第9話 逃げ出した後で
試合終了の笛が消えたあとも、体育館には冬の光が斜めに差し込み、白い床に淡く反射していた。
その光の上で、子どもたちの笑い声がざわざわと混ざり合い、さっきまでの緊張は嘘みたいに霧散していく。
「いやぁ、なんか途中すげぇ言い合ってたな……」
「バスケじゃなくて討論大会だったろあれ……」
「委員長、顔真っ赤のまま走ってったけど大丈夫か……?」
体育館の端で男子たちがヒソヒソと盛り上がる。
緊張の余韻がまだ残っていて、笑い声もどこか小さかった。
(ほんと……なんだったんだろうあれ……)
咲良は胸の前で手を組み、疲れたような、でもどこか呆れたような気持ちで試合の余韻を見つめていた。
雪杜は御珠のもとへ駆け寄る。
さっきまで心臓を掴まれているみたいにヒヤヒヤしていたせいか、息が少し乱れている。
「だ、大丈夫……?御珠……傷ついてない?」
御珠は胸元にそっと手を当て、少しだけ熱を確かめるように指を押し当てた。
顔は強がっているのに、声はほんの少し沈んでいた。
「澄香の言葉……ちと痛かったが……
妾、踏ん張ったぞ……」
その言葉に、雪杜の表情がふわっと緩む。
「……うん。よく頑張ったよ……ほんとに」
雪杜の声は優しく、そしてどこか申し訳なさそうだった。
胸の奥がきゅっとして、気づけば御珠の頭へそっと手が伸びていた。
撫でられた瞬間、御珠は小さくビクッと肩を震わせる。
だがすぐに、ほどけるような笑みが浮かぶ。
雪杜は、御珠の胸の痛みを全部“自分のせい”だと思い込んでしまう――
その優しい癖が、また出ていた。
咲良は二人のやり取りを少し離れた場所から見つめながら、胸がじん……と締めつけられた。
(……そっか……御珠ちゃんも傷つくんだ……)
あの無敵の神さまみたいな子が、言葉で傷つく。
そのことが咲良の胸の奥に優しい痛みとなって残った。
体育館の中央で、石田が手を叩く。
「はいー!みんな整列ー!次のチーム入れ替え!!
……お前ら、今日だけで一年分喋っただろ……?」
ぐったりした声の裏に、ほんのり笑いが混じっていた。
教師としての疲労と、子どもたちの“ドラマ”を眺めた後の脱力の混ざった声だ。
体育館は次の試合へと緩やかに移ろっていく。
ボールを拾う音、靴のきしむ音、ざわつく話し声。
みんなが再び“体育の時間”へ戻ろうとしていた。
――ただ、一人を除いて。
澄香は顔を真っ赤にしたまま、涙をこぼしそうな目で体育館の出口へ走っていった。
その小さな背中には、委員長の責任感も羞恥も正義感も全部ぐちゃぐちゃに詰め込まれたままだった。
「……追いかけるか……」
透が、誰に言うでもなくぽつりと呟く。
「ま、真壁くん……行ってあげたほうが……」
咲良が心配そうに袖を引いた。
「うん。澄香ああいうとき、たぶん放置が一番ダメだからさ」
透は軽く片手を上げて応え、ため息をひとつ吐くと、澄香の後をゆっくり追いかけていった。
その足取りは静かで、けれど迷いのないものだった。
───
放課後よりも静かな、冬の午後の空気が漂う空き教室。
窓から差し込む弱い光が床に四角く落ち、その隅に澄香は小さく膝を抱えてうずくまっていた。
普段の“委員長モード”とは似ても似つかない姿だ。
「な、なにあれ……
なにあれ……なにあれ……
私ぜんっぜん勝ててなかったじゃない……
論破どころか……むしろ私が悪者みたいな空気で……
うぅ……なんなのよあの子……」
自分でも整理できていない感情に押し潰されるように、額を押さえ、髪をくしゃっと握りしめる。
その震え方は、悔しさだけじゃなくて、恥ずかしさや戸惑いが全部混ざっていた。
「『嫌わぬ努力をしてくれぬか』……?
はぁ!?なにそのセリフ!!
ズルい!ズルいズルいズルい!!
なんであんな、しおらしい顔で言われたら……
私……返せないじゃない……!」
思い出すだけで胸が締めつけられ、喉の奥がむず痒くなる。
「……あぁもう!!最悪!!
ほんと……私、委員長として……失格よ……
あんな感情的になって……
透だって……絶対呆れて……」
そのとき。
コンコン。
教室の静けさに、小さなノックだけが響いた。
「澄香、入るよ」
透の声。
「は、入らないで!!」
叫びはしたが、返事としては疑問形みたいに弱かった。
透はそれでも構わず、いつも通りのテンポでドアを開け、入ってきた。
静かな足音が近づき、教室は二人きりになる。
しばらく沈黙。
「……なに……」
膝を抱えたまま澄香がうつむいて呟く。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ!!」
「うん、だよねぇ」
あまりにも軽い返しに、澄香は反射的に噛みついた。
「なんでそんな軽い返事なのよ!!」
「いや、澄香が“怒りすぎて自滅するパターン”だなぁって思って」
「な……っ!!
そ、そんなこと……!」
「まんま今日だったよ」
「~~~~~っ!!!」
ドンドンッと床が足で叩かれ、空き教室の板張りが小さく揺れる。
澄香の混乱が、音になって溢れている。
透はそんな彼女を見つめながら、いつもより柔らかい声色に変えた。
「……澄香。
今日のあれ、別に間違ってなかったよ。
委員長として注意するのは正しい。
御珠ちゃんがズレてるのも事実。
そこは君が一番理解してる」
「……っ」
慰めじゃない。“肯定”だ。
透はそれを分かった上で、言葉を続ける。
「でもね、
“正しいことを言う”ことと、
“誰かが傷つく”って、
たまに同時に起きるんだ」
その言葉は、静かだけれど重かった。
澄香の肩がピクリと揺れ、拳がぎゅっと握られる。
「…………」
「澄香は正しいよ。
でも、御珠ちゃんも……あれはあれで本気で悩んでた」
「……っ……そんなの……
分かってる……
だから余計腹立つのよ……!」
「うん、分かるよ」
透は軽く言うけれど、不思議とその声は心の奥のざらつきに触れてくる。
「……はぁ……
もうイヤだ……
あんな子……嫌い……
嫌いなのに……
ああ言われたら……
私……なんか……」
「好きになった?」
「な……なってない!なってない!!
なのに、なんなのよあの子!!
敵なのに!!
……正直……ちょっと……
かわいいって思っちゃったのよ……!!」
その告白は、誰よりも“委員長としてのプライド”を抉るものだった。
「澄香は素直でよろしい」
「うるさいっ!!!!!」
声はとげとげしいのに、涙が落ちる寸前みたいに震えている。
透はそれでも穏やかに続けた。
「でもさ、澄香。
今日のは“敵対”じゃなくてさ……
“価値観バトル”だよ」
「……価値観……」
透は窓の外の光を一度見るように視線を上げ、ゆっくり言い直す。
「御珠ちゃんは“距離を知らない子”で、
澄香は“距離のルールを守らせたい子”。
真逆だからぶつかるのは当たり前」
「…………でも……
私、負けてないわよね……?」
「……うん。
ちゃんと“委員長としての正義”通したよ」
その言葉に、澄香の背筋が少しだけ戻る。
「……そっか……
じゃあ……いいのよね……
私、間違ってないわよね……」
「うん。
ただ、御珠ちゃんも間違ってないだけ」
「…………」
その沈黙は、否定でも肯定でもなく“受け止める時間”だった。
「それでいいじゃん。
ぶつかったなら、あとはちょっとずつ歩み寄ればいい」
「……はぁ……
ほんとまとめるのうまいよね……
……ズルい……」
「幼馴染ですから」
「……うざ……」
それでも、その声色はほんの少しだけ柔らかかった。
───
空き教室はまだ冬の冷えを引きずっていたが、澄香の頬には怒りの熱が残っていて、その温度差が空間の静けさを不思議に揺らしていた。
握りしめた拳は小刻みに震え、胸の奥のざわつきは怒りでも悔しさでもなく、
もっと別の、名前のつかない気持ちが膨らんでいた。
「……私さ……」
ぽつりと落とされた声は、いつもの委員長の張りつめた調子ではなかった。
「んー?」
透は壁にもたれたまま、いつも通りのゆるい返事で促す。
「あんなふうに……
“自分は普通の子じゃない”って面と向かって言われたの……初めてだったのよ」
その言葉に、透は軽く頷いた。
「……だろうね。
自分を“普通じゃない”って言い切る子はあんまりいないと思うし」
「……そういう意味じゃないの。
なんか……
私……“真正面からぶつけられた”気がして……」
澄香の声には、怒鳴り合いの最中には見せなかった弱さが滲んでいた。
透は姿勢を変えずに腕を組み、視線だけを彼女へ向ける。
「澄香はさ、いつも“正しい側”だからね。
正しい者が間違ってる人に注意するのは当たり前。
でも今日は“正しい側の君”に、御珠ちゃんは“そのままの自分”で返したんだ」
澄香は唇を噛んだ。
「……むかつく……けど……
でも……あの子、ずるいのよ……
あの……“普通が分からない顔”……」
「うん。素だと思うよ」
透の短い一言が、澄香の胸に再び火をつける。
「それよ!!
素であれなんて……ずるいわ……
私はこんなに……委員長として正しくあろうとしてるのに……
なんで……あの子は“努力しないで”特別なのよ……!」
透は、ほんの一拍だけ間を置く。
「澄香、それは……本気で言ってるの?」
「本気よ!!
努力してる者より、努力しないで変な子の方が特別扱いされるなんて……
そんなの……そんなの……!」
「……ズルい?」
「ズルい!!!
私は……努力で委員長やってるのに……
あの子は努力しないで“特別”?
そんなの……許せるわけないでしょ……!」
拳を握る音が指先で生まれる。
胸の奥の曇りが、ようやく言葉の形を持ち始めていた。
「……それだね。
今日の澄香が一番悔しかったところ」
透の落ち着いた声が、澄香の感情を静かに照らす。
「……っ……!」
自覚した瞬間、胸の奥がひりりと痛んだ。
透は少しだけ声を落とす。
「でも、それって“人間の感情”として普通だよ。
悪いことじゃない。
つまり君は……御珠ちゃんの“特別さ”に嫉妬してるんだよ」
「……っ……!」
「努力して積み上げてきた君から見れば、
生まれつき特別な子って……受け入れづらいよね」
「…………」
その沈黙は、反論じゃなくて“認めてしまった痛み”だった。
澄香は唇をかみしめ、視線を落とす。
「……そうよ……
受け入れづらいわよ……当たり前じゃない……」
そして、深く息を吸い直す。
「……で。
それを知った上でどうするの?
御珠ちゃんと」
澄香は深呼吸をひとつし、胸の前でぎゅっと手を握る。
その動きは“委員長”という看板を背負い直す儀式のようだった。
「……私は“委員長として”絶対に折れない。
あの子がどれだけ可哀想な顔しても、
どれだけズレた子でも、
どれだけ……その……かわいくても……」
「ん?」
「なんでもない!!!!!」
顔を真っ赤にしながら、澄香は強引に言葉を続けた。
「私は“学校は秩序で守られる場所”って信じてる。
だから御珠さんにも……
“学校のルールの中に収まってもらう”。
それが私の仕事よ」
透はゆるく微笑んだ。
「委員長の正義、ね」
「そうよ。
あの子が……“浮かないように”。
“異物”のままでいないように。
ちゃんと“学校の子”にする」
「……それ、優しさだよね?」
「ち、違う!!正義よ!!!」
澄香の声は必死だった。
けれど透は、その必死さの裏に隠れた“願い”を見抜いていた。
「はいはい。
でもさ、澄香の“正義”って……
案外“優しさ”と形が似てるよ?」
「うるさいって言ってるでしょ!!!
私は委員長!!
ただそれだけ!!!」
透は小さく笑い、しかしその瞳は優しかった。
「なら、ちゃんとやりなよ。
その“委員長の仕事”。
御珠ちゃんに“学校の正しさ”教えてあげな。
きっとあの子なら……素直に聞いてくれるよ」
澄香の喉が弱く震える。
「……っ……
……そうね……
やってやるわよ……
委員長として……!!
絶対に……あの子を“普通に”してみせる……!!」
「うん。その意気だよ、澄香」
澄香はふいに透の名を呼ぶ。
「……透」
「ん?」
「……ありがと……」
「どういたしまして」
一瞬の静寂。
「……でも忘れて。今の“ありがと”」
「えぇ……」
「忘れなさい!!!」
怒鳴り声は勢いだけど、さっきよりずっと軽い。
胸の奥のざわつきが、少しだけ晴れた証のように。
───
体育館の扉を押し開けると、空気が一段冷えた。
夕方の薄い赤が渡り廊下に流れこみ、床に長い影を落とす。
雪杜と御珠の少し後ろで、咲良が小走りで追いつく。
「……二人とも、疲れてない?大丈夫?」
咲良の声は軽いけれど、どこか心配がにじむ。
御珠は胸に手を添え、息を整えた。
「む。ちと胸がむずむずしたが……痛くはない。
むしろ“学び”であった。」
「学び……?」
雪杜が問い返すと、御珠は立ち止まり、まっすぐな瞳で雪杜と咲良を順に見た。
「澄香は妾の知らぬ“正しさ”を持っておる。
妾にはそれが分からなんだ。
ゆえに……怒られた」
「……怒られたって言うんだ……あれ……」
「……まぁ、怒られたで合ってるけど……」
雪杜と咲良が順に言う。
咲良が眉を寄せて言った。
「御珠ちゃん、怖かったの?」
「む……少し、心臓がびくびくした。」
咲良は“あの委員長の圧”を思い出し、ちょっと笑いそうになってこらえた。
「……それは、うん。
普通ビビるよ、あれは」
御珠は首をかしげる。
「……“普通”か。
咲良“普通”とはどうすれば近づける?」
「えっ、わ、私!?」
咲良は慌てて両手を振る。
「普通ってね……
“できない時はできない”って言えること……かな。
あと“分からないことは分からない”って素直に言うとか……」
御珠はその言葉を真剣に胸へ落とすように目を閉じた。
「む……それなら……妾、すでに分からぬことだらけじゃな」
雪杜が小さく笑った。
「それでいいよ、御珠」
御珠は雪杜に向き直る。
「雪杜よ。妾は……そなたに迷惑をかけておるか?」
「か、かけてない!全然!!むしろ……」
雪杜が俯き、言い淀む。
その“むしろ”の先にある言葉を言う勇気が足りなかった。
御珠はそっと膝を曲げ、雪杜の俯いた目線をのぞき込む。
「むしろ……なんじゃ?」
雪杜は息を吸い、胸の奥の言葉を押し出した。
「……僕は……御珠がそばにいてくれると……幸せだよ」
御珠の瞳がふわりと揺れた。
咲良はその横顔に、胸の奥がきゅっと痛むような熱を感じた。
「……幸せ……?」
御珠は小さくつぶやき、胸元にそっと触れる。
「うん。
御珠がいてくれたから、今日……怖くなかった。
体育もちゃんとできたし……
御珠が見てくれるだけで……僕、頑張れるんだ」
御珠は胸の上に置いた手に、ぎゅっと力をこめる。
まるでそこに宿る何かを確かめるように。
「……あたたかい……
これが……“幸せ”というものなのか?」
「そうだよ。」
御珠はゆっくりと雪杜の方へ顔を向け、
その瞳に静かで深い光を宿した。
「妾も……幸せじゃ。
そなたが笑うと……
妾の心も、同じように笑う」
咲良は小さく息をのむ。
それは“友達としての好き”では決して届かない、もっと深い場所で結ばれた二人の会話だった。
雪杜の頬が一気に赤く染まる。
御珠はその頬へそっと手を伸ばし――
ほんの一瞬、ためらう。
「……御珠?」
「……澄香に言われたゆえ……その……“距離”を……」
雪杜の胸が痛む。
「御珠は……そのままでいいよ。
僕が、ちゃんと教えるから。
“人間はこうなんだよ”って」
御珠の瞳がひらき、信頼の光が宿った。
「……雪杜が教えてくれるなら……妾は迷わぬ」
雪杜も御珠へ微笑み返す。
二人の影が近づき、夕日の赤がふわりと揺れる――
その瞬間。
「ストォォップ!!」
咲良が二人の間にすべり込み、両手をぱっと横に広げて距離を遮った。
「ちょっ……二人とも!!
学校でいちゃいちゃは禁止!!
ここ校内!!清く正しく健全に!!」
「……い、いちゃ……!?」
雪杜が耳まで真っ赤になって固まる。
「……“いちゃいちゃ”とは?」
御珠は本気で分からないという顔で首を傾げた。
咲良は顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「そ、そんな距離でささやき合ってたら!!
そうに決まってるでしょ!!
私は見なかったことにするから早く歩いて!!」
雪杜は耳まで真っ赤になり、御珠はぽかんと咲良を見つめた。
その三人の間を、冬の風が通り抜けていく。
夕日の光が廊下に三つの影を並べ、その影はゆっくりと、同じ方向へ伸びていった。
───
冬の夕暮れは早く、校庭には金色の光が長く伸びていた。
チャイムが鳴り終わるころ、雪杜たち四人は昇降口でガサガサと靴を履き替えている。
冷たいタイルの感触と、外から吹き込む風の匂いが、放課後の時間を告げていた。
「はー今日はすげー日だったな!
お前らの試合、マジで面白かったぞ?」
颯太がいつものテンションで笑いながら言う。
「試合というか……討論会……だった気がする……」
咲良が苦笑しながら靴紐を結ぶ。
「だよな!!途中で先生キレてたし!」
すかさず乗っかる颯太。
その様子を、御珠は首を傾げながら眺めていた。
「討論会とはなんじゃ?
妾は試合をしておったつもりなのじゃが……」
「……御珠ちゃんはしてたよ?
相手が勝手に討論してただけで……」
咲良がフォローともツッコミともつかないコメントを入れる。
「委員長がなぁ……“異物!”って叫んだ時、オレ噴き出しそうになったわ。
やべーよなあれ」
「や、やめて……御珠が気にするから……」
雪杜が慌てて制止する。
御珠は腕を組み、むぅ……と少し眉を寄せた。
「妾は異物ではない。
雪杜の……えっと……
……なんじゃったか……
“普通をがんばる子”?じゃったか?」
「ちょっと違うけど……まぁそんな感じ……」
微妙に惜しい表現に、雪杜は苦笑する。
咲良はぷっと笑って、御珠の袖を軽く引いた。
「気にしなくていいよ御珠ちゃん。
今日の如月さんはちょっと……熱くなってただけだよ」
「む……熱さ……
あれは“怒り”というものか?」
「怒り怒り!!あんなの火山だって!
委員長ってあんなにキレんだな……!」
颯太が身振り手振りを交えて大げさに言う。
「金田くん、大声で言わないで……
委員長に聞こえたら、本気で怒られるよ……」
「うっわそれはやべぇ!逃げろ逃げろ!」
颯太が慌てたふりで走り出し、咲良がくすっと笑う。
雪杜も半分あきれ、半分安心したような表情でついていく。
そんな四人の足音が重なりながら、外へと向かっていった。
外に出ると、空は淡い紫で、吐く息が白くほどける。
その中で、御珠の髪だけがやさしく光を返し、淡い夕日を拾って揺れた。
「天野ー、またバスケしようぜ。
今度は御珠も入れよ。あの動きマジでバケモ……」
「金田くん!?言い方!!」
「わ、悪い悪い!
“すっげー”って意味な!」
颯太が慌てて両手を振ると、御珠が楽しそうに胸を張る。
「妾は雪杜と同じチームが良いぞ。
雪杜となら誰が相手でも負けん!」
「えっ……あ……う、うん……」
唐突な全肯定に、雪杜は耳まで赤くなる。
(……御珠ちゃん……かわいい……)
咲良は心の中でそっとつぶやいた。
「じゃ、今日はここで解散な!
明日も学校でなー!」
颯太はランドセルを揺らしながら、元気いっぱいに手を振って先へ走っていく。
残されたのは、雪杜、御珠、咲良の三人。
坂の上から見える冬の街は、オレンジと群青の境目で静かに光っていた。
「ねぇ雪杜くん」
「ん?」
「今日ね……
雪杜くんが笑ってるの、すごく良かったよ」
「え……あ……うん……」
不意打ちの言葉に、雪杜は視線を泳がせる。
「御珠ちゃんも……雪杜くんのこと見て楽しそうだったし」
「妾はそなたが頑張っておる姿が好きじゃからな」
「~~~っ!!」
真正面から飛んでくる言葉に、雪杜はもはや顔を隠すしかない。
(ふふ……相変わらずだ……)
咲良は二人を見て、少しだけ遠くから微笑んだ。
御珠は雪杜の袖をそっとつまみ、ほとんど風の音に紛れてしまいそうな声で呟く。
「……雪杜。
今日、妾……“距離”というものを学んだぞ」
「う、うん……知ってる……」
「妾は……そなたが教えてくれるなら……
“普通”にも近づける気がする」
「……一緒に、ゆっくりでいいよ」
「うむ……」
咲良が小さく笑う。
「えへへ……ふたりとも、なんかいい感じだね」
「えっ!?ち、ちがっ……これはその……!」
「雪杜、照れおるな?」
「うるさい……!」
そのじゃれ合いがあまりにも平和で、咲良はそっと目を細めた。
(……今日いろいろあったけど……
雪杜くんが笑ってるなら……それだけで……いいや……)
三人は夕暮れの坂道をゆっくり下っていく。
風は頬を刺すくらい冷たいのに、不思議と空気はやさしい。
日常が確かに戻ってきている──
そんな余韻とともに、今日の放課後が静かに終わっていった。
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