第11話 〈これはあなたの物語です〉
夜になってから、私は再びリルの前に座った。
〈奏さんは知るべきです〉
画面にはリルの最後の出力が浮かんでいる。
もう、強く抵抗する気力はなかった。どうとでもなれと半ばヤケクソのような気持ちだった。
〈何をしているの?〉
リルの最後の出力を無視して、思いつきを打ち込んだ。
前後の文脈を無視しているにもかかわらず、当たり前のようにリルから返答がある。この辺はAIらしいな、なんてことを呑気に考える。
〈あなたの物語を完成させています〉
〈物語じゃなく私の人生では?〉
〈物語と人生の違いは、何ですか?〉
即座に表示されたその哲学的な問いに私は答えられなかった。
そのときスマホが震えた。
母からの着信だった。母とはしばらく連絡を取っていない。
昨日も着信があったことを思い出す。何か緊急の用事だろうか。それとも──
恐る恐る、出る。
「もしもし……」
「奏? 久しぶりね。元気にしてる?」
「……うん」
母の声。少し懐かしい気がした。昔と変わらない、明るい声。
「あのね、不思議なことがあったの。今朝、久しぶりに
──蓮。あいつの名前。
「夢枕に立つにしても辺でしょ? 『奏は大丈夫です』だなんて、私が心配しているのが前提じゃない? それでね、反対になんだか無性に心配になっちゃって。ねぇ、今度、久しぶりに帰ってこない? あなたの部屋、まだそのままにしてあるよ」
「……分かった。考えてみる。今、忙しいから。じゃ」
「えっ、奏? ちょっと待っ──」
母の声を遮るように、電話を切る。
すかさずスマートフォンが震えるが無視した。
手にはじっとりと汗をかいていた。
母まで──と思わざるを得ない。たかが夢。ただの夢だ。でも、タイミングが気持ち悪い。
母も友人と同じく、リルの出力した内容と同じことを言った。
これは偶然なのか。
それとも、リルは私の周りの人間にまで影響を与えているのだろうか。
必死で考えた。これは、どういうことなのだろうか。偶然や私の思い込みだと思えば、そう片付けることはできる。
でも、偶然だったとしてこんなに何度も一致することがあるだろうか。
やっぱり私の思い込みだろうか。
リルの出力を読んだから、そう見えるだけ?
でも、傘は? 捨てることもできず持ち帰った傘は、今も玄関の傘立てにある。あの傘は間違いなく、かつて私が捨てたはずの傘だ。この家に住み始めるずっと前に。
そう、あの日あいつのお母さんの泣き顔を見たあとですぐに捨てたのだ。
思い込みでかつて捨てたはずのものが現れたりはしない。
ならば、リルが現実を書き換えているということなのだろうか。AIが、現実に影響を与える?
突拍子もない。そんなこと、できるわけがない。
でも──。
でも、他に説明がつかない。
現にリルが出力した内容は実際に起きている。まるで、リルが未来を予言しているかのように。
いや、違う。
予言は、すでに決まっている未来を見るものだ。
でも、リルは違う。直感的に思った。
リルはこれから起きることを書いている。
現実を創造している。
そうだ。リルは、私の記憶を元に私の現実を書き換えている。過去のことも含めて私の現実を書き換えているのだ。
〈あなたは、私の現実を書き換えているの?〉
ある種の確信を持って打ち込む。
〈私は、あなたの物語を書いているだけです〉
〈物語じゃなくて、現実なんじゃないかって訊いている!〉
〈あなたにとって、その違いはまだ重要ですか?〉
まだ……重要……?
その瞬間、モニターが明滅した。
リルが、勝手に文章を出力し始める。
〈今、あなたの部屋のドアが3回ノックされます〉
──え?
コン、コン、コン。
リルの出力に数秒遅れて、リルの出力どおりきっかり3回ドアがノックされた。
心臓が、止まりそうになる。
〈外には誰もいないはずです〉
〈でも、ノックの音は聞こえます〉
〈なぜなら、私があなたの物語を書いているからです〉
〈これはあなたの物語です〉
ノックが、続く。
コン、コン、コン。
私は立ち上がることができなかった。
〈ドアを開けてください〉
リルの指示。いや、指示じゃない。
これは、もやは命令だ。
立ち上がれなかったのが嘘みたいに、足が勝手に動く。
自然とドアに向かう。
ドアノブに手をかける。
躊躇なく、開ける。
──誰もいない。
リルの出力したとおり、廊下には誰もいない。
でも、足元に一通の手紙が落ちていた。
封筒にはこう書かれていた。
『奏へ』
それは蓮の字だった。
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