天気魔法使いの最強師弟、恋と嵐は予測不能!
御原ちかげ
第1話 嵐を呼ぶ天才師弟!
その日の朝、天才天気魔法使い「金糸の賢者」ことルクス・アルスーンは、研究室のデスクで、うたた寝をしていた。
半分意識があるようなないような……あぁ、いつもの悪夢だ、と分かっているのに、意識はその黒い影に囚われてしまう。
よく知る懐かしい声─大好きだった兄弟子の声が、呪いの言葉を吐く。
「ボクハ キミヲ コロス……」
「賢者様……金糸の賢者様、始業時間です!起きてください!」
肩を揺すられて、ルクスは目を覚ました。万年助手の冴えない中年男・ジョシュアが、顔をのぞき込んでいる。
「ん……もうそんな時間か」
ルクスは、乱れた金髪をかき上げた。色白の整った横顔に、わずかに疲労の色がにじむのは隠しきれない。
肩に掛けていた白衣の袖に腕を通し、金色の髪を結い直すと、椅子に座り直す。
冷めきったお茶をこぼしそうになって、ルクスは少し慌てた。
ここは、国家最高レベルの研究機関・国立気象研究所。ルクスは異例の18歳の若さで、上席研究員を務めていた。
「ジョシュア、今日の予定は?」
「本日は午前中、週間天気予報定例会議、護岸魔法陣設置プロジェクト進捗報告、実験結果検討会、午後は政府諮問会議への出席です」
「了解。相変わらず、自分の研究を進める時間が取れないな……」
ルクスは、ため息をついた。
その時、研究室のドアをノックする音が響いた。ジョシュアがドアを開ける。
「おや、エレノア団長夫人。どうされました?」
団長夫人と呼ばれたその女性は、ルクスの天気魔法の師匠の奥方で、ルクスには親代わりと言っていい女性だ。彼女の夫は、この国の防災を担う天気魔法師団の団長。しっかり者の夫人は、天気魔法師団の事務局で働き、夫を公私にわたって支えていた。
エレノア夫人が、少し渋い表情で切り出す。
「ルクス、忙しいところ悪いけど、あなた、今日の午後、
「ミーシャのことで?分かりました」
心当たりはないが……と心の中でつぶやいてから、ジョシュアに指示する。
「午後の予定はキャンセルだ。半休を申請しておいてくれ」
ジョシュアが悲鳴を上げる。
「えぇぇえ!困りますぅ!政府の諮問会議とお弟子さんの学校、どっちが大事なんですかぁ!?」
「無論、後者だ。ミーシャは、私の……金糸の賢者唯一の愛弟子だからな!それに、若手天気魔法使いの育成は、わが国の最重要政策だぞ?」
頼んだわよ、と言って出ていくエレノア夫人を見送って、ルクスは慌ただしく机上の仕事の山に手をつけた。
その日の午後、ルクスは馬車で
ここは、若手の天気魔法使いを養成する最高学府。天気魔法の技術で国民の暮らしを守るこの国にとって、天気魔法使いの育成は生命線だ。
世界ではこの300年、海が陸を呑み、拡大し続けている。かつての大陸の東の端に、天気魔法の技術で、かろうじて陸地を守っているのが、ここメフト共和国だった。
ルクスは、御者に礼を言って、馬車を下りた。
ルクスにとっても、ここは3年前、15歳にして首席で卒業した学び舎だ。
自分では別に大したこととも思わないが、助手のジョシュアなどは「金糸の賢者様の伝説が始まった場所」などと大げさに言う。
まだ記憶に新しい校内を迷わず進み、事務室で保護者面談で来た旨伝える。
来客室で担任を待つ間、ルクスははたと考え込んだ。
弟子のミーシャが12歳で
天気魔法のレベルに問題があるはずはない。時間が許すかぎり、師匠の自分が指導をしているのだから。
友だちもいる。たしか、フェルと言ったか。たまに家にも遊びに来ているようだ。
そんなことを考えていると、軽いノックの音がして、ミーシャの担任が姿を見せた。
「先生、ご無沙汰しております」
「ルクスくん、久しいね。卒業以来じゃないか」
白いひげを撫でながら、柔和な初老の教師は微笑んだ。
「ただ今日は、ミーシャくんの師匠ではなくて、後見人の方をお呼びしたつもりだったのだが……」
「後見人のバリー天気魔法師団団長は、多忙を極めておりますので、僭越ながら、師匠の私がお話伺います。それに、私ももう
「そ、そうか……」
有無を言わさない笑顔で、ルクスは押し切った。
「それで、ミーシャに何か問題が?」
「その……言いにくいんだがね、ミーシャくんは、ちょっと進級のための単位が足りそうにないんだ」
ルクスにとっては、晴天の霹靂だった。
「は?そんなはずは……少なくとも、実技は問題ないですよね?」
「あぁ、学科がね。授業中、いつもうわの空でね」
「は!?授業がうわの空でも、テストは問題ないでしょう?
「ル、ルクスくん、ちょっと落ち着いて!」
思わず興奮して立ち上がったルクスを、担任がなだめた。失礼、とルクスは再び座るが、動揺は隠せない。
「たぶんなんだが……彼女は、元々異国からの災害難民だろう?魔法を感覚的に理解していても、メフト語の読み書きが苦手なんじゃないかね?天気魔法は、難解な専門用語も多いしね」
指摘されて、ハッとした。たしかにルクスの指導は、理論についても、実技を交えた口頭が中心で、本を読ませたり、書き写させたりするようなことは、ほとんどなかった。
ミーシャは、きちんと理論を理解して魔法を使っていたし、実技には全く問題がないどころか、素晴らしい才能を見せていた。そのせいで、自分が大事なことを見落としていたのかもしれない。
それに……と、ルクスは思い起こす。
私の「宿題はやってるか?」の問いに、ミーシャの奴、いつも目が泳いでなかったか!?
「それは……私が至りませんでした。必ず時間を割いて教えます」
明らかに落ち込んだルクスの肩を、担任は励ますように叩いた。
「ミーシャくんが、才能ある天気魔法使いであるのは疑いない。頼んだよ」
担任から、ミーシャが放課後いつも校内の実技練習場で自主練をしていると聞き、ルクスは足を運ぶことにした。
ミーシャがいることは、すぐに分かった。実技練習場の辺りから空に向かって、銀色の光が真っすぐに伸びているのが見えたからだ。
学生のレベルで、あれほど美しく細い魔力の糸を伸ばせるのは、ミーシャしかいない。
「私が与えたメニュー、毎日練習しているのだな……」
すぐにでも愛弟子の顔が見たい気持ちが早り、ルクスの歩みは、自ずと速くなった。
実技練習場には、思わぬ先客がいた。
地面に座り込んで魔力の糸を伸ばす黒髪の少女の周りを、数人の男子生徒が囲んでいる。
ルクスはため息をついた。こういう陰湿な輩は、どこにでもいるものだな。
ミーシャは、全く意に介す様子はなく、空から視線をそらさない。
いじめっ子の一人が、からかい始めた。
「おい、蜘蛛女!またやってんのかよ。テスト0点の落ちこぼれの上に、そんな糸みたいな弱っちい魔力で、恥ずかしくないのか?」
ルクスの逆鱗に触れるには、十分な一言だった。気づいたときには、子ども相手に言い放っていた。
「おい、そこのブサイク」
「はぁ!?誰だ、テメェ!」
初めてミーシャの視線が落ちた。
「師匠!なんで
驚いた様子のミーシャに、いじめっ子の主犯格は、ニヤニヤと意地悪く笑う。
「お前の師匠?さぞかし弱っちいんだろうな!」
ルクスが不敵に笑う。
「ほぅ、なかなかの度胸だな。命知らずとも言うが。特別に勝負してやろう」
ミーシャは不満げだ。
「師匠、こんな三流の挑発に乗るの、みっともないよ!」
「師弟揃って、フザケてんのか!?やってやるよ!勝負だ!!」
ルクスは、鼻で笑った。
「ふん、私が直々に手を下すまでもない。ミーシャ、やれるな?」
ミーシャは虹色の瞳で、真っすぐにルクスの目を見つめて頷いた。
「よろしい。銀の糸の威力のお披露目だ」
ルクスは、余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「おい、ブサイク、雷勝負だ。より強力な雷を落とせたほうの勝ち。分かりやすいだろう」
いじめっ子の主犯格が、一歩前に出る。
「俺がやる!見てやがれ!」
間を置かずに、呪文詠唱が始まる。
「昇龍!」
高々と伸ばした両腕から、魔力がほとばしり、奔流のような勢いで空へと上っていく。
それを見たミーシャがつぶやいた。
「だっさ……」
「龍を模した魔力放出か。ミーシャ、問題点は?」
ルクスの問いに、ミーシャはスラスラと答える。
「蛇行する魔力が、上昇距離・速度・エネルギーともロスしてる」
「その通り。全くもって非効率だ。ブサイク極まりない」
「ブサイクブサイク、うるせーぞ!見てやがれ!オラァ!」
短い魔法発動の呪文詠唱の後、空がパリパリと音を立て始める。
次の瞬間、実技練習場をぐるりと囲む避雷針の一つに、バリバリと耳を裂く音ともに雷が落ちた。
「見たか!!」
肩で息をしながら、鼻息荒く言ったいじめっ子に、ミーシャがつぶやいた。
「しょっぼ……」
ルクスも頷く。
「全くだ」
「テメーら、許さん!!」
ミーシャは、わめくいじめっ子たちを気に留める様子もなく、スッと前に出た。
「師匠、行くよ」
高々と右手を天に伸ばし、ミーシャの呪文詠唱が始まる。
「銀の糸……」
ミーシャの魔力を極限まで凝縮した一筋のまばゆい銀色の光が、瞬く間に雲を突き通して、遥か上空まで上っていく。
ルクスが確信をもって頷く。
「高度は十分だな」
ミーシャが魔法発動の呪文を唱えた。
「
遥か上空の雲間に花が咲くように七色の光が広がったかと思うと、突如濃い灰色の雲が、モクモクと成長し始めた。
「な……これ、積乱雲!?」
空が暗くなったかと思うと、実技練習場はあっという間に嵐に巻き込まれた。
空全体が一瞬光る。
次の瞬間、轟音とともに、空が割れるような雷が、練習場を取り囲むように落ちた。
練習場に、焦げた匂いが立ち込める。いじめっ子たちは、一人を残して気絶していた。
雨の中、ミーシャはパッと顔を輝かせて、ルクスに抱きついた。
「師匠、できたよ!」
「それでこそ、この金糸の賢者の弟子だ」
いじめっ子は、それを聞いて縮み上がった。
「アイツの師匠が、金糸の賢者だと?あの伝説の……!?」
いじめっ子は、白目を剥いて倒れた。
ルクスは誇らしげに、腕の中のミーシャの頭を撫でる。うれしそうに顔を上げたミーシャの頬には、雨に濡れた短い黒髪が貼り付いている。ルクスは、愛弟子の頬を、やさしく拭った。
「さて、後始末だ!」
ルクスは、雨空に手をかざし、呪文を唱える。
「金の糸……
金色の糸が空に伸びたかと思うと、光が空全体に広がり、瞬く間に積乱雲が消滅した。
「晴れた!師匠すごい!」
「濡れたな。さぁ、家に帰ろう」
一方、ミーシャの教室では─
ミーシャが発生させた積乱雲は、離れた教室の窓からも見えていた。
「と、突然積乱雲!?何事だ!!?」
慌てて教室を出ていく担任を尻目に、栗色の髪の少年が、楽しげにつぶやく。
「わー、積乱雲ってことは、高度10,000m以上で、魔法発動させたのかぁ。さすがミーシャ、すっごいなぁ!俺も頑張らなきゃ。明日話聞こうっと」
親友の活躍に、フェルは翡翠色の瞳を輝かせた。
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