# 第7話 ダウンヒル・バトル

リンの勝利の余韻が残る中、あたしは頂上側のスタート地点でエンジンをアイドリングさせながら待っていた。

グローブの中の手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。 ステアリングの感触を確かめるように、指に力を込めた。


「……いよいよね。緊張してない?」


リンがエボの運転席の窓越しに声をかけてくる。

登りレースを見事に勝利した直後だというのに、いつものように表情は読めない。

でも、なんとなく少し心配そうに見えるのは気のせいだろうか。


「大丈夫。この感じ、久しぶりだけど、心地良いよ。絶対にリンに続いてみせるから……」


そう答えながら、胸の奥がざわざわしているのを隠し切れない。リンがつかんだ勝利に続きたい。

この気持ち、バイクレース時代にはあまり感じたことがなかった。

あの頃は一人で戦うのが当たり前だったから。


でも今は違う。あたしはSOL EDGEの一員として戦ってる。


リンの向こう、隣のグリッドを見ると、白ベースに赤いストライプが入ったエボ10が並んでいる。

運転席のソニカが、車外にいるマナムに何か話しかけている。

登りで負けて悔しそうなマナムに、姉が冷静に言葉をかけているようだった。


仲睦まじい姉妹愛―― なんて思いかけて、昨日の挑発を思い出す。


『絶対に負けないわよ、エボ10!

 どっちが最速のエボなのか、はっきりさせてやるんだからっ!!』


あたしは心の中で吠えた。

あたしの胸に闘志がふつふつと湧き上がる。



スタート5分前のブザーが鳴り響く。

ドライバー以外はコース上から退場しなければならない。

リンがあたしの肩に軽く手を置く。


「……さっきの私のレースはただのヒント。

 あなたとランエボには、あなた達の勝ち方がある。これまでの練習をよく思い出して……」


そう言って、リンはゆっくりとコースサイドに歩いていく。

いつもは無口なのに、今日は少し口数が多い。


あのリンも緊張してる――? 自分のレースは終わったのに?

そう思うと、ふっと笑いがこみ上げてきた。


『集中して……』


ヘッドセットから無線越しにリンの声が届く。

コース脇に目をやると、タブレットを持ったリンがいつもの無表情でこちらを見ている。


「ハイハイ、わかってるわよ!」


そう返すと、さっきより少し気持ちが落ち着いているのに気が付いた。


コース上には2台のランエボだけが並んでいる。

アイドリングでかすかに身を震わせながら、静かに戦いのゴングを待っている。


 アサヒ:三菱 ランサーエボリューション9MR

    (GSR/280PS/1420kg/PWR:5.07)

 ソニカ:三菱 ランサーエボリューション10

    (GSR TC-SST/300PS/1550kg/PWR: 5.17)


前方に浮かんでいたカメラドローンが、下降しながら迫り、エボをかすめて見えなくなる。

スタートだ――


『5…… 4……』


カウントダウンが始まる。

右足でアクセルを煽り、5000rpm付近に針を合わせる。


隣のエボ10からは『バババババ……』という、まるでマシンガンのような独特の破裂音が聞こえてくる。

ローンチコントロールモード。コンピューターが点火とスロットルを制御し、最適な回転数を維持している、ブレのない咆哮だ。


あたしの4G63と向こうの4B11。同じエボだけど、エンジン音の質が違う。


『3…… 2…… 1……』


世界からスッと音が消える――

自分の鼓動と呼吸の音だけが体内で反響する。

視界から色が消え、スタートシグナルだけが視界のすべてになる。

アクセルとクラッチに添える足の裏の感触だけがやたらと敏感になる。


とても静かなこの時間。

すごく久しぶりに味わうこの瞬間――


『GO!!!!』


スタートシグナルの点灯と共に、色、視界、音、匂い―― すべての感覚が一気に弾ける!


小さくタイヤを鳴らしながら、エボが爆発的に加速する。二台のエボの騒音が耳をつんざく。

加速Gが身体をシートに押し付ける。ガソリンとオイルの匂いが鼻をつく。


我ながら会心のスタート!車半分前に出てる。


でも、2速、3速へのシフトアップの度に、ジリジリとエボ10が前に出てくる。

ツインクラッチSST―― 変速ロスのない、機械による電光石火のシフトアップ。


「こっちは必死にシフトノブをかき回してるのに、向こうは息継ぎなしなんてズルいじゃないっ!!」


二台横並び、全開で入るゆるい左コーナー。3速から4速へ!エボ10が鼻先を前に出す。


続く右コーナー。二台ほぼ同時にブレーキング。

「キィィィィッ!」とブレーキパッドがローターを噛む音が響く。

イン側ポジションで鼻先だけでも前に出ているエボ10にラインの優先権。

舌打ちしながらラインを譲る。


エボ2台のテール・トゥ・ノーズ。

ここから長い下りが始まる。本当の勝負はここからだ。


緩いコーナー群。左、左、右、右。

普段なら何でもない大きなコーナーですら、下り勾配の加速が乗って、フロントタイヤやブレーキが悲鳴をあげる。ガードレールがグングン迫ってくる。


ソニカのエボ10のラインにはブレがない。電子制御を最大限活用した、まるで定規で引いたような理詰めのトレース。

コーナリングスピードはエボ10の方が速い……

焦りがじわじわとくすぶる。


リンがマナムを抜いた左コーナーが見えてきた。

あたしもここで華麗にパス…… といけるほど、ソニカは甘い相手じゃない。


でもまだ差は開いてない!いける!


アクセルを踏む足に力が入る!――途端にハンドルが軽くなり、アンダーステアが顔を出す。

立ち上がりのラインがアウト側に膨らんでしまう。


すぐに迫るコーナーとも言えないほどの緩い右カーブ。切り返しの挙動になって、テールが流れる。

一瞬のカウンターステアを入れ、エボは何事もなかったかのように加速していく。


『……落ち着いて。もっと丁寧に』

ヘッドセットからリンの短い声。


「わかってるっちゅーのッ!」


反射的に返してしまったけど、ふと、いつもの朝練のやりとりが頭をよぎる。


「プッ…… なにこれ、いつも通りじゃない」


そう―― いつも通りだ。あたしは一人じゃない。


それに…… 前を走っているのは、リンじゃない!


本気のリンだったら、今のロスだけでもうとっくに離されてる。

でもエボ10はまだ目の前にいる!



スタート前にリンは言っていた。『これまでの練習を思い出せ』って。


TDRの発表後に取り入れた、ターンパイク対策の高速コーナー練習。

下りの時、リンはどう走ってた?なんて言ってた?


下りはフロントタイヤの負荷が大きくなる。

特にフロントヘビーのエボではそれが顕著だ。

だからこそ、4つのタイヤにかかる荷重をもっと緻密に感じて、もっと繊細にコントロールしなければならない。


『もっと精密に、もっと繊細に。そうすれば、ランエボをもっと近くに感じられるはず』


あの日のリンの言葉が脳裏に響く。


「わかってるわよ!あれから毎日毎日、何度もイメトレして、朝練の走りで確認してをずっと繰り返してきたんだから!」


声に出てしまっていた。


無線は無音のまま。

でも――『フッ……』と微かな笑い声が聞こえてきた気がする。



しゃもじのように回り込んだ深い右コーナーが迫る。左側の緊急退避場所を視界の端に捉えながらコーナーに入る。


ブレーキング。早めのタイミングから、前につんのめり過ぎないように丁寧に。ペダルを踏む足裏に、ブレーキの圧力をもっと精細に読み取り、ABSが作動する前のギリギリを見極める。


ターンイン。ハンドル操作はスムーズかつ一定に。外側の前後タイヤにかかる荷重とタイヤのグリップをしっかり掴んで。ハンドルから伝わる微細な振動で、タイヤが路面を掴んでいるのがわかる。


クリップは奥に。いつもよりもアクセル開け始めのタイミングを我慢。この一瞬の我慢がストレートでの車一台分の差に変わる。


立ち上がり。フロントタイヤのグリップを感じてハンドルをスムーズに戻しながら、ゆっくり丁寧にアクセルを開けていく。

アクセル開度、8分の1…… 4分の1…… 2分の1……

――全開!!


コーナーの幅をギリギリ一杯まで使う!


あとは、ほんの一歩…… あたしのエボを信じる勇気。

エボちゃんは応えてくれる……!このクルマとなら行ける!!



アスファルトを掻くエボのタイヤの音が「キュゥゥゥッ……」と小さなものに変わる。


前を走るエボ10のタイヤ音は、さっきのマナムとは違う。

断続的に「キュ、キュッ」と鳴く。

S-AWC―― エボ10に搭載された四輪駆動制御が、機械的に車を曲げている音だ。


「機械任せの速さ…… 確かに速いけど!」


あたしのエボは違う。

機械が曲げるんじゃない。あたしが荷重移動で曲げている音!


「その"音"じゃあ、あたしの感覚には勝てないのよっ!!」


後半で勝負を決める。あたしとエボ9MRの、本当の走りを見せてやるわ!


視界の奥、エボ10のテールランプが、手を伸ばせば届く距離まで迫っていた。


「……捉えた」


機械制御のS-AWCでも消しきれない、物理法則の綻び。


あたしとエボ9MRの真価を見せてやる!


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# あとがき

お読みいただきありがとうございました。


始まりました、新旧エボバトル!

本当はエボ6なんかも混ぜてみたいけど……(笑)


この回はサブタイトルが悩ましかったです。

結局無難なタイトルに。


次回は決着回です。

引き続き、TDRをよろしくお願いいたします。


【次回、決着! 「退きなさい! 二人で谷底なんてごめんなんだから!!」】


★近況ノートでライバルチームのイラスト公開中!

今回の対戦相手、チーム「爆走4WD姉妹」のイメージボードを公開しました!

ソニカのランエボ10(赤ストライプ)と、マナムのWRX STI(青ストライプ)。

派手なカラーリングと二人の勇姿をぜひ見ていってください🚗🚙✨


https://kakuyomu.jp/users/Bomi-Asu/news/822139840618036519


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## 用語解説

◆ツインクラッチSST

エボ10に搭載された2つのクラッチを使った自動変速機。

奇数段(1,3,5速)と偶数段(2,4,6速)用にそれぞれクラッチがあり、次のギアをあらかじめ待機させておくことができる。これにより、変速時のパワー途切れ(息継ぎ)がほとんどなく、人間が操作するマニュアル車より圧倒的に速いシフトチェンジが可能。


◆ ローンチコントロール

停車状態から、最も素早く発進加速をするための電子制御システム。

エンジンの回転数を最適な状態(例えば5000回転など)に自動で固定し、クラッチ操作やタイヤの空転制御(トラクションコントロール)を機械が完璧に行うことで、プロドライバー顔負けのロケットスタートを実現する。


◆ 4G63 vs 4B11

ランエボの心臓部であるエンジンの型式。

4G63 (エボ1~9MR): 鋳鉄製の頑丈なブロックを持つ、伝説の名機。重いが、チューニングへの耐久性が凄まじく、野太い排気音が特徴。

4B11 (エボ10): アルミ製の軽量ブロックを採用した新世代エンジン。軽くて重心バランスが良いが、音は少し軽く、機械的な響きになる。


◆ ABS (Anti-lock Brake System)

急ブレーキ時にタイヤがロック(回転が止まって滑ること)するのを防ぐ装置。

安全装置として優秀だが、スポーツ走行においては「制動距離よりも伸びてしまう」こともある。上級者はABSが作動する「一歩手前」の領域を足の裏で感じ取りながらコントロールすることで、機械任せにするよりも短い距離で減速することができる。


◆ スキール音(タイヤの鳴き)

タイヤが路面と擦れて出る音。

以下、小説表現として

「キャァァァ」: 高い音。タイヤが完全に横滑りし、限界を超えて悲鳴を上げている状態。コントロールを失う寸前で、摩擦熱でタイヤが溶け始めている。

「キュゥゥゥ」: 低い音。タイヤのゴムが路面を強く掴み、グリップの限界ギリギリを使っている状態(一番おいしい状態)。


◆ カウンターステア

車の後部(テール)が滑り出した時に、滑った方向と逆にハンドルを切って、車体の向きを修正するテクニック。「逆ハン」とも呼ばれる。


◆ テール・トゥ・ノーズ

前の車の後部(テール)と、後ろの車の前部(ノーズ)が接触しそうなほど接近した状態で走行すること。レースにおける極限のバトル状態。


◆ S-AWC (Super All Wheel Control)

エボ10に搭載された、四輪すべての駆動力を電子制御で最適化するシステム。

ACD、AYC、ASC(横滑り防止)を統合制御し、コンピューターが瞬時に最適な駆動配分を決定する。

人間には不可能な速度と精度で制御するため、誰でも速く走れるが、その分「機械任せ」という印象も。

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