【第22話】 休暇明けの現実、あるいは「特筆事項なし」という大嘘

(視点:ドワルガ)


「……ただいま、クソったれな現実」


 参謀室の扉を開けた瞬間、私は優雅さをかなぐり捨てて呻いた。


 私の愛する執務机(酒瓶置き場)が、消えていた。  代わりにそこにあるのは、白い山脈。  雪山ではない。  私の留守中に溜まりに溜まった、決裁書類の山だ。


「あら、おかえりなさいドワちゃん。日焼けした?」


 山脈の向こうから、ひょっこりとセリナが顔を出した。  彼女の手には、当然のように私の秘蔵のワインがある。  グラスを傾けるたび、甘い香りが部屋の埃っぽい空気に混じる。


「セリナ。これは何の嫌がらせかしら?」


「嫌がらせ? とんでもない。ドワちゃんが軍部で出世した証拠よ。  『特別技術参謀殿の承認がないと動かない案件』が、こんなにたくさん♡」


「……たった一週間の休暇で、他部署がパンクする組織構造はどうなってるのよ」


 私はコートを放り投げ、書類の山を睨みつけた。  ネクタイを緩め、シャツのボタンを一つ外す。  ああ、空気が薄い。


「休暇? いえいえ、公的には『重要拠点視察任務』よ。  だからほら、その“視察報告書”の提出期限、昨日になってるわよ?」


「この国、滅びればいいのに」


 私は悪態をつきながら、椅子によじ登った。


 ペンを取り、猛スピードで書類をさばいていく。  承認、却下、承認、保留、焼却(どうでもいい案件)。  インクの匂いと、紙擦れの音だけが響く深夜のオフィス。


「で? 本題はどうするの、ドワちゃん」


 しばらくして、セリナがワインを注ぎながら、声を低くした。  空気が変わる。  彼女が私のデスクの端に腰掛け、長い足を組む。  ドレスのスリットから覗く太腿が、ランプの光に艶めかしく浮かび上がる。


「例の、“現地調査”のご報告についてよ」


 私は手元の白紙を見つめた。  書くべきことは山ほどある。  アルの異常な指揮能力、ネーヴの技術力、そして――


「……あの土地から、石油(オイル)が出たわ」


「えっ」


 さすがのセリナも、グラスを止めた。


「石油って……あの、燃える水? 古代の遺物じゃなくて?」


「天然の鉱脈よ。しかも、質がいい。  精製すれば、現在の魔導機関の燃料をすべて置き換えられるレベルの“黒い黄金”だわ」


 セリナが息を呑む。  赤いルージュを引いた唇が、わずかに震えた。


「……ヤバいわね。  それがバレたら、貴族も教会も、血眼になってあの土地を奪いに来るわよ」


「ええ。  『魔族に汚染された不毛の地』だからこそ、今は誰も手を出さない。  けれど、『次世代エネルギーの宝庫』だと知れたら――戦争になるわ」


 私はペン先で、トントンと机を叩いた。


「だから、“無かったこと”にする」


「隠蔽?」


「いいえ、“情報の最適化”と呼びなさい」


 私は報告書の原案に、サラサラとペンを走らせた。


『調査結果:  土壌の汚染は深刻であり、農耕には不適。  ただし、一部で“湿地帯特有の地熱反応”を確認。  湯治場としての利用価値はあると判断する。』


「……“地熱反応”ねぇ」


 セリナがニヤリと笑う。  彼女の顔が近づき、ワインの香りが私の鼻をくすぐる。


「嘘は言ってないわ。燃やせば熱が出るんだから」


「そういうこと。  魔力流の安定化と、難民の受け入れ状況だけ報告して、資源の話は黒塗りで埋める」


「で、一番の爆弾……アルくんの扱いは?」


 セリナが、私の顔を覗き込む。  その瞳は、楽しんでいるようでいて、どこか心配そうだ。


「あの子、今回の復興の立役者でしょ?  指揮も執れば、交渉もする。おまけに『女神の加護』疑惑まである」


「……評価は『特筆事項なし』よ」


 私は即答した。


「12歳の子供が、大人顔負けの指揮を執って領地を救いました、なんて書いてみなさい。  王宮はあの子を“英雄”に祭り上げるか、あるいは“危険分子(バグ)”として排除にかかるわ」


「出る杭は打たれる、か」


「打たせるもんですか。  だから、功績はすべて分散させる」


 私は報告書の「功労者」欄を書き換えた。


『現地復興は、元・兵士団長ガルドおよび元・政務官ヴェルドランの尽力によるもの。  アル・エルンスト生徒は、その補佐として現地研修に従事した』


「……地味ねぇ」


「地味でいいのよ。  あの子はまだ、目立つべきじゃない。  爪を隠して、牙を研いで……誰にも邪魔されずに力をつける時間が必要なの」


 セリナが、いたずらっぽく笑った。  私の頬をつつく。


「過保護なママみたい」


「“有能な管理職”と言いなさい」


 書類の山が、少しずつ低くなっていく。  窓の外は、もう夜明け前だ。


「ねぇ、ドワちゃん」


 セリナが、ふと真面目な声を出した。


「アルくんの記憶の欠落と、あの“光”のこと……本当に報告しなくていいの?」


 ――七年前。  あの子だけを包んで空へ消えた光。  そして、戻ってきたあの子が持っていた、この世界にはない知識。


「……まだ、“話半分”よ」


 私はペンを置いた。


「あの子が『女神に選ばれた』のか、それとも『何か別のものに作られた』のか。  まだ判断材料が足りないわ」


「でも、“加護”って言葉で包めば、教会は黙るわよ?」


「参謀の仕事を神頼みで片付けるのは、私の美学に反するの」


 私はグラスに残ったワインを飲み干した。  苦い。でも、目が覚める味だ。


「それにね。  もし本当にあの子が“特別”なら……私たちのこんな小細工、いつか全部飛び越えていくでしょうよ」


「……それもそうね。あの子、規格外だもん」


 最後の一枚にサインをする。  インクが乾くのを待ちながら、私は大きく伸びをした。  バキボキ、と背中が鳴る。


「よし、完了!  これで公的には『何もなかった夏休み』よ」


「お疲れ様、共犯者さん」


 セリナが新しいボトルを開ける。  ポン、と軽快な音が響いた。


「乾杯しましょ。  私たちのついた嘘が、あの子たちの未来を守る盾になることを祈って」


「……祈るのは柄じゃないけど、飲むのは賛成よ」


 グラスを合わせる。  カチン。


 報告書の一行――「特筆事項なし」の裏には、  世界を変える黒い水と、運命を変える少年の秘密が隠されている。


 それを抱えて生きていくのが、大人の仕事ってやつね。


 私は苦いワインを飲み下し、夜明けの空を睨みつけた。


 さあ、二学期が始まるわよ。  せいぜい暴れなさい、子供たち。  尻拭いの準備は、万端なんだから。

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