【第37話】 灰色の葬列、あるいは「守れなかった約束」の終着点

(視点:ドワルガ)


「……また、守れなかった」


 私の声は、乾ききっていた。


王宮の中庭。  


鉛色の空からは、冷たい雨が落ちてきていた。  


石畳を叩く音が、参列者のすすり泣きをかき消していく。



目の前には、灰色の布で覆われた棺がひとつ。


あの中には、アルが眠っている。  


……もう二度と、あのふざけた笑顔を見せることはない姿で。


死因は、猛毒による心停止。  

検死報告書には、無機質な文字でそう記されていた。  

即死だったという。  

苦しまなかったことだけが救いだなんて、そんな言葉で誰が慰められるものか。


「……ッ」


奥歯を噛み締めすぎて、口の中に鉄の味が広がる。


七年前、あの子の両親を守れなかった。  


そして今、あの子自身も守れなかった。


『あなたの後ろには私がついている』?


『大人の権力を舐めるな』?  



……笑わせる。


私はただの無能だ。  


一番大事な時に、いつも間に合わない。  

酒と機械に逃避している間に、一番大切な希望を砕かれた。


「……ドワちゃん」


 隣に立つ喪服姿の美女――セリナが、私の肩にそっと手を置いた。  濡れた喪服が肌に張り付いているが、彼女は気にする様子もない。  黒いベールの奥、いつもなら悪戯っぽく光る瞳は、今日はずっと伏せられたままだ。


雨が、私たちの肩を濡らしていく。  


誰も傘を差そうとはしなかった。  


この冷たさが、せめてもの罰だと思っているかのように。


「ドワルガ参謀……」


 震える声に、振り向く。  


 黒い喪服に身を包んだ王女――エリシア殿下が、侍女に支えられて立っていた。


 その瞳は泣き腫らして真っ赤で、見ていられないほど痛々しい。  雨に濡れた金髪が、頬に張り付いている。  あの快活だった少女の面影は、どこにもない。


「ごめんなさい。私が……私が、誘わなければ……」



殿下が崩れ落ちそうになる。


私は慌てて駆け寄り、その細い体を支えた。  


華奢な肩が、小刻みに震えている。


「殿下のせいじゃありません。  ……敵が、卑劣だっただけです」


「あの子は……アル君は、私に『逃げておいで』って言ってくれたのに。  私は……彼を逃がしてあげられなかった」


 エリシアの涙が、私の腕を濡らす。  その熱さが、冷え切った私の心臓を焼くようだ。


 あの子は、王女を守って死んだ。  


立派な最期だったと、誰もが言うだろう。  


だが、13歳の少年が背負うべき運命がこれなのか。


(……グレオス)


 壇上の特等席で、悲しげな顔で祈りを捧げている男を睨みつける。  雨に濡れることもなく、屋根の下で。


 実行犯はその場で自害した。  使われた毒の入手経路も不明。  証拠は何一つ残っていない。完璧な暗殺だ。


 だが、動機も機会も、あの男には十分すぎるほどあった。  アルを「異端」として排除し、エリシアの心を折って傀儡にする。  そのために、あの子を殺したのだ。


「……許さない」


どす黒い感情が腹の底で渦巻く。  


もう、政治だのバランスだの言っていられない。


 この落とし前は、必ずつけさせる。  参謀としての全権力、全知能、全人脈を使って。  あの男と組織を、社会的に、物理的に、完膚なきまでに地獄へ叩き落としてやる。


 棺がゆっくりと運ばれていく。  重苦しい聖歌が、雨音に混じる。


 その列を見送る人垣の後ろで、三つの影が動くのが見えた。


 目深にフードを被った、ルシア、ネーヴ、リオだ。


 彼らは、棺に近づこうとはしなかった。  泣いてすらいないように見えた。  ただ、その全身から、触れれば切れるような鋭い拒絶の気配を放っている。


 彼らは、くるりと背を向けた。  その足が向いているのは、王宮の出口――そして、「北」の方角だ。


(……領地へ帰るのね)


 アルが遺した場所。  あの子が命を削って作った、未完成の「楽園」。  主を失ったあの場所を、彼らは守ろうとしているのだ。


 あるいは、私と同じように、復讐の牙を研ぎに帰るのかもしれない。


「……行きなさい」


 誰にも聞こえない声で呟く。


「あの子の愛した場所は、あんたたちに任せるわ。  ……こっちの“汚れ仕事”は、大人の私が全部引き受ける」


 彼らの背中が、雨の向こうに消えていく。  迷いのない、強い足取りだった。  それがせめてもの救い――アルが遺した「種」が、確かに育っているという証明に見えた。


 式が終わると、重苦しい空気が残された。  貴族たちはヒソヒソと噂話をしながら散っていく。  「蛮族領主の末路だ」「王女に関わるからこうなる」……好き勝手な言い草だ。


「……さて」


 私は濡れたスカートを払い、大きく息を吸った。  冷たい空気が、肺を満たす。


 感情のスイッチを、無理やり切り替える。  悲しむ時間は終わりだ。  ここからは、「復讐鬼」の時間だ。


「セリナ。行くわよ」


「……ええ」


 セリナの声も、低く冷たい。  彼女が顔を上げる。ベールの下の瞳は、凍てつくように鋭かった。


「準備しなさい。  アルを殺した連中を、社会的に、政治的に、物理的に抹殺する準備よ。  手伝ってくれるわね?」


「愚問ね。  ……地獄の底まで、付き合ってあげるわ」


私は王城を見上げた。


この中で、あの子を嘲笑っている奴がいる。  


のうのうと生きている黒幕がいる。


 上等だ。  私の「保護者」としての役目は、最悪の形で終わってしまった。  だが、「敵討ち」という新しい役目ができた。


「……見ていなさい、アル。  あんたがやり残したこと、私が全部片付けてやるから」


 私はヒールを鳴らし、冷たい雨の中を歩き出した。


背筋を伸ばして。  

涙など一滴も見せず。  

誰よりも強く、恐れられる「ドワルガ参謀」の顔をして。


物語は終わらない。


ただ、幸福な時間は終わった。  


これより始まるのは、血と泥にまみれた闘争だ。

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