【第24話】 新学期、転校生は爆音と共に

(視点:エリシア)


「……王都の空気が、こんなに『おいしい』と感じる朝は久しぶりかも」


 王城の自室。  私は窓を開け、深く息を吸い込んでから、鏡の中の自分に小さくガッツポーズをした。


 入学式のあの日、アルが言っていた言葉を思い出す。  『冷たい空気はおいしい』。  あの時は変な表現だと思ったけれど、今は少し分かる気がする。


 憂鬱なはずの新学期が、今日だけは輝いて見える。  理由は単純。  夏休みの間、北へ帰っていたアルが戻ってくるからだ。


 鏡の前でくるりと回ってみる。  制服のスカートがふわりと広がる。  髪型も完璧。リボンも歪んでない。


(……変じゃないわよね?)


 久しぶりに会う彼に、「可愛くなった」って思われたい。  そんな下心があることを、侍女のマリアに見透かされないように、私はすました顔で部屋を出た。


 ハミングしそうなほど軽やかな足取りで、教室の扉を開ける。


 ……開けた、その瞬間だった。


「うおおお! ここが王都の教室かー! 石造りすげー!」


 鼓膜を震わせるような大声が飛んできた。


 教室のど真ん中に、見慣れない影が二つ。


 ひとりは、肌に薄い鱗と長い尻尾があり、耳がヒレの形をした少年。  もうひとりは、机の上にちょこんと座り込み(椅子じゃなくて机の上に!)、無心で何かをいじり回している灰銀髪の少女。


 その少女――ネーヴは、サイズの合わないブカブカの制服を着て、まるで「迷い込んだ小動物」みたいに丸まっている。  スカートの裾を気にする様子もなく、ひたすら手元の機械に没頭している姿は、なんだか見ていて危なっかしい。


(……だれ?)


 アルの席を見ると、彼は「やれやれ」という顔で苦笑いしていた。  少し日焼けして、精悍になった横顔。  私と目が合うと、少しバツが悪そうに、でも嬉しそうに手を振ってくれる。


(あ、アルだ……!)


 胸の奥が、きゅん、と音を立てる。  よかった、無事に戻ってきた。  駆け寄って話したいけれど、このカオスな状況がそれを許してくれそうにない。


「はい注目ー。朝のホームルームを始めるぞー。起立ー」


 気だるげな声と共に、担任のドワルガ先生が入ってきた。


 ぶかぶかの軍服を引きずり、踏み台を使って教壇に立つ姿は、どう見ても「一日署長を務める幼稚園児」だ。  でも、その目は「逆らったら内申書を燃やすぞ」と語っている。  さすが参謀。


「席につけ。新入りを紹介する。  アルのコネ……もとい、北の領地からの特別編入生だ。自己紹介、手短にな」


 鱗の少年が、ビシッと敬礼した。


「リオ・アクアレイドです!  種族は魚人と人間のハーフ! 特技は水泳とツッコミ、あと炎上した現場の鎮火です!  アルとは兄弟みたいなもんです、よろしく!」


 明るい。  眩しい。  教室の空気が一気に海辺になった。


 続いて、ドワルガ先生が机の上の少女を指差す。


「次。そこの置物」


「……ん」


 少女――ネーヴが顔を上げる。  その瞳は、湖の底みたいに静かで、どこか透き通っていた。  感情の色が見えない、不思議な瞳。


「ネーヴ。……よろしく」


 それだけ言って、また手元の機械いじりに戻る。  自由すぎる。


「補足します!」


 リオがすかさず挙手する。


「こっちはネーヴ。無口で、人見知りで、機械としか喋りません!  あと、たまに爆発物を組み立てますが、悪気はないので通報しないでください!  基本、通訳は僕がやります!」


「通訳付きの生徒なんて前代未聞だぞ……」  ドワルガ先生がこめかみを押さえる。


 教室中がどっと沸いた。  クスクス笑う声の中で、私はこっそりアルを見る。  彼はどこか誇らしげに二人を見ていた。


(……いいな)


 あんな風に、背中を預け合える仲間。  「殿下」としての私には、一番縁遠いものだ。  少しだけ、胸がチクリとする。


「じゃ、私は職員会議があるから行くぞ。  一限目は歴史だ。真面目に受けるように」


 ドワルガ先生はそう言って、風のように去っていった。  本当に「保護者」としての仕事(入学のねじ込み)だけして帰った感じだ。


 入れ替わりに入ってきたのは、歴史担当の堅物の老教師だった。  教室の空気が、一気に「授業モード」に冷える。


「静粛に。本日のテーマは『聖歌の歴史』である」


 その単語が出た瞬間、私の背筋がピリッと伸びた。


 聖歌。  女神の奇跡。  そして――王家の義務。


「百年前、聖女リディエルは歌の力で兵士を鼓舞し、国を救った。  その血は今も王家に受け継がれ、我らがエリシア殿下にも宿っている」


 先生の視線が、私に突き刺さる。  教室中の視線が、それに追従する。


 これだ。  いつもこれ。


 「王女」というレッテル。  「象徴」としての役割。  さっきまでの浮き足立った気分が、急速に冷めていく。


「殿下。教科書を読むより、実演に勝るものはありません。  一節、お願いできますかな?」


 拒否権はない。  これは授業という名の「政治ショー」だ。  王女の力を示し、求心力を高めるための。


 私はゆっくりと立ち上がった。  胸元のペンダントを握りしめる。  冷たくて、重い、義務の鎖。


(……大丈夫。いつものように、綺麗に、完璧に)


 息を吸う。  声を放つ。


 澄んだソプラノが教室を満たす。  空気が震え、光の粒子が舞う。  生徒たちがうっとりと溜息をつく。


 ――完璧だわ。  心がこもっていないことを除けば。


 その時だった。


 キィィィン……


 奇妙な駆動音が響いた。  後ろの席、ネーヴの机からだ。


「あ、こらネーヴ! 授業中に改造品を出すなって!」


「……違う。これ、反応してる」


 ネーヴが取り出したのは、青白く光る無骨な箱――魔改造されたレコーダーだった。  その箱が、勝手に震え出し、そこから「音」が溢れ出した。


 ――〜〜♪


 それは、私の歌じゃない。  もっと低く、深く、海の底から響くような、揺蕩(たゆた)う旋律。  人魚の歌だ。


「え……?」


 私の歌と、機械から流れる人魚の歌が、空中でぶつかる。  不協和音になるかと思った。  けれど――


 カッ!


 教室が、光に包まれた。


 二つの歌が混ざり合い、増幅し、螺旋を描いて昇っていく。  私の意思とは関係なく、喉が熱くなり、声が勝手に溢れ出る。


(なに、これ……!?)


 体が軽い。  いつもなら「上手く歌わなきゃ」という重圧で塞がっている胸の奥が、無理やりこじ開けられたみたいに風が通る。


 “歌いたい”


 初めて、そう思った。  誰かのためじゃなく、ただ、この美しい音の波に乗りたいと。


 私の胸元で、ペンダントが激しく明滅する。  金色の光。


 けれどその奥に、一瞬だけ――**ドス黒い、泥のような「脈」**が走った気がした。


(……痛っ)


 心臓を掴まれたような違和感。  でも、それすらも光の奔流がかき消していく。


 歌が終わった時、教室は完全な静寂に包まれていた。  先生も、生徒も、誰も動けない。  ただ、窓ガラスだけが共鳴でビリビリと震えていた。


「……すごい」


 誰かが呟いたのを皮切りに、割れんばかりの拍手が巻き起こる。


「奇跡だ! 殿下の聖歌が、精霊を呼んだんだ!」 「見たか、今の光!」


 私は呆然と立ち尽くし、それから慌てて席に座った。  心臓が早鐘を打っている。


 ふと後ろを振り返ると、ネーヴがレコーダーを撫でながら、ぼそりと言った。


「……波長、合った。  海の歌と、空の歌。  ……きれい」


 その短い言葉が、どんな賛辞よりも胸に響いた。


(混ざった……。  人間とか、人魚とか、関係なく。ただの『音』として)


 ふわりと、心が軽くなる。  これが、アルたちが北で作ろうとしている世界なのだろうか。


 けれど。


 教室の隅で、アルだけは拍手をしていなかった。  彼はじっと、私の胸元――明滅を終えたペンダントを睨みつけていた。


 その目は、感動している目じゃない。  設計図の欠陥を見つけた時の、技術者の目だ。


 彼の唇が、音もなく動く。


 『……おかしいな』


 その呟きの意味を、私はまだ知らない。  ただ、嵐のような新学期の幕開けに、予感だけが走った。


 きっと、また何かが始まる。  退屈とは無縁の、騒がしくて、愛おしい日々が。

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