【第17話】 最後の盾が戻る夜、あるいは物理的に飛び跳ねる忠誠心
(視点:ドワルガ)
「……虫が光に集まるのは世の常だけど。まさか、こんなゴツい蛾(ガ)が釣れるとはね」
夜の丘。 ボイラーの排気塔が、赤い作業灯を点滅させている。 その明かりの縁、闇と光の境界線に、ひとつの大柄な影が立っていた。
ガシャ、ガシャ。
両足から響く、重たくて不格好な金属音。 市販の安っぽい義足を引きずりながら、それでも背筋だけは槍のように真っ直ぐな男。
「……口の減らねぇチビだ。七年経っても成長期が来ねぇのか?」
「あら、お互い様よ。足の整備が悪すぎて、スクラップ寸前のゴーレムみたい」
私は木箱に腰掛けたまま、ニヤリと笑った。 手元の瓶から、琥珀色の液体を煽る。
ガルド。 かつてこの領地の兵士団長を務め、撤退戦で殿(しんがり)を務めた男。 「最後の盾」という二つ名は、伊達ではない。
「王都から勧誘があったって聞いたわよ? なんで受けなかったの」
「性に合わねぇよ。それに……俺の足は、ここに置いてきちまったからな」
彼は自嘲気味に、錆びついた義足を叩いた。 カン、と乾いた音が夜に響く。
「戻ってくるつもりだった?」
「ああ。死に場所を探すにしても、ここ以外にはねぇだろ」
重い言葉だ。 男の美学ってやつかしらね。嫌いじゃないわ。
「……会う覚悟は、できてるの?」
「何の、だ」
「とぼけないで。アルよ」
ガルドの顔が強張り、視線が彷徨う。 歴戦の戦士が、たかが12歳の子供に会うのを恐れている。
「……俺は、あいつの両親を守れなかった。領地も、民も。 合わせる顔なんざねぇよ。ただ、遠くから一目見て、それで……」
「バカね」
私は立ち上がり、彼の襟首を(背伸びして)掴んだ。 グイッと引き寄せ、睨みつける。
「アルが欲しがっているのは『見守る幽霊』じゃないわ。 『背中を預けられる生きた盾』よ。
――行くわよ。文句は歩きながら聞き流してあげる」
仮小屋の扉を叩く。
「アル、起きなさい。夜のお客様よ」
しばらくして、ゴソゴソと音がした。 扉が開く。
「ん……先生? 石油が漏れましたか……?」
アルは寝癖のついた頭で、目をこすりながら出てきた。 シャツのボタンを掛け違えているあたり、完全に寝起きだ。
そして、月明かりの下に立つ巨漢を見て――動きを止める。
「……あなたは?」
アルの声が震えた。 記憶の底にある、頼もしい背中と重なったのだろう。
ガルドは、ギギッと音を立てて、その場に片膝をついた。 跪くことさえ、今の彼には重労働だ。
「……アル様」
絞り出すような声。
「俺は、ガルド。 あなた様の父上と母上に拾われ、この地で剣を振るっていた……ただの老いぼれです」
ガルドは拳を地面に突き立てた。 土を握りしめる。
「あの夜、俺は誓ったはずだった。最後まで盾になると。 だが――守り切れなかった」
悔恨が、言葉の端々から滲み出る。 男泣きとは、こういうのを言うのかしらね。
「生き残ったのは、足をもがれた俺みてぇな半端者だけだ。 ……許してくれとは言わねぇ。ただ、どうしても一言……詫びたくて」
アルは、黙って聞いていた。 泣きそうな、でも怒っているような、複雑な顔で。
「顔を上げてください」
「いや、俺は……」
「顔を、上げてください!」
アルの強い声に、ガルドが弾かれたように顔を上げる。
「謝らないでください」
アルは、はっきりと言った。
「守り切れなかったって……そんなの、相手は軍隊ですよ? 無理に決まってる。 それに、俺だってあの夜、逃げました。 誰にも何もできずに、ただ逃げて、生き延びました」
アルは一歩近づき、ガルドの前に膝をついて目線を合わせる。 そして、ガルドの無骨な手を両手で包み込んだ。
「だから俺に、あなたを責める資格なんてありません。 ……でも、これから『守りたい』って言う資格なら、あると思ってます」
アルが、真っ直ぐにガルドを見つめる。
「ガルドさん。 もし、まだ戦う気があるなら――俺に力を貸してください。 俺は、もう誰も失いたくない。そのためには、あなたの『盾』が必要なんです」
ガルドの目が大きく見開かれ、やがてくしゃりと歪んだ。 大粒の涙が、髭を伝って落ちる。
「……ほんと、あの人たちの息子だな。 馬鹿正直で、人が良くて、……最高の領主様だ」
ガルドは震える手で、アルの手を握り返した。 骨がきしむほど強く。
「ああ……! この命、使い潰してくれ。 この身が朽ちるまで、あんたの盾になってやる!」
感動的な再会。 月光、涙、固い握手。 完璧なシーンね。
――さて、ここからが技術屋の仕事よ。
「はいはい、感動のところ悪いけど」
私はパンと手を叩いた。
「ガルド。気持ちは買ったわ。でも、そのポンコツ義足で『盾』になるつもり?」
「ぐっ……。こ、これは気合いでなんとかなる!」
「なるわけないでしょ。精神論は嫌いよ」
私は指を鳴らす。
「ネーヴ! 出番よ!」
物陰から、パジャマ姿のネーヴがぬっと現れた。 手には工具箱、目には職人の怪しい光。
「……ターゲット、確認。 旧式。バランス最悪。接合部、錆びてる。 ――許せない」
「お、おいドワルガ!? なんだこの小さいのは!?」
「私の愛弟子よ。 さあ、その足を出しなさい。最新鋭の『ドワルガ&ネーヴ・カスタム』に換装してあげる」
「は? 今からか!?」
「善は急げ、改造は夜更けよ。 代金は出世払いでいいわ」
ネーヴが無言でガルドの足に取り付く。 カシャカシャカシャ! と早回しのような速度で旧義足が分解されていく。
「ちょ、待て! 心の準備が!」 「……動かないで。ズレる」 「ひぃぃ!」
十分後。 そこには、鈍銀色に輝く、流線型の新型義足が装着されていた。 魔力伝導チューブが血管のように這い、踵には謎のバネと噴射口が仕込まれている。
「……換装完了。 初期同調率、良好」
ネーヴが満足げに頷く。
「立ってみて、ガルド」
「お、おう……。なんか凄そうだが……」
ガルドが恐る恐る立ち上がる。 そして、一歩踏み出した、その瞬間――
バシュッ!!
「うわあああああああ!?!?」
ガルドの巨体が、夜空に向かってロケットのように射出された。
「と、飛んだ!?」 アルが口をあんぐり開けて見上げる。
遥か頭上、月をバックに回転するおっさん。 シュールだわ。
「……機能名:ハイパージャンプ」 ネーヴが淡々と解説する。
「どこがハイパーだぁぁぁ!! 着地はどうすんだこれぇぇ!!」
「……衝撃吸収機能付き。たぶん、折れない」
「たぶんって言ったか今!?」
ズドン!!
凄まじい音を立てて、ガルドが着地する。 地面が陥没し、土煙が舞う。 だが、本人は無傷(ただし目は回っている)。
「……痛く、ねぇ」
ガルドが自分の足をさする。 熱を帯びた義足が、ヒュンヒュンと駆動音を上げている。
「すげぇ……。これなら、前より速く動けるぞ……!」
「でしょう? 戦場での機動力と生存性を最優先したのよ」
私が胸を張ると、アルが引いた顔で突っ込んだ。
「先生。これ、『盾』っていうか『弾道ミサイル』じゃありません?」
「細かいことはいいのよ」
ガルドは立ち上がり、ニカっと笑った。 その顔には、さっきまでの悲壮感はない。 戦士の顔だ。
「へっ、上等だ! これなら、どんな敵が来ても一番に突っ込んでいけるぜ!」
「盾の役割を忘れないでね……」
夜風が吹く。 騒がしくて、無茶苦茶で、でも温かい夜。
私は空を見上げた。
三傑のひとり、「盾」が戻った。 次は「知恵」――あの偏屈な薬師だ。
「……さあ、次はヴェルトランの首根っこを掴みに行くわよ。 あいつもきっと、暗い顔して引きこもってるはずだから」
復興の歯車が、ガッチリと噛み合った音がした。
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