第10話 命を分ける作業

翌日、狩猟隊が小型個体を三体持ち帰った。

村の広場では、すでに解体の準備が整っていた。

血を洗い流すための水桶、肉を置く木の台、内臓を分ける麻袋。すべてが、淡々と、当たり前のように配置されている。

解体の匂いが広がる中、村は”生きるための作業”を始めていた。

アレンとリシアも作業に加わった。


◼︎解体作業

解体場は、血と内臓の匂いが充満していた。

老人──グレンが、手慣れた様子で刃物を研いでいる。

「始めるぞ」

グレンの合図で、モンスターが台に載せられる。

刃が、正確に皮と肉の境界を切り開いていく。血が流れる。内臓が取り出される。骨が剥き出しになる。

村人たちは、誰も顔をしかめなかった。子供たちすら、当たり前のようにその光景を見ている。

アレンは解体される肉の重さを見て、思った。

──大型個体は、この三倍はあった。

あれがまた村に来るのだと思うと、背中に冷たいものが走る。

「……慣れないな」

アレンが呟くと、グレンが手を止めずに答えた。

「慣れる必要はない。慣れたら終わりだ」

「でも、みんな慣れてる」

「ああ。それが異常だと気づけなくなったら、本当に終わりだ」

グレンの声は低く、乾いていた。

その時、若い狩猟隊員が木箱から装備を取り出した。

「これ、誰の……」

血に染まった革鎧。破れた弓。

「……マーカスのだ」

バルトが低い声で言った。

前回の遭難で消息を絶った、最後の一人。

広場に、重苦しい沈黙が広がった。

グレンが突然、手を止めた。

「……マーカスは、わしの孫の友人だった」

誰も何も言えなかった。

しばらくして、グレンは再び作業を始めた。だが、その手は微かに震えていた。

「肉、皮、骨、内臓。すべて活用する。無駄にはできない。死んだ者のためにも」

作業が進む中、村人たちが小声で囁き合っている。

「もうすぐ、また来るらしいぞ」

「大型個体か……」

「前回より近づいてるって話だ」

「次は、村に来るかもしれない」

恐怖が、日常の中に溶け込んでいる。

アレンは黙って作業を続けた。

(……昨日の記録の光景が、頭から離れない)

(三十二名、四十一名、五十三名)

(今回は、何人になる?)

拳を握りしめた。

(……いや、違う)

(今回は、防ぐ)

保存魔法と伝統の衝突

解体が終わると、若い女性──セリナが肉の塊に手を当てた。

「冷却魔法、発動」

肉の表面が薄く凍りつく。

「これで数日は持つ。ただし、魔法が切れたら腐り始める」

「じゃあ、ずっと魔法をかけ続けないといけないんですか?」

リシアが訊いた。

「そうだ。だから、交代制で管理する」

セリナの顔には疲労が滲んでいた。

「魔力消費も大きいし、効果も限定的だけど……やらないよりはマシだから」

その時、村の長老の一人──白髪の老人が杖をついて近づいてきた。

「魔法に頼りすぎるのは良くない」

「でも、長老。これがないと保存が……」

「昔ながらの塩漬けで十分だ」

老人の声は頑なだった。

「わしが若い頃、魔法で保存しようとして失敗した者がいた。魔石が暴発して、家族ごと吹き飛んだ」

セリナの表情が強張る。

「それは……でも、今は違います。冷却魔法は安全で……」

「安全? 魔法に絶対はない」

老人は首を振った。

「塩漬けなら、確実に保存できる。魔法など、所詮は補助に過ぎん」

セリナは黙った。反論したそうだったが、長老の過去を知っているのか、言葉を飲み込んだ。

グレンが横から口を挟んだ。

「……長老の言うことも分かる。わしも昔、魔法の失敗で肉を全部腐らせたことがある」

「え?」

「魔力が途切れて、一晩で全滅だ。あの時は、村中が飢えた」

グレンは肉を見た。

「だから、わしも魔法には慎重だ。だが……」

グレンの声が低くなる。

「今の村に、塩だけで冬を越せるだけの保存力はない。塩も高価で、量が足りない。魔法も使わないと、足りない」

老人は黙った。

しばらくして、小さく頷いた。

「……分かった。だが、慎重にやれ。魔法と塩漬け、両方を使え」

「もちろんです」

セリナがほっとした表情で頷いた。

アレンは横で聞いていて、思った。

(……魔法と伝統、両方が必要か)

(どちらか一方では、生き延びられない)


◼︎拡張術の応用

「アレン、試してみてもいいか?」

セリナが訊いた。

「拡張術で、冷却魔法の効果を延ばせるかもしれない」

「やってみる」

アレンはセリナの魔法に手を当てた。

「拡張術、発動」

冷却魔法の効果が強まり、肉の表面がより深く凍りつく。

「……おお」

セリナが驚いたように言った。

「これなら、一週間は持つかもしれない」

「すごい! これなら魔力の負担も減る!」

セリナが目を輝かせた。

だが、老人は不満そうに呟いた。

「奇策に頼るより、腕を鍛えた方がいい」

アレンは反論せずに黙った。

(……こういう反発は、必ずある)

(技術への不信。変化への恐れ)

(でも、それでも進むしかない)

リシアが横から小声で言った。

「でも、今のすごかったよ。肉が本気で凍ってた」

「本気で凍るって、どういう表現だ」

「だって、真剣に冷たそうだったんだもん」

「……意味が分からない」

「分かってよ!」

その軽口に、周囲の空気が少しだけ緩んだ。


◼︎魔石の可能性

作業の合間、アレンは保管用の小屋を見ていた。

奥には、魔石が数個置かれている。

村の収入源であり、灯りの源でもある貴重な資源だ。

「魔石は、どう扱ってるんですか?」

アレンがグレンに訊いた。

「慎重にだ。穢れを避け、衝撃を与えない」

「衝撃を与えると?」

「魔力が暴発する。下手をすれば爆発だ」

「爆発……」

アレンの脳裏に、何かが閃いた。

(……爆発?)

(魔石に圧力をかけて、中和魔法を流せば……もしかして、火薬みたいに使えるのか?)

(もしこれを大型個体の足元で爆発させられたら……)

(いや、まだ考えるな。現状では危険すぎる)

だが、その発想を口に出すわけにはいかない。

(誰も信じないだろう。それに、失敗すれば村ごと吹き飛ぶ)

アレンは黙って、魔石を見つめた。

「魔石は村の命綱だ」

グレンが言った。

「都市に売れば、種や道具と交換できる。だが、使い方を誤れば村ごと吹き飛ぶ」

「……分かりました」

アレンは頷いた。

だが、心の奥で考えは止まらなかった。

(大型個体に対抗するには、新しい武器が必要だ)

(罠だけでは足りない。魔法だけでも足りない)

(もし、魔石を使えば……)


◼︎配分会議

夕方、配分の会議が開かれた。

バルト、エルナ、ガレス、そして数名の村人が集まった。

「今回の獲物は、小型個体三体。肉は約二十八キロ」

エルナが木板に数字を書き込んでいく。

「配分は、家族の人数で均等に」

バルトが言うと、すぐに反論が上がった。

「待ってくれ。今回は前線の損害が多かった。俺たちの取り分を増やしてくれ」

狩猟隊の若い男が立ち上がった。

「俺たちがいなければ、お前らは食えないんだぞ」

「だが、子供がいる家庭を優先すべきだ」

別の村人が反論した。

「子供は村の未来だ。前線の者だけが優遇されるのはおかしい」

「未来? 今を生き延びられなければ、未来もクソもないだろう」

声が重なり、怒号になる。

バルトが手を上げた。

「落ち着け」

だが、誰も聞いていない。

「お前らばっかり肉を食って!」

「俺たちは命がけで戦ってるんだ!」

「老人や子供は後回しか!」

アレンは黙って見ていた。

(……まとまらない)

村は、表面上は団結しているように見える。だが、内部には確実に亀裂がある。

飢餓、恐怖、疲労。

すべてが、村人たちの心を削っている。

(……このままでは、村は内側から崩れる)

「……一つ、提案がある」

アレンが口を開いた。

広場が、一瞬静かになった。

「配分を二段階にする」

「二段階?」

「まず、最低限の生存分を全員に均等配分。その後、残った分を貢献度に応じて配分する」

沈黙。

「……それなら、納得できるかもな」

狩猟隊の一人が頷いた。

「子供も老人も、最低限は確保できる。その上で、俺たちの分も増える」

「俺も賛成だ」

エルナも頷いた。

「公平だと思います」

「では、そうしよう」

バルトが決断した。

会議は、何とか収まった。

だが、広場の端で、一人の村人が小さく呟いた。

「……まあ、今回はいいけどな」

その声には、わだかまりが残っていた。

アレンは、それを聞き逃さなかった。

(……火種は、消えていない)

(いつか、また燃え上がる)


◼︎夜の思考

その夜、アレンは一人で考えていた。

解体・保存・配分。

すべてが、村の生存に直結している。

そして、すべてが脆弱だ。

(基本魔法だけでは限界がある)

(魔石を使えば……もっと効率的に保存できるかもしれない)

(いや、それだけじゃない)

アレンは魔石のことを思い出した。

(衝撃で暴発する。つまり、制御できれば武器になる)

(火薬代わりの魔石……魔石地雷?)

だが、その発想を実現するには、まだ多くの課題がある。

安定化、制御、起爆装置。

そして何より、村人たちの理解。

「奇策に頼るより、腕を鍛えろ」

老人の言葉が、脳裏に蘇る。

(……そうかもしれない)

(でも、腕だけじゃ大型個体には勝てない)

アレンは拳を握った。

(俺には、前世の知識がある)

(それを使って、新しい戦い方を見つける)

(魔石、基本魔法、拡張術……すべてを組み合わせれば)

窓の外で、遠くから遠吠えが聞こえた。

大型個体が、近づいている。

時間は、あまり残されていない。

「……やるしかない」

アレンは呟いた。

村を守るために。

そして、前世のように無力に終わらないために。

(必ず突破口を作る)

(村の未来を、前世と同じ結末にさせないために)

月が雲に隠れ、村は暗闇に包まれた。

だが、アレンの目には、確かな決意が灯っていた。


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