第二十話 私のヒーロー
それからほどなくして、統合軍のIDカードがアリス様から手渡された。
人類統合軍・極東方面軍。
所属・賽原基地司令部付。
氏名・雪風小春。
階級・少佐。
これらの文言が、顔写真やバーコード、電子チップなどと共に記載されてあった。
これさえ携帯していれば、僕は賽原基地の内部を自由に行動できるらしい。
アリス様曰く、機密区画への出入りも可能なので絶対に紛失しないように、とのことであった。
――コンコン。
IDカードに関する注意事項に耳を傾けていると、ふいにドアがノックされる。
誰が来たんだろう?
たぶんアリス様の部下だよね?
僕は小さく首を傾げながら、ドアの方を注視する。
「入って」
「し、失礼します」
アリス様の声に従い、その軍服姿の女性は恐る恐る入室すると、すぐさま背筋をまっすぐ伸ばして敬礼した。
綺麗な女性だった。
短く整えられた黒髪と、やや色素の濃い肌、力強い琥珀色の瞳。背は僕よりも高くすらっとしていて、その意思の強そうな顔立ちを、統合軍の紺色の制服がよく引き立てている。
「……あ」
そんな彼女は、僕の顔を見た途端に、ひどく驚いた様子で両目を見開いた。
「小春?」
「えっ?」
急に名前を呼ばれた。誰だろうこの人。雪風少佐とか雪風隊長とかじゃなくて、直接名前を呼ぶってことは、かなり親しい間柄だったのだろうけど、まったく記憶にない。
これも記憶喪失のせい?
ただ、彼女の声はどこかで聞いた覚えがある。いやでも、そんなはずは……。
「すみません。どちら様ですか?」
「おいおい、本気で言ってるのか? 俺だよ、俺! マコト! 有坂真!」
「――っ!?」
もはや居ても立ってもいられなかった。紛失しないようにと注意を受けたはずのIDカードすらも手放して、彼女のもとに駆け寄っていた。
「小春、顔が近いって……」
目と鼻の先まで近寄って凝視してみると、たしかに彼女はマコト本人だった。
「とりあえず、わかってもらえたか?」
驚きのあまり声も出せず、ひたすら首を縦に振って頷くことしかできない。
すぐに気づけなかったのも無理はない。廃工場に監禁されていた時、彼女は垢まみれで全身が黒ずんでいたし、ひどくやつれてもいた。
けれどあの時とは打って変わって、今のマコトはとても健康的で、きっちりと統合軍の制服を着こなしている。もはや別人と言っても過言ではなかった。
それになによりも、マコトは死んでしまったのだ、という強烈な先入観が、血まみれの記憶となって脳裏に焼きついていたため、どうしても気づくのが遅れてしまったのである。
「本当に、マコトなんですか?」
「ああ、幽霊じゃないぞ」
そう言って、マコトは朗らかに笑う。
「でも、マコトはたしかに死んで……。僕、あなたの死体を血まみれになりながら抱きかかえていたんですよっ!?」
「あー、それは、なんというか、申し訳ない」
マコトはバツが悪そうに目をそらし、ぽりぽりと頬をかく。
「じつは幽霊だったりしませんよね?」
「だから違うって。この体は来栖野閣下が――」
「この場で閣下はやめて、そう呼ばれるのはあまり好きじゃない」
「す、すいません。……えっと、アリス博士が俺の新しい体を用意してくれたんだ」
「えっ」
僕が視線を向けると、アリス様はコクリと頷いた。
「遺体を例の廃工場から賽原基地に持ち帰り、マコトを全身義体のサイボーグとして蘇生させた」
「もしかして、それを全部アリス様が?」
「生体脳の摘出、脳核化、義体製造の監修、義体と脳核の最終接続までをひと通り行った。幸運にも脳自体に損傷はなく、記憶の欠落も一切ない」
「すごい! すごいです!」
「そんなにすごい?」
「はい! とってもすごいですっ!」
「……へへ」
湯船に肩までつかった時みたいに、アリス様の表情は緩み切っていた。
「本当にありがとうございます!」
「別にいい」
これまでお仕えしてきた二カ月間で、もっとも頬が緩んでいたアリス様だったけれど、賽原基地では常にお仕事モードを維持するつもりなのか、五秒と経たずして普段通りの仏頂面に戻ってしまった。
「こちら側としても思わぬ収穫があった。マコトは義体化に対する適性が驚くほど高かった。総合スコアは、歴代第九位の記録。基準値をクリアしている。しばらく訓練を続けていけば、いずれは極超音速戦闘も行えるようになるかもしれない」
「ということは、マコトを部隊に?」
僕はひそひそと、アリス様の耳元で囁く。
「その可能性も十分に考慮して、彼女を私直属の部下として統合軍に入隊させた。これほどの逸材をそのまま横須賀のスラムに送り返せるほど、今の統合軍に余裕はない」
そうか、いずれは実戦に。……とにかく生きていて、本当によかった。
胸を撃たれて冷たくなったはずのマコトが、じつは死んでいなかったなんて、都合のいい夢を見ているみたいだ。
「小春。そういうわけだから、これからよろしくな?」
「はい、こちらこそ!」
これは夢じゃないんだと確信するべく、マコトと固い握手を交わす。
すると目頭が急に熱くなってきて、涙をこらえるのが大変だった。
「ところで、小春に質問なんだけどさ」
「なんですか?」
「お前の階級って、具体的にどのくらいなんだ? ちなみに俺は、少尉って階級で入隊することになったんだけど。小春も身分証を受け取ったみたいだし、もうただのメイドってわけじゃないんだろ?」
マコトは、ベッドの上に放置された僕のIDカードを指出しながらそう言った。
「か、階級、ですか?」
正直に白状すると、そもそも自分は統合軍の階級というものをよく理解していなかった。
アリス様の階級は、中将だ。これはきっと、とても偉いものに違いない。
けれど、僕に与えられた階級である少佐と、マコトに与えられた階級である少尉。
これらが、それぞれどれくらい偉いものなのか、今ひとつピンと来ていなかった。
たぶんこれも、記憶を失ってしまったからに違いない。
「えーっと……」
僕が視線で助けを求めると、アリス様はすぐに説明してくださった。
「小春の階級は、少佐。戦略機動部隊の隊長でもある。ちなみに少佐は、少尉の三つ上の階級。少尉よりも、少佐の方が遥かに偉い」
「…………」
「そ、そういうことらしいです。……あの、マコト?」
呼びかけても一向に返事がなかった。
マコトは愕然とした様子でフリーズしていた。
いったい、どうしたのだろうか。不思議に思いながら、ちょんちょんと肩をしばらく突いていると、再起動でもしたのか彼女はブルースクリーンから立ち直った。
「来栖野閣下――じゃなくて! アリス博士っ!」
マコトはひどく慌てた様子でアリス様に詰め寄った。
「なに?」
「まさか、小春は……いえ、雪風少佐は、アルバトロスの討伐に成功した部隊の生き残りってことですか!?」
「少し異なる」
……雪風少佐。
こちらは依然として性別を偽っているわけだから、良好な関係が築けているとは口が裂けても言えないけれど、今さらになってマコトから他人行儀な呼び方をされたのは、なんだかとても寂しかった。
「正確に言うと、小春は二〇一二年の関東絶対防衛戦において活躍し、のちに守護神と呼ばれた戦略機動部隊〝ハミングバード〟の隊長本人」
「……関東絶対防衛戦っ!? でも、たしかハミングバードの隊長は、三年前の第六次討伐作戦で戦死したはずじゃなかったんですか!?」
「これ以上は機密レベルが高いため詳細な説明は省略するが、小春は重度の記憶喪失のような状態で、過去の出来事をほとんど忘れてしまっている」
「……記憶喪失?」
マコトはとても驚いていたが、しかしなにかを納得した様子でもあった。
「たとえ記憶を失っていようと、その卓越した戦闘技術に陰りはない。この長い戦争によって人材と物資が枯渇し、統合軍という組織は極度に疲弊している。現状の限られた戦力で最後のアルバトロスを撃破するためには、小春の技能が必須になる。だから私は、小春を統合軍少佐として復帰させた。……他に質問は?」
「いえ、ありません」
しばらくの間、マコトはなにかを堪えるようにうつむいていたが、急にパッと顔を上げて僕の近くへと歩み寄ってきた。彼女は奥歯を噛みしめ、口を固く結んでいる。
それは今にも泣きそうなのを必死に我慢している時の仕草だった。
「雪風少佐!」
「は、はいっ!」
「少佐は私のヒーローです!」
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