# 第5話 相棒

午前5時。まだ薄暗い峠道に、二台のエンジン音が響く。


轟音の隙間から、デジタル変換された声が鼓膜に直接届いてくる。


『アンダーステア。アクセルワークが雑』


ヘッドセットから聞こえるリンの声に、思わずハンドルを握る手に力が入る。


「やってるわよ!」


返事と同時に、今度こそ丁寧にアクセルを踏み直す。

エボが素直に向きを変えた。


『……今のは良い』


短い返事。リンらしい褒め言葉だ。


メッセンジャーアプリ "LANE" の音声通話を繋いでの朝練を始めてから、もう2週間が経つ。

きっかけは、あのTDR概要発表から数日後の、スマホ購入だった。


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「こちらが先日発売された最新機種で、カメラの機能が強化され~」


と最新スマホの説明をする店員を遮り、「スペックが高いものを。」と即答。


「カラーのラインナッp……」 「白で。」 と、一瞬の迷いもなく即決。


「回線のプランにつきましては~」「一番速いので。」で終了。


機種選別にかかった時間、わずか1分。


「わからないから、適当でいい」

そう言いながら、最新モデルを迷わず契約するリンの姿を思い出す。

値段なんて見もしないで。


このお嬢め……


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でも、そのおかげで今の朝練がある。

本番に近い通信環境で走れるようになった。


TDRのコース発表後は、練習範囲も拡大した。

いつもの展望台から、ふもと側に下ったハイスピード区間。

ループ橋やトンネルが連続する高速コーナー群。

ターンパイクや伊豆スカイライン対策として、リンが提案してくれたコースだ。



『次のS字、もっと奥まで突っ込める』


「無茶言わないでよ!」


それでも、リンの指示通りにブレーキポイントを遅らせてみる。

エボが一瞬不安定になるが、搭載された ACDとスーパーAYC が効き、コーナーを美しくクリアする。


『そう。ランエボならそれができる』


リンの声に、わずかに満足の色が混じっている。


上りなら、エボのパワーと四輪駆動でなんとか食らいついていけるようになった。

しかし、下りでは全く歯が立たない。


前を行くS2000が、まるで重力を無視しているかのように、軽やかにコーナーを駆け抜けていく。


軽量な車体と50:50の重量配分。

シャープで鋭いが、その分ピーキーで、ちょっとでもバランスを崩せば簡単に破綻するS2000。

リンはその難しいS2000を、グリップとスライドの境界で完璧にコントロールする。

しかも高い速度域で、後輪の荷重が抜けやすい下りでさえ、涼しい顔でやってのける。


対するあたしのエボは、鋳鉄製の重いエンジンやターボ、トランスミッションが全部鼻先に詰まったフロントヘビー。

下りのブレーキングではその重みで前のめりになってあたしを苦しめる。

けれど基本的な挙動はどっしりと安定したアンダー傾向だ。

そして、AWDという駆動方式や、搭載された電子制御の働きもあり、安定しているのに、驚くほどよく曲がる。


同じ "アクセルで曲げる" でも、エボとS2000はその本質が全く違う。

求められる操作の精度も雲泥の差だ。


……技術の格が違う。


改めて尊敬する一方で、不安も募る。

ようやく追いつけるかもと思った背中が、また遠くなったような気がしてならない。


あたしは本当にリンの足を引っ張らず、バディとしてやっていけるのだろうか。


『今度は減速開始が遅い』


「了解!」


『荷重移動、もっとスムーズに』


「クッ――」


『まだハンドルをこじってる』


「~~ッ!」


音声通話から次々と指摘が飛んでくる。

リンが前を走っていても、後ろを走っていても、まるで助手席で見ているかのように的確だ。

あたしは返事以外の言葉を発さず、走りで必死に応える。


『ラインは悪くない』


「当たり前でしょ!」


『もっと早くアクセルを開けられる』


「やってるって言ってるでしょ!」


――この感じ、懐かしい。


バイクでのサーキット練習。

走り終わってピットに帰ると、いつもお父さんが熱く語りかけてきた。

技術的なアドバイスから励ましの言葉まで、愛情のこもった指導を――


リンの声は、あの頃のお父さんと重なる。


口元がほころびそうになるが、すぐに頭を切り替える。

今はリンの指導に集中しなければ。

そんな一瞬の気の緩みすら見透かしているかのように、リンから次の指摘の声が響く。


『アンダー、アクセルを踏みすぎ』


「あ゛〜〜っ!!」


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朝練の時間が終わり、いつもの展望台。


汗をかき、息が上がっているあたしの隣で、リンは相変わらず涼しい顔をしている。


「ハァハァ……

 あたしは、こんなにも、息も絶え絶えなのに、あんたは、いつも通りスンとしてるわね」


「……あなたの成長も、十分に早いと思う」


リンがストレートに答える。

口数は少ないが、彼女はいつも真っ直ぐだ。


「ハンドルをこじるクセも直ってきた。タイヤの鳴き方も変わった。もう素人の域は超えてる」


「でも、走れば走るほど、あんたの背中が遠くなってく気がするよ。

 それに…… あたしの練習に付き合ってくれて、色々指摘してくれるのはありがたいけど……

 あんたの練習になってないんじゃ…… ない、かな……?」


不安が声に出る。

先日のリンのイジワルな発言を、地味にまだ引きずっている――


リンは少し考えてから答えた。


「あなたにはもっと――

 もっと速くなってもらわないと。」


リンなりの鼓舞なのか、あおりなのか。

その声には、いつもの冷静さの奥に、わずかな切迫感があった。


「私は…… 大丈夫。どこででも練習できる」


そう言って、目を閉じ、スッと手をハンドルの形にする。


「頭の中で何千回でも走れる。

 ステアリングの角度、ブレーキの踏み込み量、アクセルとの連携、四輪それぞれの荷重移動…… 全部。」


「そんなの、あたしだってやってるわよ!

 コースのリズム、ライン取り、頭の中で全部イメージして……!」

あたしだってバイク時代からイメトレは欠かしたことがない。


「……じゃあ、もっと緻密に」


リンの声に、いつもとは違う熱がこもっている。


「例えば――

 ここを下った先の1つ目のヘアピンカーブ。

 ブレーキを踏み始めてから、ステアリングを切るまでは何秒?

 その間に、シフトダウンして何速、何回転で進入するのが最適?

 4つのタイヤ、それぞれの荷重配分は?」


あたしは言葉に詰まった。

そこまで…… 考えたことがなかった。


「バイクは身体全体で操る乗り物。才能があれば感覚でも速く走れるかもしれない。

 でも車は違う。大きく体を動かさない分、もっと精密に、もっと繊細に。

 そうすればランエボを、もっと近くに感じられるはず」


リンの静かな声は、不思議と胸に刺さる。


「……わかった、やってみる。

 信じてるわよ、相棒」


少し照れてそっぽを向くと、リンの表情が柔らかくなった。


その時ふと気づく。

リン自身も変わっている。TDRの発表以来、明らかに走りのギアを上げている。

以前より速くなっているのは確かだが、どこか力んでいるようにも見える。


レイとの因縁――

あの名前が出た時のリンの動揺を思い出す。

普段の冷静さを失った、珍しい姿だった。



「……そうだ」


リンが何かを思い出したように、S2000のグローブボックスを開ける。

また封筒だ。

今度は大切なものを扱うように、両手で胸に抱えている。


「今度は何? まさか今度こそテーマパークのチケットをくれるの?」


笑いながらそれを受け取ると、中には小さなステッカーが入っていた。

太陽と刀の軌跡をデザインした "SOL EDGE" のロゴ。


「弟が作ってくれて……」

リンは少し照れくさそうに、でも誇らしげに言った。


S2000の左ヘッドライトの下を指差す。

そこには同じステッカーが貼ってあった。


「そういえば弟がいるって言ってたね。

 お姉さん思いのマメな弟さんだね」


あたしもすぐに、エボの同じ位置に貼り付ける。

SOL EDGE――

太陽の輝きとカミソリの切れ味。あたしたちのチーム名。


小さなステッカーだけど、なんだか心が温かくなる。


「開幕まで、あと少しだね」


「勝つ…… 必ず――」


リンの声は静かだが、強い意志を感じる。

同時に、レイという名前が彼女の肩に重くのしかかっているのも分かる。


一人だけで抱え込もうとしているのかな……

あたしはまだ、バディとしては半人前、か……



TDRのルールが頭をよぎる。

ラウンド1は上り・下りそれぞれの1対1。

半人前でも、一人で勝たなければならない。


各レース、勝利で5ポイント、敗北でも2ポイント。

上下完全勝利なら追加3ポイントのボーナス。

4ラウンドしかない大会で、この差は致命的だ。


『一人で勝つ』

その重圧が、じわりと胸を締め付ける。


それでも、ふたりのステッカーを見つめていると、不思議と落ち着く。



「あたし、本当にあんたの足を引っ張ってない?」


「……あなたはもっと速くなる。私が保証する」


リンの言葉に嘘はない。

ただ、あたしの心配は別のところにある。


レイとの因縁――

リンが一人で抱え込もうとしているあの重荷を、あたしはどうやって支えればいいのか、まだわからない。


でも、相棒って呼べる人がいるのは心強い。

きっと二人一緒なら、どんな壁も乗り越えられる。


朝日が昇り始めた峠道で、あたしは改めて決意を固めた。



その時、リンの新しいスマホと、あたしのスマホが同時に短く震えた。

画面に表示されたのは、TDR運営からの通知。


『Round 1 対戦カード発表: SOL EDGE vs 爆走4WD姉妹』


相手はランエボXと、WRX STI。

国産4WDスポーツの頂点を争ってきたライバルたちだ。


「面白いじゃない」


あたしたちは顔を見合わせ、不敵に笑った。

準備はできた。あとは、やるだけだ。


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# あとがき


お読みいただきありがとうございました。


**★近況ノートでチームロゴ公開中!**

作中でリンが渡してくれた、弟くん手作りの「SOL EDGE」チームステッカー。

そのデザインをイメージイラスト化しました!

「太陽」と「刃」をモチーフにしたロゴを、ぜひ見ていってください☀️🗡️


https://kakuyomu.jp/users/Bomi-Asu/news/822139840302234205


【次回、ラウンド1開幕! 登りのハンデ戦、NAのS2000に勝機はあるか!?】


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## 用語解説

◆ ACD (Active Center Differential)

「アクティブ・センター・デフ」。

前後のタイヤのつながり具合(回転差)を自動で調整し、路面状況や走行状態に応じて四輪駆動の特性を最適化するシステム。

ハンドルを切った瞬間は「曲がりやすく」、加速する時は「直進安定重視」に、電子制御で瞬時に切り替える。


◆ スーパーAYC (Active Yaw Control)

「アクティブ・ヨー・コントロール」。

後輪の「左右」の駆動力(回転する力)を調整する、三菱独自の技術。

カーブの外側のタイヤを強く回すことで、強制的に車を内側へねじ込む。

ACDと組み合わせて制御され、エボが「曲がる四駆」と呼ばれる理由の一つ。


◆ 鋳鉄(ちゅうてつ)製 ブロック

エンジンの本体(シリンダーブロック)が、アルミではなく鉄で作られていること。

エボ9MRに搭載される名機「4G63」エンジンは頑丈な鉄製のため、凄まじいハイパワーにも耐えられるが、その分とても重い。これが鼻先に載っているため、下り坂では前のめりの力が強くかかり、ブレーキとタイヤをいじめる原因となる。


◆ 50:50の重量配分

車の「前の重さ」と「後ろの重さ」が、ちょうど半分ずつであること。

スポーツカーとして最も理想的なバランスとされる。コマのように中心を軸にして素早く向きを変えられるが、限界を超えるとクルンと回ってしまう(スピンしやすい)危うさも併せ持つ。


◆ ピーキー (Peaky)

挙動が神経質で、扱いが難しいこと。

「ある一点(ピーク)」では凄まじい性能を発揮するが、そこを外すと急に遅くなったり、制御不能になったりする特性。S2000はまさにこの代表格。


◆ LANE(レーン)

TDRの世界で多くの人が使っているメッセージ&通話アプリ。

リンはこれまでガラケーだったため無縁だったが、アサヒとの通話練習のために最新スマホと共に導入した。


◆アンダーステア

コーナーでハンドルを切った分だけ曲がらず、外側に膨らんでしまう現象。フロントタイヤのグリップ不足で発生。


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