ポスト勇者世界に聖剣は輝く
マナティパンチ
第1話 聖剣
勇者。
それは困難に立ち向かう者。
勇者。
それは正義の心を持つ英雄。
勇者。
それはかつて、多くの人が夢見た存在。
これは俺が、本当の勇者となるまでの物語だ。
◇◇◇◇
『列を詰めて並んでくださ〜い』
スピーカーを通した明るい声が、耳に突き刺さった。
魔王戦争の資料を集めた歴史博物館。普段は学者か観光客くらいしか来ない場所だが、日曜の今日は家族連れで混みあっている。子供たちのはしゃぐ声が、石造りの広間に反響していた。
俺が並んでいる列の先には、厚い強化ガラスで囲われた大きなエメラルド色の岩。その中央に、一本の剣が深く突き刺さっている。
照明に照らされるその剣は、どれほどの年月を経ても傷一つない。解析の結果、どんな衝撃や腐食にも劣化しない性質が確認されている。
人類史に残る超常遺物。
つまり、本物の聖剣だ。
その上に掲げられた赤い横断幕には、金の飾り字でこう印字されていた。
『聖剣を抜いて勇者になろう』
勇者と呼ばれた人物は、千年以上前に魔王を討ったとされている。
だが当時の記録は乏しく、大半が後世の脚色だと見られる。魔物の大軍を単身で薙ぎ払っただの、海を割っただの。今では民俗学の分野に分類される話ばかりで、実際に何があったかはほとんど分からない。
確かなのは、聖剣が現存しているという一点のみだ。
魔王が消えた後も、魔物は残り続けた。
人々は勇者伝説を手掛かりに、強力な魔物へ立ち向かおうとした。
勇者なき時代、誰もが新たな勇者を求めた。
聖剣を引き抜くのは自分だと、心のどこかで信じていた。
ーーそんなのはもう、昔の話だ。
30年前、人類は魔物に対抗しうる兵器を開発した。
魔力を極限まで圧縮し、遠方から一直線に撃ち抜くレーザー兵器、『魔力砲』。
初期実戦では、それまで国家レベルの危機とされていた「特級」に分類される魔物を、安全圏から一撃で消し飛ばした。しかも、その際の死傷者はゼロ。
その日人類は、魔物を克服したと言われた。
人は、新しい「絶対」を手にすると、古い「絶対」を疑い始める。
魔力砲を手に入れた今、槍玉に挙げられたのが勇者だった。
聖剣を持つ勇者は1人だけ。魔力砲は量産できる。
戦略面でも運用面でも、勇者に優位性は見当たらないのではないか。
そんな議論は瞬く間に広がり、やがて一つの言葉に収束した。
『勇者不要論』。
勇者の物語は、突然に過去のものとなった。
残ったのは伝承と、一振りの聖剣だけ。
それでも物語としての勇者は、今も子供たちの憧れの対象であり続けている。
ーーそんな子供たちのために、この博物館では時折、所蔵された本物の聖剣を使ったイベントが開催される。
そして俺は、その列の中にいた。
笑顔の子供たちに押されながら、順番待ちをしている。
早い話が子供向けイベント。
言ってしまえば罰ゲーム。
順調に列は進み、俺の番は近づいていた。
列の外では、親御さんたちがスマホを構えて我が子の勇姿を狙っている。
その中に、意地の悪い笑みでスマホを構える高校生の集団がいた。恥ずべきことだが、『歴史研究部』に所属する俺の友人たちである。本当に恥ずかしい。
じゃんけんで負けただけにしては、酷い辱めだと思わないだろうか。奴らに向かって中指を立てたいのをぐっと堪える。親御さんたちの輝かしい思い出づくりを、邪魔する訳にもいかない。
憧れの聖剣を触れてはしゃぐ子供。緊張で動けなくなってしまう子供。聖剣がびくともせず、夢破れて泣き崩れる子供。反応は様々だが、どれも非常に微笑ましい。
俺の前の子供が涙目で岩から離れ、係員に促されて親御さんたちの腕の中へ走っていった。
ついに、自分の番が来てしまった。
ガラスのゲートがゆっくり開く。
照明に照らされた聖剣が目の前にある。
近くで見ると、本当に傷一つない。千年前の遺物とは思えないほど輝いている。
係員が笑顔で言う。
「じゃあ、お兄さんも挑戦してみてくださーい」
挑戦も何も、さっさと終わらせて視線から逃れたい。
俺は形式的に頷き、柄に手を添える。
ここにいる子供達と同じように、俺にも勇者に憧れた時期があった。けれど人は、現実を知って大人になっていくものだ。
どうせ、びくともしない。
そう思って、軽く引いた。
するり。
手応えは、まったくなかった。
聖剣は、空気のように軽く抜けた。
勢い余って尻餅をついた俺の手から、聖剣が滑り落ちる。
音も立てず、博物館の床に突き刺さった。
館内が静まり返る。
俺は尻餅をついたまま、聖剣をただ見つめることしかできなかった。
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