第13話 傷と希望
村の入口が見えた時、エルナが駆け寄ってきた。
「おかえりなさい! 無事で……」
言葉が途切れた。狩猟隊の惨状を目の当たりにしたからだ。
半数以上が負傷し、何人かは担架で運ばれている。そして、バルトの背中に背負われた遺体を見て、彼女は口元を手で覆った。
「オルド……さん……?」
バルトは何も答えず、ただゆっくりと首を振った。
その沈黙が、死を確定させた。
最後尾から、レンが歩いてきた。
その腕には、双子の弟ダリオの遺体が抱えられている。いつも二人でふざけ合っていたレンの顔からは、表情というものが完全に削げ落ちていた。能面のようなその顔が、周囲の村人たちに「安堵」という言葉を飲み込ませた。
重苦しい沈黙だけが、村を支配した。
広場に三つの遺体が並べられた。
オルド。ダリオ。そして、名もなき若い村人が一人。
ガレスが杖をついて前に立った。いつもの帰還儀式だ。だが、今日は空気が違っていた。
「彼らは、耐えて死んだのではない」
ガレスの声が、静寂にひび割れるように響いた。
「戦って、守って、そして死んだ」
うつむいていた村人たちが、一人、また一人と顔を上げる。
「オルドは自らを囮に罠を起動させた。ダリオは退路を作るために前に出た。彼らは逃げなかった。守り抜いたのだ」
ガレスは杖を地面に強く突いた。
「今日、この村は変わった。耐えるだけの村から、戦う村になったのだ」
その言葉は、悲しみを消しはしない。だが、絶望を「誇り」へと変える熱を持っていた。
すすり泣く声の中に、握りしめられる拳の音が混じる。
「また明日」
ガレスが言った。
「……また明日」
村人たちの唱和はバラバラだったが、そこには確かな意志が宿っていた。
儀式の後、アレンは村の端にある古い資材置き場で座り込んでいた。
ここには、オルドが使い残した木材や図面がそのまま残されている。
(『焦るなよ、アレン。罠作りってのは、相手の息遣いを感じるのが大事だ』)
数日前、笑いながらそう話していたオルドの声が、脳裏に焼き付いて離れない。
「……俺が、急がせた」
アレンは膝の上で拳を握りしめた。爪が食い込む。
「俺がもっと完璧な作戦を立てていれば……もっと早く撤退を決めていれば……」
前世の記憶がフラッシュバックする。会議室で責任を押し付けられた記憶ではない。もっと根源的な、自分の無力さが招いた”喪失”の感覚。
吐き気がした。
「アレン」
リシアが隣に座った。彼女の服も泥と血で汚れている。
「……大丈夫?」
「大丈夫なわけ、ないだろ」
アレンは弱音を吐いた。初めてだった。
「オルドを殺したのは俺だ。俺の策に乗らなければ、彼はまだ生きていた」
リシアは否定しなかった。「そんなことない」という安易な慰めは、今の彼には届かないと知っていたからだ。
彼女はただ、アレンの震える拳を、自分の両手で包み込んだ。
「……そうだね。あなたの策だった」
アレンの体が強張る。
「でも、みんなが帰ってこれたのも、あなたの策だった」
リシアの声は震えていたが、温かかった。
「オルドさんは、最期に笑ってた? それとも怒ってた?」
「……『仕事は終わった』って、言ってた」
「そっか。……じゃあ、それがオルドさんの選んだ”戦い”だったんだよ」
リシアはアレンの手を強く握り返した。
「背負おうよ、アレン。オルドさんの分も、ダリオの分も。全部背負って、それでも生きるの。それが、生き残った私たちの……この村を変えるって決めた人間の、役目でしょ」
アレンは顔を上げた。
リシアの瞳に涙が溢れている。けれど、その目は逃げていなかった。
「……厳しいな、お前は」
「補佐役が優秀だからね」
リシアが泣き笑いのような顔をする。
アレンは深く息を吐き、胸の奥のどす黒い塊を、覚悟という名の冷たい石に変えた。
「……ああ。背負うさ。次は、もう誰も死なせない」
アレンは立ち上がった。
だが、足が震えている。
膝が、言うことを聞かない。
(……これでも、前に進むと言えるのか?)
「アレン」
リシアが肩を貸してくれた。
「一緒に行こう」
「……ああ」
ふたりは、集会所へ向かった。
夕方、集会所で緊急会議が開かれた。
「戦果と課題を整理する」
アレンが木板の前に立った。疲労で足がふらつくが、声だけは張った。
「魔石罠は有効だった。だが、決定打にはならなかった。理由は火力不足と、情報不足だ」
バルトが腕組みをして頷く。
「次は早期発見システムを作る。見張り台を四方に増設。常時監視体制だ」
アレンが図面を示すと、エルナの表情が曇った。
「待ってください」
エルナの声が震えている。
「見張り台四つに、常時二人……計算すると二十四人必要です。今の村の労働力でそれをやったら、畑仕事が回りません」
「……分かっている」
アレンは痛いところを突かれた顔をした。
「睡眠時間を削るか、子供たちにも軽作業を回すことになる」
「子供たちに……?」
エルナが唇を噛む。
「それに……子供たちの避難訓練も、毎日ですか?」
その声には、疲労と覚悟が同時に混じっていた。
「でも、やらなければ気づいた時には手遅れになる」
重い沈黙が落ちた。
「……俺がやる」
沈黙を破ったのは、レンだった。
弟を失った双子の兄。彼は虚ろな目のまま、しかし強い声で言った。
「俺が見張る。夜も、昼も。……もう二度と、あんな思いはしたくない」
その鬼気迫る様子に、誰も反論できなかった。
「レン一人に押し付けるわけにはいかない」
バルトが言った。
「俺たち狩猟隊も、交代で入る」
「私も……やります」
エルナが覚悟を決めたように顔を上げた。
「避難計画の責任者も、私が引き受けます」
役割分担が決まっていく。警報システムも整備する。鐘は小型個体。火は大型個体。角笛は緊急避難。
それは希望に満ちた団結というより、崖っぷちで互いの手を掴み合うような、必死の連帯だった。
三日後。
見張り台の建設現場は、異様な熱気に包まれていた。
特にレンの働きぶりは凄まじかった。アレンの拡張術で強化された木材を、休むことなく組み上げていく。
その時だった。
「鐘だ! 警報!」
見張り台の上で、レンが叫んだ。
カン、カン、カン! と鐘の音が鳴り響く。
村に緊張が走る。
だが、前回の教訓は生きていた。エルナの指示で子供たちが即座に避難を始める。バルトたちが武器を手に走る。
「どこだ!」
「森の入口! 黒い影が!」
レンは弓を引き絞っていた。その目には殺気が宿っている。
「死ね……!」
弦が放たれようとした、その瞬間。
「待てレン!」
視力の良い狩猟隊員がレンの腕を掴んだ。
「あれを見ろ!」
茂みから飛び出してきたのは──一匹の痩せた野良犬だった。
鐘の音に驚き、キャンキャンと鳴いて逃げていく。
「……は?」
レンの手から弓が滑り落ちた。
「い、犬……?」
「なんだよ、犬かよ……」
誰かが吹き出した。
その笑いは伝染し、緊張で強張っていた村人たちの肩が、次々と震え始めた。
「心臓止まるかと思った……」
「レン、お前、顔怖すぎだぞ」
レンはその場にへたり込み、両手で顔を覆った。
泣いているのか、笑っているのか分からない声が漏れた。
「……くそっ……驚かせやがって……」
アレンも壁に寄りかかって息を吐いた。
「……いい訓練になったな」
バルトが苦笑した。
「三分だ。避難完了まで三分。上出来だ」
その夜、アレンは一人、森の境界線を歩いていた。
罠の近くで、気配を感じた。
「……また犬か?」
慎重に近づく。
そこにいたのは、犬ではなかった。
ウサギ型の小型個体。
あの戦場で、大型個体の後ろについていた群れの一匹だ。
片足を怪我しており、うずくまって震えている。
アレンが剣に手をかけた瞬間、違和感が手を止めた。
(殺気がない……?)
戦場での記憶が蘇る。大型個体が傷ついた途端、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した小型個体たち。
統率された軍隊ではない。恐怖で縛り付けられた、ただの弱者の集まり。
「……お前も、被害者か」
「アレン?」
リシアが背後から近づいてきた。
「また小型個体? ……うわ、怪我してる」
「ああ。あの時の生き残りだ」
「どうするの?」
アレンは脳裏の知識を探った。
前世の記憶。野生動物を家畜化してきた人類の歴史。恐怖ではなく、餌と安全を与えられた生物は変質する。
ましてやこいつは、すでに強力な支配者に従うという習性が刷り込まれている。ならば──
「……殺さない」
アレンはポケットから干し肉を取り出した。
「試したいことがある。支配者をすげ替えられるかもしれない」
干し肉を放った。
小型個体はビクリとしたが、鼻をひくつかせ、空腹に耐えかねて肉に噛みついた。
夢中で食べるその姿は、恐ろしい魔獣というより、ただの飢えた獣だった。
「……食べた」
リシアが目を丸くする。
「ねえアレン。この子、目がクリクリしてて……ちょっとかわいいかも」
「さっきまで殺すかどうか話してた相手だぞ」
「だって、ご飯食べてる時は無害そうだし」
リシアがしゃがみ込む。
小型個体は肉を食べ終えると、まだ警戒しつつも、期待するような目で二人を見上げた。
「飼ってみるか」
「本気? 村の人が反対するよ」
「ああ、猛反対されるだろうな。でも、狩猟だけじゃジリ貧だ」
アレンは冷徹な計算を口にした。だが、その目は少しだけ柔らかかった。
「それに……恐怖で従うだけの関係は、もう見飽きた」
リシアはニカっと笑った。
「じゃあ、名前つけなきゃね!」
「気が早い」
「ミミ! 耳が大きいから!」
「……安直すぎるだろ」
「いいの! 今日からミミね。……この村で初めての”仲間”だもん」
リシアの声は明るかった。
アレンはため息をつきながらも、否定しなかった。
遠くで見ていた老人が、眉をひそめていたことにアレンは気づかなかった。
再建は、元に戻すことではない。新しく作り直すことだ。
ミミを見つめるアレンの脳裏には、すでに檻の設計図と繁殖計画の青写真が浮かび始めていた。
小さな希望は、まだ震えている。だが、確かにそこにいた。
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