鑑定持ちの荷物番。英雄たちの「弱点」をこっそり塞いでいたら、彼女たちが俺から離れなくなった

仙道

第1話 荷物番の日常と、見えてしまうヒビ

「おい、荷物番! 遅れるなよ!」


 前を歩くエルザが振り返らずに叫んだ。

 俺は背中の巨大なリュックの位置を直し、短く答える。


「問題ない。ついていってる」


 俺たちは森の中を歩いていた。

 足元の土は湿っていて、腐葉土の匂いがする。

 俺の役割はシンプルだ。

 パーティ『銀の牙』の荷物を持ち、野営の準備をし、食事を作り、装備の手入れをする。

 それだけだ。

 魔物が出たら隠れる。

 戦うのはエルザたちの仕事で、俺の仕事じゃない。


「今日の依頼はオークの討伐だ。数は五匹。楽勝だな」


 エルザが腰の剣を指で弾く。

 カチン、と硬い音が鳴った。

 俺は歩きながら、その剣を見る。

 意識を集中する必要すらない。

 ただ見るだけで、情報が文字として浮かび上がる。


 【鉄のロングソード】

 【品質:D】

 【耐久値:12/100】

 【状態:金属疲労(深刻)、微細な亀裂(柄の内部)】

 【注記:次の強打で柄から折れる】


 見えてしまった。

 エルザは気づいていない。

 彼女は自分の腕力を過信しているし、剣の手入れも雑だ。

 昨夜、俺が油を塗って研いだ時には、まだ耐久値は20あった。

 だが、さっきの藪払いでの使い方が悪かったらしい。

 硬い木を無理やり叩き切ったせいで、柄の中で金属が悲鳴を上げている。


「……エルザ」

「なんだ?」

「予備の剣、出しとくか? ここの植生、蔓(つる)が多いから絡まるかもしれない」

「はあ? 何言ってんだお前。この剣が一番使いやすいんだよ。素人は黙ってろ」


 エルザは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 俺は黙る。

 ここで「鑑定スキルで見たら折れそうだ」と言っても信じないだろう。

 それに、俺が鑑定持ちだとバレると面倒なことになる。

 変な期待をされたくないし、利用されるのも御免だ。

 俺はこの世界で、ただの荷物番として給料をもらい、屋根のある宿で寝たいだけだ。

 だが、雇用主が死ぬのは困る。

 再就職先を探すのは手間だ。


「休憩しないか。水が飲みたい」

「さっき休んだばかりだろ。だらしないな」

「俺は荷物が重いんだよ」


 俺はわざとらしく息を切らして、リュックを下ろした。

 エルザが呆れた顔で立ち止まる。


「ったく、これだから鍛えていない奴は」


 彼女は近くの切り株に座り、水筒を取り出した。

 その隙に、俺はリュックから手ぬぐいと、予備の剣を取り出す。

 予備の剣は、ギルドの倉庫で廃棄寸前だったものを俺が二束三文で買い取り、手入れしたものだ。


 【鋼のショートソード】

 【品質:C】

 【耐久値:95/100】

 【状態:良好、重心調整済み】


 俺はエルザに近づく。


「なんだよ」

「剣、汚れてるぞ。泥がついたままだと錆びる」

「あとでいいだろ」

「今やる。俺の気が済まない」


 俺は強引にエルザの腰から剣を抜き取った。

 彼女が文句を言う前に、俺は自分の腰に差していた予備の剣を、彼女の鞘に突っ込む。

 サイズは調整してある。

 鞘との噛み合わせも、昨夜のうちに確認済みだ。


「おい、勝手に触るな!」

「はいはい、泥は拭いた。返すよ」


 俺は手ぬぐいで、抜き取った【壊れかけの剣】を拭くふりをして、そのまま自分のリュックの脇に差した。

 そして、さっき彼女の鞘に収めた【予備の剣】を指差す。


「ちゃんと入ってるだろ。確認してみろよ」

「チッ……」


 エルザは疑わしそうに、自分の腰の剣を少し抜いて、戻した。

 カチン。

 良い音がした。


「……ふん。ま、手入れするのはお前の仕事だからな」

「ああ、そうだな」


 彼女は気づかない。

 剣が変わっていることに。

 重さは数グラムしか違わないし、重心の位置も俺が調整してエルザの癖に合わせている。

 柄の革紐の巻き方まで、昨夜のうちに偽装しておいた。

 彼女は「自分の愛剣」だと思い込んだまま、俺が渡した「折れない剣」を使うことになる。


「行くぞ。日が暮れる」

「了解」


 俺はリュックを背負い直す。

 その中には、今にも折れそうな【鉄のロングソード】が眠っている。

 これでいい。

 彼女がオークの棍棒をその剣で受け止めた瞬間、剣が砕けて彼女の首が飛ぶ――という未来は回避された。

 俺の平穏な雇用は守られたわけだ。


「……なんか、背中軽くねえか?」


 歩き出したエルザが首を傾げた。


「気のせいだろ」

「そうか? なんかこう、足取りが軽いっていうか……」

「朝飯、しっかり食ったからじゃないか?」

「かもな。今日のスープは肉が多かったし」


 肉が多かったんじゃない。

 昨日の夕食に混ぜた薬草の効果だ。

 鑑定で見たら【疲労蓄積:中】と出ていたから、疲労回復効果のある雑草を煮込んで混ぜておいた。

 味は変わらないし、彼女は気づかない。


「よし、オークだ! 出るぞ!」


 前方の茂みが揺れた。

 豚の鳴き声と共に、巨体が三つ、飛び出してくる。

 五匹じゃなくて三匹か。

 まあ、情報は誤差があるものだ。


「はあっ!」


 エルザが踏み込む。

 速い。

 彼女は迷いなく、先頭のオークの脳天に剣を振り下ろした。

 ガギンッ!

 硬い頭蓋骨と剣が衝突する音。

 もし、さっきの剣のままだったら、ここで剣が半ばから砕け散り、勢い余ったエルザは体勢を崩していただろう。

 だが、俺の渡した剣は耐えた。

 それどころか、滑らかに骨を断ち切り、オークを沈める。


「ッ!? ……いい切れ味だ!」


 エルザが驚いたように声を上げた。

 自分の実力だと思っているらしい。

 それでいい。

 俺は木の陰に隠れて、残りのオークのステータスを鑑定する。


 【オークB】

 【状態:興奮】

 【弱点:右膝の古傷】


 【オークC】

 【状態:空腹】

 【弱点:視力が低い(左側)】


「エルザ、右のやつ、右足引きずってるぞ!」

「なに? よく見てるな!」


 俺の適当な叫びに反応し、エルザはオークBの右膝を蹴り抜いた。

 崩れ落ちるオーク。

 そのまま首を刎ねる。


「ラスト!」


 最後のオークが左から迫る。

 俺は石を拾って、オークの左側の木に投げつけた。

 ガサッ。

 音がした方に、目の悪いオークが反応して顔を向ける。


「隙あり!」


 エルザの突きが、オークの喉を貫いた。

 戦闘終了。

 時間にして一分弱。

 エルザは剣を振り払い、血糊を落として鞘に納めた。


「ふぅ……。今日の私は絶好調だな」


 彼女は満足げに笑い、俺の方を向いた。


「おい、水」

「はいよ」


 俺は水筒を渡す。

 エルザはそれを一気に飲み干し、乱暴に口元を拭った。


「お前が叫ばなきゃ、右のやつの隙には気づかなかったかもしれん。まあ、あんなの無くても勝てたがな」

「そうだな。さすがだよ」

「ふん。当然だ」


 彼女は上機嫌だ。

 剣が折れなかったことにも、自分が普段より鋭い動きができていたことにも、具体的な理由はわかっていない。

 ただ「今日は調子が良い」と思っているだけだ。

 それでいい。

 俺はオークの死体から魔石を切り出す作業に取り掛かる。


「……なあ」


 作業をしている俺の背中に、エルザが声をかけてきた。

 少しだけ、声のトーンが低い。


「なんだ?」

「この剣……なんか、手に馴染むな」

「ずっと使ってる剣だろ」

「そうだけどよ。なんかこう、私の手のひらに吸い付くっていうか……お前、なんかしたか?」


 ドキリとした。

 だが、俺は手を止めずに答える。


「手入れしただけだと言っただろ。油の種類を変えたんだ」

「……そうか」


 エルザは自分の剣の柄を、愛おしそうに撫でた。


「いい仕事だ。褒めてやる」

「どうも」


 俺は顔を上げずに答える。

 彼女は知らない。

 その剣の柄の中に、俺がこっそりと仕込んだ衝撃吸収用の布が巻かれていることを。

 それが彼女の乱暴な剣技による手首への負担を減らしていることを。

 そして、その布が俺の古着の切れ端であることも、知らなくていいことだ。


 俺たちは街へ戻る。

 俺の平穏な一日は、こうして守られた。

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