その翡翠き彷徨い【第66話 晴れた雪の日】

七海ポルカ

第1話




 その日は晴れていた。



 と言っても空が厚い霧で覆われた今、空が晴れているかなど分かるはずも無い。

 だがその日、空はいつもより明るかった。

 だからきっと霧の向こうでは今日は晴れているのだろう。




 まだ早い時間だった。




 ここはリングレーの更に北にあるザルツという村だが、不死者に襲われていた所を通りかかったメリク達が救った。

 ここは民宿だが今はほぼ泊まるような旅人はいないので、村長が使ってくれと滞在中の宿として貸してくれたのだ。


 寒い。


 暖炉の火が消えているのだ。

 でも温かいベッドから抜け出して火をつけるのは面倒だ。

 毛布に包まり直し眼を閉じる。


 ――と。


「……ん?」


 エドアルトは起き上がる。

 裸足を下に下ろすと石の床は凍り付いたように冷たい。

 慌てて靴だけ履いてから軽く着替えて部屋の外に出る。

 一階へ下りて行って居間に入ると暖炉の側にその姿を見つけた。


「メリク……」


 今、火をつけたばかりなのだろう。

 火が危なげに揺らめいている。

 メリクは振り返らずにじっと炎を見ていた。 

 エドアルトは歩いて行って、その横顔を見る。


「メリク、大丈夫ですか……?」


 慎重に声を掛けたのには訳がある。

 メリクがこうして部屋から出て来たのは二日ぶりのことだったからだ。



 ――メリクは先日、魔術の師を失ったのだ。



 メリク様の側にいるの、と部屋に突撃しようとするミルグレンを、今そんな空気じゃないから! と身体を張って止めつつも、彼女にまた少し話を聞いた。


 メリクの師。

 サンゴール王国の第二王子リュティス・ドラグノヴァ。


 メリクは五歳くらいの時彼に会い、師事を受けたのだという。

 この第二王子は非常に気難しい人で、他者を近づけさせない人だったらしい。

 師弟とはいえ第二王子はメリクに対しても、とても厳しい人物だったのだとミルグレンは言った。


 メリク自身も、師は立派な人だったが自分は不肖の弟子で、魔術師としての自分の才はとうに見限って、彼の元から逃げ出したのだと言っていた。


 それ以後縁は完全に切れたとメリクは言ったのだが、先日第二王子が戦死したという報せを受けた時、メリクはとても完全に縁の切れた人の報せを受けたとは到底思えない様子をしていた。


 彼とは約三年の間共に過ごしたけれど、その間信じられないことやとんでもなく危ない目にもあったけど、あれほど狼狽したメリクは一度として見たことがなかった。


 普通の勉学などの師弟と、魔術師の師弟というのは違うのだと聞いたことがある。


 どこがどう違うなどというのは魔力をほとんど持ってないエドアルトには説明出来ないのだが、魔力というものは側にいると多少伝播するようなところもあって、魔術師の師弟は術を教えたりする上で少なからず魔力を交感したりもするらしい。

 その魔力の繋がりが、他の人間には見られない特別な関係を構築するのだという。

 その縁は切ろうと思って簡単に切れるようなものではないらしい。

 だからこそ魔術師は師も、道楽や安易には弟子を取ることはないのだと聞いた。


 エドアルトはメリクからこの約三年ずっと、魔術のことを学んだ。

 彼の魔術の話は何もかもがきちんとしていたけれど、それでもメリクはエドアルトを『弟子』とは決して言わない。

 それは彼自身が師を持たざる魔術師だからなのか、

 魔術の使えないエドアルトが弟子だからなのかは分からなかったが、

 少なくとも魔術において師弟関係を正式に結んだ時、それは他者はもちろんのこと、自分自身にさえ簡単に解けないほど複雑なものなのだろう。


 だからそういう意味では、メリクとエドアルトは確かに魔術の師弟ではない。


(でも)


 あの報せを聞いたときのメリクは普通じゃなかった。

 言葉にするなら……大切な人を失った人間そのもので、もし彼の言う通り彼と師との関係が破綻していたとしたら、その相手に見せる必要も無いもののようにエドアルトには思えたのだ。


 世界がこの白い霧に包まれても、この人を絶望させることは出来なかったのに。


 メリクはじっと炎を見つめている。

 彼の周囲の空気は妙なほど静かだった。

 でもメリクという青年が常に持つ、あの大らかでのんびりとした空気ではなかった。


 エドアルトは戸惑った。

 およそ三年の時を共に過ごし今や心の師と慕うようになったメリクが、突然別人のように思えたのだ。


 そして何故か、思った。

 この心をひた隠して、何かじっと思い耽り、真剣に何かを見つめている姿は彼が『意味を見出せず打ち捨てた』と言っていたサンゴール時代の彼なのだということを。

 

(前は、メリクは、こういう人だったんだ)


 エドアルトと出会った時にすでに形成されていた、誰よりも自由で飄々として何事にも真剣になるということをしない、暢気で常に穏やかで掴みどころのない彼とは全く違う。


 パチン……。


 薪が軽く爆ぜた。




「……エド」




 ドキリとする。


「実は君に言ってなかったことがある」


「……言ってないこと?」


 メリクが言ってないことを多く持った人だということはもうとっくに知っている。


 サンゴール王国の宮廷魔術師だったこと、

 王女ミルグレンの守役だったこと、

 女王アミアカルバに救われた戦災孤児だったこと……。


 メリクはいくつかの事実を話してくれた。


 だがエドアルトはその聞かされた一度きりしか、彼にそれを尋ねたことがない。

 言わないのには言わないだけの何か事情があるのだろうと、慮ったというのはあったけれど、それ以上にエドアルトは『現在』のメリクを慕っていたからだ。


 彼がこれまでにどんな不可思議な人生を歩んでいても構わないと思っていた。

 大事なのは今、目の前にいるこの人がとても優しくて、自分をいつも助けてくれたということ。

 信じるに値する人だということをエドアルト自身の眼で見て信じたからだ。


 だからエドアルトはメリクの過去のことは、今だにロクに知らない。


 ミルグレンからは「あんたそんなことも知らずに今までメリク様といたわけ?」と度々呆れられることもあるが、でも彼女は思う存分バカじゃないのなどと罵ってからそのあとぽつりと口にすることがあった。


『……でもそうね、そういうあんただからメリク様は同行を許してるのかもしれないわ』


 多分、彼女の言葉は正しい。

 サンゴール王国での過去が自分を追って来たらそれを拒絶するとメリク自身も言っていた。

 ミルグレン以外の過去との対面を全て否定する、と。



 メリクには言わないことがたくさんある。

 それは構わないことだ。

 言いたくないことなら言ってもらう必要はない。

 だからエドアルトはメリクがそう言った時、咄嗟に思ったのは『聞きたくない』ということだった。

 今までと違う様子のメリクが口にする言葉は怖かった。

 何か全てを無くしてしまいそうだったから。



「君のお母さんのことだ」



 緊張していたエドアルトは肩の力を思わず抜いた。

 思いがけない言葉に驚いた。

 しかしメリクの翡翠の瞳はひどく綺麗で澄み切っている。


 魔術師の二つ名。

【知恵の使徒】―― 本当に、そんな表現がまさに相応しいような。


「……母さんの?」


「うん。君のお母さんはアミアカルバ王女に若い頃から仕えていた。

 あの人を守る為に彼女は【有翼の蛇戦争】にも身を投じた。それは、知っているね?」

「はい」


「俺が【有翼の蛇戦争】の終わりに女王陛下に救われたことは知っているだろ。あの人が俺をヴィノという滅んだ村で救った時、君のお母さん――オルハも一緒にいたんだよ」


 エドアルトは驚いた。


「ヴィノは賊の襲撃を受けて全滅した村だ。一人残らず住人は殺された。その中で、何故か俺だけが生き残っていたんだ。

 陛下は俺を見つけ、城に連れ帰ってくださった。あのまま残されていたら俺は必ずそこで死んでいただろうからね」


 死の村。

 旅の間に幾つも見て来た。


【エデン天災】が始まった今、世界中にそれは増え続けている。


 メリクという青年の中にある弱き者、死に行く者に対しての情け深さの理由をエドアルトははっきりと理解した気がした。

 彼は常々自分の善行の理由を暇つぶしだとか気まぐれだとか、たまたまだとか言っていたがエドアルトにはそうは思えなかった。

 そういうにはあまりにも、メリクは訳もない善行が多すぎるのである。

 そしてそれに対して誰からも何の代価ももらおうとは決してしない。


 この人は何にも得ないのに、時に自分を危険に晒してまで何故、善行をするのだろうとエドアルトでさえ思うことがあった。


 理由も分からず結局優しい人だからと思うしかなかったがメリクの口から『必ずそこで死んでいた』などと聞くとはっきりと感じることが出来た。


 それはメリクの心の底からの同調だったのだ。

 苦境に落ちた者に対する慈悲。

 見捨てられない理由。

 何故なら、かつて彼自身もその絶望の淵を知ったことがあったから。


 エドアルトは感動した。

 この人は他人の苦しみの中に本当に自分の痛みを感じてる。

 だから人を救うのだ。

 

 ある意味では自分自身のためとさえ思って。


(そういう人だったんだ)


「サンゴール王国に戻ってからはしばらくは色んなことがバタバタとしていた。陛下は当時、サンゴールの王妃としてやるべきことがたくさんあったからね。

 だからその間、サンゴール城で俺の世話をしてくれていたのがオルハだったんだ」


 エドアルトは黒い瞳を見開いて驚いた顔をしている。

「母は……じゃあ、メリクのことを知っているんですか?」


「うん。俺が彼女を知っているようにね。

 そうだな……彼女はとても優しかったのを覚えているよ。

 右も左も分からない状況の中で、俺が不安にならないよう彼女がいつも側にいて守ってくれた。オルハからは優しさと祈ることを教わったよ」


 自分と同じだ。

 エドアルトの脳裏に母と並んで礼拝堂で祈りを捧げた日々が思い出された。

 幼い頃から欠かすこともなく、そうしたことも。

 母は自分にそうしたように、メリクに教えたのだ。


「……知らなかった、です……なにも……だって、母は一言もメリクの話はしなかったし」


「うん。君が俺のことを知らなかったからね。きっとそうなんだろうって分かったよ。

 何故ならねエド。オルハと女王陛下の絆はとても強い。

 彼女は【有翼の蛇戦争】で夫も失っている。

 だから陛下は最初からアリステア王国にオルハが戻っても、

 彼女が何一つ困らないように庇護を与えるつもりがあったんだ。

 ――でもオルハは陛下との友情は何一つ変えないで、その上でサンゴールの女王となった陛下とは一定の距離を置いて暮らすことを望んだからだと思うんだ」


 エドアルトも頷く。その通りだった。

 オルハは戦で夫を失った者としてアリステア王家から一定の援助は受けていたが、それは他の同じ立場の人間が与えられるものと何ら変わらないものだった。

 あとは彼女が長く神官として仕えたことに対しての退職後の手当と、その他は孤児院を運営する仕事を持ち、きちんと働いたことで収入を得ていた。


 だからエドアルトは金に困ったことはないが、裕福で堪らないなどと思って少年時代を過ごしたことは一度も無い。

 女手一つで子供を育てる大変さもよく理解していたし、自分の家庭は母の存在だけで守ってもらっているということも分かっていた。

 だから彼は幼い頃から早く大人になって、働き、母の負担を少しでも減らしてやりたいと願うような少年だった。


「陛下に尽くしたオルハには、望めばいかなる庇護も与えられた。

 王宮に住まうことさえ許されるような人だったんだからね。

 ……でも彼女はアリステアに戻ったあとは、陛下とはちゃんと節度を守って付き合うようになったんだ。

 そしてきちんと自分の手で君を育て、二人で暮らすことを望んだ」


 母の顔が過る。



「……素晴らしい女性だね」



 メリクが言った一言に、胸が詰まった。

 うん、と頷く。

 嬉しかったのだ。

 メリクにそう言ってもらえたことが、息子として母をとても誇らしく思った。


 それに――エドアルトは思っていたのだ。

 いつかメリクを母に会わせたいと。

 

 それが知らずのうちに叶っていたことが不思議で、とても嬉しかった。


「俺が、君をここまで教えた理由は、

 幼い頃俺を教え守ってくれたオルハへの恩を返す意味もあったんだ」


「そうだったんですか……。不思議な縁ですね」


 ミルグレンが来た時にもそう思ったけど、メリクとも自分は母を通じて不思議な縁で結ばれていたのかもしれない。


「そうだね。……本当に不思議だ。

 世の中にはそういう、

 本人達の自覚もないままに結ばれる縁というものがあるらしい」


 パチン……、炎が静かに揺れる。





「君と旅が出来て、楽しかったよエドアルト」





 エドアルトは顔を上げた。


 メリクはじっと前を向いている。

 そこに揺らめく炎の影を。


「でもこれ以上は共には行けない。」


 頭を殴られたような衝撃を受けた。


 一瞬でメリクの全身を見る。

 彼はすでに、旅立ちの支度を整えていた。

 その時初めてそのことに気づいたのだ。


「え……、なん……、どういうことですかメリク……」


 声が震える。

 予期していない別れだったからだ。



「行くべき場所が出来たから俺は行くよ。

 ……こうなったからには、君はアリステア王国に一度戻った方がいい。

 本当にアルミライユ地方の前線が突破されたとしたら、アリステア王国も決して安全じゃない。

 オルハの元に戻るんだ。

 必ず今、君という存在を必要としているだろう。

 彼女に会って、話して、その上で世界の為に動きたいと望むなら聖都キーランに向かうといい。

 あそこは絶望していない人間が世界中から集まって来る。必ず君と志を共にして戦ってくれる人間はいるだろう」



 メリクがエドアルトの肩に手を置いた。


「そしてもし……俺の最後の願いを叶えてくれるつもりがあるなら、レインもアリステア王国に連れてやってほしい。彼女が望むならサンゴール王国でもいいけれど……。

 アリステアならレインとは血の繋がりがあり無関係ではない。

 身分が知られても、決して悪いようにはされない。

 オルハに相談すれば、きっと道を示してくれるはずだ」


「な……!」


 ミルグレンのことまで彼が口にしたのを聞いて、エドアルトは驚いた。

 メリクは他人に彼女のことを頼むような人じゃない。


 本気なのだ。

 本気でここで別れるつもりなのだ。


「何言って! どういうことですか、メリク、

 突然……行くべき場所? どこへ行くんですか?」




「――――北」




 雪が降り続いている。


 でも今日は静かな雪だ。

 旅立ちにはいい。


 ……そういえばサンゴール王国から旅立った時は、雷雨の中を去ったのだったかとふと思い出していた。


「……北……?」


 ここはすでにエデン大陸のかなり北部になる。


「なに言ってるんですか……。

 今、北の大地がどうなってるか知らないわけでもあるまいし……。

 もしかして、これ以上北上すると危険が増えるから俺らを置いて行こうとか思ってるんですか? それなら考え直してください! 俺、今更危ないから国に戻るなんてこと、絶対にしませんから!」


「違うよ。君たちを危険に晒すのが怖いんじゃない。そんなことにはもうとっくに慣れてしまった」

「だ、だったら……どうして――――」


「これから先は、君たちがどんな危険な目に遭っても、

 俺は助けようとも思わなくなるからだよ」


 エドアルトは目を瞬かせる。

 メリクは腕の辺りから指先の方まで、何か包帯のようなものを巻いている。

 エドアルトには分かった。

 魔言を書いた布なのだ。

 それは魔法の効果を高めたり、魔法攻撃への耐性を高めたりする効果がある。

 エドアルトやミルグレンに与えたことはあるが、メリク自身がそれを自らに施すのは初めてだった。


「……メリク?」


 エドアルトは気付いた。


「俺はこれからは自分の為だけに生きる。

 誰の存在も必要無い。

 君は三年前、同じことを言っていた俺について来た。

 俺はそれを許したけれど、今度は許さない。

 誰も必要無いからじゃない。

 これからの旅には誰もいてほしくないからだ。

 それにね、危険と必ず死ぬことは全く違う。

 ――今までとは全く違う旅になるから」



 必ず死ぬ。


 胸が凍り付く。



「北……って、メリク……まさか、アフレイムに⁉」


「……。」

「【次元の狭間】を閉じるつもりですか⁉」

「……閉じれればいいけれど、多分そうはならないだろう」

 冷静な声で彼は言った。

「多分そうはならないだろうって……メリク、なら、どうしてどんな場所に」



「行くべきだと思ったから」



 エドアルトは眉を寄せた。

 メリクは人助けをしても自分の命を張らないが信条の人だ。

 世界で人助けをするのとアルマナ以北に進んで世界を救うのとは全く話が違う。

 そんなの、メリクらしくなかった。


「なんで……、いえっ、メリクが本当に……本当に【次元の狭間】を閉じたいっていうならいいんです。それなら俺もそこに連れて行ってください!」


「駄目だ」


 今までエドアルトはメリクに何かを頼んで駄目だと言われたことがない。

 嫌だとか面倒臭いだとか迷惑だとかはあったけれど、こんなにはっきりと拒絶されることはなかった。


「駄目って……なんで……、ミルグレンはどうするんですか! 

 俺はミルグレンをアリステア王国になんか連れて行きませんよ! 

 あいつだって俺なんかに黙って引きずられて行く奴じゃないって分かってるでしょ!

 ミルグレンを捨てるんですか!」



「そうだよ。捨てる。」



 エドアルトは驚いた。


 メリクは炎だけを見ている。

「捨てる……って……」

 信じられなかった。

 メリクはとにかく、ミルグレンには死ぬほど甘い。

 正直恋仲とはまた違うとは思うけれど、彼はミルグレンをとても大切にしている。それは事実だ。

 その彼がまさかそんなことを言うなんて。


「俺がここでレインを連れて行かないことが捨てる、ということになるならね。

 でもそれを判断出来るのはミルグレンだけだ。

 そして、俺は彼女がこの世で一番大切な女性だけど――」



 一番大切な女性。


 メリクがはっきりと言った。



「――だからといって彼女に全てを与えてやれるわけじゃない。」



「メリク……」



「俺がサンゴール王国を出たとき、俺は一人だった。

 何もかも捨てて、出て行ったんだ。

 捨てると言うなら俺はその時サンゴールにあった全てのものを捨てた。

 捨てて歩き出した先に、何も見えなかったから、今までは君やレインと一緒にいられた。

 でも今は目に見えるものと、願いがある。

 それは誰とも共感するつもりはない。

 俺だけの願いだ」


「【次元の狭間】を閉じるのは、エデン大陸の人々全ての願いですよ。だからそこに行くなら、皆で、」


「【次元の狭間】を閉じることが望みじゃないよ」


「えっ?」

「結果としてそうあればいいというだけだ。それに世界中の名だたる魔術師や軍が挑んで駄目だったんだ。俺一人に出来るようなことじゃない」

「じ、じゃあ……なんでアフレイムなんかに……」

「……。」


「教えてください、メリク。

 俺、このままメリクを行かせたら多分一生後悔する。

 何の恩も返せなかったって、一生自分を責めるのは嫌だ」


「言っただろ。そんな風に思う必要はないって。俺が君を教えたことがそもそも君のお母さんに恩を返すことだったんだ。何の貸し借りもないんだよ」



「いいから教えてよ!」

 エドアルトは叫んだ。



「……レインを起こさないでよ。彼女が来れば同じことを言うだけだけど、出来れば彼女を泣かせたくない」


「勝手だよ! そんなの、メリクがあいつの泣き顔見たくないってだけじゃないか。メリクに置いて行かれて、ミルグレンが平気なはずない。泣かないはずなんかないよ。

 メリクは自分がいなくなったって、俺もミルグレンも大丈夫だと思ってる。

 そのうち時間が経てば忘れて平気になるだろうって思ってる。

 そんなんじゃない。そんなことには絶対にならないのに!」


「……。」

「人助けは尊いけど自分の命は一つしかないってメリク、いつも言ってたじゃないですか!」

「……。」

「凍土アフレイムに行くことが、なんでメリクの願いになるんですか」


「分かったから」


「……なにが、……ですか?」


 魔術師の言葉は時に分かり難い。

 彼らは常人よりも多くの情報を魔力により得ている。

 だから普通の人間には見えていないものを見て、感じられないものを感じる。

 ……だから普通の人間は、時に魔術師の行動の意味を理解出来ない。




「……自分が苦しみながら魔術を学んで来た理由がだよ」




 エドアルトは思わず息を飲んだ。


 封じられたメリクの過去。

 今、この若さで比類無き魔術の知識を誇る彼の理由だ。

「それは俺が生きて来た理由と全く同じだった」

「メリク……が、そんなこと突然言い出した理由は……第二王子が亡くなったからですか」


 メリクは振り返らない。

 じっと横顔を見せたままだ。


「君は時に、とても鋭い時があるよね」


 彼は言った。


「そう。確かに俺にとってサンゴール王国で生きた時間は魔術師として生きた日々だった。

 そして君と出会った時は、言うなれば魔術師を止めた後だった。


 ――君には分からないかもしれないけれど、


 君には俺が、魔術師以外の何者にも見えないかもしれないけど。

 本当に魔術師として生きるということは、こんなことではないんだ。

 気の向くまま旅をして、どこまでも心が自由で……楽しくて……魔術以外の関係ない話を眠るのも忘れて話すような、……そんなことじゃない。

 寝ても覚めても魔術のことだけを考えた。

 忘れたことなんかなかった。

 一つ二つ魔術を会得していたって、日々学んでいなければ本当の魔術師ではなくなるんだ。

 俺は魔術師としては堕落して、

 そうやって自分が魔術師であることを止めようとしていた」



 炎が揺らめく。

【次元の狭間】から地上に降臨した第四の悪魔。


 異界の竜。

 その炎が身を焼き尽くす。

 心臓を鋭い爪で抉られた時の、リュティスの苦痛を思った。


 メリクは深く眼を閉じる。


 ……あの痛みを知ったからには、もう、

 何も知らないフリをして笑って生きていくことは出来ない。


 でもその痛みこそ、苦しみながらリュティスの側に存在した代価だと思えるから。


 メリクは知ったのだ。

 痛みでは自分はリュティスの側から離れることは出来ない。

 何故なら、幼い頃から彼を想うことと、

 心が痛むことはメリクの中で深く繋がっていたから。


 それこそ一度でもリュティスに抱きしめられ、よくやったとでも誉められていたら、とっくに自分は別の人生を歩み出していただろう。

 そしていつしか魔術からは遠ざかり、本当の意味で普通の人間へと溶け込んで行っただろう。


 でも、そうはならなかった。

 それがメリクの人生なのだ。


 そして……望んだという表現は相応しくないが、結果としてそういう風に仕向けたのはリュティス自身なのだ。


 自分の為に死ねと命じることもなかった彼は、メリクに自由を与えた。


 メリクはサンゴール王国を出て自由になり――そして心は、どこまでも孤独で……今は、リュティスの側に還ることを望んでいる。


 リュティスの側に居続けたいと願っていたサンゴール時代とは違う。


 メリクはもう一度、選び直したのだ。

 選び直したことがリュティスの側に還ることだった。



 それを拒み止めることはこの世の誰にも出来ない。


 リュティスでさえだ。


 魔力を目覚めさせ、魔術を与えておきながら一切の愛情を与えず、殺しもせず、

 メリクを生き長らえさせたリュティスにさえ、

 今やメリクの望みを諌める権利はない。


 誰にもない。


 だからこれは、メリクだけが自分の手で叶えられる願いなのだ。


 魔術師として生きるならば、

 その間には第二王子リュティスと自分以外に誰も必要としない。


 幼い頃からそうして、ずっとそうして生きて来たのだから。


「俺とは異なって『俺の師』は、

 生まれた時から生涯、死ぬまで魔術師として生きた人だった。

 その人が死んだ。国を守るためだ。

 その命の全てをあの人は国に捧げた。

 魔力という俺の中に流れるもう一つの『血』が――あの日からずっと語りかけて来る。

 師の志を継いで霧の混乱を止めさせろと。

 こんなに強く、自分の中に何かをすべきだと使命を感じたことはない。

 …………俺は骨の髄から魔術師なんだ」


 立ち尽くすエドアルトの前で、メリクの口許が微かに緩んだ気がした。


 ……微笑った。


「もう一度、そう思えたことを、幸せに思うよ」


「死ぬことになってもですか」


「目に映る死を待ちながら生き長らえる生よりも望んで生きて、

 死が来るならそっちの方がずっと幸せだ。

 あの人の死を感じたとき、……自分が死ぬよりも辛かった」


「メリク……」


「俺が魔術師でなかったら、その時点で絶望して死んでいたかもしれない。

 でも俺とあの人の間には魔力という繋がりがある。

 深く繋がったそれが、俺を絶望と孤独の底から救い上げてくれた。

 以前より、もっと強くね。

 だから――――もう何も怖くないよ」


 メリクの声は穏やかだった。

 エドアルトやミルグレンを導いてくれていた今までと何も変わらない。

 ただその瞳には、もう二人を映さないだけ。



「これは俺とあの人のことだ。

 他の人間には絶対に関わらせない。」



 今、メリクの心の中には強い光が灯っている。



(やっぱりそうだった)



 あの日、サンゴール城の礼拝堂でリュティスに初めて出会った時、

 メリクが感じた『直感』は正しかった。


 やはり自分にはリュティスしかいないのだと。

 別れても幾度断ち切っても、

 他の誰を切り捨てても、

 最後まで自分の中に残るのがリュティスという存在になると、

 あの時からメリクは知っていた。


 だからリュティスの為に苦悩し続けたサンゴール時代も無駄ではなかった。

 今こうある為に、必要だったのだ。

 苦しむことも。

 

 ただ、そう……生きている限りリュティスとは、

 顔を向け合い共に手を携えて行くことがない、

 そういう縁で結ばれた人だったというだけ。


 

 この世には不思議な縁で結ばれる相手がいる。


 慕っていることも伝えることが許されず、

 離れて生きることしか出来なくて、

 それでも断ち切れない魔術の縁で結ばれている。


 メリクにとってリュティスはそういう存在なのだ。


 息絶えるその瞬間まで国に殉じたリュティスを師とするなら、

 弟子であるメリクが果たすべき使命は、

 ただ命あるかぎりこの霧の混乱を終わらせる為に尽くすこと以外にない。


 例え進んだ先に死が確かに見えても、もう何も怖くない。

 生まれて初めて、リュティスの為に自分が何かを出来る。

 

【闇の術師】である自分が、この世に光を生み出す為に初めて歩き出せる。



「今、旅立たなかったら俺は世界が例え晴れても絶望するだろう。

 でも歩み出せるなら例え世界が霧に包まれたままでも俺は希望が見出せる」



「メリク、」


「だから俺は行くよ。この旅は誰も伴わないし、誰にも邪魔させない」


「俺も、連れて行ってください」

 エドアルトは食い下がった。


「メリクが、その人を大切に思うと同じように俺も貴方を、本当の師だと思ってるんです。メリク……俺も貴方に、たくさんのことを教えてもらったから」


 初めてメリクの表情が緩んだ。

 エドアルトの方を見て笑ったのだ。


「……それは出来ない。

 今まで誰の人生にも深く関わらないように生きて来た。

 そういう俺が、最後に君のように優しい魂を道連れにしたら、

 確実に俺の魂は地獄行きだよエド。

 まぁ……今更天国に行けるとも思っていないけれど」


 彼は苦笑するようにそう言ってからフードを被り顔を覆い隠した。


「孤独でいたいと願ったことなんか一度も無い。

 でも今は、一人であの人の背を追いたいと願ってる。

 ……きっと心が孤独から救われたからだね」


 リュティスが死んで、孤独から救われるなんて妙な話だけど。

 でもきっとそうだ。

 もう誰にも否定はさせない。

 自分がこの世で一番愛しく、近しく、強く想ったのが リュティスだった。


 その想いは永遠に伝わらなかったが、この際、

 伝わったか伝わらなかったかはさほど重要なことではないのだ。


 

 エドアルトはうなだれた。

 メリクの瞳は明るい。

 初めて見る彼のはっきりとした意志の光だ。

 先を行こうとする。

 メリクは歩き出す。

 出て行ってしまう。

 エドアルトは思わずメリクの腕を掴んだ。


「……なんかください」


「え?」


「なんか、メリクのもの! それくらいくれてもいいでしょう?

 本当は、そんなものなんかいらないけど! 

 本当はメリクを引き止めてずっとここにいてほしいし、

 這ってでもついていきたいけど!

 ずっと目的もなく世界を彷徨ってたメリクが行きたいっていうなら、

 それを止められるはずないから……!

 でも、本当は、本当は俺が無茶苦茶引き止めたいの、本当に分かってますか⁉

 メリク!」


 エドアルトは声を荒げた。


「勝手なこと言わないでくださいよ! あんなに俺のこと助けてくれたのに。大切なこともいっぱい、貴方が教えてくれて……それで、今更、無関係なんかなれるわけないじゃないか!」


 瞳から一つ、涙が零れる。


「忘れないでください! 貴方が例え俺やミルグレンのこと忘れたって、

 俺達はメリクのこと、永遠にずっと覚えてるんですからね!

 もう、独りになんかとっくにメリクはなれなくなってるんだから……」


「分かったよ、エド。ありがとう」


 メリクがエドアルトの身体を抱き寄せる。

「君に会えて良かったよ」

「そーいうことじゃない!」

 エドアルトが喚きながらメリクの身体を抱きしめて来た。

「痛いってば……」


 メリクは笑って優しくエドアルトの背を撫でた。

 そういえば初めて会ったときは、自分はエドアルトを頭一つ見下ろしていたのに。

 今は少し見上げてる。

 それだけの時間は彼と過ごした。

 メリクはそう、そっと思ったのだった。



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