受け入れられてきたね」


「ああ。でも、まだ足りない」


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村の中心部は、以前より整理されていた。


生活圏はコンパクト化された。使われなくなった家屋は解体し、資材として再利用。村人たちは中心部に集まり、防衛と生活の効率を両立させている。


見張り台は四基が稼働し、交代制の監視体制が確立された。


罠地帯も、優先順位をつけて維持されていた。全ての罠を管理するのは諦め、重要な箇所だけを集中的に整備する方針に切り替えた。


だが、農地は違った。


縮小し、効率的な区画に再編はされている。だが、雑草の除去が追いついていない。作物の間に、細い雑草が伸び始めている。収穫量は微増したが、それは「ギリギリ持ちこたえている」というだけだった。


「数ヶ月前と比べれば、ずいぶん良くなった」


バルトが腕を組んで村を見渡した。


「ああ。みんなの努力の成果だ」


アレンが答えた。


「でも……」


バルトの声が低くなった。


「それでも、どうしても足りねぇもんがある」


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集会所で、エルナが報告書を広げた。


「現状を整理します」


彼女の声は落ち着いていたが、目の下の隈は消えていなかった。


「まず、成果から。家畜の繁殖は順調。生活圏のコンパクト化で防衛効率は向上。見張り台も交代制で維持できています」


「良いニュースだな」


ガレスが頷いた。


「ですが……」


エルナの表情が曇った。


「農地の維持が限界です。雑草の除去が追いつかず、作物の質が落ち始めています。収穫量は微増しましたが、それは人手を削って農地に集中させた結果です」


「つまり、他が犠牲になっている?」


「はい。家屋の修繕が完全に止まっています。専門の大工がいないため、このままでは冬の寒さに耐えられない家が出てきます」


「罠の更新も限界だ」


バルトが引き継いだ。


「オルドの残した罠は、あと一ヶ月で寿命だ。新しい罠を作れる職人がいない」


「医療も」


セリナが言った。


「私の治癒魔法は応急処置レベル。深い傷や病気には対応できません」


「道具の修理もだ」


レンが掠れた声で言った。


「斧の刃がこぼれてる。鍬も曲がってきた。鍛冶屋がいない」


問題は、次々と挙がった。


そして――


「若者の離脱が、止まりません」


エルナが俯いた。


「この二ヶ月で、三人が村を出ていきました」


沈黙が落ちた。


「……理由は?」


アレンが訊いた。


「一人は、都市で働く方がマシだと。もう一人は、怪我で働けなくなって……食い扶持扱いされるのが耐えられなかったと」


エルナの声が震えた。


「最後の一人は、何も言わずに消えました。未来が見えなかったんだと思います」


その言葉に、誰も何も言えなかった。


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会議の後、アレンは村の外れを歩いていた。


森の境界線。罠地帯の向こう側。


ふと、足を止めた。


柵の一部が、傾いている。木材が古く、腐りかけている。修繕の人手が回らなかった証拠だ。


地面には、浅い陥没跡がある。誰かが踏み抜いたのか、それとも――


その時、目に入った。


見慣れない足跡。


大きい。獣の足跡だ。だが、これまで見たどのモンスターとも違う。


足跡は村の方向ではなく、森のさらに奥から続いていた。


「……何かが、移動している」


アレンは膝をついて足跡を観察した。


爪痕が深い。体重もある。足跡の間隔から推測するに、かなり速い。


そして――


(これは、大型だ)


前世で見た記録が、脳裏に浮かんだ。


野生動物の足跡解析。体重と速度の相関。この足跡のパターンは、少なくとも500キロを超える個体のものだ。


大型個体を撃退してから、森の生態系が変わりつつある。空白を埋めるように、別の何かが領域を広げている。


アレンは立ち上がり、村の方を見た。


(あの村では、この脅威に対処できない)


脳裏に、また前世の記憶が蘇った。


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――地面が傾いた。


――誰かが叫んだ。


『逃げろ、床が落ちる!』


――次の瞬間、視界が反転した。


――落下する身体。


――伸ばした手は、誰にも届かなかった。


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「……っ」


アレンは額を押さえた。


頭痛がする。吐き気がする。


(同じだ)


今の村は、あの時と同じだ。


努力している。工夫している。みんなが必死に頑張っている。


でも、「人手」という根本的な問題は解決できない。


(独力では、無理なんだ)


アレンは拳を握りしめた。


-----


その夜、アレンとリシアは焚き火を囲んでいた。


「ねえ、アレン」


リシアが膝を抱えて言った。


「私たち、頑張ったよね」


「ああ」


「でも……足りないんだよね」


アレンは黙って頷いた。


リシアは焚き火を見つめた。


「スーリのこと、覚えてる?」


「……覚えてる」


「あの人が言ってた。バルディアには人材がいるって」


「ああ」


「……あの時は、断ったよね」


「ああ」


リシアは顔を上げた。


「今は、どう思う?」


アレンは少し考えてから、口を開いた。


「……試すだけ試した。独力でやれることは、全部やった」


「うん」


「それでも、足りなかった」


「うん」


アレンは焚き火を見つめた。


「だから……外に、頼るしかない」


「でも、それって……」


リシアが言葉を切った。


アレンは続けた。


「外に頼れば、依存になる。村の自立は、幻想になる」


「……」


「それでも――村を守るためなら、何でもする。それでいいんだろ?」


リシアは小さく笑った。


「やっと、認めたね」


「……悔しいけどな」


「悔しくていいよ。でも、それが村のためなら」


リシアが立ち上がった。


「私も、覚悟してる。外に出るなら、一緒に行く」


「お前も?」


「当たり前でしょ。あなた一人で交渉なんて、絶対うまくいかないんだから」


「……反論できない」


アレンも立ち上がった。


焚き火の向こうに、暗い森が広がっている。


「……村を守るためなら、外に出る」


アレンは呟いた。


「それが間違いでも、選ばないよりはマシだ」


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翌朝。


村の入口に、見慣れた影が立っていた。


派手な外套。泥で汚れた裾。だが、よく見ると袖に切れ目がある。最近、何かと戦った跡だ。


長い黒髪を無造作に束ねた顔には、疲労の色が浮かんでいる。背中の鞄は、以前より軽そうだ。荷物が減っている。


「よお。久しぶり」


スーリが手を振った。


「まだ生きてたんだね、あんたたち」


バルトが警戒心を露わにした。


「なぜ、また来た」


「別に。ただ、様子を見に来ただけさ」


スーリは村を見回した。


「へぇ。前より整理されてるじゃん。頑張ったね」


「……」


「でも、限界でしょ?」


スーリの目が、鋭くなった。


「罠は老朽化してる。家屋の修繕も追いついてない。農地も雑草が伸び始めてる。若者が減ってる。そして……」


スーリはアレンを見た。


「森の奥に、新しい脅威がいる。知ってるでしょ?」


アレンは驚いた。


「なぜ、それを……」


「三日前、森の東側で同じ足跡が見つかったって噂を聞いたよ」


スーリは肩をすくめた。


「あんたらの村だけじゃない。辺境全体が、少しずつ”揺れてる”」


「辺境全体……?」


「大型個体がいなくなって、生態系が崩れてるのさ。あちこちで、新しいモンスターが動き始めてる」


スーリの声は軽いが、内容は重かった。


アレンはスーリの袖の切れ目を見た。


「……お前も、何かあったのか?」


スーリは一瞬だけ表情を変えた。


「……まあね。森は、以前より危険になってる。商人も、命懸けさ」


「どう? そろそろ、あたしの話を聞く気になった?」


アレンは黙っていた。


数秒の沈黙。


そして、口を開いた。


「……話を聞かせてくれ」


スーリは、にやりと笑った。


「やっと素直になったね」


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