楽園の向こう側
@uni30108
第1話
静かな海辺の町に、女優の如月ユキが引っ越して来た。彼女は丘の上の白い屋敷に住み、生活を送っている。もっとも、女優業は引退し、日常は小説を書いて過ごした。僕はユキと知り合うと、仲良くなった。彼女は二十七歳だったし、若く、溌溂としている。僕たちは、よく海辺を散歩し、話をした。ユキは十四歳の頃より、芸能界に入り活躍した。トレンディドラマや映画に出演し、脚光を浴びた。
如月ユキは、美しい女性だった。
「小説というのは、私にとって一つのヴィークルに過ぎないわ。現在、出版社と話し合い、処女小説を発表しようとしている。私は女優業を辞めたし、何かをして糧をつくらないといけない」
ユキは海を眺めた。季節は夏だ。潮騒が僕たちの耳に響き、海の香りがした。風は少し冷たく、西から東に吹き過ぎていった。
僕はテトラポットに腰を下ろした。
「君は何故、女優を辞めたのだろう?」と僕は訊いた。
彼女は目を細め、僕の顔を見た。
「失ったのよ、一つの世界を」
「一つの世界?」
彼女はゆっくりと頷いた。
ユキの白い屋敷は、広かった。僕は先月に、ユキの屋敷に引っ越し、一部屋を借りた。料理や洗濯などの日々の雑事をやった。ユキは午前中、散歩を済ませると、小説の執筆に集中した。テーマは、喪失感だった。彼女は二十七年の人生でいったい何を得て、何を失ったのだろう、と僕は思った。
新しい生活は、穏やかに過ぎ去った。僕はユキのために食事をつくり、洗濯をし、部屋の掃除を行った。僕はフリーランスのデザイナーなので、空いた時間に仕事をした。部屋は広く、快適だったので仕事は捗った。
ユキは土日祝を休みの日にし、社交界に出た。東京に行って、カクテルパーティーに参加し、多くの人と話をした。皆は、好意的だったし、彼女の登場を喜んだ。
「人との出会いは、私を強くする」と彼女は述べた。
僕は頷いた。
夏の終わりのある日に、ユキはアリスを家に招いた。アリスは二十歳の女優だった。ユキの後輩だ。僕はスーパーマーケットに行って食材を買い、料理の準備をした。二人は仲良く、ティータイムに入った。
アリスはライトグレーのワンピースに、真珠の首飾りをした。ユキより若く、そして二人共綺麗だった。僕はジンをベースにしたカクテルを三人分つくった。
「二人は付き合っているのですか?」とアリスは訊いた。
「先日、交際を始めたの。彼は優しいし、有能だわ」
「有能?」
「デザイナーとして、パートナーとして」
「出会って二ヵ月で、同棲が始まった」と僕は述べた。
「仲が良いですね」
「そう」ユキは呟いた。
「お互いに、不満はないのですか?」
「週末になると、ユキは東京へ行く。僕は寂しくお留守番だよ」
「二人で行くと良いですね」
「社交界に、彼は合わないと思うの。地味だし、パッとしないし」ユキは冗談っぽく言った。その言葉に、僕は納得した。
「私は大学に通いながら、女優になりました。ユキさんのことは以前からよく知っていて、憧れです。女優業を引退すると聞いたときは、哀しかったのですが、今、こうして友人関係を維持することが出来て、嬉しいです」
「あの場所は、すでに私のいるべき場所じゃなくなっていたわ。辛い決断だったけど、今はもう大丈夫」
「僕は女優時代のイメージが強かったね。ユキはたくましく、美しい」
その後、ユキはコンビニエンスストアに買い物に行った。僕はアリスと二人になった。アリスは立ち上がると、僕の隣に腰を下ろした。彼女の香りは、柑橘系だった。僕はゆっくりとビールを飲み、煙草を吸った。
「今度、ユキさんに内緒にして、二人で飲みに行きませんか?」とアリスは訊いた。
「二人で?」
「私はあなたに興味があります。二人きりで、飲みたいのです」
彼女はそう言うと、僕に連絡先を渡した。僕はその紙を受け取ると、テーブルの中に仕舞った。
「興味がある?」僕は驚いて訊いた。
すると、アリスは不敵に笑った。
「容姿は良いし、年齢は二十五歳。年は近いです。また、あのユキさんの恋人。もっと、深く知りたいのです」
「そう」と僕は返事をした。
僕たちは、それとなくキスをした。彼女の唇は温かく、湿っていた。僕の心臓は早鐘を打っていた。
「私は帰ります。連絡、待っていますね」彼女はそう言うと、支度をし、駅に向かった。ユキが帰って来ると、彼女はアリスの帰宅を残念に思った。
アルコールをたくさん買って来たユキは、僕に「飲み直そうよ」と言った。僕はジーマにレモンを絞り、飲んだ。
十一時になると、僕たちは部屋に帰り、眠った。
如月ユキは、トップの女優だった。十四歳でデビューを飾ると活躍し、二十代になると映画の主演に抜擢された。彼女の演技は曇りがなく、美しかった。
突然の引退宣言に、周囲は驚いた。マスコミは、彼女のことを書いた。ニュースになり、ユキはいろいろと説明をしたが、真相は分からなかった。
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