高貴な竜人の愛しい猫獣人は下賤

@rukafilia8

前編




竜の血を得た王が興したと言われる竜王国。

その国の王立大学院の高位貴族用の寮にて。


星の数が多い程高位な貴人用の寮である事を示し、その星の数が最高の五つである寮。

五は竜王国において最も尊き数であり、その由来は王に血を与えた竜の角が五本であったから。

その五つ星の寮の廊下には、新入生達が侍従達に囲まれてそれぞれの部屋へと入寮を果たしている。

高位貴族の子息子女である彼らに付き従う侍従は少なくないため、彼らの荷物も含めて運び込まれる荷物は多い。

貴人の寮にしてはこの時ばかりは少々騒がしいが、その騒がしさを一層強くする存在がいた。


「竜の角に尻尾。あの女性が最高位、四部位の『竜人』ノルトルティア様か。『竜人』と学院生活を共にできるとは、なんとも僕は幸運なようだ」

「ええ、わたくしも『竜人』を見るのは初めて。でも、尊き竜の血が色濃く現れた身というだけでなく、あれほどお美しいなんて。それにとても優秀な方と聞きますわ。なんて素敵な方なのかしら………」


竜王国において決して低くない爵位を持つ貴族家の子息子女が、ため息をもらすほどの相手がそうだ。


貴人の子息子女が眺めるのは、寮の玄関口に現れた女性。

背は高く、真っ赤な長き髪と、髪と同じく揺らめくような輝きを放つ真赤な瞳を持つ相貌は、17歳という若き年齢にそぐわず完成された美女の印象が強い。

その相貌だけでなく、女らしくメリハリのある肢体も男子生徒だけでなく女子生徒の視線を集めるほどに、美しい。

なにより、彼女の側頭部から黒き角が伸び、学生服のスカートの裾から竜の尻尾が伸びているのが嫌でも目を引く。

その特徴こそが、彼女が『竜人』である事を示している。


「皆様、ノルトルティアです。これからの四年間、学友としてよろしく」


ノルトルティアと名乗った『竜人』の凛とした佇まいと落ち着いた声音に、

「は、はい。ノルトルティア様!」

「もちろんです、ノルトルティア様!」

「ええ、ええ。こちらこそ、こちらの方こそ!尊き方!」

周囲の貴族子息子女が同学年の生徒に過ぎないノルトルティアを『様』付けにして一斉に答えた。

その返事から否を一切感じさせないのは、ノルトルティアが『竜人』であるからか、ノルトルティア自身から溢れ出る雰囲気のせいか。


竜王国で尊き者、高貴な者とされる『竜人』。

彼女は堂々と寮の広い玄関口を歩き、周囲の視線を釘付けにして歩く。

しかし、彼女の後ろに続いた者を見て、周囲の視線は一気にそれに向く事になった。


「まさか獣人を侍女になされるおつもりか………信じられない………」

「うそ?あれほど高貴な方が下賤な獣人を侍らせるなんて………」


彼らの前を背筋の伸びた姿勢の良い歩き姿で凛々しく通り過ぎる『竜人』の後ろ。

彼女の肩にも届かぬ背の低い少女が続く。

薄い桃色の髪に蒼い瞳の、少し幼なく見える少女である。


その頭には、前を歩く『竜人』の黒き角とは違い、毛の生えた三角耳が乗っていて、雨に濡れたボロ着のワンピースの裾からひょこひょこと揺れる毛に覆われた尻尾が見えている。

その特徴こそが、彼女が『獣人』である事を示している。

尊き竜の血が混じった竜王国の民にあって、獣の血が色濃く現れた―――竜に愛されなかった下賤の者『獣人』である。


「あれでは尊き『竜人』様の品位が汚れるじゃないか………」

「まったくね。どうして獣人自ら身を引かないのかしら。厚顔だこと………」



◆◆◆◆



白き満月が浮かぶ夜空の下。

星五つの寮の最上階の広き部屋の中、大きなベッドの上で美女が身をくねらせている。

部屋の灯りは大きな窓から差し込む月光のみのベッドの上でネグリジェに身を包んだ美女。

その腕に抱えているのは、薄い桃色毛の猫。


「はぁぁぁっ、可愛い!可愛い!大好き、好き好き!わたしのティティ!」


美女は桃色の猫を撫で回し、撫で回し、抱きしめて、もっとぎゅーっと抱きしめて。

興奮してすっかり上気した顔を桃色猫の背にぎゅっと押し付け、

「うふぅ、うふぅ」

胸一杯に桃色猫の匂いを嗅いで、また顔を赤らめている。


美女の名は、ノルトルティア。

入寮時に見せた凛とした佇まいはこの夜ばかりは無く、顔を赤らめるは素の姿。

彼女は今世、最高位の尊き者、高貴な者とされる―――『竜人』ノルトルティアである。



◆◆◆◆



『竜人』ノルトルティアは、竜王国の高位貴族の三女として生まれた。


生まれ落ちたその瞬間から、彼女の人生は大きく変わった。

なにせ、国の興りにかかわる竜の血が色濃い身で生まれたから。

側頭部から伸びる二本の角、仙骨部から伸びる竜の尻尾、透明で普通の人間には見る事のできない魔力を見る事ができる竜眼、胸に一枚だけある薄く輝く竜の鱗。

竜の血の濃さを示す部位が四つ揃うのは稀であり、だからノルトルティアは最高位の『竜人』と呼ばれる事になった。


最高位の『竜人』として生まれたノルトルティアを見た両親は、

「我が娘が尊き『竜人』か!なんとも素晴らしい!我が家の財の全てを投じてでも、『竜人』として健全完璧な教育を施さねばな!」

「そうね。望めば王にもなれる四部位揃った最高位の『竜人』ですもの。相応しき教育を与えましょう!」

彼女の意思を勝手に横に置いて『竜人』としての生を押し付けた。


ノルトルティアは、幼い子なら当然得られたはずの両親の愛情を受けられなかった。

両親が彼女を自分達より高貴であると壁を作ったから。

王位も望める娘に期待し望んだのは、完全完璧な至高の存在―――王に相応しき『竜人』であること。

両親は、愛情の代わりに大きすぎる期待と、貴族家の財力をおしみなく使った教育環境を与えた。

ノルトルティアは両親に褒めて欲しい一心で懸命に学んだが、両親が彼女に抱く完全完璧像がもっともっとと努力を求め続けたから、彼女はとうとう愛情を受けたいという願いを諦めることになった。


王国大学院は本来18歳から入学を認められる。

17歳のノルトルティアが王立大学院に入学するのは、彼女が受けて来た教育と努力の賜物。

王立高等学院の卒業を早め、飛び級の形での入学である。


王立高等学院で王立大学院の第三学生分までの勉強を既に終えていたノルトルティアだったので、飛び級はいささか遅い学院側の判断であった。

その上、前例がないからと学力的には十分通用する第四学年への飛び級は認められずに第一学年への飛び級という学院側の判断もあまり賢いものとはいえなかったのだが。


「完全完璧でいなくては………」


ノルトルティアは両親の愛情を諦めてなお、両親の願う完全完璧な者たらんと努力を続けている。

だから、

「流石でございます、ノルトルティア様。僕など貴女様の足元にも及びません」

同学年の生徒達に能力を絶賛され、

「流石ですね、ノルトルティア様。まさか大学院三学年の分の教本まで全て理解されているとは」

教師にまで手放しで褒められる程に優秀である。



「お嬢様。お茶をお持ちしましたニャ」

「ああ、ありがとうティティ。侍女としての生活には慣れたかな?」

「はいですニャ。猫獣人であるティティを拾っていただいた上に綺麗な服と部屋まで与えてもらって、ティティは幸せですニャ」

「入寮式の日、わたしがティティを選んだ形だったけれど、ティティが侍女として仕えるのがわたしで良かったのかい?」

「もちろんです。お嬢様だけがティティを獣人だからと差別されなかったのですからニャ」

「それなら良かった。さて、ティティの食事の改善をしなければね。行こうティティ」


寮の食堂へ出向く今『獣人』ティティに向けられる冷たい視線をノルトルティアは不快に思うから、

「わたしが望んだ侍女です。皆様にご迷惑をかけてはいませんでしょう?」

ひそひそと聞こえてくる『竜人の品位が汚れる』などといった言葉を、『わたしが良いと言ってるのだ。皆には迷惑かけてないんだから黙れ』と言外に込めて、ノルトルティアは笑顔で斬って捨てていく。

ノルトルティアが笑顔を向ければ大抵の学生は同学年も上の学年の学生も、返される言葉の内容はともかくノルトルティアの『竜人』としての完璧な振る舞いを知るからこそ、何も言えなくなる。

身分が、普段の行いが、能力が違い過ぎるから。


ただしノルトルティアであっても寮の管理者である教師には一言で意思を通せなかった。

入寮して一週間ほど経った頃、ノルトルティアは知った。

侍女のティティが自室で食事を摂っていて、その料理があまりに少なく冷え切ったスープとパンだけだと。本来なら侍従達は侍従用食堂で温かな料理を食べているはずなのに、である。


だから、ノルトルティアは寮の管理者である教師に願う事にした。


「ですからノルトルティア様。寮の管理者として私が許容できますのは、そちらの侍女の食事を侍従用の食堂で摂っていただく事までです。本来ならば、獣人には侍従用食堂もご遠慮願いたいところなのですよ?」


ノルトルティアが学生用食堂で侍女と一緒に食事を摂りたいと願った時の教師の返答がこれだった。

ノルトルティアを尊き者として『様』付けで呼ぶのに、獣人絡みだからと、その願いにはしぶしぶといった態度で応えるのだ。


だからノルトルティアも遠慮しない。


「でしたら、わたしも侍従用食堂でわたしの侍女と同じ食事を頂くとしましょう。先生、ご案内頂けますか?」

ノルトルティアの言葉に顔をひきつらせた男性教師が、

「最高位の『竜人』であるノルトルティア様に侍従用食堂で食事をさせたとあっては私の立場がありません。ノルトルティア様、どうぞご容赦ください」

そう拒否してくるから、

「では、やはり学生用食堂でわたしの侍女にも同じ食事を」

そう揺さぶって、

「そ、それはやはり出来かねます。他の貴族家の子息子女の獣人への嫌悪感を煽る形になりましょう。心ぐるしいのですが、どうかご容赦―――」

『竜人』の願いを何度も断るしかない教師の心苦しい心情を利用して、

「では、こうしましょう。わたしの部屋へ、わたしが摂る食事と同じものを、わたしと侍女の分毎食お届けください」

落としどころへ誘導し、

「そ、それならば可能かと思います」

教師がほっとした顔で答えたから、

「ティティ。部屋へ戻ります。食事は今後二人で部屋で摂りましょう」

ノルトルティアは教師に背を向けて自分の部屋へ戻っていく。

その後ろに続くティティが、

「はい、はい!ノルトルティアお嬢様―――あ、ニャ!」

ティティが信じられないと言った顔で前を行くノルトルティアを見上げていたが、ノルトルティアはそのティティの気配に満足して歩くのみだった。


竜王国において最も尊き『竜人』と、最も卑しいとされる『獣人』の主と侍女は、それ以来部屋で同じ食事を摂っている。

貴人用の豪華で温かな美味しい料理を二人でテーブルについて、一緒に。


こうしてノルトルティアは、竜王国内で肩身の狭い獣人にも差別意識がない上に気配りができる程に人格者でもある。

同時に、相手が間違っていると思えば遠慮なく斬り込んで問題解決にあたろうとする行動力も備える彼女はまさに、ノルトルティアの両親が望んだ完全完璧な王にすら足る『竜人』である。

そう誰もが思っているのだが―――



ある日の事。

講義を受けた後、体育館で魔力操作の訓練をして、続けて図書館でその日の講義の復習と翌日分の予習をして部屋に戻るのは夕刻遅く。

それらの努力はいつもの日課だったから、いつものように部屋の扉を開いた先に、

「ティティ?ど、どうして………」

薄桃色の毛並みの猫がトテトテトテと歩いてきたから驚いて、

「獣人は満月の夜には獣姿に戻るのは知っているけれど、今夜は満月ではないよ?なのに、ああ!まさか病気だろうか?い、いや何かの呪いとかだろうか?わたしは、ど、ど、どうすれば良いんだ!」

終いには慌て始めた。


ノルトルティアはわなわなと震えだし、猫化したティティを誰かに診せるべきだろうかと悩み始め。


「そもそも、ふ、触れていいのか?猫の姿とはいっても、一人の女の子なのに?」


持ち上げるために手を伸ばした手を引っ込めて、会話できないからといって相手の同意も得ずに黙って人の身体に触れようとした己を恥じてその手で自分の頬を打ったのは、高い倫理観を求めた両親と家庭教師達の長年の教育の成果といえた。

しかし、ティティが獣化した原因が分からず、ノルトルティアは落ち着かずに猫ティティを中心にウロウロ歩きまわって自分の知識に答えを求め。


様々な書物を読み、家庭教師に膨大な知識を与えられたノルトルティアの記憶の中にも、満月の夜以外の獣化の原因が見つからなくて、それでも何か思いつかないかと歩きまわる。

その視線の先に、ティティが猫化してしまった時に脱ぎ捨てられたのであろうメイド服と、その下に下着の白が目に入って、

「―――っ」

ノルトルティアは頬が熱くなるのを感じながら、さっと目を逸らした。


それを床の上に座った猫ティティが見上げていて、

「ニャニャア」

頭を傾げるような格好でノルトルティアを見上げた姿と鳴き声が可愛くて、

「か、可愛い!」

思わず口から洩れたその言葉を、

「い、いやゴホンゴホン………」

完全完璧な『竜人』としては恥ずべき言葉だと、そうごまかした。


思わず立ち止まって頬を赤くするノルトルティアの足元に、

「ノニャア………」

猫ティティがすり寄って来て、頭を胴を尻尾を、ノルトルティアの足にまとわりつくように全身を寄せてくるから、

「―――っ」

ノルトルティアは目をぎゅっと瞑って、ストッキング越しでも肌に感じる魅惑の毛ざわり、温かな体温から脳裏に浮かぶ、誰かと身を合わせる事の背徳感みたいなものに耐えて。

それはノルトルティアが性に対して極端に疎いのに、想像力だけは豊かだったから。


「や、やめてくれ、ティティ。お願いだ。お願いだから………」


生身の女性に触れられているわけでもないのに、身じろぎひとつできず。

一層頬は赤く染まり、呼吸も忘れ。

猫ティティに触れられている喜びと強い背徳感とが―――ノルトルティアの『竜人』の力を暴発させた。

それは制御できていない魔力が身からあふれ出して部屋の中を台風のようにかき回し、結果ノルトルティアはその暴走によって気を失った。

『竜人』の膨大な魔力から、ほんの少し漏れ出したごくわずかな魔力で。



「ニャ!お嬢様?」


ノルトルティアが目を覚ましたのは、部屋の床の上。

制服姿のまま床に横たえた身体が床の毛足の長いカーペットの柔らかな感触を伝えて来る。


「あ、ああ。ティティ、心配し―――」


ノルトルティアを覗き込むティティが猫姿ではないから安心してそう言いかけたが、頭の下だけは断じてカーペットの感触ではなかった。

柔らかくも温かなそれはノルトルティアを覗き込むティティの太ももの感触で、

「―――ティティ、失礼した!」

だからノルトルティアは完全完璧な王にすら相応しい者として、許容する訳にはいかない侍女の膝枕からガバっと身を起こした。

侍女といっても、ひとりの少女に、15歳の少女にそんな事をさせるのは不謹慎で不適切なのだから。


頬が赤いと自分で分かる程のノルトルティアは、ティティの顔を見られず背を向けたまま、

「ティティ。侍女だからといって、一人の女の子である君がむやみに他人に身体に触れさせる事はないんだ。ティティは自分の身を大事にしなければいけないよ」

そう正論で諭す事で自分を落ち着けて、

「はいニャ。ティティはこの身を大切にしますニャ。ノルトルティアお嬢様」

やっとティティに向き直った。


「ティティ、昨日の夜君は猫化していたけれど、満月の夜じゃなかったのになぜ?体調が悪かったりするのかい?」


「ごめんなさいニャ、お嬢様にご心配をおかけするなんてティティは悪い侍女ですニャ。初めからお伝えすべきでしたニャ。獣人は疲れが溜まると獣化してしまうんですニャ」


「疲れが溜まると、か。すまなかったね。気が付かなくて。そうか、疲れでも獣化するのか………それで、その獣化しているからといって、やはりティティはひとりの女の子なんだ。猫の身でだって、誰かに身体を触れさせる事なんてないよ?分かってもらえるかな?」


ノルトルティアは昨夜の事を思い出してまた背徳感が沸いて頬に熱を感じて。

そのノルトルティアの顔をじっと見たティティが、

「ああ!ティティは獣化している時に何かしたのですかニャ?ティティは獣化している時の記憶がないんですニャ。言葉も理解できないのですニャ。ごめんなさいニャ」

申し訳なさそうに項垂れてそう言ったから、

「え、あ、そうなのか。猫化している時は記憶が無い、のか。そ、そうか………」

ノルトルティアは昨夜の慌てぶりも、触れられた時の赤い顔も覚えていないのだと安心し、

「猫獣人は獣化している時は、人に触れられたがるですニャ。本能ですニャ。困ったものですニャ。だから、またご迷惑をおかけするかもしれないですニャ」

そう言われて、

「え、あ、本能なのか。そ、それなら仕方がないな。うん、本能なんだから」

ノルトルティアは言い訳を手に入れる事になった。

猫化しているティティに触れるための言い訳を。



◆◆◆◆



尊き者、高貴な者『竜人』は、竜の血を色濃く受け継いだ者だ。

角や竜鱗や竜尾という外見的特徴だけでなく、ただの人間を超えた肉体性能を持つ。

寿命が長くおよそ500年生き、肉体強度が強く、筋力も強く、膨大な魔力を持つ規格外な存在である。


なにより、その世代で最高位の『竜人』が望めば竜王国の王にすらなれる。

王位はその世代で王位を望んだ中で最高位の『竜人』が継ぐと国法で決められているから。

竜王国に家名などの固有名詞がついていないのは、『竜人』の誕生は血筋とは無関係な事が理由だ。

竜王国に住まう誰かから生まれてくるのが『竜人』で、歴代の王がそうやって王位を繋いできたからだ。


だから、生まれてきた『竜人』には高度な教養と高い倫理観が求められる。

ノルトルティアの両親が『完全完璧な存在』としてのノルトルティアを求めたのはそういう理由だ。

竜王国の王『竜人王』を支えるのが彼ら貴族であり、理想の王としての在り方を娘に望んだわけである。

当のノルトルティアに王位を望む気は無いのに、その意思すら聞いてはくれないままに。


しかし、その大きすぎる期待がどれほど重圧になるかなど、当の『竜人』にしか分からない。

両親は『完全完璧』をただただ求めるばかり。

両親から離れてみても周囲は、ただただノルトルティアを優秀だと褒めたたえるばかりで、尊き方だからと『竜人』ノルトルティアとの間に壁を作り、決してノルトルティア個人を見ない。

ノルトルティアがどれだけ努力し、懸命に『完全完璧』であろうともがいているかなど、誰も見てはいないのだ。


「いつもノルトルティア様は凛としていらっしゃって素敵です。わたくしなどお部屋ではついだらしなくしてしまいますのに」

「ああ、そうですね。僕も侍従達の前ではくだけていますね。だらしないと注意される事もあります。ノルトルティア様はお部屋でも凛々しくいらっしゃるのでしょうね、僕もそうありたいのですが、なかなか………」


また本当のノルトルティアを見てはいない空虚な褒め言葉を浴びて、ノルトルティアは作り笑顔を返す事になった。

努力、我慢、努力、我慢、そして作り笑顔。

ノルトルティアが生まれてから17年に渡って積み上げられてきたそれらのストレスが、

「はぁぁぁっ、可愛い!可愛い!大好き、好き好き!わたしのティティ!」

満月の夜だけ爆発するのは仕方の無い事である。


「ティティ、聞いて。わたし今日も一日頑張ったの。なのに、誰もわたしが我慢して努力してるなんて見てくれない。本当のわたしを見てくれるのは大好きなティティだけ!好きよ好き好きティティ!」


薄い桃色の毛並みに顔をうずめて頬ずりし、猫ティティの匂いを嗅いで、ノルトルティアは頬どころか耳まで赤くなっているのが自分で分かる。

怖ろしくも見える角を生やし、竜の尻尾を持った高身長なノルトルティアが、小さな猫を胸に抱いて、喜びに身をくねらせる姿は、ノルトルティア自身似合わないし滑稽だと分かっていても、高ぶる気持ちを抑えられない。


あれほど猫化していようと一人の女の子の身なのだから触れてはいけないと自制していたノルトルティアだったが、ティティの同意があるのだから、

「ティティは猫になっている時は触れられたいんだよね。だから一杯撫でてあげる!ね、可愛い可愛いティティ。うふふぅ、うふふぅ」

強い強い我慢という自制は解かれて。


ノルトルティアはベッドの上、薄いネグリジェに包まれた豊かな胸元に猫ティティを抱きしめて、身をよじる。

満月の夜だけが、ティティだけが、本当のノルトルティアを癒してくれるから。

誰の目もないこの時だけは、素の自分でいられるから。



「おはようございますニャ。ノルトルティアお嬢様」

「おはようティティ。わたしの名前は長くて呼びにくいだろう?これからはノルティと呼んでおくれ」

「いいのですか!そ、それではノルティお嬢様。あらためておはようございますニャ」

「昨夜の獣化の影響は無かったかな?」

「はい。ティティは嬉しさ一杯!今日も元気ですニャ」

「う、嬉しさ一杯かい?ま、まあ、それなら良かった。疲れが残らないように休む事も大切だよ。ティティがいてくれなくてはわたしは寂しいからね」

「はいニャ」


ノルトルティアは昨夜―――満月の夜の狂おしい時間を思い出しかけて頭から振り払い、

「さて、わたしは朝食前にいつもの鍛錬をしてくるとしよう」

ストレスを発散して気分の良い朝の日課を始めた。


猫ティティにストレスを発散させてもらう満月の夜。

それでもノルトルティアが我慢して努力して保っている尊き『竜人』の振る舞いを当たり前に受け止めている周囲の皆に、ノルトルティアが神経をすり減らす毎日は変わらない。

17年間努力し続け、この先何年我慢と努力を続ければ良いのかと考えて、苦しくなる日もある。


周囲に受け入れられているようで、壁を作られる『竜人』。

その孤独な毎日を、だからノルトルティアは我慢を重ね、作り笑顔で乗り越えねばならなかった。


しかし近頃は、ノルトルティアを取り巻く人々の中でただ一人、

「お嬢様は頑張っていますニャ。ティティだけはお嬢様をお褒めするのですニャ」

ティティがそう言ってくれるようになって、

「ありがとう、ティティ。君は主のやる気を出させる素敵な侍女だね」

返す礼の大人な言葉とは違って、内心では疲れて苦しい心が癒される思いだったから、

「ああ、撫でてくれるのか、ありがとう。ティティ」

ティティがノルトルティアの頭に手を置いてゆっくり頭を撫でるのに身を任せた。


ティティの手は、高身長のノルトルティアが椅子に腰かけた状態でも、ノルトルティアの頭を撫でるためにはつま先立ちで。頭に置かれる手は小さくて、

「可愛らしいね、ティティは………」

思わず口から洩れた言葉に、

「ティティが可愛らしいなんて………お嬢様に褒められるなんて嬉しいです!ティティは幸せ者です!」

ティティが顔を赤くしているのが見えて、

「あ、ああ。すまない、ティティ。決してやましい気持ちで言ったんじゃないんだ。許して欲しい」

不用意に侍女に可愛いと言ったのは良く無かったと反省して許しを乞うた。


身分が上の者が命じれば、従う側にしてみれば断りにくいと思うものだ。だから、好意的に見ていると安易に伝えては、ティティにいらぬ動揺を与えてしまう。

主が肉体的奉仕や交わりを望んでいるのでは、とすらも。


だから、『竜人』として完全完璧であらねばならないノルトルティアは、侍女であり同性のティティをそういう風に見てはならないし、実際そういう風に見てはいないから、許しを乞うた。

そのはずだったから―――



◆◆◆◆



周囲から完全完璧な『竜人』として評価を受けるノルトルティア。

しかし、近ごろは完全完璧とはかけ離れて困った状況になる事が多くなっていた。


「ニャ?お嬢様、ティティに何か御用ですかニャ?」

「い、いや。何でもないんだ。ほら、ティティを見ていたんじゃなくて、窓際の花瓶を見ていたんだ」


満月の夜を数度経験してから、猫化していないティティを目で追うようになっていたのである。

猫化しているティティが好きな自覚はあるが、猫化していないティティは別。

ティティは個人であり、その意思は尊重さればければならない。

それが十分に分かっているからこそ、ティティを目で追う恥ずべき行為をなぜしてしまうのか、ノルトルティアにはそれが分からなかった。


気を抜くと、ティティを目で追い、ティティの事ばかり考えている。

背が低く女性としての膨らみは慎ましやかな、童顔で可愛いという表現が似合う少女。

薄い桃色の髪は肩にかからぬ程度で揃えられ、柔らかく細い髪の上の三角耳がくりくり動いている。

大きな蒼い瞳と小さな口も、感情のままに揺れる尻尾もまた可愛らしいとノルトルティアは思うが。


ティティを隠れ見ながら、

(ティティの髪は柔らかそう。猫化している時の毛並みと同じくらいの良い手触りかな)

と考えていたり、

(仕事中の真剣な顔も、気を抜いた顔も、笑顔も可愛い)

教本から何度も視線を移してティティを眺めてしまい、

「ニャ?やっぱりティティの顔に何かついてますかニャ?」

ティティを目で追っていたことに何度も気づかれそうになって、

「あ、いや。違うんだ。ほら、ティティが疲れ果てていては大変だからね。主としてティティの健康状態をね、観察していたんだ」

その度にごまかした。


ある日などは、

「お嬢様。ティティがお背中をお流ししますニャ」

ノルトルティアの部屋にある個人浴室で入浴中にティティが入って来たから、

「ティ、ティティ?いけないよ。今すぐ浴室から出るんだ」

ティティを視界に入れないように背を向けたままそう伝えたが、

「でも、他の侍女さん達が言ってましたニャ。同性の主の入浴の手伝いも侍女の仕事ですと、ですからティティがお嬢様のお背を流す事はなにも問題ないですニャ」

ティティが浴室の入口から近づいて来る気配を感じるから、

「い、いや。わたしはティティにそこまで望まない。それにティティのような女の子がむやみに肌を他人に見せるのは良く無い!」

ぎゅっと目を瞑ってティティへ向けた言葉は慌てていたから少々語尾がきつくなり、

「ノルティお嬢様は他人じゃありません。ティティの大切な主様です。それにティティは水着を着ているから大丈夫です。お嬢様、目を開けても良いのです」

それをティティが意に介さなくて困り果て、

「い、いや、わたしに障りがあるんだ。わたしの様な可愛げのない女の裸などティティの目に入れるなどしたくないんだ。お願いだよ、ティティ。もう浴室から出ておくれ」

ずっと自分を可愛げがないと思っていた本心を、懇願に近い形でティティに願い、

「お嬢様は美しいです!お顔もお身体も!ティティは、ティティは、お嬢様のお姿に憧れるほどなのに!―――あ、ニャ!」

熱の籠った返事が返って来て困惑し、

「わ、分かったよ。あ、ありがとう。では、わたしは目をつむって決してティティを見ないようにするから、背を流してくれたら浴室を出るんだよ?」

侍女に過ぎない少女に過ぎた仕事をさせてしまう事に心苦しさを覚えながらも、観念した。


「は……い。分かりました。ノルティお嬢様―――」


ティティがそう言ってノルトルティアの背を柔らかなタオルで拭いながら、何事かを呟いたがよく聞こえなかったのは、自分の心臓の音が大きすぎたからである。


こういった少々困った状況は何度もあった。

ティティの献身がノルトルティアの意思とは無関係に次第に強くなっていくし、自分もティティを目で追ってしまいバレそうになってごまかす日々。

ノルトルティアは自分でも、猫化していないティティがこれほど気になるのか分からなかった。

それを次の満月の夜の翌朝に気づかされる事になった。



「うふふぅ、うふふぅ。わたしの可愛いティティ!小さくて愛らしくて柔らかなティティ!わたしの心を満たしてくれるティティ!大好き!好き好き!」


いつもの様に桃色の毛並みの猫ティティを月下のベッドで撫で回して、抱きしめて、顔をうずめて臭いを嗅いで堪能し、深夜を回った頃に猫ティティを侍女の部屋としてあてがった隣室のベッドへ戻した。


「猫化が解ける時は、裸だものね」


これが理由であり、ノルトルティアは節度は守る。

猫ティティに甘えさせてもらえるだけでありがたくも満足なのだから。


なのに翌朝早く、陽が上り始めたばかりの薄明るいうちに目を覚ましたノルトルティアのベッドに、ティティがベッドサイドに座って上半身をベッドにうつ伏せに寝ているのに気づき、

「―――っ」

驚きに内心で叫ぶことになった。

確かに前夜、猫ティティを彼女の部屋に戻した。

なのに、目の前にはティティの姿があり、

「は、裸………」

ティティが猫ティティから猫化が解けた後であろう全裸姿だった。


頭を殴られた様な眩暈がした。

周囲の音が聞こえぬほど、心臓の音がうるさかった。

手が指が震えているのが分かるほど、動揺していた。

回らぬ頭は答えを求めようとして空回り、思考とは別にただ『それ』があった。


「ティ………ティティ………」


ノルトルティアはベッドから半身を起こした体勢から、指先が震えたままの手を伸ばして。

裸のティティの頭へ、肩へ、背へ、彼女の白い艶やかな肌の身体に触れようと手を伸ばして、

「わたし、ティティに触れたいのか―――」

思わず口から出た言葉で我に返って、今度もまた伸ばした手を戻して自分の頬を打った。

猫ティティに断りなく触れようとして思いとどまった時よりも強く、きつく。

そうしないと、また手を伸ばしそうだったから。


ノルトルティアは目を瞑って、自分がかぶっていたシーツでティティの身体を覆い隠し、素早く着替えを済ませると部屋を出た。


気づいてしまった気持ちを、振り切らねばならないから。

また相手の同意なく、触れようとした。

今回ティティに触れようと伸ばした手には、はっきりとやましさがあった。

初めて誰かに触れたいと思った、その身勝手な欲求を欲望を振り切らねばならないから。


「わたしはティティを――――」


廊下を早足で歩く自分の口から出た言葉の続きは、そっと心の内だけに秘め、ノルトルティアは眩暈がするような頭を抱えて廊下を歩くしかなかった。



思い返せばノルトルティアは、可愛いものが好きだった。

ピンク色やフリル付きの服が好き、リボンも好き、可愛い小物も好き。

動物だって好き、庭犬を撫でてみたかった。周囲の者に獣など尊き竜に比べるべくもない、触れるなどおよしなさいと注意されなければ。

ずっと押し殺して来たのだ、本当は可愛いものが好きであると。


だから入寮式の日、王立大学院への入門待機列に並んでいたノルトルティアの魔道車の窓の外。

王立大学院の新入生に、侍従として雇ってもらおうと新入生を乗せた馬車や魔道車に向かって自己アピールする少年少女の中に、彼女を見つける事になった。

彼女の姿がノルトルティアの目を強く強く引きつけたから。


おそらく人間の少年少女に混じって自己アピールをしようとした獣人を快く思わなかったのだろう。

獣人少女は数人に肩を引かれて、立ち並ぶ彼らの後ろへと引き倒されて尻もちをついていた。

雨の中、ぬかるむ土の上で薄桃色の髪は濡れ、尻尾は汚れ、薄汚れたワンピースに身を包んだ背の低い獣人へと手を伸ばしたのは、

「わたしが思い描いた、わたしがなりたかった可愛らしい女の子の姿だったから………」

ノルトルティアは眩暈のする頭を抱えたまま、呟いた。


幼い頃から可愛いものが好き。

だから、可愛くなりたいと望んでいた。

早くから可愛い物を好きという嗜好は、両親や周囲に眉根を寄せられたから心の奥に秘める事になったが、それでも自分の顔や身体は可愛く成長して欲しいと願ったのだ。

しかし、成長するにつれて姿見に映った自分の姿を見てノルトルティアは幻滅する事になった。


ただでさえ黒い捻じれ角が生えた頭は、大人びた澄まし顔。

竜の尾などというものが生えた身は高身長で、胸も大きすぎて可愛らしさがまるでなかった。

赤い髪もそう、鮮烈な赤の主張が強すぎて、まるで可愛いく無かった。

ノルトルティアの身体の成長は、彼女が願った好きとは正反対に進んだ。


「だからだったのかな。ティティを目で追うようになってしまったのは………」


ノルトルティアが望んだ理想の可愛いティティに、自分の身体を見せたくないと思ったのも本心だ。

あの時の言葉通り、自分の姿に可愛げがなく、容姿にまるで自信がないから。

ノルトルティアの裸体を見たティティにだけは、幻滅して欲しくなかったから。


思い返すその全てが、ティティに繋がっていく。

ティティに触れたくて、でも知られる訳にはいかない一方的な好意を抱えて、ノルトルティアの悶々とする日々が始まった。

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