メルトラーム英雄物語 不敗の剣聖 戦火と邂逅の前日譚

洲厳永寿

第01話 剣は武勲を語り、人は平和を語らず

 その冬――アルメキア大陸の西端。アルメキア王国とエストゥーラ王国の国境線は、静寂とは無縁の地であった。魔力による破壊の戦火の焦げ付く匂いが鼻腔を刺し、戦の喧騒が大地を覆い尽くしていた。


 平和主義国家として名を馳せていたエストゥーラ王国は、アルメキアの奇襲を受け、この理不尽な諍いをきっかけに、国境の町をわずか一日間で攻め落とされた。その侵攻を契機に始まったアルメキア・エストゥーラ戦争は、今もなお、国境付近の小競り合いとしてくすぶり続けている。


 その戦火のただ中に、東洋からやってきた一人の傭兵が身を置いていた。


 名は、ロウガ・サイトウ。年齢は二十四歳。


 彼は、遠い故郷、和柚歌わゆかの国の地方武家の長男であったが、既にその家は没落していた。生活のために、彼に残されたのはたった剣一本。彼は新天地で傭兵となる道を選んだのだ。武家の生まれだけあって、剣の冴えは一級品で、傭兵という生業は本人が思っている以上に向いているようだった。


 黒髪に後ろ髪を紐で結って纏めており、軽い素材で作られた軽鎧の下に紅い戦闘服を纏うこの男は、刀と呼ばれる種類の刀剣を携えた、この大陸では風変わりな出で立ちをしていた。


 ロウガはアルメキア軍の傭兵部隊の一員として、抵抗するエストゥーラ王国の兵士を相手に、今日もまた剣を振るっていた。


 心情としては理不尽な侵略を受けているエストゥーラ王国側に参戦したかったが、特別な伝手もなく、負ける可能性の高いエストゥーラ王国よりも、アルメキア王国側の方が、より確実に報酬を得られると判断したためであった。


 彼の剣技は、この大陸の騎士たちが用いる剣術とは一線を画す。その若さに似合わぬ凄まじい速さと正確さが、戦場においてひときわ異彩を放っていた。彼の武勲は既に軍内部に響き渡り、《不敗の剣聖》の二つ名で囁かれ始めていた。


 傭兵隊の指揮官は、煤で汚れた顔に激しい焦燥を滲ませた。敵の魔導士たちが詠唱を終えるまでのごく短い刹那、彼は戦況を一変させるべく、ロウガに最後の希望を託す。指揮官は喉が張り裂けんばかりに、震える声でその名を絞り出した。


「ロウガ! 聞け、魔導兵団の隊長を叩け! 詠唱を終えさせるな! 突っ込め! 奴らをここで封殺するんだ!」


 ロウガは、切羽詰まったその命令に一瞥もくれず、無言で顎を引いた。返事の代わりに迷いなく大地を蹴り、その背負う黒髪の束が、踏み込みの勢いで宙を打つ。


 全身の筋肉が悲鳴を上げるほどの踏み込みで、一瞬で敵の魔導兵団の隊長に肉薄する。彼の刀が一筋の雷光のように閃き、隊長の剣をけたたましい金属音と共に弾き飛ばす。隊長の剣は宙を舞い、ロウガの鋼鉄の刃が、その喉元に無慈悲な切っ先を突きつけた。


 隊長は、己を襲った圧倒的な速度と、その正確無比な太刀筋に、抵抗する間もなく血の泡を吐いて絶命した。


 ロウガは、切っ先を深く抉り込むことはせず、僅かに返り血で濡れた刀身を、無言で、まるで払うべき埃のように一振りして鮮血を払った。彼の胸中に湧き上がるのは、勝利の歓喜ではない。


 彼の心にあったのは、この世界の不条理、すなわち魔力を持たない平民が、魔力を持つ貴族の「肉壁」として消耗されていく現実だった。


 敵の増援部隊が、土埃を上げながら丘の稜線から次々と姿を現し始めた。その数、ざっと二個中隊。この少数精鋭の傭兵部隊では、まともにぶつかれば殲滅されるのは火を見るより明らかだった。


 指揮官は、土埃と血で汚れた手持ちの武器を激情のまま地面に叩きつけ、絶望的な苛立ちに顔を歪ませた。その形相は、敵意よりも背信への怒りに満ちている。彼は歯を食いしばり、血の混じった唾を吐き捨てた。


「チッ、また俺たちは肉壁扱いか! 援軍はどこだ!? 要請したはずだろう! 約束を破りやがって、あの無能な貴族どもめ!」


 ロウガは、指揮官の感情的な怒声に無関心だった。ただ、遠くを見据えるその瞳の奥には、わずかながら、指揮官と同じ種類の冷たい諦念が宿っていた。彼の視線は、既に増援の先頭集団、特にその中心にいるであろう強力な魔導士の位置を正確に捉えていた。


(ここで倒れれば、報酬も得られず、故郷に残した家族の生活も途絶える)


 冷たい割り切りだけが、彼の内にあった。この終わりのない殺し合いに辟易していても、彼は一匹狼の傭兵だ。生きるためには、剣を振るうしかない。それが、彼にとっての唯一の現実であった。


 増援が突撃態勢に入ったのを見て、指揮官は自身の敗北を認めざるを得なかった。彼は血走った目つきで、ロウガの背中に向かって最後の言葉を投げつける。絶望的な焦燥が、声となって戦場に響き渡る。


「ロウガ! 貴様だけでも生き残れ! ここは引くぞ! 数の差が……あまりにも絶望的だ!」


 しかし、ロウガは既に動いていた。振り向きもせず、撤退の命令は、彼の冷たい思考には届かない。彼は報酬と、故郷の家族のために、この場で敵を足止めすることを選んだ。彼には単独でそれを実行できる術、即ち魔法の力を有していた。


 この世界では、魔法は一般的な存在であり、発展した国であれば、誰でも基礎的な魔法を使える。しかし、高度な魔法には、レベルに応じた高い魔力と精緻な魔力制御が必要である。


 魔法を使うためには、その魔法に対応した契約の儀式を行う必要がある。たとえ呪文の詠唱方法が分かっても、儀式を成立させなければ、通常は使用できない。儀式の入手方法は、魔法のランクによって普及率が異なる。


 基本的に、どの国においても高度な魔法の儀式は、一般人には入手が困難である。


 何故ならば、魔法が貴族や王の力の象徴であるからだ。一般に広まると彼らの都合が悪くなる。そのため、高度な魔法の儀式が普及しないよう統制されている。


 ロウガは没落したとはいえ、地方武家の長男であり、この大陸では貴族と遜色ない身分であった。そのため、幼少期から高度な魔法の訓練を受けており、高い才能を有していた。彼の持つ魔力された力こそが、この戦場で彼を生き延びさせている最大の武器であった。


 敵の先鋒の兵士たちが野太い叫びを上げ、盾を構えて殺到してくる。彼らに向かって、ロウガは刀を鞘から完全に抜き払う動作を止め、柄に手を掛けたまま、その東洋の神秘的な刀剣に静かに魔力を集中させた。


 純度の高い、凍てついたような蒼白い魔力の光が、刀身全体を包み込む。それは、静かなる破壊の予兆であった。


「――閃衝斬波ウィース・ラーミナ・イムプルス


 抜刀の代わりに、彼は腰を深く落とし、柄を握ったまま、地平線を薙ぎ払うかのように、水平に、空間そのものを叩き斬るように腕を振った。


 一瞬の静寂の後、刀から放たれた魔力の斬撃の衝撃波は、大気が悲鳴を上げるかのような轟音と共に、敵の集団目掛けて蒼白い稲妻の尾を引きながら一直線に放たれた。


 それは、不可視の刃であった。


 放たれた波紋は、先頭にいた三人の兵士の肉体を一瞬で塵と化し、その背後に展開されていた魔導士の分厚い防壁ごと、まるで紙細工のように粉砕した。地面には焦げ付くような硫黄の臭いと共に、深く、魔力で焼けたような黒い焦土の溝が刻まれた。


 敵の突撃は一瞬で止まり、静寂が訪れる。ロウガは表情一つ変えず、柄から手を離し、刀を鞘に収めた。その一連の動作には、感情的な高揚は一切見られなかった。ただ、次に何をすべきか、現状の戦果とリスクを秤にかけるクールな思考だけが存在していた。


 彼は、増援の隊列が崩れたその一瞬の隙を見逃さなかった。冷徹に戦況を断じ、刃の切っ先のような冷たい視線だけを指揮官へと向ける。


「引くぞ、指揮官。これ以上の深追いは無益だ。報酬分は既に働いた」


 ロウガはそう言い放つと、一瞬たりとも躊躇せず背を向け、まるで戦況を完全に支配したかのように丘の影へと歩き出した。指揮官は、地面に転がった武器を拾い上げることも忘れ、その圧倒的な力に押しつぶされたように、もはや何も言えなかった。彼は茫然としたまま、震える声で部隊に撤退命令を下し、戦場を後にした。


 しかし、ロウガが切り開いた撤退路も、所詮は一時的なものに過ぎない。この小さな勝利は、広大な戦況に何ら影響を与えることはなく、この不毛な戦争は、今日、そして明日も、終わりが見えないまま続いていくのだった。


 そもそも、アルメキア王国とエストゥーラ王国との間に横たわる諍いは、歴史の表舞台に記録されるような大義から始まったわけではなかった。それは、ほんの些細な国境警備隊同士のもめごと――一人の兵士の不注意な越境という、取るに足らない出来事から発展したものであった。


 しかし、その小さな火種は、アルメキア王国の露骨な侵略の口実として利用された。彼らは、即座に謝罪と賠償を申し出たエストゥーラ王国に対し、領土の割譲と軍事力の無力化という、受け入れ不可能な理不尽極まりない要求を突きつけたのである。


 国際社会は、誰もがその要求をアルメキア王国側の言いがかりと理解していた。平和主義を貫くエストゥーラ王国が、自国よりも遥かに強大な軍事力を持つアルメキアに挑発を行うはずがないからだ。


 アルメキア王国は、ただ単に侵略する理由がほしかったのだ。それは、肥沃な土地と豊富な資源を隠し持つエストゥーラ王国を、自国の覇権拡大のための生贄に捧げるという、冷酷な国家意思の発露に他ならなかった。


 これは、異国からのその圧倒的な剣腕をもって戦争の終結へと導いた傭兵ロウガと、国の在り方に疑問を抱くアルメキア王国の貴族の少女、ルシア・ルクス・セラウスとの二人の出会いと、運命を変える旅立ちの物語である――


 ***


この小説の表紙みたいなイラストです。※AIで描いたイラストを調整しています。https://kakuyomu.jp/users/imohagi/news/822139840662619842




 この話は現在連載中の「メルトラーム英雄物語 黒衣の剣士と聖剣の聖女」の前日譚です。


  本編の21年前、主人公の義父であるロウガ・サイトウがどのように活躍して英雄と呼ばれるようになったのかの話となっています。


 そちらに興味を持っていただければ、 「メルトラーム英雄物語 黒衣の剣士と聖剣の聖女」の方もよろしくお願いします。


本小説の世界観や魔法の設定なども掲載しています。


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882746106

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