[1章完結]滅びた領地から始まった -多種族ごちゃまぜ国家再興計画-

@Wingwind

第1話 見つけた――滅領の子

「……えっと。ここ、託児所じゃないですよね?」


 はい、出たわね。  記念すべき初対面、開口一番のセリフがそれ?


 私は執務机――という名の酒瓶と魔導部品の集積所――に気怠げに頬杖をつき、目の前の新入生を見上げた。


 アル・エルンスト。12歳。  整った顔立ちに、どこか大人びた瞳。  ……まあ、見た目は悪くないわね。


 けれど、その視線は私の顔ではなく、はだけた白衣の隙間に向けられて……いや、違うわね。  私の背が低すぎて、机に埋もれているように見えているだけか。


「少年。私の部屋のドアプレートが読めなかったのかしら? それとも、その目は飾り?」


「いえ、ちゃんと『王国軍・特別技術参謀室』って書いてありました。だから……」


 アルは困ったように眉を下げ、視線を私の頭のてっぺんから、机の下で組んでいる足先まで往復させた。  そして、いかにも気遣わしげに――いや、慈愛すら感じる目で言ったのだ。


「――参謀のお子さんが、お留守番中なのかなって」


「……座りなさい。たっぷりお説教よ」


 私は深いため息とともに、手元のウイスキー(朝の一杯目・ロック)をあおった。  氷がカランと鳴り、琥珀色の液体が喉を焼く。  アルの目が点になる。


「いいこと? よくお聞き。  私はこの愛らしいナリで三十路を超えているの。そして、れっきとした軍の参謀よ」


「えっ!?」


「ついでに言うと、あなたの保護者役を引き受けたのも私」


「ええっ!?」


 アルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まった。  12歳にしては落ち着いていると聞いていたけれど、さすがにこの**「合法ロリ参謀」**のギャップには勝てなかったようね。


 私はわざとらしく足を組み替え、白衣の裾から太腿を覗かせながら、意地悪く笑ってやった。


「……嘘ですよね? だって、肌とか僕よりぷるぷるで、その……鎖骨とかも華奢で……」


「最後まで言ったら、言葉の墓穴を掘る体験学習ツアーにぶち込むわよ?」


「す、すみません! あまりにお若く美しく見えたので!」


「よろしい。生き残るコツは早めの訂正よ」


 ふふん、と鼻を鳴らす。  ここは私の城。  天井まで積み上がった蔵書、壁一面の美しき酒瓶コレクション、そして床に散らばる愛しき機械部品たち。


 初対面の人間を威圧するには十分な魔窟。  それに、私のこの格好だ。  昼間から酒臭く、胸元を緩めた無防備な女。普通のガキなら顔を赤くして逃げ出すところだけれど――


 この少年は、違った。


 怯えるどころか、私の足元――床に転がっていた義手の試作パーツを拾い上げたのだ。


「これ……関節の可動域、いじってますね? バネの配置が独特だ」


「あら?」


 私は片眉を上げた。  ただの孤児じゃないとは聞いていたけど、いきなりそこを見る?  あなた、こっち側(技術オタク)の素養があるわね?


 手元の書類に目を落とす。  アル・エルンスト。  七年前、地図から消された北の辺境領――その唯一の生き残り。


 そして、備考欄に赤字で書かれた一文。


『現場判断が良すぎて、指示を無視しがち。若干、問題児』


(……まったく、あいつと同じタイプね)


 胸の奥が、チクリと痛む。  かつて私が仕え、そして守りきれなかった、あの領主夫妻。  馬鹿みたいに真っ直ぐで、どうしようもないほど優しかった、私の友人たち。


「……魚人に育てられたんだったわね。苦労はなかった?」


 私が問うと、アルは義手をそっと床に戻し(置き方が丁寧で好感が持てるわ)、穏やかに微笑んだ。


「はい。みんな、すごく優しかったです。……人間とか魚人とか関係なく、ただ『生きろ』って言ってくれました」


「そう。いい連中に拾われたわね」


 言葉に詰まる。  本来なら、私が。私たちが、もっと早く見つけてやるべきだったのに。


「あの、先生?」


「なにかしら」


「先生は……どうして僕の保護者に?」


 アルの瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。  その色は、父親譲りの深い茶色。そして、頑固そうな口元は母親そっくり。


 ……ああ、だめね。  真正面から見られると、調子が狂う。


「……人手不足よ」


 私は視線を逸らし、照れ隠しにまたグラスをあおった。  アルコールで頬が熱くなるのを感じる。……いや、これは酒のせいだけじゃないかもね。


「あなたのお父様には、昔……技術士官としてお世話になったの。よく領地に通って、酒を飲んで、くだらない機械を作っては奥様に怒られたものよ」


「えっ」


 アルが目を丸くする。


「もしかして……父さんが言ってた『酒と爆発と一緒に現れるちっさいお姉さん』って……」


「ちょっと、その記憶は消去しなさい。今すぐよ」


「あ、あぁ……なんとなく思い出してきました。研究室でボヤを出して、母さんにフライパンで追い回されてた……」


「やめなさい! その走馬灯は美しくないわ!」


 バン! と机を叩く(痛っ……)。  アルはクスクスと笑った。


 その笑い声を聞いた瞬間、七年分の重たい鉛のような何かが、ふっと軽くなった気がした。


 けれど、アルの表情がふと曇る。  彼は視線を足元に落とし、迷うように言った。


「……でも、先生。本当に、よかったんでしょうか」


「なにが?」


「僕が、この学校に入ることです。  僕は『滅んだ領地』の生き残りです。  魚人の親父にも言われました。『お前の存在は、人間たちにとって面倒ごとの塊だ』って。  そんな僕なんかが、王立の軍学校なんて……先生の立場まで悪くするんじゃ……」


 ああ、やっぱり。  自分の価値を低く見積もるくせに、周りのことばかり気にする。  そこまで親に似なくていいのに。


 私はグラスに残った氷をカランと回し、椅子から降りた。  トテ、トテ、と歩み寄り、彼の前に立つ。  身長差のせいで見上げることになるのが悔しいけれど。


「アル。あなた、私の肩書きを言ってみて」


「え……? 王国軍・特別技術参謀、ドワルガ先生……?」


「そうよ。参謀よ」


 私はアルの胸元を、人差し指でトン、と突いた。


「参謀の仕事ってなんだか知ってる?  『面倒ごと』を書類と根回しでねじ伏せることよ。  あなたの入学手続き? そんなもの、私が判子を押した時点で『決定事項』なの」


「決定事項……」


「そう。もう書類は通った。学費も振り込まれた。制服も届いた。  今さら『やめます』なんて言われたら、修正書類を書く私のほうが迷惑よ」


 私はニヤリと笑い、あえて意地悪く、顔を近づけて囁いた。  酒の匂いが届く距離で。


「あなたの出自がどうとか、貴族の思惑がどうとか、そんな三流小説みたいな雑音は私が全部処理済みよ。  あなたはただの『新入生』として、ここで学び、働き、私の研究を手伝えばいいの」


「……それだけですか?」


「それだけよ。  大人の事務処理能力を舐めないでちょうだい」


 アルが、ポカンとしたあと、ふっと肩の力を抜いて笑った。


「……なんだか、すごい自信ですね」


「事実だもの」


 私は胸を張った。白衣の裾がバサリと翻る。  心の中の『守れなかった後悔』や『今度こその決意』は、まだ言わない。  それは、大人が勝手に抱えていればいい荷物だ。


「だからアル。  遠慮なんてドブに捨てなさい。  あなたの後ろには、この国で一番性格が悪くて、書類仕事が得意な参謀がついているんだから」


「……はい。  じゃあ、思いっきり頼らせてもらいます。  僕、とんでもない問題児かもしれませんけど」


「望むところよ。退屈するよりマシだわ」


 窓の外で、入学式の鐘が鳴る。


 私は心の中で、空の向こうの友人に語りかけた。


 ――見つけたわよ。  あんたたちの忘れ形見。  手続きは万全。文句は言わせないわ。


「行くわよ、新入生。入学式だわ。  膝を少し緩めて歩きなさい、校長の話は長くて腰に来るから」


「はい、先生!」


 扉を開けて出て行く少年の背中は、あの日見送った背中よりも、ずっと強く見えた。


 ……さて。  これからは、本当に退屈しなくて済みそうね。


 私は空になったグラスを置き、七年ぶりに心から笑った。


 ただ――この時の私はまだ知らなかった。  この「問題児」が連れてくる騒動が、  私の想定を遥かに超える、  「世界規模の構造改革」になるなんてことは。

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