夏の日のこころへの応援コメント
ーーーー遠く隔てられた私とおじいちゃん。理解できないからと諦めた時、私の中でおじいちゃんは本当に冷たくなってしまうのだろう。
この文に全て込められているように感じました。
晩年のおじいちゃんは、目に見えないものを、大事に、追いかけていたのか、あるいはその姿を幼い子供に見せようとしていたのか。その姿勢があって、初めて「理解」と言えるのかもしれませんね。死者は何も語らないから、残された物も生前の欠片でしかないけれども。
隣には同じように、もう会えない人を理解しようとする仲間がいて、奇しくも自分と同じく子供で……そうして二人並んで書に向き合う姿がなんとも尊く思えました。
作者からの返信
拙作をお読みいただき、素敵なコメントまでありがとうございます
ゆったりと時の流れる夏の朝に、書を通して死者と向き合うふたりの姿から何か見えるものがあればと筆をとった次第でした。
そして七洸軍 様からも感想をいただいて、気付かされることが多くありました。
死者は何も語らない、同様に生者であっても、目に見えるものであっても分からないものがある。少女が生前のおじいちゃんを理解できなかったように。
理解というものが、単に知ることだけなのかと今一度はっとさせられました
冗長な上に、作者からの長々とした言葉は無粋かとも思われますが、七洸軍様の感想に胸を打たれたので、返信失礼します
夏の日のこころへの応援コメント
企画参加ありがとうございます。夏の情景が思い浮かぶような作品でした。
死者は何も語らない。その通りですね。ただ残されたもの達が、必死でその意図をくみ取ろうとするさまに共感しました。最終的になんでそんなことをするかというと自分の為ですよね。
作者からの返信
拙作をお読みいただきありがとうございました
十神様が何か共感をして楽しんでいただけて何よりです
夏の情景を描くところは特にこだわったので褒めていただき大変恐縮です
何も語らない死者のこころを、探そうとする二人の子供たちが究極的には自分のためだと気づいて、それでも無為に思える行為に意味を見出す姿を書けたらと筆を取りました。
重ねて、お読みいただきありがとうございました!